3 素人も達人もモブに負ける
暫くの間、学園生活も穏やかに過ごせていた。
しかし、ベニートとクラリッサが一緒に過ごしているところを見る事はなかった。
その代わり、ベニートはモニカと一緒にいるようだ。
時には仲良く腕を組んで、街で買い物をしているのを、見掛けるようになる。
(ベニート様とモニカ様は付き合いだしたのかしら?)
ベニートと距離を置いたクラリッサが元気を取り戻しているので、ジルベルダも変に首を突っ込まないようにしていた。
クラリッサは一時、恐ろしい悪魔に取り憑かれたような沈んだ瞳をしていたのに、今は晴々して穏やかな顔になっていた。
ベニートと別れた方が、クラリッサにとっては良かったようだ。
ジルベルダも学園も季節的に良い時期をむかえる。
だが、再びモニカが動き出す。
「うふふ、もうすぐ生徒の親睦を図るためにハイキングがあるのよね。これはマリオとのイベントだったわね。えーっと、マリオ・ロクトは伯爵家の三男。婚約者はたしか・・・リリアーナ・レオーネで侯爵令嬢よね」
モニカはノートに思い出した重要なポイントと、発生日時を書き連ねた。
「マリオは騎士団長の息子で、おどおどしている婚約者に苛々しているんだったわ。リリアーナかぁ。全然私の敵じゃないわ。うふふふふ。今回も楽しめそう」
◇□ ◇□ ◇□
「皆さん、静かにしてください」
教室の生徒を静かにさせた教師が、半月後に行われるハイキングコースの説明を始めた。
地図を見ながら先生が立っているポイントを回る、簡単なハイキングコース。
説明が終わると、班分けだ。
これはくじで決められる。
ジルベルダはモニカと別の班になるように祈りながら、四角い箱の中に手を突っ込んだ。
引いた番号は9番。
「わー、ジルベルダ様と一緒なんて嬉しいわ」
その声でジルベルダは9番が外れ番号だったと肩を落とす。
「モニカ様も・・・一緒でしたか・・・」
ジルベルダの抑揚のない声を無視したモニカが、次に同じ班になった男子生徒の腕を掴んで、「こっちこっち」と連れてきた。
引っ張られて来たのは、騎士団長を父に持つマリオ・ロクト。
彼の後ろから影のようについて来る女性徒がいた。それが彼の婚約者のリリアーナ・レオーネだった。
「おい、リリア!! 何度言えば分かるんだ! 歩く時は俺の後ろを五歩下がってついてこい!!」
「あ・・・はい・・」
ジルベルダはあまりの女性蔑視な言動に、顔がひきつった。
爵位ではマリオが伯爵家で、しかも、三男。
それに比べてリリアーナは侯爵の長女である一人娘。
何故、この婚約が成立したのか?
詳しく聞けばリリアーナの父が暴漢に襲われた時、マリオの父である騎士団長に救われた経緯があった。
この結婚で得をするのは爵位の低いマリオだ。
それなのに、リリアーナを下に見て蔑む行動には、同じ女性として怒りが起こる。
「俺はいずれ、お前を娶り侯爵家を背負って立つ男になるんだ。お前ももっと俺に相応しい行動を取れ!!」
マリオは優しさの欠片もない、自分勝手な男だった。
ジルベルダじゃなくても、クラスにいる女性達からリリアーナに同情の声がヒソヒソと起こる。
だが、もしマリオが侯爵家を継いだ場合を考え、公には非難出来ない。
「マリオ様!! そんなに大きな声を出さないで下さい。取り敢えず、ハイキングコースを地図で確かめましょうよ」
モニカが、意外にもその場をハキハキと仕切りだした。
(モニカ様が、この場を静めて下さったのかしら? しかも、あの妙に甘ったるい喋り方ではなく、ハキハキしているわ)
性格が変わったモニカだが、マリオとの距離は近い。
その後も、マリオにボディータッチが多いものの、適切に休憩ポイント等を決めていった。
モニカを見直したジルベルダだったが、自分が甘かった事をハイキング当日思い知る。
ハイキング日和となった現在。
ジルベルダの班は、モニカ、マリオ、リリアーナ、他に男子が二人の6人で、出発し歩き出した。
