54.王子の願い、聖女の力、そして全ては報われる(1)
――グロリア……?
エドガーはゆっくりと顔を上げた。ドサリと音が聞こえた、だがもう目がよく見えなくて、何が起きたのか分からなかった。
先ほどまで鼻先に感じていたグロリアの重みが、いまは、ない。
「グロリア嬢ッ!」
「だめだ、セドリック、近付いたら君も!」
二人の騒ぎに、呆然としたクロムウェルの溜息が重なる。
「グロリアさん……一体何を……」
何が、何が起きたんだ。グロリアはどうした。声も出せず、必死に首を巡らそうとするエドガーはふと顔を上げた。
空に圧倒的な光がある。
そこに浮かんでいるのは……誰だ?
『僕は神様。この世界の神だよ。急にお邪魔してごめんね。グロリアから願いを託されたので、運命の神の名の下にそれを叶える。エドガー王子、ならびにエルナードの竜の呪いは消え去り、王子は寿命を全うする。もはやどんな呪いもそこに残りはしない……』
光が弾け、エドガーの身体を包み込む。
温かな風を感じたのも一瞬、みるみる自分の身体が小さくなっていくのを感じた。ずっと、小さく、小さく、やがて元の成人男性の大きさに。
ばしゃん、と膝を突いたのは浅瀬のようだ。湖沼地方の美しい景色が見えたから、同時に視力も回復したのだろう。
「これは、一体……!」
「兄上ッ」
駆け寄ってくるセドリックも、パリスの顔もよく見える。服はボロボロになっていたがそれどころではなかった。
「グロリアっ」
周囲を見回し、少し離れたところに倒れている身体を見つける。
エドガーは駆け寄り、抱き上げ、震える手でその白い頬を撫でた。冷たい。
グロリアは美しい横顔のまま、目を閉じている。
その表情は穏やかで、どこか、満足げでもあった。
「どうして、なぜ……」
『グロリアには不思議な力がひとつだけあったんだ。聖女の力を上回る、何でも叶える力が。でもそのためには王子からの断罪、田舎への引退、そして彼女の満足した死が必要だったわけさ』
ひどく整った顔の男がふわふわと浮かびながら告げる。本当に神なのか。もはやそれに構う余裕もなく、エドガーは愕然とグロリアの顔を眺めた。
先ほどの意味不明な要求はそのためだったのか。すべて、私を助けるために……。
「本当だ。王子の呪いはすべて消えています……500年の、呪いの最後の一片が……跡形も無く……」
クロムウェルが深い息をつき、静かに座り込んだ。
「グロリア、君は……っ」
エドガーは狂おしいほどの気持ちでグロリアの身体を抱きしめた。どれだけ強く抱きしめても温もりは戻らない。自分のせいで愛おしい人を失ってしまった。その後悔が鋭い針のようにエドガーを刺し貫いた。
もっと早くに歩み寄ればよかったのか。
もっと彼女に美しいものをあげれば良かったのか。
もっと抱きしめて、キスをして、それから……沢山の幸せを上げたかったのに!
『グロリアは、君に会えて幸せだったそうだよ』
空の男は微笑み、その背後から大きな黒い翼を広げた。バサリと羽ばたき、その姿はまばゆい光に包まれていく。
『さよなら、人の子たち。君たちに今後も幸いあらんことを。ああ、ほら、そろそろそちらのお嬢さんも目を覚ます頃だ……』
光が弾けたのと入れ替わりに、ユイカのうめき声が上がった。
「うーん、ちょっと、こんなところに寝かせて……って」
ガバッと起き上がりユイカは周囲を見回した。
「グロリア先輩、ひとまず一緒に……あ、あれ」
「ユイカ、もう終わったよ」
セドリックが重い声で呟く。えっ、とユイカは声を上げたがすぐにこちらを見て唖然とした。
「なに、何があったの……エドガー王子、えっ、グロリア先輩……?」
「エドガー王子の『呪い』を、グロリア先輩が消したんです。自分の命を使った……特別な力で……」
パリスの声は泣きそうだ。ユイカは転げるようにしてエドガーに駆け寄った。その腕の中のグロリアを見て息を呑む。
「ちょっと、嘘でしょ、センパイ、ねえ、キスしちゃいますよ? 目を覚まして、お願い!」
ああ、と声を上げてユイカは地面をぶん殴った。
それからキッとクロムウェルを睨み、掴みかかる。
「先生、ううん、もう先生じゃない! 大魔導師、全部あなたが悪いんじゃないの! 400年も生きてて王子ひとり、センパイひとり救えないの!? 何を積み上げてきたのよ!」
「ユイカさん、落ち着いて、先生だって理由が……」
パリスがユイカを引き離し、押さえ込むようにして抱き寄せる。荒い息をつき、それでも睨み付けるユイカにクロムウェルは静かな目を向けた。
「竜の事に関して、申し訳ない、とは言いません。王国の安全のため、最善を尽くしたつもりです。ですがグロリアさんのことは……何と言って良いか」
エドガーは再びグロリアを見た。綺麗な顔で、死んでいるようには見えない。治癒の魔法でも掛ければすぐにでも起き出しそうな……。
ハッと顔を上げる。
「……ユイカ、『聖なる力』は残っているな? 蘇生はできないか!?」




