6 達人の黒星
現在モニカは無双状態だった。
誰にも邪魔されず、第二王子まで自分の思い通りになった。
この世界の男達は、簡単に自分の婚約者を切り捨てて、モニカに縋り付いてきた。
「こんなに、ちょろいゲームだったなんて。少し遣り甲斐が欲しいくらいよ」
トマス殿下攻略の後、さらにもう一人の男性を釣り上げたばかりで気が大きくなっていた。
その男はジャン・メスト。
伯爵家の次男で甘えん坊の浪費癖がある男だった。
ブリジッタ・ミケッティは彼の婚約者だったが、いつも彼の後始末に追われていた。
これだけ尽くしていたにも拘わらず、ジャンはモニカがすり寄ると、婚約者をあっさりと捨てたのだ。
さらに勢い付いたモニカは大物に目をつける。
それはゲームの最後の攻略対象だ。
宰相の長男で、現在3年生のオレンド・メラート。
彼は第一王子の側近である。
さらに、若くして政治の手腕に秀で、時期宰相との呼び声も高い人物だ。
モニカは、紺色の髪に赤い瞳の美丈夫が、ヒロインの髪の毛にキスをするスチルを思い出し、悶絶していた。
「トマス殿下の次に推しだったのよねー。絶対にものにするわ!」
気合い十分のモニカは準備万端だ。
改めてイベント内容の復習をする。
オレンドの婚約者はファビア・チーマ伯爵令嬢。
彼女は平民が嫌いで、ヒロインが丹誠込めて作った刺繍のハンカチを拾うと、足で踏みつける。
差別に苦しむ人々を救う政策を考えているオレンドは、ファビアの差別感情の異常さに気付くのだ。
(ここでの重要アイテムのハンカチ。しかも手作りってめんどくさいじゃない。町で刺繍したハンカチを買ったし、バッチリよ。彼を落とせば逆ハー完成!!)
まだ値札が付いているハンカチを広げ、満足げにこれから進むルートを想像した。
(うふふ。このイベントを成功すれば、学園で行われる舞踏会イベントでトマス王子は、ジルベルダに婚約破棄を言い渡す。そして、私に求婚して、私が婚姻の書類にサインをしてゴールよ。)
モニカの脳内に、聖堂の鐘が高らかに鳴り響く。
本来最速で2年生の終わりくらいの舞踏会ゴールが、一年生の舞踏会でクリアできるなんて、私スゴすぎるわ。
モニカは笑いが止まらなかった。
この頃になると、モニカの態度は尊大なものになっていく。
まるで学園を自分の私物のように好き勝手に振るまい始める。
食堂の私物化。
誰が座っていても、モニカが座りたいと言ったなら、そこを退かないといけない。
図書館では、男子生徒達と大騒ぎ。
静かに勉強したい生徒は、逆に図書館には寄り付かなくなった。
ジルベルダも、他の生徒と同じく彼女が好き放題しているのを、遠目でみている。
「ヒロインのすることってこんなにも常識外れだったの?・・・毎度の行動パターンが斜め上過ぎてお手上げよね」
この世界はゲームではないとは思いながらも、ヒロインの理不尽な行為がこんなにも許されるのは、この世界がゲームだからなのか?
それならばどんなに他が正そうと動いても、勝ち目がないのでは?
流石のジルベルダも、モニカの傍若無人な行動にお手上げだった。
それに、モニカが派手に動き回ると、何故かジルベルダの動向も生徒達の興味を引いた。
「私って、動物園の珍獣扱いなのかしら・・・?」
ジルベルダの昼食。
人が入ってこない荒れ果てた校庭の奥で、いつも一人でランチを食べている。
男爵令嬢に第二王子を取られた女として、噂をされながら食べる昼食は針の筵に座るより辛かった。
誰もいない、誰にも煩わされる事なく食べられるこの場所が、ジルベルダにとって安らぐ事のできる唯一の場所だ。
「こんなところで、ランチを食べているの?」
庭師のレイが伸びすぎた雑草をかき分けて、ジルベルダに声を掛けた。
「・・・はい・・今、この場所が私のお気に入りの場所なんです」
「ああ・・・そうだね・・。他所は色々と騒がしいからね」
学園の色々をレイは知っているようだった。
庭師なら、あまり学生同士のいざこざとかは、気にしないのでは?
