5 ど素人は立ち止まる
一ヶ月の間、ジルベルダは心が砕けた状態で、なんとか王族に嫁ぐための教育を続けている。
婚約破棄されない限り、トマスとはこのままだ。
トマスに恋愛感情がなくても、結婚後に愛を育めるかも知れない。
ジルベルダは未だにそんな甘い期待を捨てきれず、闇の中にいた。
学園では、あれだけ奔放な姿を目撃されていたモニカが、今はベニートだけを気に入り、ずっと一緒にいるのだ。
トマスを狙っているなら、他の男子とベッタリとくっついているのはおかしい。
現在モニカがベニートに夢中なら、トマスも他の男子とベタベタしているモニカと距離を置くだろう。
それにいくら、ヒロインだろうと王家を背負って立つには常識がなさ過ぎる。
そして、そんなモニカをトマスが選ぶはずがないと思っていた。
しかし、『ヒロインだから特別待遇?』という恐怖が、ジルベルダにいつもついて回るのだ。
追い詰められたジルベルダは学園でトマスやモニカを見るだけで倒れそうになる。
そこでジルベルダは、トマスと学園内ですれ違わないように、細心の注意を払って生活をしていた。
見なければ冷静で、かつ平穏に暮らせる。
そう思っていたのに・・。
ジルベルダは衝撃の光景に出くわす。
それは、マリオとモニカが腕を組んで、学園の裏庭で歩いて入る姿だった。
つい二時間前にベニートと図書館で見つめ合っているところ見たばかりだったのだ。
「どういうこと? モニカ様はベニート様と恋仲になったのではないの? それともマリオ様なの? では、トマス殿下とは何でもないの?」
モニカやトマスの行動で、一々動揺するのはやめよう。
そう決めたのに、やはり見てしまうと平静ではいられない。
ジルベルダがショックを受けていると、庭師の青年がジルベルダに小さな青い花を手渡した。
「どうしたの? 元気を出して」
それと共にハンカチも一緒に渡される。
自分では涙を流しているのも気が付いていなかった。
「・・あ・・どうも、ありがとうございます」
ハンカチを渡されたことで気が付いた涙を、そっと拭く。
庭師の男性は、少し距離を取った場所で、ジルベルダが落ち着くのを待っていた。
ジルベルダは、可愛い花のお陰で少し落ち着く。
庭師の男性の髪の色は真っ黒で、ボサボサの髪の毛の間から覗く瞳の色も黒かった。
懐かしい色だと思ったのは、前世を思い出してから、黒髪に黒い瞳に会えたことがなかったからだ。
つい手を伸ばして、作業をしている庭師の男性の髪に触れてしまった。
唖然とする男性に、ジルベルダも自分のしたことに驚いた。
「ご、ごめんなさい!! つい懐かしい・・美しい色だったので・・」
庭師の男性が「美しい・・・?」
と不思議そうに呟く。
「そんな風に言われたのは初めてだ。嬉しいものだな」
土の付いた繋ぎの服のポケットに手をいれて微笑む男性に、ジルベルダの心が穏やかになる。
「私はここの庭を管理しているレイです。ところで、元気がないけど、どうしたの?」
レイに聞かれたジルベルダは、トマスには言えない自分の気持ちを、出してしまった。
「私はきっと我が儘なのかも知れません。好きな人には私が一番だと思われたい。それに、誰よりも優先して欲しいんです。独占欲が強いのかな?」
無理に笑って見るが、すぐに口は固く結んでしまう。
「それって当たり前だよ。好きな人の二番手がいいなんて聞いたことないよ。それに彼女にそんな悲しい顔をさせている時点で、その男はどうしようもないな」
レイは話をしながらも、じっと庭を歩く男女の姿を目で追っている。
男が花壇の花を勝手に取って、女の髪に付けた。
お返しとばかりにモニカも花をちぎって男の胸ポケットに挿した。
二人の行動に目を眇めるレイ。
「ふーん。そんな派手な感じの女の子には見えないけど・・・私の庭を勝手に荒らされないように気をつけないと・・」
ここで、モニカがマリオと別れた。マリオが見えなくなるまでモニカが手を振っている。
マリオも別れを惜しむように振り返って手を振る。
マリオと別れた後、一人ポツンとしているモニカ。
一体何をしているのだろうと、見ていると現れたのは、トマス殿下だった。
声は聞こえないが、ここで二人が待ち合わせをしていた事は分かる。
トマスはモニカの肩を抱き寄せて、近くのベンチに連れていく。
それを見たジルベルダの呼吸が、浅く速くなる。
(ああ、トマス殿下もモニカ様を選ぶの?)
