第1話 朝ご飯
鳥のさえずり。カサカサと揺れる葉擦れの音。
春風の匂いが脳を刺激する。
ピンポーンと鳴り響くチャイムの音。
俺は急いで立ち上がると、玄関に向かう。
「大輝。起きている?」
「ああ。今起きたところだ。美羽」
玄関を開けるとそこには完全美少女が立っていた。
腰まで伸ばした黒髪を丁寧に編み込んでいる。好奇心旺盛な瞳はサファイヤのように蒼く輝いている。
S級美少女と言えるだろう。
全体的にスマートで、背は高くない。
胸もすっきりしている。……が本人はコンプレックスなのであまり言わないようにしている。
俺は貧乳が好きなのだが、それすらも理解してくれない頑固なところがある。貧乳はステータスである。
性格はクールなところがあるが、意外とボケるのが好きなお茶目な一面もある。繊細で、ちょっとしたことで傷つくし、コロコロと表情を変えるのも可愛らしい。
そんな実沢美羽と俺は付き合っている。
付き合ってから三ヶ月が経つが、未だにキスの一つもしていない。二人ともそう言う気分にならないし、まったりとした落ち着いた空気があるので、熱にうなされることもない。
「朝ご飯まだでしょ?」
こうしてたまに家に来てデートを楽しむ関係。
「ああ。お願いするよ」
俺は笑みを浮かべると、美羽も嬉しそうに料理を始める。
美羽はなんでもできる超人でもある。
でも負けず嫌いな俺に遠慮している節がある。
お互い高校生。同じ学年の同じクラス。16歳。
でも俺は一人暮らしをしている。両親の住む島からは遠い。
毎月の仕送りを大切にして過ごしている。
ピーピーとなるうちの魚焼き器。
「もうすぐできるから待っていてね」
「うん。分かった」
本当は会話の一つでもしたいのだが、料理に真剣になっている以上話しかけるのは躊躇われた。
「でも俺も運が良かったよ」
「なんで?」
「ほら、美羽と付き合えているだろ? この八十億近くいる人類の中で二人が出会えたのって奇跡じゃん」
「ふふ。そうね。運命の赤い糸でもつながっていたのかな?」
柔らかな物言いに俺はますます好きになっていく。
俺の突拍子もない会話にもついてきてくれる。
「さあ、できたわよ」
美羽はそう言うと四角いテーブルの上に料理を並べていく。
卵焼きに、焼きシャケ、お味噌汁、味つけ海苔、納豆。
まるで旅館にならぶような料理の数々に舌が唸る。
「さすが美羽。完璧だね」
「やめてよ。もう。大輝だけだよ。そんなに言ってくれるの」
もう、とは良く言う言葉だが、そこには照れ隠しが見てとれる。その証拠に赤くなっている。
可愛い奴なのだ。
ちょっと心配そうにのぞき込んでくる美羽。料理の出来が気になるらしい。
「「いただきます」」
命を頂く。
その行為に報いるだけのことをしなければならない。
そう思い、俺は箸を動かす。
卵焼きを食べるとちょうどいい甘さが口いっぱいに広がる。
「うまい!」
「ふふ。ありがと」
小さく笑うと、先ほどの心配はどこへやら。
美羽も箸を進めていく。
ネコのチャオも、ゴロゴロと喉を鳴らし、近寄ってくる。
そろそろ食事の時間だと分かっているのだ。
玄関脇に置いてあるテーブル。その上にある水槽が餌を自動的に落としていく。
俺はこの幸せな空間を楽しみつつ、食事を続ける。
「ほっぺついているよ」
そう言ってほっぺについたご飯粒をとって口に運ぶ美羽。
ドキリとした。
心臓がうるさく木霊する。
こういったところ、ずるいと思う。
健全な男子高校生なら誰だってドキドキするに決まっている。
そう思い、味噌汁をすする。
「うまい。なんで同じ調味料なのに、こんなに味が違うんだ?」
俺だって料理はする。一人暮らしをしているのだから。
でもおいしさは比べものにならない。
材料だって普段と変わらないのに、こんなに美味しくできるのは美羽の天才的な腕前あってのことだ。
「大輝は火にかけすぎなのよ」
「そうなのか? 生よりはいいだろ。しかし、この味を知っているのは世界中、ただ一人か」
感慨深く料理を楽しむと、美羽は嬉しそうにはにかむ。
「両親にも食べてもらっていないからね。大輝が初めて、……だよ?」
その言葉に飲んでいた味噌汁が気管に入り、盛大にむせてしまう。
「そ、そうか。ありがと」
落ち着いたところでそう告げる。
ドキッとした。
危なく美羽を抱きしめたくなってしまったが、俺は堪えた。偉い!