地図さえあれば、迷子になることのない簡単な道だ。
しかし、どういうつもりかは知らないが、モニカがえらく早歩きで急ぐのだ。
これも、もちろんモニカの罠だが、誰もこれに気が付く者はいない。
暫く歩いた所で、リリアーナが靴擦れを起こし、歩く速度が遅れて来た。
「お前は本当に役立たずだ。モニカ嬢を見習え!!」
「まあまあ、誰でも調子の悪い時はありますよ」
笑顔でマリオを宥めるモニカ。
「みんなは先に行って下さい。私はリリアーナ様と少し休憩してから行きますわ」
モニカがリリアーナを気遣い、後からいくと言う。
「それなら、私も残りましょうか?」
ジルベルダが申し出るが、苛ついた様子でモニカがこれを断った。
「ああ? 結構です。あなたがいても何もできないでしょ?」
モニカの言い方に憤りを覚えたが、ぐっと堪えた。
「分かりました。リリアーナ様をお願いします。私達は次のポイントで待っていますね」
リリアーナを置いていくのは不安だったが、もう大丈夫だろうとジルベルダは安心していた。
と言うのも、万が一、本当に万が一にモニカがヒロインなら、すでにベニートと仲良くなっている。つまり、モニカはこの恋愛のゲームで付き合っている人がいるのだ。
従ってこれ以上モニカが何かをする事は無い、と考えていた。
ゲーム素人のジルベルダが『逆ハー』なる単語を知る良しもない。
次のチェックポイントに来る途中、少し濃霧が発生したが、すぐに晴れたので誰も気にも止めなかった。
然う欺うするうちに、ジルベルダ達はチェックポイントに到着する。
でも、いくら待っていても二人が来ない。
班の男子の一人が「流石に遅すぎないか?」と言い出し、戻って二人を探しに行くことになった。
数メートル下ったところで、リリアーナが一人でこちらに向かって来ているのが見えた。
「リリア!! モニカ嬢はどうした?!」
大声で怒鳴られたリリアーナがびくつきながら、首を振る。
「分からないの・・・ごめんなさい・・モニカ様と一緒に歩いていたんですけど・・・霧が濃くなった途端にはぐれてしまって・・・」
今にも泣きそうになるリリアーナを、ジルベルダが肩を抱えるように、近くのベンチに座らせた。
「一人はチェックポイントでモニカ嬢と入れ違いにならないようにリリア様と待ってて下さい。残り三人で探しましょう」
そうジルベルダが提案したが、リリアーナが自分も探しに行くと立ち上がった。
自分を気遣って残ってくれたモニカと、はぐれてしまった事が悔やまれてならなかったのだ。
「誰か・・・、私はここよ」
しかしその時、五人の耳にか細い女性の声が届いた。
全く地図にはない道から、どろどろになったモニカがふらふらと坂を上ってくるのが見える。
マリオが大慌てで駆け寄った。
「おい、一体どうしたんだ?」
出発時には、あれほど元気一杯だったモニカが、唇を噛みしめ涙を堪えている。
そして、マリオの胸に顔を埋めて泣き出した。
頬を赤らめ狼狽えるマリオに、上目遣いでモニカが訴える。
「リリアーナ様が・・・」
「・・リリアがどうしたんだ?」
班のみんながリリアーナを見た。
「一緒に歩いていたら、急に地図を私から奪って走り去っていったの。・・・初めはいたずらですぐに帰って来てくれると思っていたのに・・・。それに霧が発生して、どんどん道が分からなくなって・・・。怖かった・・ぐすん・・」
モニカの渾身の演技プランだ。
先ず、てきぱきと出来る女アピールからの、弱々しいところを見せる。
これがギャップ萌えよ!!と心の中でガッツポーズのモニカ。
これにまんまと引っ掛かっているのが、脳筋マリオだ。
マリオが鬼の形相でリリアーナを睨む。
「私・・地図を取ったりしてない・・」
リリアーナは必死で否定するが、マリオの形相に恐れをなして、言葉が出ない。
「じゃあ、なんで今お前の手に二枚地図があるんだ?」
