第4章 生命と神について
地球は、人間が暮らすために、とても都合のよい環境が整っています。
それはまさに、人間がここで不自由なく暮らせるようにと、そのために特別に環境が用意されたようにも感じられるでしょう。
けれども、それは逆だったりします。用意された環境で人間が育ったのではなく、その環境に合わせて適合していった生物の中に人間もいただけなのでした。
いずれ地球の環境も変わって、人間が住めない星となってしまうかもしれません。
仮に人類が滅んでしまったとしても、その環境に適応した別の生物が、新たにこの星の支配者となるだけでしょう。
人間の体を作る設計図であるDNAは、細胞の核を破壊して取り出し、肉眼で見えるようにすることができます。
それはもう、夏休みの自由研究でできるほど簡単に。
ただし一本一本ではなく、固まりとして見られるだけですが。ウェブ検索をすればその手順は簡単に見つかると思います。
そう考えると、DNAを切ったりつなげたりして組み替えることなど容易なように思えるかもしれませんが、実際にはそうではありません。
誰もがよく知っている二重らせん構造を見るためには電子顕微鏡が必要となるのです。こうなるともう自由研究では、ほぼ不可能なレベルでしょう。
DNAの二重らせんは、塩基、そして糖とリン酸という、とても少ない原子数で構成された分子セットが、鎖状に連なったものです。
しかしそれらが連なり、タンパク質、ひいては生物の設計図となるには、その分子セットが32億必要。二重らせんですので、その倍が必要となります。
この二重らせんを染色体と呼びます。
人間の場合、その染色体が23対、計46本も必要になるのです。
この複雑で不思議な仕組みは、地球上の生物だけが持つものなのでしょうか。
宇宙人がいるとしたら、きっと人間とは異なる染色体を持っていることでしょう。
あるいはDNAを持たないかもしれません。その場合、彼らはその体にどのような設計図を持っているのか、想像は尽きません。
ここまでの章で述べてきました、ダークマター、ダークエネルギー、そして時間。それと同様に、私たちが、その正体を知りえないものが、この世にはまだまだたくさんあります。
そのひとつが生命です。
この世に存在しているのが物質だけだったとしたら、この世界ができたのは偶然だと考えられるかもしれません。
けれどもここには、命や魂、自意識や心、気や霊力といったよくわからない非物質までが存在するようです。
それらがこの世界に生み出されなければならなかった理由は何なのでしょう。
これほどまでに精緻な物質構造を積み重ねて、宇宙のような巨大な構造物を作り上げた神からしてみれば、わざわざ必要のないものを作る理由などなかったと思います。
逆に考えるなら、この世界には私たちのような意識を持つ存在が必要だったということでしょうか。
だとすれば、例えば自らを崇めさせるために、神は人間を作り、そこに心を埋め込んだとも考えられます。
もちろん違うとは思いますが、全否定できるだけの要素もありません。
それはさておき、命や霊、気、魂、心や自意識というのは、言葉としてそれぞれ異なるものを指しています。
ただ、あまり細かく分類してしまうと考察が複雑になりますので、生命活動を司る上での命と、精神活動を司る魂や心や自意識、この二つについて考えることにします。
生命に対する詳細な定義というのもあるのでしょうが、ここはひとまず物質からなる体を持ち、命あるものを"生命"としておきましょう。
単細胞生物は"生物"と名付けられている通り分類上、生命体と考えて問題ないでしょう。
ですから、命は持っているはずです。では魂はどうでしょうか。
魂という言葉を使う場合には、心や感情が伴う必要がありそうです。とすると、単細胞生物には魂がないのかもしれません。
では、多細胞生物の場合はどうでしょう。
人体を構成する各細胞には寿命がある通り、命が宿っているのかもしれませんが、単細胞生物同様、それぞれが魂をもっているとは考えにくいです。
人体の細胞はそれぞれ、別の細胞の力を借りながら生きています。
細胞ごとに役割を担ってはいますが、その役割を果たそうとしている意思を心とは呼べないでしょう。
心を司っているのは、あるいは脳細胞でしょうか。
しかし脳細胞といえども、それぞれの細胞は役割を担っているだけで、脳全体として結果的に力を発揮しているだけです。
脳に指令を与えているのが、あるいは魂とか心なのかもしれません。
自意識は、自分の本質というべきものだと思うのですが、それは自分と他人を区別するためだけのものでしょうか。
小動物には、自他を区別できるくらいの能力はありそうですが、昆虫や魚類、貝類など、どのあたりから自意識を保有するようになるのかわかりません。