「ぐっときたよ」
それだけを告げると赤くなる美羽。
「いつも褒めてくれてありがと!」
美羽は嬉しそうに目を細める。
俺の前では饒舌なのに、他の人には素っ気ない態度をとる。これも照れ隠しなのかもしれない。
相当な恥ずかしがり屋なのかもしれない。
そう思うとこんな一面を知っている俺は得をしている気分になる。
「世界中に言いたい。俺の彼女、最高に可愛いと!!」
気合いを入れて熱弁すると、チャオは驚いてベッドの下に隠れる。
「そ、そんなに言われても~~~~!」
美羽は恥ずかしそうに俯き、ボンッと何かが爆発したような気がする。
こんな日々が続くのは美羽のお陰だ。
ありがとう。
感謝の言葉しかない。
「神様がいるって、俺は信じたいよ」
「わ、わたしは神様なんて信じていないもん!」
「そのくらい好きってこと。気がつけよ、バカ」
「バカって言う方がバカなんだもん!」
バカ、その言葉が柔らかくなるほど、彼女を好きでいる。
彼女もそれを分かっているのか、困ったように笑みを浮かべている。
可愛いな。
甘々なデレデレな美羽を見られる俺はなんて幸運なんだろう。
「でも、ありがと!」
素直に受け止められる美羽は可愛いな。
「な、何よ。ニタニタして」
「いや、美羽は可愛いな、って思って」
「もう、冗談は顔だけにしなさい」
毒舌かと思うかもしれないが、美羽は俺の顔を気に入っている。それが分かる。
だから嬉しい。
突き放すようなことはしない。
それもひっくるめて俺は美羽を好きになったのだ。
だから、それが軽口だということも分かっている。
「冗談って、この顔か?」
変顔をして美羽の笑いを誘う。
「そうそう。その顔、って何を言わせるのさ!」
ノリツッコミとは意外とやるな。
「もう、変なことしているとチャオの餌にしちゃうよ?」
「あ。食べる。俺の高級料理たちが!」
チャオが机に上がってきたのだ。急いで食べねば。
「高級なものは使っていないよ」
「美羽の心遣いが詰まっているだろ」
「もう。もう。もう!」
怒っているようだが、これでも必至に照れ隠ししているのだ。
可愛いかよ。
シャケの小骨を取り、口に放りこむ。
「シャケもうまい」
「シャケは魚焼き器のお陰です!」
「それは知っているが、何か工夫があるんじゃないか?」
「……そりゃまあ、おいしくなれとは思っているけど……」
ぶつぶつと小さな声で呟く美羽。
「え。なんだって?」
使い古した言葉だが、俺の今の状況を語るにふさわしい言葉だった。
「もう。いいから食べて!」
「おう! ご飯おかわり!」
「はいはい」
美羽は茶碗を受け取ると、ご飯をよそう。
二杯目もいけるのだ。そのくらいうまい。
「ごちそうさまでした」
そう言うと、俺はチャオのご飯を用意する。
と言ってもキャットフードをはかり皿に移すだけだが。
それでもチャオは満足そうに食べるのだった。
水槽の餌も足しておき、まったりしている美羽のそばに腰を落ち着ける。
コトッと頭を傾け、俺に預けてくる美羽。
その頭を撫でると、嬉しそうに目を細める。
ほのぼのするな。
この空気をどこまでも持っていきたい。
暖かく優しい雰囲気だ。
もう離したくない。
こうして俺の一日デートが始まったのだ。