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閉店まであと少し

作者: 霧谷夕子

駅からほど近いこのカフェも閉店間際になると客の姿もなく、閑散としている。

 店内に残った最後の客を見送り、僕は壁掛け時計に目線を滑らせた。閉店まであと三十分ほど。

 カウンターとテーブルを行ったり来たりして、食器など片づけ始めると、入り口あたりで店先の看板と手元を見比べる人影を見つけた。

そのまま様子をうかがっていると、人影は意を決して店に入ることに決めたようだ。

 カラン、と来客を知らせるベルが鳴る。


「こ、こんばんは。まだ大丈夫ですか?」


「大丈夫ですよ。お好きな席にお座りください」


緊張し縮こまった様子の二十代の女性が来店してきた。黒いスーツに身を包んでいるが疲れた様子で目元が少し黒い。近所の会社で働くOLといった感じだろうか。

安心したのか、彼女はほっと、息をついて窓際の一人掛けのソファーに身を沈めた。

彼女は最近来るようになった常連さんだ。決まって金曜日の閉店ギリギリの時間にやってきて、カフェラテを一つ頼んでくる。ちょっと変わった常連さんだ。

僕はソファーのサイドテーブルにお冷とメニュー表をおいた。


「ご注文がお決まりのころ、伺います」


「は、はい。ありがとうございます」


控えめな笑みを浮かべる彼女。僕が自然と微笑み返すと少し顔を赤くして、メニュー表に視線を落としてしまった。

もっと照れた顔を見たかった、なんて思ったのは内緒だ。

カウンターに戻り、彼女がよく注文するカフェラテの用意を確認する。それから冷蔵庫のお菓子も。うん、大丈夫。彼女一人分なら足りるだろう。

珈琲豆の在庫も確認していると「すみません」、と小さな声で呼ばれた。


「はい、お伺いします」


彼女の元へ行き、オーダーを取りに行く。ソファーの近くで片膝をつく僕。声の小さい彼女の注文はこの体勢じゃないと聞き取りずらい。

「えっと…このミルクブリューコーヒーをお願いします。あと…ベイクドチーズケーキも…」


「はい、ミルクブリューコーヒーにチーズケーキですね。お待ちください」


「お願いします」


カウンターに戻り、ミルクブリューコーヒーの用意に取り掛かった。冷蔵庫からよく冷えた水出しならぬミルク出しコーヒーの容器を取り出し、深型のガラスコップにミルク出しコーヒーを注ぎ込む。四つほど氷を浮かべ、ストローを差したら完成だ。

冷蔵庫から切り分けられたチーズケーキをお皿に載せ、カトラリーをトレーに沿えれば完了。


「お待たせしました。ミルクブリューコーヒーとベイクドチーズケーキです」


注文されたコーヒーやケーキをサイドテーブルにお盆ごと届けると、彼女はわかりやすく柔らかく微笑んだ


「わぁ、ありがとうございます」


「ごゆっくりどうぞ」


注文の品を届けてしまえば、僕の仕事は閉店作業に戻る。静かに彼女の元を去り、カップやソーサを磨く作業に移ろう。

その間も彼女の観察は忘れない。ミルクブリューコーヒーがよほど気に入ったのか、一口飲むごとに、ほっと、ため息を漏らしている。チーズケーキを味わっている時も、彼女は美味しそうに口元を綻ばせ、息をついた。

ああやって、美味しそうにコーヒーを味わっているところを見ると、マスター冥利に尽きるというもの。彼女の幸せのため息と店内に流れる控えめなジャズを背景に僕は閉店作業を着々と進めていた。



+++



しばらく閉店作業に没頭していたのだが、彼女の幸せのため息やカトラリーのこする音がしなくなり、思わず手を止めた。彼女はコービーのグラスもケーキのお皿も空にしてメニュー表のある一点をじぃ…と見つめていた。


「なにか面白いものでも見つけましたか?」


近寄って声をかけると、予想外だったのか彼女の体が魚のようにビクンとはねた。


「驚かせてすみません。何か気になるものがあるのかな、と思ったもので…」


「い、いいえ、私こそ…失礼しました」


申し訳なさそうに頭を下げる彼女。驚きはしたが、そこまでではなかったことを伝え、改めて彼女の手の中に納まるメニュー表を見つめた。開かれていたのは自家焙煎のコーヒー豆の商品ページだった。


「何か気になる豆がありましたか?」


「気になる…あ、あの…私、コーヒーが好きで…でも自分でコーヒーを入れたことがなくて…それで…その…初心者でも扱えるような、今飲んだ珈琲みたいな味になるコーヒー豆ってないでしょうか?」


しどろもどろに、顔を赤くしながらも彼女は言い切った。

なるほど、それで熱心にコーヒー豆のページを見ていたのか。ここで、普段ならこちらの豆がおすすめですよ、なんて言ってミルをかけたコーヒーを渡すのだが…今日の僕は少し違った。


「教えましょうか?コーヒーの淹れ方」


「え?で、でも…」


「まぁ、今の時代スマホで調べてしまえば、コーヒーの淹れ方を調べることは出来るんですけどね。でも、僕が淹れたような珈琲が飲みたいのなら、直接僕に教わったほうが早いと思うんですよ」


 怪訝そうにしていた彼女は僕の説明に確かに…とうなづいている。


「教える時間は金曜日の閉店してから。それでよければお教えします」


 本当は、こんなの下手な口実だ。ただ、彼女と客と店員の越えられそうで越えられない壁を少し壊してみたいだけだ。

 前から少し気になっていた。何か彼女と話すきっかけはないものか、と探っていた時に訪れた好機。ならありがたく、それに乗っかってみよう

 


「で、では、よろしくお願いします」


「はい、こちらこそ」


 繋がりなんて思いもしないところから湧いてくる。本当にその通りだ。

 さて、彼女へ向かう好ましいという気持ちが、きちんと「恋」という気持ちに実ってくれるだろうか。はたまた、彼女の僕への気持ちが「恋」として実ってくれるのか。

 次の金曜日が待ち遠しくて仕方がなかった。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 甘酸っぱくて素敵なお話でした
2021/10/28 22:17 退会済み
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