レイの以外な発言にジルベルダは『おや?』と首を傾げる。
レイはジルベルダの表情に答えた。
「校庭だけでなく、校舎の中にも入るからいろんな話が耳に入るんだよ」
それならば自分の面白おかしく肥大した噂話も耳にしている筈だ。
そう思うと自分に情けなくて、ジルベルダは手元に視線を落とす。
「そんな顔をしないで。私は自分で見聞きした情報で、確かな話だけを聞き分ける能力を持っているんだ」
「え? そんな能力をお持ちなんですの?」
ジルベルダが目を輝かせて、レイを称賛の目で見つめる。
「あはは、そんなにキラキラした瞳でみられたら照れるよ。でも、今言った事は本当だよ。だから、ジルベルダ嬢の本当の姿は知っているし、全て見ている」
モニカが流す嘘に貶められているジルベルダ。
でも、本当の事を誰かが知ってくれていると言うのは、孤立無縁の彼女にとって救いだった。
その後、ジルベルダがここで昼食を食べる時にレイが来て、学園の話をしてくれるようになった。
穏やかなレイとの時間は、学園生活で日々傷付くジルベルダの心を修復してくれた。
一方モニカは、宰相の長男で攻略対象の一人であるオリンド・メラートに手を焼いていた。
と言うのも、その婚約者であるファビア・チーマ伯爵令嬢が学園を休んでいるのだ。
ここにきての急ブレーキにモニカは、苛立っていた。
ファビアが学園に来ない間に、オリンドに接触してみたが、何故か道端に落ちている汚泥を見るような態度で避けられた。
「やはり、今まで通り婚約者を罠に掛けてからでないと、落とせないのね」
膠着状態のモニカに絶好の知らせが届く。
それは生物分析科学会に発表されたオリンドの論文が、最優秀論文に選ばれて表彰されることになったのだ。
その表彰式が、学園で行われる。
この名誉ある表彰式に婚約者のファビアが駆け付けないわけがない。
モニカはこの世界が、いつでも自分に味方してくれているのだと確信する。
表彰式の当日。
モニカはいつもよりも清楚な薄化粧で仕上げてきた。
さらに髪形もファビアに似せて結い上げている。
オレンドが好む髪形を研究し、オレンド一推しの髪形にして登校した。
そして、表彰式が行われる講堂の渡り廊下を歩いているファビアを見つけた。
「やっぱりここにいたのね」
急にモニカに呼び止められたファビアは、モニカが誰に話しているのか分からない。
でも、今は目の前のピンクの髪の女性徒に構っている暇はなかった。
何故なら、表彰される婚約者に未だ会えていないからだ。
表彰式が始まる前に会ってお祝いの言葉とハンカチーフを渡したい。
急いでいるファビアがモニカを通りすぎた時に「酷いわ!!」と何もしていないのに、モニカが何かを大事そうに握りしめ座り込んだ。
この様子を運悪く、ジルベルダは又も初めから見ていたのだ。
(ああ、また彼女のヒロインになりきった芝居が始まってしまった)
こうなると、誰もその婚約者でさえも信じてもらえない。そうなればヒロインの独壇場だった。
「ファビア!! どうした?」
彼女の婚約者であるオリンドが、人垣を押し退けてファビア嬢の傍にいく。
ファビアが物を言う前にモニカがいつもの如く、でっち上げた今の状況を説明しだす。
「ううう、私が一生懸命込めて作ったハンカチをファビア様に踏まれて・・・」
そう言うと、靴で踏まれたどろどろになったハンカチを見せる。
「え? 私? 間違って踏んでしまいましたか?」
ファビアは落ちていたハンカチを知らずに踏んでしまったのか?と焦る。
しかし、ジルベルダは知っている。
そもそもファビアはハンカチを踏んでもいない。
でもここで、出ていけば再び格好の噂の的になる。
「私が平民だからと汚ならしいと言って、私の持っていたハンカチを踏みつけたんです・・ううう。オリンド様が表彰されると聞いて、お祝いにと徹夜で刺した刺繍のハンカチが・・・こんなドロドロに・・・」
盛大にポロポロと瞳から、涙を流すモニカ。
あんなにもすぐに涙を流せるなんて、目に蛇口でも付いてるのかしら?とジルベルダは感心してしまう。
しかし、その効果は絶大だ。
可憐な女性の涙を見た男性は、その是非を確かめもしない。
「ファビア様って酷いよな。そりゃ、婚約者にプレゼントって聞いたら嫉妬したのかも知れないけど、やりすぎだな」
男子生徒の一人がモニカ側に付く意見を言うと、モニカの涙に絆された男子がファビアを攻め立てた。
可愛い女の子の涙は正義なのか?
