冷血の王女様は魔女の呪いで恐ろしい狼に変えられた……筈がツンデレケモ耳だとぉ!?
猫じゃらし様の獣人春の恋祭り企画参加作品です。
空気が冷える秋の日、公爵令息のゲオルグは婚約者の為に王都に構えた屋敷でちょっとした催しを開いた。
集まった賓客達は身につけた衣服や宝石で趣向を凝らしていた。耳に入るのは腕の良い楽団により奏でられし美しい音の調べ。この為に呼ばれた道化師は皆の心を掴み笑顔にさせ、シェフは腕によりをかけて素晴らしい料理を提供する。更にダンスの名手と名高い男女までいた。
しかし主賓であるゲオルグの婚約者、ビアンカ・アイスザプツェン王女はそのどれにも全く興味を示さず、椅子にどっかりと腰掛け冷たい表情を崩さなかった。
「つまらぬ! ゲオルグ、お前はこんなくだらない集いのために妾を呼びつけたのか。どうしてくれよう!」
この場に於いて、空気が凍りつくとは実に言いえて妙だ。
ビアンカ王女の水色の艶めく髪に銀の瞳、雪のように白い肌を持つ冷たい美貌は氷の女王さながらで、その威厳に凍りつき震え上がる者も少なくない。
実際に今の言葉でゲオルグの近くにいた彼の妹や、王女の側仕え、公爵邸のメイド達は顔色が一気に悪くなった。
この、冷血と言われている王女の前で、かつて皿を取り落とし割ったメイドや粗相をして王女のドレスを汚した伯爵令嬢がいた。
彼女達はそれ以降、二度と王宮でその姿を見る事は無くその後の消息もあまり知られていない。表立っては誰も言わないが裏では「冷血なビアンカ様が手を回して彼女らを亡き者にしたのでは」と噂になるほどだ。
「ビアンカ様、そう言わないで下さい。貴女にお目通りを願う者達がこうして集っているのですから」
ゲオルグの言葉に王女はギラリと銀の睨みを利かせる。
「いやじゃ、こんなものつまらぬ! 妾は帰るぞ」
ビアンカはそれまで頑として上げなかった重い腰をサッと上げ、本当に帰ろうとする。ゲオルグと側仕えが慌てて取り成そうとしたその時、大広間に漂う明るく楽しい楽曲に、しわがれた重々しい声が割り込んだ。
「つまらぬ、か。ではもっと面白くしてやろうか」
いつの間にか公爵邸の大広間に場違いな存在が紛れ込んでいた。
黒いローブを纏い、年代物の杖を持つ手やフードの先から出た鼻には多くの皺が刻まれている老婆。
彼女の醸し出す異質な雰囲気に賓客達は思わず後退り、自然と老婆の周りには輪が作られた。
「無礼者、何奴じゃ!」
王女の冷たい声に老婆は怯むどころか耳障りな笑い声をあげる。
「きゃっひゃっひゃ。傲慢で冷血な王女様、あたしの名前も知らないんだねぇ。あんたのせいであたしは長年の棲み家を追われそうなのにさ!」
「棲み家だと? 妾が何をしたと言うのだ」
「あたしは北の森の魔女だよ。あんたが森の木をどんどん切り倒せと家来に言いつけたんだろう?」
「……そうか」
ビアンカはほんの一瞬だけ水色の睫を伏せたが、すぐにそれを上げ真っ直ぐに魔女を見据えた。
「だがあの土地はお前の物ではない。妾の物じゃ。お前には悪いが妾が自分の物をどう扱おうが妾の勝手だろう」
「あんたの物でもないさ。まだね」
「何だと?」
王女の鋭い眼光をものともせず北の森の魔女はニタリと笑った。
「北の森は王家のもの。あんたがこの公爵さまの家に降嫁する際に持参金代わりにあんたに渡されることになってる。だからあんたが結婚できなければ話は違うのさ!」
魔女はそう言うが早いか、杖を王女に向かって振りかざす。杖の頭に精巧に彫りこまれた狼の口には大きな珠が咥えられていて、それがピカリと光り王女の目を真っ直ぐに射抜いた。
「きゃあっ!」
「ビアンカ様!!」
光を浴びたビアンカ王女は顔を抑え倒れ伏した。ゲオルグが慌てて王女を助け起こそうとした瞬間、彼女の背中が……いやドレスが細かく震え、みちみちと音を立てる。
ブチッ!!
