4 ど素人、完敗する
ハイキングから何週間か経った。
この頃、ジルベルダはモニカがヒロイン説は無いと固く信じていた。
モニカはベニートだけでなく婚約者がいる男子生徒にも、何故か頻繁に交流を持とうとしている。
ヒロインが何股もする浮気癖のある女の子って、そんなゲームがあるのだろうかと考えたからだ。
乙女ゲームなら、本来『純愛』に限るでしょ?
しかし、ジルベルダにはどうしても理解出来ない事があった。
それは、あれほど学園内で浮気現場を目撃されているにも拘わらず、モニカを慕う男子達だ。
この世界では女性徒の浮気に寛容なのだろうか?
ジルベルダはゲームならではの、ヒロインの逆ハー補正が機能しているとは知らない。
しかし、ジルベルダが呑気に構えていたのはここまでだった。
なんと、トマス第二王子と一緒に出掛けているという噂がジルベルダの耳に入ったからだ。
ジルベルダは信じたくなかった。
しかし、あのハイキングからトマスは、ジルベルダを避けている。
ジルベルダは再び前世と同じ、行き止まりの道を歩いていた。
思い起こせば前世では、報われない恋愛ばかりしていた。
電話も○インするのも自分から。
デートに誘うのだって、いつも自分の方からだった。
彼氏が自分を呼ぶのはいつも自宅。
しかも、連休の時には呼ばれもしないし、その時にはいつも彼は友人と出掛けていた。
今考えると、友人って言葉の広さに騙されていた。
心の質量を図る天秤があるなら、いつも自分の方が重かっただろう。
ここでも、そうなのだろうか?
私は誰の一番にもなれないの?
ジルベルダは、朧気ながらも追えていたトマスの心を完全に見失ってしまった。
そんな中で、決定的な事件が起こる。
ジルベルダが学校の階段を下りていると、階段の踊り場にモニカが手摺にもたれ掛かって一人佇んでいた。
誰かを待っているように・・。
その手には、噴水の事件でトマスに掛けてもらったジャケットを持っている。
嫌な予感のしたジルベルダは、他の道を行こうと、元来た階段を上がった。
しかし、モニカが挑発的な言葉をジルベルダに掛ける。
「あら? 逃げるの?」
もう!!逃げないでよ。ここで、逃げられたらせっかくの王子様のジャケットが無駄になっちゃう。だってここからが重要イベントの発生なんだもの。
モニカは、今日の本番を前に色々な台詞を用意していた。
しかし、ジルベルダが逃げるとは全く予想していなかったのだ。
そしてモニカの思惑どおり、この言葉にジルベルダは、迂闊にも足を止めてしまった。
モニカはジルベルダが逃げないように、トマス殿下のジャケットを見せつけるように撫でまわす。
触れているのはジャケットなのだが、ジルベルダはトマス本人が汚されたような気がして我慢できなかった。
苦しげに眉根をひそめるジルベルダに、モニカはほくそ笑む。
あはは、悪役令嬢も簡単ねー。ここではジャケット返そうとするモニカを、嫉妬に狂ったジルベルダが掴みかかり、階段から落とすのよね。そこへトマス殿下が通って、足を挫いたモニカをお姫様抱っこするのよ。その時ジャケットを持っているジルベルダにトマス殿下は怒って愛想を尽かす重要場面なのよ!!
でも・・・とモニカは階段の下を見る。
かなりの高さだ。
こんな高さから落ちたら大ケガするじゃない!! 落ちるなら高さは関係ないんだし、二、三段のところからでもいいわよね。
「そのジャケットはトマス殿下のものでしょう?」
ジルベルダが、モニカに近付く。
それを利用して、モニカは階段をゆっくりと下りる。
「うふ、そおよー。今からわ た し が返すの」
思わせ振りにスタッカートで強気に微笑む。
ここで、本来ゲームではジルベルダが『そのジャケットを返しなさい!!』と襲ってくる筈だった・・。
だが、モニカの予想に反しあっさりと手を引くジルベルダ。
「そう、ではあなたが殿下に返して下さい・・・。まだ学園にいらっしゃるわ」
モニカは焦った。このままじゃ、トマス殿下にお姫様抱っこをしてもらえない!!
(何でこうなるのよ!!)
