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雑誌の売り子のバイト4


 バイト終了後、今日も嬉しいことに無事ホテル行き(やらしい意味ではない)を確定させた僕たちは、何故だか急に牡蠣とレタスが食べたいとハルが言い出したので、行きつけの閑古鳥が鳴いているビジネスホテルに向かう前に、こちらも行きつけの、廃屋もかくや言わんばかりのおんぼろスーパーへと汚いスニーカーで歩を進めることにした。


「それにしてもハル、どうして急に牡蠣とレタスが食べたくなったの?たしかに、牡蠣をフライにすればそれなりに食い合わせのよさそうな食材ではあるけれど」


 空は真っ黒、けれど四方数十メートルは自然光よりもはるかに明るいという、何ともちぐはぐな雰囲気を持つ都心の繁華街を、象のようにゆっくりと歩きながら、僕の隣にピタッとくっついているハルに尋ねる。

 牡蠣やレタス自体はそれなりにありふれた食材ではあるけれど、それらを急に、それもセットで食べたいなどと思い立つ理由が、僕には分からなかった。  

 ハルは一度僕の目を見る。そして一度視線を逸らして、もう一度僕を見て、言った。 


「ううん。何か急に食べたくなったの。特に理由はないよ」


 耳を傾けながら、スーパーへの目印である芸能事務所があるビルの角を折れて曲がる。僕は頷いた。


「そっか、うん、まあそういうことも、あるよね」


 人は全てを論理的に考えるわけではない。全てには理由があるなんてのは嘘っぱちだ。であれば、直感的に特定の食材に対して食欲が湧くこともあるだろう。

 そう考えれば、ハルの言うことにも納得がいく。

 ……そういえば、レタスや牡蠣っていうのはたしか昔から媚薬として使われているって聞いたことがあるような気もする。まぁ、けれど、僕達はまだ年端も行かない16歳だ。

 この年でそういう行為に及んだりするような気は、流石のハルでも起こすことはないだろう。

 きっと牡蠣やレタスがセットになったのも偶然だ。うん、そうに違いない。


「あとはエナジードリンクがあれば完璧」


 前言撤回。この女やる気だ。

 いったいエナジードリンクを飲ませて、媚薬である牡蠣とレタスを与えて僕に何をしようというのか。考えただけでも恐ろしい。

 僕がこの後起こり得るかもしれないことを考え、今日は是が非でもベッドではなく床に寝ることを固く心に誓っていると、

 と、そこで何故か急にハルが足を止めた。人がごった返す中、僕達が歩く街路の反対側を見て銅像のように固まっている。


「ハルどうしたの?避妊具は買わないよ」

「ううん。そうじゃない。いや、それは内緒で買うつもりだったんだけど、そうじゃなくて、アレ」

 

 僕が訊くとハルはそんな物騒な前置きをして、スッと先生が生徒を指名するときのような無感情な動作で人差し指を指差した。

 そこには壁に寄りかかって蹲って泣いている小学生くらいの女の子と、それをあやすように女の子の頭を撫でている背の高いおしゃれな男性がいる。

 そしてその数メートル後ろには右手に一眼レフカメラをぶら下げた、ニット帽をかぶったおじさんがいた。


「あの人。今日の雑誌に映ってた人だ」

「………あ」


 指を下ろしたハルに言われて、数秒遅れて僕も気が付く。あの黒ぶちの眼鏡をかけたおしゃれな男性。

 少し雰囲気は違うけれど、僕達が今日売り子として販売した雑誌の表紙を飾っていた俳優そっくりだ。いや、たぶん本人だろう。ということはあのカメラを持った男は俳優のパパラッチなのかもしれない。

 けど何してるんだ、あんなところで。


「あれも浮気?」

「それはたぶん違うと思う」


 こっちを向いてそんなことを真剣に訊いてくるハルに僕は即座にツッコむ。

さすがに小学生の女の子相手に欲情したりはしないだろうし、それに万が一そういう特殊な性癖をお持ちの方でもここは公衆の面前だ。やるならもう少し人気の少ないところで実行に移すことだろう。

 というか俳優がそんなことをする現場なんて正直見たくない。

 と、そんな風に僕らがしばらく黙って見ていると、人の流れが少なくなってきたのか、徐々に目の前の雑踏の数も少なくなってきた。すると、幸か不幸か男性と女の子の会話が断片的ではあるけれど聞こえるようになる。


 男性はハキハキと、けれど優しく。女の子の方は小さく、それでいて悲しみを帯びた声音が、それぞれ僕らのいるところまで届いてきた。


「そう。やっぱり。迷子なんだ……」

「うん。…あさんとはぐれちゃったの。…しよう」

「そっか…それなら、…ばんに行こう。お巡りさんがきっとお母さんを見つけてくれるよ」


 ……どうやら聴く限り、あの俳優は迷子の女の子が道端で困っているのを見かけて声をかけたようだった。それで女の子を元気づけようと頭を撫でていたらしい。

 ほどなくして話がまとまったのか、女の子は立ち上がった。自然、女の子と視線を合わせるようにしていた男性も落としていた腰を上げる。おそらく交番に向かうのだろう。

 案の上、女の子と俳優はゆっくりとした足取りで交番の方へと歩いて行く。少しの間それを見送っていると、やがてその二つの背中は騒がしい繁華街へと消えて行った。


「よかったね。迷子の子」


 ハルが少しの沈黙の後、呟いた。僕も同意する。


「そうだね。それにあの俳優の評価も改善されることだろうし」


 今日販売したセントラルでは、あの俳優は散々にこき下ろされていた。やれ裏切り者だの。やれ鬼畜だの。名誉棄損もかくやと言わんばかりの罵詈雑言が紙面のあちこちに飛び交っていた。

 けれど、それもさっきの行為で少しは改善されるはずだ。

 あの行為が純粋な善意であれ作られた善意であれ、きっとあの行為を僕達の目の前にいるパパラッチが激写していないわけがない。

 あの行為が雑誌に新たに掲載されれば男性の風評被害も多少は改善するだろう。

 いいことだ。


「それじゃあ行こうか、ハル」

「そうだねフユ」


 これ以上この場に留まっていても仕方がないので僕たちはスーパーへと再び歩き出すことにする。

ハルの表情を窺うと、さっきの光景が嬉しかったのか、心なしか幸せそうな表情をしていた。

 人の気持ちに敏感なハルのことだ。自分と関係のないところで他人が幸せになることが喜ばしいのだろう。

 僕はそれを見つつ歩く。


「…………」


 すると、少ない雑踏の中からやけに鮮明に響く、低い声が後ろから聞こえてきた。

 声の位置的にたぶんあのカメラマンだ。

 カメラマンは周りも気にせず、独り言をぶつくさぶつくさ宣っている。


 低い声。

 低級な呟き。

 それが聞こえて、きた。


「あーあ、つまんねぇの」


 僕らはそれでも足を止めることはない。

 けれど、それを聞いて、ハルはとても悲しそうな顔をした。

 

 ……僕は、きっとあの行為が記事になることはない、と確信するだけだった。 

   

   

  

 

 



御一読ありがとうございました。

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