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6.主人公ユイカ




 その日の夜。


「それではお嬢様、お気を付けてお休みなさいませ」


 フランチェスカが丁寧にお辞儀をし、もう一度顔を上げる。


「意識を取り戻されてまだ1日も経っていないのですからね、くれぐれもご無理なさらないよう、早くおやすみになってくださいね。くれぐれも!」

「はいはい、分かったわ。フランチェスカは心配性ね」


 クスッと笑うとフランチェスカは照れたように赤くなる。


「お嬢様のことだけですよ、こんなに心配するのは! 本当にもう、階段から落ちられたときは心臓が止まるかと思ったんですから……とにかく抱き起こして、お嬢様の良い匂いを思う存分嗅いで、ああ、どうしよう、このまま意識を取り戻さなかったら、死んでしまったらって……」

「に、匂いは嗅がなくていいから……」


 この半日で分かってきたが、フランチェスカは可愛い顔の割になんかこう、勢いがすごい。私のことをすごく大事にしてくれてるというのはわかるが、その勢いがけっこうすごい。それはそれでありがたいことではある。


「心配してくれてありがとう、これからは気をつけるから。おやすみなさい、また明日」

「はい」


 明るく笑ってからフランチェスカは出て行った。

 ドアが閉まり、一人になってから。


「……つ、疲れた……」


 大きな息をつき、私は大きなベッドに寝転がった。

 今日は本当に疲れた。それも当然だ。異世界転生(の記憶を取り戻して)1日目なのだから、ムリもない。


 息をするたびに顔の横で銀髪が揺れる。指ですくい取ると、さら、と銀糸のように零れた。それだけで謎の感動を覚えてしまう。なにしろいままでカラーリングで染めてもせいぜい茶色くらいだったのが、金髪通り越して一気に銀髪だもんね。


 本当に転生したんだなあ……。


 身につけているものも、周囲の風景も、何もかもが異世界だ。

 白いレースで飾られた夜着は肌触りが良い。ワンピースタイプのデザインも可愛いし、きっと高級な布を使っているのだろう。


 夜着だけじゃない。白い天蓋のベッドも、部屋も、家具も。夕食もすごかった。ミニコースで料理が出てきて、野菜のゼリー寄せもメインの鹿肉も驚くほど美味しかった。あんな料理が家で出てくるとは思ってもみなかった。


 何もかもが驚くほど綺麗で、上質で。語彙が追いつかない。


『どう? 半日過ごしてみて、実感湧いた?』


 気付けばそこに黒猫が座っている。私は慌ててベッドの上に身を起こした。


「神様、いままでどこ行ってたんですか!? いなくなったままなのでびっくりしましたよ」

『ははごめんごめん、君と王子の邂逅をじっくり見たくてねえ。気が散るといけないから姿を消していたよ。転生で記憶を取り戻した半日、お疲れ様。異世界の感覚にも少しは慣れたかな?』

「ええ、なんとか」


 そう答えたものの、心はまだまだ落ち着かない。

 前世の記憶と異世界での記憶はまだしっくりいかないし、なにしろ今日はいろいろな事がありすぎた。

 転生確定して、記憶取り戻して、そして王子に会って。

 それにしても……。


「この世界の私、皆に好かれすぎてませんか? これも神様の仕業?」


 今日一日だけでも凄い数の人が家にやってきた。

 それも、みんな私を心配してきたのだ。

 通商大臣の娘だから、という理由で来てくれた人も多かったが、友人や、学院の関係者、後輩を代表してきてくれた人も沢山いた。手紙を届けてくれた人、花束をもって来てくれた人もたくさん。


 応接間の隣の控え室はいまも花で溢れ、お手紙はそこの机に山になっている。落ち着いたら、それぞれお返事を書かなければ。


 悪役令嬢なのにとてつもなく好かれている。愛されている。愛されすぎているほどに。


『ちょっとだけ、好意が集まりやすいようにはしてるけどね。生まれる前に少し設定しただけだよ。あとは君の行いの結果』

「行いの結果……」

『そう。君は前世で死ぬとき”やったことが報われたい”と言ったね。いま返ってきているのはその”報い”なんだよ。この世界の君は前世と同じ性格。お人好し、世話焼き、流されやすい、などなど、その性格のままに十八年間暮した結果が”これ”だ』

