私は主人公なんかじゃない
私の名前は佐瀬巴。
自慢ではないけれど、私には、私のことを好きでいてくれる人がいる。その人の名前は、神田雪乃。
そう、私と同じ女の子だ。
けれど、私は知っている。彼女は私を愛しているということを。
だって、いつもそう。
私を見つめる瞳は優しくて、あたたかくて、慈愛に満ち溢れている。
ひとつひとつの言葉にも、他の人とは違う雰囲気がある。
だから、雪乃は隠しているつもりだろうけれど、バレバレだった。
雪乃からの好意を、気持ち悪いとか思ったことはない。
ただ、どうして私なんかを好きなんだろう、という思いだけがある。
私も雪乃のことは好きだし、もっと仲良くなりたいと思っていた。
この前、たまたま図書室から本を借りていた雪乃と会ったあと、教室でカマをかけてみた。
ーーー雪乃は私のことが好き?、って。
そうしたら、彼女はうん、と言った。
やっと認めてくれたんだ。そう感じたけれど、ここはあえて慌てて驚いたふりをした。
そんな私を、雪乃は茹でだこみたいだと笑って、それからこう言った。
ーーー私は巴のこと、友達としてしか見てないから、と。
嘘つけ、と思った。
でも、私は黙っていた。
雪乃の三日月のように笑っている瞳が、涙でうっすらと滲んでいたからだ。
私は雪乃の首根っこを掴んでガクガク揺らしたけれど、彼女からは乾いた笑いしか漏れてこなかった。
虚しい気持ちだけが、残った。
親友なのに、本当のこと、言ってくれないんだ。
雪乃は、それだけつらい想いを募らせているのだと思った。
話は変わるけれど、私には好きな人がいる。数学教師の紫藤先生である。
先生は、かっこよくてスタイルも良くて教え方も上手と、女子からの人気はかなり高い。
今日も紫藤先生への想いを募らせながら、帰路につこうとしたときだった。
裏庭で、紫藤先生を見つけた。しかも、女子生徒と一緒に。
私は慌てて壁の後ろに回り込み、聞き耳を立てる。
何やら神妙な雰囲気を感じ取り、私もぴしりと背筋を正していた。
けれど、女子生徒の後ろ姿には、何となく見覚えがあった。
あれは、そう、私のことが好きなーーー。
「神田さん、真剣に考えてほしい」
やっぱり、紫藤先生と話している女子生徒は雪乃だった。
雪乃はため息を大げさなくらいついてから、セミロングの髪の毛をかき上げる。
「あなたのようなちゃらんぽらん、誰が」
「本当に、私はきみのことが好きなんだ」
心臓を、冷えた手で掴まれたような感覚がした。
紫藤先生が好きなのは、私なんかじゃなくて、雪乃だったーーー。
その事実が、重く私にのしかかる。
「だから、そんなこと言われても困りますから」
「…神田さん、私は本気なんだ。本気できみのことがーーー」
何だか、二人の声が聞こえにくくなってきた。
まるで、分厚いガラス板でも張られているみたいだった。
けれど、必死で震える身体を抑え、唇を噛み締めて、私は聞き耳を立てる。
「私、好きな人いるんで」
「…それは、一体誰なんだ?」
「ーーー佐瀬、佐瀬巴」
雪乃は、はっきりと言った。よく通る声で、紫藤先生をまっすぐに見つめて。
私の瞳から、一粒の涙がこぼれた。
雪乃は、雪乃は本当に私のことをーーー。
私が涙を拭ったとき、紫藤先生は、衝撃的なことを言い出したのだ。
「佐瀬…?ふふふふ、ははははははっ!なんだ、きみは同性愛者なのか。ばかな。あんな子のどこがいいんだ?そんなの、友情と履き違えているだけだよ。本当の恋というものを、私が教えてあげようか?」
紫藤先生が、雪乃の顎をすくい上げると、雪乃はギロリと鋭い瞳で紫藤先生を睨みつけていた。
それから、バシン、という音が響く。
雪乃が、紫藤先生の手を振り払ったのだ。
「…私の想いを、ばかにしないで」
「…何?」
「っ、私の巴を、ばかにしないで!!!!」
こんなに怒った雪乃を見たのは、初めてだった。
いつも穏やかで、うるさい私の話をよく聞いてくれて、怒るときも優しく諭すような口調の、あの雪乃が。
雪乃は踵を返すと、私のいる方へと歩いてくる。
私は震える膝に鞭打って、慌てて逃げようとした、そのとき。
がたん、と足音を立ててしまったのだ。
当然、雪乃も紫藤先生も、こちらを向いた。
私は、ぼろぼろの顔で紫藤先生を見つめるけれど、先生が見ていたのは雪乃だった。
私はその事実に打ちひしがれて、その場を後にするしかなかった。
「巴!」
雪乃の声が後ろから聞こえたけれど、私が足を止めることはなかった。
私はメイクが落ちるのも涙が飛ぶのも構わず、走り続けた。
息苦しいのは、走っているからなのか、つらいからなのかわからなかった。
でも、そんなことはどうでもよかった。
私は主人公なんかじゃない、脇役なんだ。
本命に愛されることのない、名前のない少女でしかないんだ。
ーーー私の名前は佐瀬巴。でも、本当は名前なんてない。