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雑誌の売り子のバイト3

 午後5時。

 いくら夏だとは言え、そろそろお日様がお寝んねし始めるこの時間帯。

 雑誌の売り子のバイトも、残り一時間を切っていた。

 あれから特にこれといった事件や出来事もなく、売り上げも徐々に上がったり下がったりの繰り返し。

 強いて事件めいたことを挙げるならば、何人かのチャラそうなお兄さんがちょろそうなハルにナンパをかけて、何も喋らないハルに撃沈してそそくさと帰っていったことくらい。

 少しくらい相手をしてやってもよかったんじゃないかと問うてみると、その後は何故かすごい不機嫌になって1時間ほど口をきいてくれなかった。

 分からない奴だ。

 ちなみに、そのハルはと言えば、呼び込みの方は終えて、現在、後ろの方で机に座って本日の売り上げの計算を行っている。

 アホの子であるハルにお金の計算をさせてしまうのは些か不安が残るのだが、それも仕方がなかった。

 もう一度ナンパにでもあって、再び口をきいてくれなくなってしまうと困る。

 それにいくらアホの子であるハルとは言っても、単純な計算ができないわけじゃない。単に応用力がないだけなのだ。

 それに業者は親切なことに、売り上げの計算のための電卓も渡してくれている。

 万が一にも計算をミスって給料が出ませんでした、なんてことはないだろう。


「ねぇ、フユ」


 とかそんなことを考えながら、ボーっと売り子として立ち尽くしていると、ハルが後ろから話しかけてきた。パチパチとボタンを叩く音が聞こえてくる。どうやら電卓を叩きながら僕に喋っているらしい。


「何?何かトラブル?」


聞き返すと、ハルはえらく不満気な口調で語った。


「うん。あのね、この電卓いくらやっても300×6が1500にならないの。この電卓壊れてるよ」

「そっか。壊れてるか。それじゃあ、悪いけど電卓使わずに計算してもらえる?計算結果は後で僕と一緒に

確認しよう」

「うん!」


 前言撤回。

 ハルは単純な計算すらままならないみたいだった。

 売り上げは、後で僕が一から計算し直そう。

 僕がそう言うとハルは「そう?分かった」と何故か少し嬉しそうに呟いてから手計算をし始めた。カリカリと聞くだけで元気が伝わってくる音がこっちまで響いてくる。

 ……まったく。ハルはいつになったら、一人前の、とまでは言わないが常識人レベルの知力が身につくのだろう。

 いっそ僕が塾講師のバイトでも初めて、ついでにそこにハルも入校させてしまおうか。

 ……まぁ、基本的に塾とか家庭教師のバイトって大学生からしかできないからそんなことを考えたところで無意味なんだけれど。

 それに、僕には何か教えるだけの知力はあっても、家がない。

 住所がない。

 親がない。

 あるのは、ハルだけ。

 そんな人間、塾はおろか、どこぞのブラック企業だって雇ってはくれないだろう。

 ——僕はハルを見て思う。

 僕はこれからどうすればいいのだろうか。

 ハルをどうするべきなのだろうか。

 いつか語ったあの晩のように、僕達はずっとこのままなのだろうか。

 ハルが僕に気があることは知っている。

 それが友達や恩人に抱くような感情ではなく、恋人と呼ばれる者に抱く感情であるということも。

 ハルはおそらく、僕がどんなことをしても許すだろう。

 ハルを蹴っても。殴っても。抱きしめても。襲っても。

 きっと何をしても、許してくれる。

 当然だ。ハルはそのように仕組まれているのだから。

 そう仕組まれて、生まれてきたのだから。

 であれば、僕はどうするべきなのだろうか。

 彼女を幸せにするべきだろうか。

 しかし、おそらく、それは僕には無理だろう。

 将来、僕は彼女に理解されることはあっても、僕自身が彼女を理解してあげられることはおそらく、ない。

 だって僕は……。

 と、そこまで考えたところで、振り返る。後方、つまり駅前の広場から何やらバタバタと大きな足音が聞こえてきたからだ。

 それは一直線にこっちの方向に向かってくる。

 20代、若しくは30歳手前ぐらいだろうか。

 そのくらいの年齢の髪の長い、OL風の美人な女性が、息を切らして僕の手前まで走ってきた。

 女性は僕の前までたどり着くと、膝に手を当てて、息を犬みたいに「ハァハァ」と整える。

 するとようやく落ち着いたのか、女性はさっきまでの疲れた表情を切り替えて、キッと毅然とした表情を僕に見せた。

「セントラル、一冊もらえるかしら?」

 どうやら客らしい。僕は訝しみながらも、営業スマイルを浮かべて、言った。

「300円です」

 右手を出すと、女性は鞄から長財布を取り出し、300円をぴったり僕に渡した。

 僕は「ありがとうございます」と言って受け取り、300円を後ろにいるハルに手渡す。

 何故かハルが僕とその女性を睨んでいたが、僕は面倒くさそうだと思って、相手にせず、セントラルを一冊手に取り、そのまま「どうぞ」と言って女性に手渡した。

 女性は何も言わず受け取る。

 そして、そのまま立ち去る、かと思いきや、あろうことか女性は、そのまま僕たちの前で立ち読みし始めた。

 どうやらよほど中に気になることが書いてあるらしい。

 女性は急な事態に戸惑う僕に構いもせず、一心不乱に文字やら写真やらを読み漁っている。

 そして、それが5分程続いたところ。

 女性は何やら難しい、というよりは憤懣やるかたないといったような表情をして、「はぁー」と長い溜息を吐いて、雑誌を勢いよく、それはもう良すぎるくらいに勢いよく乱暴に閉じた。もし、ここが自宅であればそのまま床に投げつけていたかもしれないというくらいに強力で、かつ激しい憎悪を感じるほどの力だった。