自分が誰かに選んでもらうためには、いつも最大限の努力をしてきた。
仕事も料理も・・。この世界では、トマスに認めてもらうために王子妃教育も、寝る間も惜しんで頑張ってきた。
しかし、こんなにもあっさりと努力もしていない人に奪われてしまうなんて・・・。
再び、あの悪夢が自分の前に渦を巻いて飲み込もうとしているのだ。
必死に立っているジルベルダ。
だが、見せつけるようにモニカがトマスに抱きついた。
「お願い・・。トマス殿下・・。モニカ様を突き放して・・・」
祈るように途切れ、掠れた声では、トマスには届かない。
トマスは受け入れたのか、じっとその体勢で彼女のなすがままにされている。
ジルベルダは、自分の瞳からあふれでる涙を拭う事もせず、一歩一歩と後ずさりをして、やがてそのまま庭園を後にした。
◇□ ◇□ ◇□
ジルベルダの澄んでいた心の泉に、一滴一滴とどす黒い澱が静かに溜まっていく。
笑っているモニカを見ると、二度と笑えないようにしたいと考えてしまう。
ある時、モニカの教科書が机に置いてあるのを見掛けた瞬間、それをビリビリに破りたくなった。
しかし、思い留まる。
彼女はモニカに目を向けるのではなく、自分自身を見詰め直しだしたのだ。
大きく息を吸って深呼吸。
そして、立ち止まる。
ジルベルダが病気でもないのに、学校を休んだのは初めてだった。
それに、王子妃教育もサボってしまった。
両親には心配を掛けてしまったと反省したが、事情が事情だけに言えずにいた。
しかし、近頃の娘の様子を不審に思った彼らは既に学園内で何が起こっているのか調査し、全てを把握済みである。
「これ以上無理をすることはない。頑張り屋のお前が無理だというなら、どのような結果になってもお前の覚悟と我々のすべき事は一緒だ」
と娘を擁護する発言をしてくれる父。
そして、娘が負担に思わないようしてくれた。
「それにしても、困ったご令嬢が貴族にいたものだ」
憤慨する父。
やはり、かなり前から知っていたようだ。
しかし、両親にこれ以上の迷惑は掛けられない。
ジルベルダは涙を拭い、奮起する。
そして、自分が惨めにならぬように、自立する道を模索し始めた。
彼女は自らの力で心に溜まった澱を、一掃する。
それは、ジルベルダの宿命である、悪役令嬢のシナリオを自らの力でぶった切った瞬間である。
ジルベルダの瞳に、光が戻る。
「よく考えたら、この世界はゲームじゃない。私は生きているし、動かされてもいない。私は自分の思うようにこれからも生きるわ」
そして、ノートに自分の役割を書き出していく。
「『モブ?』バカみたいだわ。誰もモブなんていない。一人一人が人生の主人公よ」
『モブ』の言葉の上に大きく✕印を書く。
「『ヒロイン?』ヒロインっていうのは、努力してその人の努力や強さや優しさ、それと生き方に賛同した人が呼ぶのよ。自分で『ヒロイン』なんて言う人は認めないわ」
ジルベルダはノートのそのページを切り取り、クチャっと丸めてゴミ箱に捨てた。
そして、新しいページにこれから自分がこの国でやってみたい項目を次々に書き出していった。
モブからの脱却だと一歩を踏み出したジルベルダだったが、彼女は元々『モブ』ではない。
彼女は、『悪役令嬢』なのだ。
ゲームの『悪役令嬢』=『婚約破棄』のストーリーは動き出している。
ジルベルダはこの流れから逃れられないのか?