私は、死後、霊になるかどうか、神(精霊)として祀られるようになるかどうかが、生物が自意識を保有するか否かの線引きになるのではないかと考えています。根拠など無く、あくまで私の勝手な推測ですが。
まずは、私も見たことがあるのですが、幽霊について考えてみたいと思います。
幽霊を例えに持ち出していますが、実際には私たちの意識についての考察なので、そこのところはご了承下さい。
肉体を持っていないからこそ幽霊だと思うのですが、ひとまず人格はあるような気がします。
だとしたら、脳を有しない幽霊自身の記憶や意思、感情は、どこから引き出されてきているのか不思議だと思いませんか。
脳といっても、それぞれの細胞は役割を担っているに過ぎません。脳に指令を与えているのが魂とか心だとするのなら、魂や心は肉体に付随する別の何かとも考えられます。
ひょっとしたら、私たちの記憶もまた、各自の脳内と異なる場所に場所に保管されているのかもしれません。
また、幽霊は単なるエネルギー体だという考え方があります。壁を通り抜けたりできるからには、物質であるはずがないからです。
ただ、エネルギー体だとしたら、人に見えるようになったり、物を動かしたりしただけで、その消費カロリーを考えるとエネルギーはあっという間に失われて、体も消えてしまうのではないかと思われます。
戦国時代の落ち武者など、何百年も存在し続ける幽霊のエネルギーは、どのようにして補給されているのでしょうか。
幽霊は服やら甲冑やらを身に着けていますが、DNAとか物質構造とか、どうでもよさそうです。その姿は思念によって保たれているのでしょうか。
そもそも、エネルギーが形状を保つということ自体、理解できません。
科学的な定義でいうならば、エネルギーとは熱や光、質量などで、およそ意思を持つようなものではないからです。
やはり幽霊は、エネルギーが形状を持ったものという表現はおかしいといえるでしょう。
第2章にも書きましたが、素粒子には、物質を作る素粒子以外にも、光子や重力子など形を作るためではないものも存在します。
ファンタジーに過ぎませんが、まだ発見されていないだけで、ひょっとしたら霊子などという素粒子もあるのかもしれませんね。
また、幽霊には質量があるという考え方もあります。ただ、扉を開けたり椅子を動かしたりといったポルターガイスト現象を起こすには、せめて猫ぐらいの重さは必要と思われますが、その質量は一体どこにあるのでしょうか。
それに私たちは地面にしっかりと踏ん張っていますから簡単に物を動かせますが、宙に浮いている幽霊は、物を押しても引っ張っても自分が動くだけです。
総合的に考えてやはり幽霊に質量は無いように思いますし、質量がある必要もないだろうと考えられます。
なぜ幽霊の質量やエネルギーにこだわるのかと言いますと、それには理由があります。
質量(=エネルギー)を持たない存在であるならば、地球の引力の影響を受けることもないでしょう。とすると、魂はどのようにして地球に留まっていられるのかがわからないのです。
地球は自転公転しながら、太陽系、銀河系とともに超高速で移動していますから、死後は、あっという間に宇宙空間に取り残されてしまうはずなのです。
けれども、幽霊の存在はそれを否定しています。
人の魂や心、記憶は、死によって肉体と切り離された瞬間に、宇宙へ霧散してしまうものなのかもしれません。
唯物論、物質至上主義としては合理的な考え方と思いますし、真実がわからない限りその考えを否定はできないでしょう。
とはいえ、正体も性質も不明である魂または心を、物質と同列には扱えませんので、そのようにはならないと捉えておきたいと思います。
死してなお魂は地上に留まるという考え方は、ほぼすべての宗教で認められていますし、そういう考えの方が故人を悼む上でも受け入れられやすいのではないでしょうか。
なのでここにおいては、魂は地球に留まる。そういうことにして、話を進めていきましょう。
ここからは完全に私の考察です。そして魂から神の考察へと向かいます。
魂が何なのかはひとまず置いておきます。
例えば、人の魂は、何らかの力で各自の肉体と紐付いていると考えられないでしょうか。
意識が無い状態でも、魂が個人から離れて別の人の体に移ってしまわないのは、そのためと言えるかもしれません。
同じように、魂が個々の肉体のみならず、ひとつの巨大な"魂の融合体"とも紐付いていたとしたらどうでしょう。そしてその魂の融合体自身が、地球という肉体に紐づいているとしたら。
地球という物体に、ひとつの巨大な"魂の集合体"なり、地球全部の"魂の融合体"みたいなものが紐づいているのです。
今はそれを便宜上、巨大な魂の融合体と呼ぶことにします。
その巨大な魂の融合体の一部分が突起して、それが個々の人間の魂となっているとしたらどうでしょう。