では、涙も出せない強い女性は悪なの?
ジルベルダの中にある、見た目で優劣を決めた男性への反骨精神がむくむくと大きくなる。
だが、まだ踏み出せない。
(違う。ファビア様は全くの無実!!)
ジルベルダは勇気を出して、言いたかった。でも、ここで自分が出ても結末は変わらないような気がした。
今までがそうだった。
どう足掻いてもモニカが正義なのだ。
でも、ファビアが無実だと知っているのは自分だけ。
事なかれ主義を通し、見て見ぬ振りをしたら・・・ずっと自分を許せないだろう。
ゲーム?
そうだった。
そんなの関係無いわ!!
ここで、出ていって批判されても真実を分かってくれる人がいる。
ジルベルダの脳裏にレイの笑顔が浮かぶ。
ジルベルダはあの黒い瞳のレイが、信じてくれるなら、それでいいと決心した。
自分を偽り、人の目を避けて隠れて一日をなんとかやり過ごす。
こんな情けない自分は、どんなに言い訳をしても誇れない。
人垣を押し退けて、ファビアとモニカの前に立つ。
「私は見ていました。モニカ様が初めから汚れたハンカチを手に持っていて、ファビア様とすれ違ったときにその汚れたハンカチを落としたところを・・。それに、ファビア様は、そのハンカチを踏んでいませんよ」
野次馬が黙る。
「どおーして、ジルベルダ様はそんな嘘をつくの? 私がトマス殿下と仲良くなったのがそんなに悔しかったの?」
やはり、トマス殿下を引き合いに出してきた。
ジルベルダは首を横に振る。
「そうではありません。見たままを言ったのです。あなたこそ、ファビア様の婚約者のであるオリンド様に気に入られたいがためにそんな嘘をついたのではないですか?」
モニカの涙がピタッと止まる。
「オリンド様、私嘘なんてついてませんわー」
ここで、オリンドが味方についたなら、形勢はすぐに逆転だ。
それに気がついた、モニカは先にオリンドを攻略にかかった。
「君は嘘をついている」
オリンドが指を差したのは、モニカだった。
「え・・わ・・わたし?」
モニカの不敗記録に初めての黒星が付いた。
「君が徹夜で作ったと言っていたハンカチ。これは町で売られているものだ。これで嘘が一つ。さらに、君のハンカチは泥が付いているが、この渡り廊下で踏まれたのなら、こんなに泥は付かない」
「酷いですわ・・オリンド様のために一針一針心を込めて刺した刺繍を、店で売られていたものだとか、踏まれてないなんて・・・婚約者を守るために私を嘘つき呼ばわりするなんて・・・」
うううう。
グスングスンと泣き出した。
これではどちらが本当の事を言っているのか分からない。
「兎に角、私は今日の受賞を君に祝ってもらう覚えはない。さあ、ファビア行こう。それと、私の婚約者のためにこの場に勇気を持って一石を投じてくれたジルベルダ様。ありがとう感謝します」
オリンドはファビアとジルベルダを、お粗末なモニカの一人芝居劇場から連れ出した。
「ジルベルダ様、ありがとうございます。私・・あの時ハンカチを踏んだのかどうか分からなくて・・、そしたら『踏みつけた』にいつのまにか変わってて・・・でも、あなたが助けにきて下さって本当に嬉しかった」
彼女の晴れやかな笑顔を守れたことは、ジルベルダの自信になった。
勇気を出してよかった。
それにしてもと、ジルベルダはあの時に出ていかなかった後の自分を思いホッとした。
これで、不甲斐ない自分を攻めることもなく、スッキリした気持ちでレイに会える。
しかし、渡り廊下に残してきたモニカが気になるのも事実。
まだ残っていた多くの観客に向けて何らかの芝居を続けていると考えると、憂鬱になる。
また、私を悪者に仕立て上げるシナリオを実行しているのでしょうね・・・。
ため息が漏れた。