マリオに言われハッとして自分の手を見るリリア。
「・・この地図は、モニカ様にお茶を飲むから少しの間、持っててと言われて持っていたの・・そしたら、モニカ様が急に走り出して・・」
「嘘をつくな!!!」
マリオに大声に、リリアーナは竦み上がる。
「う・・そじゃ・・ない・・」
リリアーナが縮む喉の奥から必死に絞り出だした声は、マリオに届くはずもなかった。
「もういい!! 大人しいだけなら害はないと思っていたのに、こんなことをする女だとは!!」
ジルベルダは三人を遠巻きに見ていたが、とうとう我慢しきれずマリオの言葉に異を唱えた。
「あなた、黙って聞いていれば自分の婚約者を貶める発言ばかり。偉そうに行っているけれど、その場面をあなたは見ていたの? 自分の婚約者の話をまずきちんと聞いて信じてあげなさい!!」
言ってやったわと胸を張ったが、伏兵はすぐ後ろにいた。
「ぐすん・・酷いわ・・ジルベルダ様は私が嘘をついていると言うの?」
モニカが大粒の涙を利用し、再びこの状況を自分に有利な方へ引き戻した。
ジルベルダは自分の堪え性の無さを呪う。
この、嘘つき女がいたことを忘れていた。
「モニカ様、今は黙っててください。私はマリオ様に言っているの!」
ああ、もうややこしい!!と思った時、穏やかな声がこの殺伐とした雰囲気を元の爽やかなハイキングコースに変える。
「こんなところで、何を揉めているの?」
爽やかに登場したトマスは、現状を把握すべく、周囲を見回した。
「トマス殿下、お見苦しいところをお見せして申し訳ございません」
ジルベルダは深く頭を下げた。
この僅かな瞬間でモニカは全神経を集中させる。
この時モニカは猛烈に焦っていた。
何故なら、このイベントにトマスは出てこないからだ。
ジルベルダが、頭をあげるより早く、モニカが自分に都合のいいようにトマスに説明をしてしまう。
負けてはいられないと、ジルベルダもリリアーナの弁護をした。
モニカが地図を預けていなくなったという話を、トマスの耳にいれる。
青ざめて泣いているリリアーナに、トマスが優しく労り、慈悲深い声音を掛けた。
「リリアーナ嬢が、地図を取って逃げるような事をしないのは知っているよ。だから、泣かないで」
モニカが驚いてトマスに訴える。
「トマス殿下は私が嘘をついているとお思いなのでしょうか? 本当にリリアーナ様が私の地図を・・」
トマス殿下は落ち着いた様子で、モニカを止める。
「君を疑ってはいないよ。でも、リリアーナ嬢も嘘をついていないんだ。君も信じてあげて」
トマスに言われたら、モニカはそれ以上何もいえなくなった。
そして、今マリオにしがみついている自分をトマスに見られたことに動揺している。
「君はマリオに運んでもらうといい」
トマスの言葉に慌てたモニカは、あからさまにマリオの胸から下りようとするも、マリオの逞しい腕から抜け出すことはできなかった。
「じゃあ、リリアーナ嬢は私が運んであげるね」
リリアは顔を真っ赤にしながら、トマスの胸に抱きついた。
トマス殿下は優しさから、リリアーナ嬢を抱き上げたのだ。
それは理解している。
しかしジルベルダの心に、じりじりとした嫌な焦燥感が広がった。
「トマス殿下、私もリリアーナ様が心配なので、ついていっていいですか?」
ジルベルダはリリアーナの惚ける顔を見て、一緒に行こうとするがトマスにやんわりと断られた。
「君はせっかくの親睦会なのだから、ゆっくりと楽しんでおいで」
そう言うと、リリアーナをお姫様を抱えるように大切に運んでいく。
トマスの優しさかも知れないが、自分の婚約者が違う女性を抱いて去っていくのは、とても辛かった。
しかし、ジルベルダよりもその様子を、恐ろしいまでの嫉妬心渦巻く瞳で見ていたのはモニカだった。
「何でこのイベントにトマス殿下が現れたの? しかもあの腕に抱かれるのは私だけなのよ!」