第3章 時間について
この世界の歴史は、研究者たちによって日々新しい事実が突き止められ、書き換えられています。
不思議なことですが、出来事から時間が経つほど、当時の状況が徐々に判明してくるのです。それは科学技術の進歩による部分も大きいのですが。
では、誰にも知覚されなかった歴史は、何もなかったのと同じことになってしまうのでしょうか。
知覚されなかった誰かの人生を虚しいと捉えるのはさておいて、百年後には消えてしまうであろう自分の人生までも虚しいとは考えないで下さい。
過去の人、未来の人とは、生きている時間、あるいは世界が違うのですから。
ところで、人類の歴史は数千年と考えられています。それは有史時代あるいは歴史時代と呼ばれる、文字による記録が存在している期間の長さです。
人類の誕生から現在に至るまでの、世界の累計人口は約1080億人(2011年調べ)という試算もあるようです。
とある社会的事実を考察する時、度々私たちは同じような歴史的事実が繰り返されていることに気が付くのでした。
私たちは歴史から多くを学んでいるはずなのに、何故進むべきではない方向へ進もうとするのでしょう。
好むと好まざるとに係わらず、戦争をするのが人間の本質だという考え方もあるようですが、如何でしょう。古来より人間の本質は、全くもって変わっていないのではないでしょうか。
とある星の文明が滅びたからといって、宇宙的観点から考えればそれほど大した事件ではないのかもしれません。
ハッブル宇宙望遠鏡によって観測されたもっとも遠い天体は、134億光年先にあったと確認されています。ようするに、歴史的には、134億年前にはすでにその天体は存在していて、その間にも数えきれないほどの多くの事件があったということになるのです。
宇宙の歴史の始まりは、果てにこそあると言っていいでしょう。ただ、その果てがどこにあるのかは、地球上の誰も知りません。ですので、今はわかるところから始めましょう。
地球の歴史について考えていきたいと思います。
考察するにあたって、わかりやすくするために"1文字を1年"とし、1ページに1000文字が書かれている本に例えてみましょう。
紙は両面印刷なので1枚なら表裏2ページで2000年、用紙5枚、10ページが1万年となります。
用紙500枚、1000ページを1巻でつづるなら、1巻につき100万文字なので、それが100万年分。小説ならすでに大長編となっています。
地球創生は約46億年前ですので、4,600巻という大大大全集になります。読み終える前に読者の寿命が尽きるかもしれません。
4,600巻のほとんどの部分において、その間に地球は、全体が何度も燃え上がったり、完全に凍り付いたりを繰り返してきました。
そしてそれは、生命の誕生と絶滅の歴史と言ってもいいでしょう。
いつ最初の生命が誕生したかについては、よくわかっていません。そもそも何をもって生命とするのかが、学術的に曖昧なのです。30億年前とか20憶年前とか、生物と認める根拠によって大きく変わってしまうのはやむを得ません。
恐竜については化石がしっかりとした判断材料となってくれます。歴史への登場は、約2億3000万年前頃と考えられているようです。全集の第4,370巻あたりでしょうか。
その恐竜を含め、多様な生物が大量絶滅するのが約6600万年前。第4,534巻です。
生命はその後も幾度となく大量絶滅と適応進化を繰り返し、その末にようやく人類が誕生するのでした。それが約20万年前。第4,599巻の800ページ目あたり。
文字として記録を残すようになって以降の人類の歴史を約5千年と考えるなら、それは最終巻の最後5ページ分となります。
そしてそして最後に、あなたが産まれたのは、最終ページ最終行の終わりから何文字前となるでしょう。青春は1ページどころか、そのあたりの1文字以下ということになります。
私たちが生きている現代は、宇宙的視野で見ると本当の意味で一瞬に過ぎないことが理解できます。
ではこの後、地球はどうなるでしょう。
後50億年くらいで太陽は核融合に必要な燃料を使い果たし、赤色巨星となって膨張しながら地球を飲み込んでしまうだろうと考えられています。