王女のドレスの腰部分から音を立てて縫い目が破れ、内側から突き破り現れたのは水色のふさふさとした巨大な尻尾。
「あーっひゃっひゃ!! 王女様、あんたに獣の呪いをかけてやったわ! どうだ面白いだろう!? 狼になれば公爵さまの息子と結婚はできぬ! しかも狼の棲み家は森だ。お前は森を追われる辛さをとくと味わうがいい!!」
狂ったように笑う魔女はそう言い残して煙のように消え去った。
後に残された者達は誰も彼もが状況を飲み込めず、口を閉ざしたまま伏せた王女を見つめることしか出来なかった。
どれだけの時が経ったろう。漸くビアンカが震えながら身を起こす。細く白い指で両の頬を包んだ。
「妾が……狼に?」
そのままぺた、ぺたりと自身の顔を撫で回す。しかし鼻面は狼のように長くもないし、頬も額も顎も毛むくじゃらにはなっていない。
「はは……ははは! あの魔女め、脅かしおって! 妾をからかった罪は重いぞ!」
その声には唸るような凄みがあり、眉間に深い皺を刻んだ顔は非常に剣呑で、口元にはむき出しの犬歯がギラリと光る。怒りに燃えた彼女に魔女は追い詰められ殺されてしまうのではないか、といつものビアンカなら皆思っただろう。
だが、ある2点を見ればそうは思えなかった。彼女の耳と尾である。
魔女はビアンカをからかっていたのではなかった。獣の呪いは中途半端にかかったのだ。
彼女の顔は殆ど変わらなかったが、その耳だけは大きな三角形に変わり、水色のふわふわとした毛を伴い頭の上方についている。そして今、その三角の耳はペタンと伏せ、尻尾は巻き気味に垂れてプルプルと小さく震えているのだ。
ゲオルグも、妹も、その両親も、メイドも、王女の側仕えも、パーティーの客達さえも。その様子に心の中でこう呟いた。
(え……王女様、実はビビってる……?)
「決めたぞ! 北の森の木を全て斬り倒してやろう! あやつこそに追われる辛さを味あわせてやるのじゃ! ほーっほっほ!」
口ではそう言っているが耳は倒れたままだし尻尾も震え続けている。
「あの、ビアンカ様……」
居たたまれない気持ちになったゲオルグが声をかけると、ビアンカの尻尾がピコン! と音でも立てそうなほど真上に立ち上がった。
「なんじゃゲオルグ。妾は今、魔女への復讐を考えていて忙しいというのに! あっちへ去ね!」
ゲオルグは真っ赤になった。それはビアンカの拒否の言葉のためではない。……いや、寧ろその言葉があって、かえって彼女の耳と尻尾の動きが強調されているかもしれない。
この様子を見た周りの人々は、誰も彼もが似たような事を考えてお互いに目配せをする。
(いや……バレバレの嘘だろ。耳もゲオルグ様の方に向かって立ち上がってるし)
(尻尾が高速でブンブン振られてますわ!)
(えっ、えっ、ビアンカ様って……ツンデレだったの!?)
(ツンデレというよりも、今までは隠すのが巧すぎてツンツンだったのね!)
(ツンデレケモ耳だとぉ!? そんなのアリかよ! めっちゃくちゃ可愛い!!)
ところでゲオルグはいつも婚約者に対して非常に従順である。「あっちへ去ね」と言われればすごすごと無言で引き下がるし、その献身的な態度は奴隷のようだと揶揄されるほど。
その理由はビアンカが王女であり結婚するまでは彼よりも立場が上という事も多分にあるが、何よりもゲオルグがビアンカに惚れ込んでいるからである。まさに恋の奴隷であった。
そのゲオルグが今日この日、人生で初めて彼女に逆らった。
「本当に……いいのですか?」
「は?」
「俺はこのパーティのホストです。今回の賓客は皆、ビアンカ様の為に集まった者達ばかりですが、ビアンカ様がお相手をなさらないのであればせめて俺が一人一人にご挨拶をして回らねばなりません」
「ぬ?」
ブンブンと振られていた尻尾がピタリと動きを止めた。
「もう今日はずっと貴女から離れることになりますが」
「ああ。妾はこんなつまらぬ集まりなど望んでおらん。勝手にするが良い」
王女は威厳ある冷たい口調で言い放つ。その銀の瞳も揺らめいているが、今までならその揺らめきは怒りの印だと皆思っていただろう。しかし彼女の耳は徐々にくるくると巻くように下がり始めているし、尻尾もだらりと垂れていた。
(悲しんでる……のか?)