「なるほど。同じ性格なのに……前世とは結構違いますね」


 前世では、やった割にあまり報われなかった記憶がある。

 特に仕事ではそうだった。お給料も少なくて、その割に拘束時間は長くて。


 友達は多かったけど、用事を頼んでくるだけの子もけっこういた。お願い!って泣きついてくるんだけど、終わったらケロっと去って行く。こちらが困っているときはゴメンねーって断ってくる。恋愛もそうだ。好きになっていろいろ尽くしても……向こうにはなかなか好かれない。


 もちろん、やったことのすべてが報われるわけはないし、報いられるためにやっているのでもない。それは分かっている。

 誰のためでもない。自分がやりたいからやるのだ。


 それでも、投げ続けたボールがずっと返ってこなければ寂しくなる。


『人間は、相手を性格だけ、行為だけで評価しない。噂、雰囲気、容姿。そういった飾りが正しい評価を邪魔する。それ自体はあの世界の神が決めたことだから仕方がないけれど……寂しさは理解できるよ』


 確かに、外観での補正はあるかもなあ、と自分の頬を触る。前世、甘い物好きで瘠せなかったのは自分のせいだから仕方ないけど。


「じゃあ逆にそんな外観でもめげずに頑張ってたから前世の私だいぶ前向きでしたね!自分で自分を褒めていいやつじゃないですか!? まあもう死んでるけど!」


 ははっと笑った私に神様は不思議な眼差しを向ける。


『……そう、そういうところが、君の面白いところだと思って。だから僕は君をこの世界に呼んだ。その性格を評価しているし、前世の分まで報われた生活を味わってもらいたいとも思ってる』


 え、優しい。そんな優しいことを言われるなんて思わなかった。

 私は驚いて顔を上げ、それからもっと驚いた。


「か、神様、人間のすがたに……!?」


 いつの間にか、ベッドの上から黒猫が消えている。

 かわりに座っていたのは黒い長い髪を結い上げた美青年だ。白い肌、金色の目に、不思議な模様の入った真っ黒いローブを纏っていた。一度見たら忘れられないようなハチャメチャなイケメン、これは絶対にSSR★5だ。

 青年は切れ長の目で私を見、それからふむ、と自分の手を見る。


『ああ、これは失敬』

 

 ポヨンと気の抜けた音がしてその姿はまた黒猫に戻っていた。

 呆気にとられた私は目を瞬かせる。


「ちょ、いまの神様ですよね!? 人間、しかも美形!?」

『ハハハ、気を抜くと戻っちゃう』

「いやいや、黒猫もいいけど……そっちの姿でもいいじゃないですか!? イケメンは目から摂取できる栄養剤ですよ!?」

『イケメンへの食いつきがすごいよね、君……』


 その感慨も冷めないうちに、神様はいつもの表情に戻ってニヤリと笑う。


『とにかく、この世界に君を招待したこと、そのすべては僕の娯楽だから気にしなくていい。前の世界であまり感じなかったこと、できなかったことを体感すればいいよ。ひとまず”報われる”ってのを思う存分味わったらいい……もちろん、もがき苦しむ様を僕に見せながらね!」


 最後の言葉で台無しだ。やっぱり神の遊び……!

 神様がふっと、何かに気付いたように天井の方を見た。


『そろそろ、かな。本日最後のお客様だ』

「最後のお客様?」


 きゅん、と不思議な音がした。それも天井の近くだ。何だろうと上を向いた私は目を丸くした。

 天井の一角が奇妙に歪んで、その中から……人が出てきた!


「ふうっ、転移成功っと」


 現れたのは小柄な少女。

 首を振ると、ふわっと、肩で切りそろえた黒髪が揺れる。

 大きなアーモンド型の目。すらりと瘠せた身体。身につけているのは白い上着に紺色のプリーツスカート。たしか王立学院の制服だったはず。

 彼女は不思議な青紫の瞳でじっとこちらを見つめ、にっこりと笑った。


「センパイの危機を聞きつけて、主人公ユイカ、駆けつけました!」

「ひえっ!?」

「意外と元気そうじゃありませんか、センパイ!」


 大声を上げた私に、ユイカと名乗った少女はずいずいっと迫る。


 『うん★こい』の主人公は、やっぱり可愛い。


 外観は自分でパーツを選び、設定することが出来るけれど……どの組み合わせでも半端なく可愛いのだ。


 口調タイプは二パターンで、「おとなしい」ならキュートで守ってあげたい感じ、「活発」ならコケティッシュだったり小悪魔だったり。

 たぶん彼女は「活発」タイプなのだろう。俊敏な子猫のような印象がある。


 どちらの性格タイプでも特殊能力はいっしょで、転移魔法が使えるのはこの世界では主人公だけ。つまり彼女は正真正銘この『うん★こい』イベントシナリオの主人公ということになる。悪役令嬢である私とは王子を取り合って敵対する存在だ。