ただそれより前、約40億年後頃には、地球がある天の川銀河と、隣にあるアンドロメダ銀河が衝突するだろうとも予測されているのです。
現在、アンドロメダ銀河は250万光年離れた位置にありますが、こうしている今も時速約40万kmの速度で互いに接近しているのだそうです。
衝突すれば、かなりの数の星々が、再び素粒子レベルにまで砕け散ってしまうことでしょう。
それらが集まってまた新たな元素となり、物質を形成していくのでしょうが、それを検証することなど私たちにできないのは言うまでもありません。
そういえば、そもそも時間というのは、何なのでしょうか。
物質ではないので、おそらくは見ることも触れることもできないように思います。あるいはその逆で、常に触れているから、その流れの速さを知ることができないということでしょうか。
例えるなら、景色が変わらぬ大海の真ん中で海流に乗って漂っているが如くで、時そのものを感じられないのか。もしくは、鉄道の車窓から眺める景色のように常に変わり続けるからこそ、時を感じていられるのか。
時間について計測する機器は、今のところ時計以外にはありません。
とりあえず、物体が移動する速度が、早くなればなるほど、光の速度に近づけば近づくほど、その物体内における時間の経過は遅くなるというのは実験でも確認されています。
それぞれが宇宙のあちらこちらで、それぞれが違う速度で動いているということは、このひとつの宇宙の中に、時間はいくつも存在しているのかもしれません。
ただ、流れはつねに一定方向です。逆流は今のところ観測されていません。
逆流した場合、私たち自身および宇宙全体がその流れの中にあるわけですから、気が付けないという可能性はあります。
誰も気づけないのであれば、宇宙全体の時間を巻き戻してのタイムトラベルは意味がないと思えます。その場合、宇宙の膨張を逆転させるだけの莫大なエネルギーが必要となるかもしれません。
SFでは、時間を巻き戻すタイムトラベルではなく、別の世界線、時間軸に飛び移るタイムトラベルという方法も考えられています。
1秒前の世界、0.1秒前の世界、0.01秒前の世界、0.001秒前の世界と、無限に存在している時間の流れの世界のいずれかに飛び移るという方法です。
時が海流のような流れであるのなら、現在の上流にも下流にも海水、すなわち時があるはずです。
流れの左右方向にも海水はありますので、流れに対して横へ進めば、別の人生が待っているのかもしれません。
鉄道であれば、前後の車両に移動するとか、隣を進む別の路線に乗り換えるとか。
時間軸を飛び越えるだけなら、宇宙規模の膨大なエネルギーも必要なさそうです。
あり得ないと切り捨てたくなってしまうのは、それが人間には想像できないもののひとつ、つまり無限という概念が根底にあるからでしょう。
とはいえ、いずれの方法にせよ、それによってメリットが得られるとするならば、それはあくまでも個人のレベルでしかないように思います。
宇宙にとって、何の意味も価値もないと考えるならば、タイムトラベルというのは、この世界にとって不必要なもの、つまりは不可能なことなのかもしれません。
もし可能だったとしても、ひとつ気を付けなければならない大切なことがあります。
単純に時間だけを遡行しようとした場合、1秒前、地球はその位置にありませんから。
あまりにもスケールが大きな歴史の話と、難解な時間の話で我を忘れてしまいそうですが、実際のところ自分たちにとっては、目の前の時間が最も大切であるのは言うまでもありません。
仮に人間が何千年、何万年と生きられる存在だったとしたら、人生において同じ過ちを何度も繰り返しはしないでしょう。
ですが、人は長くとも百年程度しか生きられず、どんなに大切な経験であっても、他人がそれをそっくり受け継ぐことはありえません。
知識ではあっても経験ではなく、事実ではあっても現実ではない。それが歴史です。
過去の人が犯した過ちと結果を知り、目の前の現実と重ね合わせて再び考え、より良い結果を導き出す。そのために人は歴史を学ぶ必要があるのだと思います。