第73話 夜のバルコニーで
すっかり夜になってしまったが、今日一日いろいろあり過ぎて、私はベッドに入ってもなかなか寝付けなかった。体も心も疲れ切っているのに眠れないなんて。
仕方がないので、バルコニーに出てぼんやりと月をながめていた。
「マリア、眠れないのかい?」
隣のバルコニーから声がした。
そして、グラスを持った殿下がバルコニーを越えてきた。実は最近引っ越しをして、殿下の部屋と私の部屋は隣同士になっていたのだ。
「軽いお酒だよ。少しだけ飲んだら寝られると思うんだ」
この国では、15歳を成人としていて、お酒も15歳から飲めるのだ。
ありがたく受け取って、口を付ける。優しい甘さのアルコールが、口の中にじんわりと広がった。
「おいしいです。ありがとうございます、アロ様」
殿下は、グラスを受け取りテーブルに置いた。
「ねえ、マリア。先ほどまで慌ただしくて、ゆっくり君と話せなかった。少しだけここで話をしていてもいいだろうか?」
「はい、私も話したいです」
「……ねぇ……抱きしめてもいい?マリア」
そう言って殿下は一歩私に近づいた。私が頷くと、ギュッと力強く抱きしめられた。ふわりとお風呂上がりの石鹸の匂いがした。
「ああ、マリアだ。…生きていてよかった。本当は失ってしまいそうで、怖くて……」
殿下の声は震えていた。おそらく死ぬ覚悟をもって今回の件にかかわっていた。自分の命より、きっと私の命を優先しようとしていたはずだ。絶対のないものに立ち向かうのは本当に怖い。何かを間違えれば、確実に命がこぼれ落ちていくのだ。
断罪しないといけなかった殿下の気持ちを思うと、心が潰れそうになった。前の記憶があるのだ。トラウマが増えないといいのだけれど……。
「ごめん、マリア。このまま君を離してしまうのは無理そうだ。今夜は君を抱きしめて寝ては駄目かな?」
「あ、あの、私のベッドの上にララが……」
「……そうだったね。じゃあ、僕の部屋においで。誓って不埒な真似はしないから」
ララが聞いていたら、一緒に寝るのも不埒な真似にゃ、と言いそうだな。と思ったけど、私も今夜は一緒にアロ様を感じて寝たかった。だから、素直に頷いた。
「ありがとう、マリア」
殿下が先にバルコニーを越えて、私を抱き上げて下ろしてくれた。
殿下の寝室に入るのは、これが初めてだった。淑女たるもの、むやみに殿方の部屋には入らないのである。
落ち着いたブルーを基調とした部屋は、ふわりと殿下の匂いがして安心した。さっきまで寝ていたのか、ベッドが少し乱れていたのを見てドキリとした。今更ながらに緊張してきた。
「大丈夫だよ。君のことを結婚する前に、なんてことは考えていない。ずっと我慢してきたんだ、あと1年と少しくらい待てるさ」
そう言って、ベッドに入ると、片方を私に示した。私は少し緊張しながら殿下の隣に収まった。さらに殿下の匂いが濃くなって、どきどきと胸は高鳴った。
「おやすみ、僕のマリア。いい夢を」
そう言って、殿下は額にキスをしてくれた。
「おやすみなさい。アロ様。大好きです」
「くぅ、我慢する、出来る……」
何やら、殿下がブツブツ言っていたようだが、さっき飲んだアルコールのおかげか、殿下のぬくもりに包まれているおかげか、私はすぐに眠りに落ちていったのだ。
朝、ギャーギャーと騒ぐララの声で目が覚めた。
『アロイスのくせに信じられにゃいのにゃ、マリアと一緒に寝るにゃんて、何しているにゃ。まだ早いにゃ!!』
「うるさい、マリアが起きるだろう。別に手を出してなんかいない。一緒に寝ただけだ」
『当たり前にゃ~。それ以上なんて獣にゃ。駄目に決まっているのにゃ!!』
「これでも、持てる理性を総動員して……頑張ったんだ」
『それは自業自得にゃ』
どうしよう、起きるタイミングを逃した気がする。
『もういいにゃ、そろそろ起こして、すぐにマリアを部屋に戻すにゃ!このままだと朝起こしに来たマーサが腰を抜かすのにゃ!!』
そうだ、マーサに殿下の部屋で寝たなんてバレたらとんでもないことになりそうだ。
ドンッとララが私の上に飛び乗ってきた。衝撃でぐぇっと変な声が出たがそれどころではなかった。
「あ、おはようございます。アロ様。私自分の部屋に戻ります!!」
「ああ、手を貸すよ。落ちると危ないからね」
何とか、バルコニーを乗り越え、慌てて自分のベッドに滑り込んだ。
少しすると、コンコンとノックの音が響いた。
「おはようございます。朝ですよ、お嬢様」
マーサがゆっくりとベッドに近づく、何とか間に合ったようだ。
「あら、お嬢様、今朝は随分寝相が良かったのですね。いつもはすごいのに」
え?私の寝相悪いの?? アロ様、大丈夫だったかしら……