(困ってるわね)
ハラハラと皆が見守るなか、ゲオルグは更に強気の駆け引きに出た。
「そうだ。魔女のせいですっかり興も冷めてしまいましたし、ここはひとつ場を盛り上げるために俺がダンスを踊るというのも良いかもしれませんね?」
「ダンスだと?」
ビアンカの尻尾がそわ、そわと動く。
「今日はせっかくダンスの名手をお呼びしていますから、是非一曲お付き合い頂こうかな」
「!」
ゲオルグがダンサーのカップルの方を見ると、二人は心得たとばかりに前に進み出る。
男性は女性をエスコートしつつもゲオルグに彼女の手を渡すように近づいた。しかし二人の口許にはニヤニヤと笑みが乗っている。
「あ、あ……」
それを見たビアンカの耳と尻尾が下がり、しゅんとしているのが見えているからだ。
「ビアンカ様!!」
たまらず、ゲオルグの妹が意を決して助け船を出す。
「ビアンカ様も、実はダンスがとってもお上手なんですよね?」
「!……当たり前じゃ。妾は最高のレッスンを受けておるのだぞ」
「では是非私の兄に手ほどきを。一曲だけお付き合いくだされば充分ですから」
「……ふん、仕方ないな。一曲だけだぞ」
如何にも嫌々といった態度を見せていながら、その耳と尻尾ではウキウキとした心持ちを表すビアンカに、周りの者はほっと安堵の息をついた。
魔女の乱入で中断していた音楽が再び奏でられ、ビアンカとゲオルグは皆に見守られながら踊り出す。楽団も気を利かせてアップテンポの曲をやめ、落ち着いてしっとりした曲を選んでいる。その為二人には会話をする余裕ができた。
「ビアンカ様」
「何だ」
「本日は申し訳ありませんでした。ビアンカ様に喜んで頂きたくてこの催しを開いたのですが、逆効果だったようですね」
ゲオルグが優しく微笑むと、ビアンカはぷいと顔を逸らした。しかし尻尾は機嫌よく左右に揺れている。
「……まあ、妾の好みではないな。しかしお前の真心は伝わったから今回だけは許してやろう」
「ありがとうございます。せっかくですので後学のためにお好みをうかがっても?」
「こんな派手にせんでも、茶の一杯と菓子のひとつでもあれば充分だったのだ」
「ほう、それはまたずいぶんと質素ですね。まるで倹約令でも発布を……」
ゲオルグは冗談のつもりで言いかけてはたと気づいた。自分を見上げてくる銀の瞳が挑戦的に輝いている。ゲオルグはその美しさに、そしてその瞳が言いたいことに、改めて惚れ直した。
「まさか北の森の木を伐採せよと命じたのはそのためですか!」
ビアンカ王女はにんまりとした。ここにきて初めて彼女の顔と耳と尻尾の表情が一致したのである。
「やっと気づいたか。今日なぞ秋とは思えぬ寒さだったのにわからぬとは阿呆め。今年の冬はきっと長く厳しいものになるぞ」
「至急、父から親族や領民へ贅沢をせず冬に備えて薪を多めに用意するよう伝えてもらいます」
「ああ頼む。公爵自ら動いてくれるならばこちらも他の者に言いやすくなる」
「それと、お願いなのですが」
「何じゃ」
「北の森の伐採を止めていただけませんか。木なら、我が公爵領の領地から献上致しますゆえ」
「何故だ。これは儲け話ではないぞ。薪を買う余裕のない国民にそのまま下げ渡すつもりだからの」
「存じております……だからこそ、です」
ゲオルグは王女の背中に回した腕に力を込めた。ビアンカはビクリと尻尾を一瞬立てたが、すぐにふるりと嬉しそうに揺れる。ゲオルグはそれを満足そうに眺めながら愛する婚約者に告げた。
「……貴女は、本当はとてもお優しい方だ」
冷血なんてとんでもない。王女の前で失敗した者達はきちんと責任を取らされただけだ。目が飛び出るような金額の、最高級の皿を何枚も割ったメイドは王女ではなく上司に厳しく叱責された。
泣き濡れたメイドの顔を見た王女はこう言ったのだ。
「駄目だ。こいつは何もわかっておらぬ。この皿に込められた職人の魂ではなく、叱られた自分が可哀想だと泣いておる」