 ごくりと唾を飲んだ私の頬を、彼女は手を伸ばしてぎゅうっと挟み込んだ。


「んもー、階段から落ちたって聞いたから、ちょっと弱ってるのを期待したんですけどね……残念ざんねん」

「えっ、ちょっと、ゆ、ユイカちゃん、近い、近いから……!」

「いいじゃありませんか。近いうちにセンパイも私のモノになるんだし」


 なっ……なんですと……。


 固まった私の前でユイカは小悪魔的に微笑む。


「あれ、センパイ忘れちゃいました? 私の野望言いましたよね?」


 ちょっと待ってまって。野望!?

 私は大慌てで記憶を引っかき回し、愕然とした。

 そうだ、この子。

 ただの主人公じゃない。凄いヤツだった。


「……そういえばユイカちゃん……王子と結婚して政権を掌握し、私を側室として侍らせるって……言ってたような……」

「そう!覚えていて下さったんですね! さすが頭脳明晰なセンパイ、良く出来ました!」


 ふふっと笑う顔は文句なく可愛い。小柄で、色白で、猫みたいな大きな目をしてる。

 私は異性愛者だから恋愛感情はないけど、近くで見つめられるとそれなりにドキドキしてしまう。魅力的な主人公だ。やっぱり『うん★こい』の主人公ちゃんはかわいい。


 しかし、しかし、それとこれとは別だ。

 ユイカちゃん、恐ろしい子……。


 私、この子に嫌われて断罪されないとダメなのよね?王子とこの子をくっつけて、私は田舎に引退して余生を過ごす予定なんだけど。

 なのにこれは……これは今までよりもさらにマズい状況なのでは。主人公の攻略対象に私が入っちゃってるってことよね!?


「あのね、何度か言ったけれど、ユイカさんのその野望……王子様と結婚するのは良いかもしれないけど……その、なんで私まで……」

「だってこれ、センパイのせいなんですよ……?」


 うふふ、とユイカは小悪魔的に目を細める。


「異世界から飛ばされてきて、最初に優しくしてくれたのって王子じゃなくてセンパイだったじゃないですか。ずぶ濡れの私を拭いてくれて、おうちに泊めてくれて……学院に入ってからも何かと世話を焼いてくれて。こんなの、好きになっちゃうに決まってます!」


 そんなことしたっけ、と思う間もなく思い出した。したわ……全部私がしたわ。世話焼きと言われるこの性格でやったわ……。


「私、自分がこの世界の主人公だって分かってますからね。欲しいモノは手に入れる主義ですし。王子もセンパイも、どっちも諦めるつもりはないですから」


 黒い瞳が真剣にこちらを見つめている。本気だ。

 たじろいでいる間に、ふっとユイカは表情を緩めた。


「……って病み上がりのセンパイを怯えさせても仕方ないですよね。そんなお顔も美人で素敵なんですけれど。はいこれ、普通にお見舞いも持ってきたので」


 渡されたのはリボンのかかった小さな包みだ。上品なラッピングペーパーで包んである。


「これは?」

「ハンカチです。王宮通りの小物屋にあったので、センパイにあげたいなと思って」

「あ、ありがとう……」

「お返しはセンパイ自身をプレゼントってことでいいので! それじゃ、おやすみなさい!」


 お礼を言うと、照れたようにニコッと笑う。その顔は本当に可愛いんだけどな。私がなんとも言えない表情をしている間に彼女は空間の歪みの中へ消えていった。


 私は呆然としたまま手の中の包みを開いてみる。

 中には可愛いハンカチと、メッセージカードでひとこと。


 ★センパイは私のもの★

 

『ま、明後日からは学院生活も再開だし……もっと楽しい毎日になるよ★』


 神様の声が非情に響き渡る。

 もっと……楽しく……それってもしかしてもっとめまぐるしくなるってことじゃ……。


 断罪フラグは折れてるし、折れてていいフラグは立ってるし、情報は多いし、どうしたらいいんだろう。もう処理の限界だ。なんとかしなければ、なんとか……。


 私は悶絶するようにばったりとベッドに倒れ伏した。




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