 女性は僕をキッとした表情で見つめてくる。しかし、それはさっきまでの毅然としたものとは違い、それはそのまま、睨む表情だった。


「ねぇ、浮気ってどう思う?」


 女性がぶっきらぼうに聞いてくる。それは、とにかく今の感情を誰かと共有したくて仕方がない、といったような感じ。

 僕は少し考えて、答えた。


「駄目なことなんじゃないですか」


 正直心底どうでもよかった。そのせいか口調もいつもよりぶっきらぼうになってしまった。しかし、それでも女性にとってはそれが期待通りの発言だったのか、女性は嬉しそうに僕の言葉に同意した。


「そうよねぇ!駄目よね!もう、まったく何でこんなことするのかしら。ファンに対しての思いやりとか、

そういうのなかったのかしら。はぁ、信じてたのに、敦也」


 ……敦也?……ああ、そういうことか。

僕はその発言でようやく、この女性がそんなことを言いだし、そしてここまで駆けてきたのかを理解した。

おそらく女性はこの雑誌の表紙、『あの既婚俳優がまさかの浮気⁉見知らぬ未成年の少女との夜の一幕』のモデルとなった俳優のファンなのだろう。いや、もしくはだったのだろう。

それでそのニュースをどこかで聞きつけ、その真偽を確かめるべくここまで仕事終わりに駆けてきたというわけだ。

……何というか、それはまぁ、ご苦労なことで。


「ねぇ、そこの綺麗なお嬢ちゃん。あなたもそう思うわよね?浮気って最低な行為よね?」


 自分の気持ちを裏切られた女性は、よほど自分の気持ちを共有したくてたまらないらしい。

 僕の次は、後ろの椅子に座って作業をしているハルに訊いた、というよりは一方的に同意を求めた。

 ハルは作業の手を止め、女性を静かな目で見やる。そしてその後、何故か僕の方を見つめて、言った。


「はい。浮気は最低な行為だと思います。する奴は死ねばいいと思います。特に年上の美人にデレデレする人とか」


 ……なんだか視線がめちゃくちゃ痛いのと、死ぬべきやつの条件がえらく限定されていることが気になった。浮気も何も僕には交際相手すらいないのだが。

 しかし、そんなことは特に気にもならないのか、女性はよほど自分の発言が肯定されたことが嬉しかったらしい。孫の顔を見るおじいちゃんでもそうはならないだろうというくらいに、素敵な、綻ぶような笑顔を見せた。


「そうよねぇ!あなた分かってるじゃない!うんうん。浮気する奴なんてみんな死ねばいい!蓋し名言だわ!」


 どうしよう。めちゃめちゃ物騒な名言が知り合いの手から生み出されてしまった気がする。


「あっ、もうこんな時間。早く家に帰って晩御飯作らなきゃ。それじゃあ、お嬢ちゃん、話聞いてくれてありがとうね。バイバイ」


 女性は最後に優しい笑顔でそう言うと、そのまま踵を返した。そしてパンプスのカツカツという音を広場に響かせながら足早に帰っていく。夕日が沈みゆく中、僕はその姿を見送りながらハルに声をかけた。


「どうしたのハル?普段はああいったことは言わないじゃないか」


 ハルはナンパの時と同じように僕以外の人間と触れ合うことを極端に避ける。話しかけられても会話が続かないというのももちろんあるが、それ以上に極端に人の気持ちが分かってしまうハルにとって、会話をすることで自分がどう思われているのかを知ってしまうのが怖いらしい。

 それでもハルは今日、さっき、女性に自分の気持ちをはっきりと伝えた。

 それは何故だろう。


「アレ」


 振り返って見てみると、ハルは僕の質問には答えず、どこかに人差し指を指していた。


「アレ」


 もう一度気持ちの籠ってない声で言うハル。

 僕はその指差す方向へと向いた。

 そこには走り去っていくさっきのOL風の女性がいる。


「あの女性がどうしたの?」


 ハルが何のことを言っているのか分からなかったので僕は訊く。あの女性の言動のどこにハルが積極的になる理由があったのかを聞こうとしたのだが……。

 しかし、僕のそんな考えは後になってまるで的外れだったことを僕は知る。

 ハルは「違うの。そうじゃない」と言って、もう一度女性を力強く指差した。


「あの人、結婚指輪してた」

 

 ……死ねばいいは、言い過ぎじゃあないだろうか。 

    

   

  

 

 



御一読ありがとうございました。

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