ここで、モニカがハッと顔をあげる。
「あなた、さっき私から逃げようとしたり・・・やはり、このイベントを知っているのね?」
「イベント? 何の事?」
ジルベルダは妹が自分の後ろでやっていたゲームを思い出そうとしたが、全く記憶になかった。
「しらばっくれても分かっているのよ!! あなた、このゲームをしたことがあるわよね? だからヒロインの私を邪魔するのね?!」
ジルベルダは大きく目を見開いた。
「・・ゲームって・・あなたも転生者? しかもヒロインってあなたが?! じゃあ、なぜ次から次と男性を虜にしていくの? 一人と結ばれればそれで満足でしょ?」
今度はモニカが驚く番だ。
「・・・ちょっと待って・・もしかして、乙女ゲームをしたことないの?」
モニカはジルベルダの今までの行動を思い出す。
絆創膏って言っていた時点で、転生者だと早々に気が付いていた。
なのに、全く何も仕掛けて来ない。
『ラブミッション・スクール』を知らなくても、他のゲームをしていたら、先々に起こる事を止められたが、それもしてこない。
「きゃははは!! 全くのずぶの素人が相手なんて、手を抜いてもコンプリ出きるわ。もう、ずっとビクビクしてたのに損したわ!」
モニカは笑ったかと思ったら、いきなりトマス殿下のジャケットをジルベルダに投げつけた。
ジルベルダはジャケットが下に擦れないように、慌てて受け止める。
「きゃー・・!!」
モニカがわざとらしく、たかが二段の階段を派手に落ちて見せた。
倒れるモニカ。
そのモニカを見つけ、遠くから駆け付ける足音があった。
「大丈夫か!!?」
不意に現れたのはトマスだった。
「いたぁぁい。足を挫いてしまったわぁ。トマス殿下・・・私、殿下に借りたジャケットをお返ししたかっただけなのに、ジルベルダ様が・・私が返すからってジャケットを奪って・・・。私・・・怖かったぁ・・」
『やられた!!』と思ったが遅かった。
既にジルベルダの手には、トマスのジャケットを持っている。
「酷いんです・・ジルベルダ様ったら、階段から落とすなんて・・」
「違う・・そんなこと・・してない」
ジルベルダの言葉に、トマス殿下が首を振りため息をつく。
「はー・・」
トマス殿下の冷たい横顔は、何を考えているのか分からない。
そしてそのまま、モニカを抱き上げた。
「トマス殿下!! 私・・モニカ様を突き落としてない!!」
「ああ、分かっている。ジルベルダはそんな事をしないね。でも、モニカ嬢も怪我をしている。校医に見てもらわないといけないだろう?」
いつもの優しい、そう全く感情がない微笑みをジルベルダは向けられて、心が壊れそうになる。
「お願い、行かないで。私を一人にしないで・・おいて行かないで」
必死で引き留めるが、トマスには全く届いていない。
ジルベルダでは彼の心の水面に、波紋一つも立たせられない。
「ごめんね。だって彼女は怪我をしてるから」
怪我をしたから仕方がない。
そうじゃない。
ジルベルダはそんな事を言っているのではなかった。
彼はいつでも他の女性と同じ距離で私といる。
婚約者と言う肩書きだけで、他の女性と接し方は変わりがないのだ。
それならば、全くの他人の方がどれ程楽だっただろう。
ジルベルダが悲しみの瞳を向けているのに、何事もなかったようにモニカを抱いて去っていった。
知っていた。
トマスは昔から優しかった。
しかし、皆に、公平に優しいのだ。
昔、花束を抱えたトマスに、その花束が欲しいと強請ったことがある。
すると、彼は微笑んで花束をジルベルダに渡そうとした。
しかし、他にも女の子がいるのを見たトマスは、花束から一本ずつ抜いてそこにいた全員に花を渡したのだ。
婚約者にも一本。その他の女の子にも一本。
彼の優しさは常に公平で、ジルベルダは婚約者とは名ばかりの、その他大勢の一人だった。
トマスの言葉と態度はいつも優しかった。
でも、その仮面の下のトマス殿下は微笑んでいない。
彼を笑顔にすることは、ジルベルダには出来ないと、はっきりと思い知らされた。
今回の事で、長く感じていた違和感の正体がわかった。
トマスに見られているようで、実際には見向きもされていない自分だ。
でも、長く目を逸らし逃げていたのかもしれない。