それならば、根元をたどると、最終的には地球に紐付いていますから、死後、肉体から切り離された魂が、宇宙空間へと放り出されたりはしないはずです。
死後はその突起が巨大な魂の融合体へと回帰していくということになりますが、肉体を失ってなお回帰できず留まっている魂が、ひょっとしたら幽霊なのかもしれません。
幽霊のエネルギーが、その巨大な魂の融合体から供給されていると考えれば、いつまでも消滅しないでいられるのも納得がいきます。
この辺りの想像については、限りがなさそうです。
そうなると、地球を飛び出して、星から星への冒険に飛び出して行くとなった場合、その人間の魂はどうなるのでしょう。
個人の魂は地球から切り離され、新しい回帰先、または別の星にある魂の融合体を見つけようとするのかもしれません。
あるいは、そもそも宇宙そのものが、魂の拠り所だったりするのかも。
人の魂を、巨大な魂の融合体の突起のひとつとして捉えるならば、実は深層の部分で他の人とつながっていると考えてもおかしくはないでしょう。
その深層の部分、個々の魂として共通する理念を、神と捉えるようになったとは考えられないでしょうか。
共通理念というのが、他者を傷つけてはならない、不快な思いをさせてはならないといった道徳的な理念。
根本でつながっているのですから、他者への攻撃はすなわち自分に対しての攻撃ともなるため、避けるべき行為となります。ひいてはそれが宗教上の戒めとなったのかもしれません。
ある意味、それは人格を持つ神と言えそうです。
その場合、その巨大な魂の融合体を本当の神とは言えないように思います。言うまでもなく、それさえも創造神によって作られたものだからです。
魂の融合体の拠り所である地球自体が無くなってしまえば、どうなるかもわかりません。
第1章で紹介しました通り、無限とも感じられるほど広大な宇宙を、創造神であるならば、隅から隅まで把握しているに違いありません。
また第2章で紹介しました通り、創造神は、人類には未だ解明しきれないほど精密な構造を用いて、この世界のすべてを作り上げたのです。
そして第3章で紹介しました通り、創造神は、この世界の始まりから現在までを見通しているはずです。あるいはその先、宇宙の終わりまでも見通しているかもしれません。
それほどの存在でありますから、私たちの一挙手一投足もまた、間違いなく認知されていることでしょう。
そんな神は、怒って人に罰を与えたりするでしょうか。
人に命令したり、禁止したりするでしょうか。
個々の願いを聞いて、叶えて下さったりするでしょうか。
神が、どうやら超越した力で個人を救ってくれるような存在ではないと分かってしまったのは、少し残念な結論だと思います。
とはいえ、これは個人的な考察です。真の創造神は、これとは全く違う別次元の存在なのかもしれません。
そんな魂の融合体とは、創造神によって作られたものなのでしょうか。あるいは、宇宙全体の魂である創造神そのものなのでしょうか。
創造神自身は、かなりの放任主義のようでありますが、全知全能という言葉を借りれば、私たちに気が付いてないわけでも、無視しているわけでもないと思います。
神が魂の融合体と同じものであるとするのなら、私たちがつながるために取れる方法はただひとつ。心の深層部に向かって問いかけるだけでしょう。
だとしたら、瞑想というのは理にかなっているのかもしれません。
祈りとは、魂の融合体への呼びかけ。つまり地球上のすべての人への呼びかけです。その場合応えてくれるのも、また人ということになるかもしれません。
そのようにして別の誰かの力によって、願いというのは叶えられる仕組みなのかもしれませんし、あなたの行動が誰かの願いを叶える助けとなっているのかもしれません。
ただ、自分や誰かを傷つけるための、ネガティブな願いを吐き出すべきではないと思います。
魂については、結局のところ考察でしか語れないのが残念です。その正体がわかれば、もっと宇宙の真理、神の真実が見えてくるに違いないのですが。
『本当は、神が人間を作ったのではなく、人間が神という概念を作り出しただけなのでは?』という考え方もまた真理のひとつだと思います。
それは、例えば統治のため、理解できない自然現象を説明するため、心の安寧のためなど、いろいろな理由はあるでしょう。ただ、その考えに捉われてしまうのは思考を放棄するのと同じで、真理にたどり着くことができなくなってしまうのです。
例えば、平面でしか世界を認識できないアリは、自分の頭上にどれほどの空間が存在するのかを知り得ません。
同じように、人間にもまだ知り得ない世界が、自分の上に、あるいは隣に、はたまた中に広がっているのに気付けないでいるだけのようにも感じられます。
それらを知るための、新たな指標や計測器を手に入れることができたなら、今度こそ本当の神様のかたちを実感することができるかもしれません。
おわり