メイドは馘になり、そして遥か遠くの地に飛ばされた。そこは最高級の食器を王家に納めている工房だった。彼女はそこで一から十まで教えられ、自分が割ってしまった物がどれだけの人の手間をかけて作られたものなのか身にしみて理解させられ深く反省した。なお、その研修の間の彼女の賃金は王女のポケットマネーから出ていたらしい。
結果的に元メイドには陶芸も絵付けも焼きの才能もなかったが、唯一皿を割る才能だけはあったらしく、今では半端な出来の作品を土に返すために割るという仕事を担当している。彼女の惚れ惚れするような皿の割り方を見た職人達は胸のすく思いがして「ようし、もっと良いものを作ってやるぞ!」とやる気になるのだとか。
王女のドレスを汚した伯爵令嬢もそうだ。彼女は悪意もなく本当にドジだったらしい。王宮での貴族女性を集めた茶会に出席したはいいが、親しい友もおらず慣れない場に緊張して飲み物をこぼし、ほんの少し王女のドレスにはねさせてしまったのだ。
真っ青になって震えながら「弁償させてほしい」と言った伯爵令嬢に、ビアンカはニヤリと笑ってこう言った。
「ほう、それがお前の妾に対する真心の示し方か。妾はこのドレスが気に入っていたのに」
実はこの伯爵令嬢の家は困窮していて、王女のドレスを弁償すれば傾きかけた家にとどめをさす借金をしかねないところだった。
ビアンカは暗に「弁償は要らないから真心を見せろ」と言ったのだ。それを感じた伯爵令嬢は、王女の着替えが終わって下がるメイドに着いていき、懇願した。
「お願いです! わ、私に洗濯をさせてください!」
令嬢はメイドに教わりながら慣れない手つきで染み抜きと洗濯をした。その甲斐があり、なんとか目立たないところまでは綺麗になったのだ。
報告を受けた王女はにんまりとして独り言ちた。
「そう言えばあの娘、鳶色の髪の毛と黒い瞳だったな……ふふふ」
その様子が如何にも悪巧みをしている様に見えたのも後日悪い噂に繋がったのかもしれない。
王女は悪いことではなく善いことをしただけだ。さる侯爵と伯爵令嬢を引き合わせただけ。侯爵はまだ若かったが妻を亡くし傷心の身だった。
令嬢は侯爵に同情し、その傷心を慰めたいと心から思ったし、侯爵は亡き妻と同じ髪と瞳の色だが妻とは違い溌剌として真っ直ぐで一生懸命な彼女に惹かれた。二人が婚約し結ばれたのは時間の問題だった。
侯爵の後妻という事もあり結婚のお披露目は派手にされなかったし、令嬢自身も社交界にあまり興味がなく領地に引っ込んで夫婦で蜜月を過ごしているらしい。斯くして王女に粗相をした一人の伯爵令嬢は表舞台に出なくなってしまった。……まるで王女に消されたかの様に。
本来ならばこれはビアンカ王女の粋な計らいとして語られる話だが、このいきさつは完全に封じられる。他ならぬ王女が全員に口を閉ざすよう命じたのだ。
「こんな話が広まってみろ。次々と令嬢達が妾のドレスに茶をかけに来るに決まっておろう。お前も誰にも言うでないぞ!」
当時、ぷいと顔を背けながら言うビアンカにゲオルグは苦笑するしかなかった。
「……俺は、貴女にこれ以上悪役になってほしくないのです。それに北の魔女には感謝しなくては」
「は? 感謝だと!?」
「元々可愛い貴女が更にこんなに可愛くなる呪いをかけてくれるなんて、伐採を止めるだけでは足らないな。たっぷり御礼を……」
言いかけたゲオルグは、ビアンカの見たことのない顔に呆然として言葉を切った。
白の名にふさわしい雪のように白い顔が桃色に染まり、大きな目が更に大きく見開かれて銀の瞳が揺れていた。艶やかな唇が震え、言葉が絞り出される。
「げ、ゲオルグ、今なんと……」
「だから『ビアンカ様が可愛い』と言ったんですよ」
「お、お前……妾をからかったな! そこへ直れ。手打ちにしてくれる!!」
ビアンカの声は結構なボリュームだったので賓客達にも聞こえるほどであったが、その物騒な言葉に心配をする者は一人もいなかった。
何故なら彼女の腰にある尻尾は、ちぎれそうなほどブンブンと振られていたからである。