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52.おひとよし悪役令嬢ですが断罪引退を目指したい(1) ーこれが最後のルート変更ですー


 湖沼地方にはすぐに着いた。


「すぐそこだ、ここからは地面を走らせて行こう!」


 先に降り立ったパリスとセドリックが私を待っていてくれた。私も飛び馬を走らせて二人に並ぶ。少し向こう、小さな湖の脇に赤黒い塊が見える。竜だ。


「竜巻が……なくなってる!」

「弱ってしまったのか、それともクロムウェル先生が封じたのか……急ぎましょう」


 湖沼地方は名の通り、湖と沼が続く地帯だ。白樺の森と湖、それに綺麗な青い花の咲く湿地が広がっている。貴族達の別荘地はもっと離れた大きな湖のあたりに固まっており、湿地が深いこの辺りにはほとんど人がいない。

 走って行くと徐々に風が強まる。けれど王宮にいたときほどではない。竜の、エドガーの力が弱まっているのだろうか。

 やがて木立が切れて湖の畔に出ると、私たちは足を止め、馬から下りた。


「エドガー……」


 湖の脇、倒れるように竜は蹲っている。私は息を呑んだ。


 これが、エドガーの変化した姿。


 人間と比べると圧倒的な大きさで、もとの名残はほとんど見つからない。ただ、赤い目の光だけがこれまでと同じように深く、悲しげだった。

 竜の傍らにはクロムウェル先生が立っている。その脇の赤い魔方陣にはユイカが寝かされていた。


「あなた方……」


 クロムウェル先生は私たちの方を見たが、よろめいて、膝をつく。青灰色だったはずの髪は、おどろくほど真っ白になっていた。


「せ、先生、どうしてそんな姿に!?」

「先生も、もう限界なんです……400年も生きてきたのだから……」


 パリスの言葉は悲しみに満ちている。近付いた私たちに先生は顔をあげ、授業の時のように、困った表情で微笑んだ。


「邪魔をしないでほしい。もうこれで終わりなんです。これで、呪いも、何もかも……」

「けれどユイカさんの力は一回、足りないはずです! 私を連れて離宮を脱出しているから」

「問題ない。……私の寿命を魔力として充填する」

「先生、でもそれは禁忌です! 先生の命も!」

「そうですよ、他に方法はないのですか!? 何か、皆で考えれば他に」


 セドリックも必死に叫ぶ。だがクロムウェル先生は顔を上げ、穿つほどの強さで私たちを睨み付けた。

 

「……お前達に何が分かる! 何も分からず、封印の方法も手探りで、ただ多数の被害だけを出して死んでいくしか無かった、あの頃の絶望が分かるのか!? 親友が折り重なって死に、その遺体を泣きながら焼いたことがあるのか!?」


 その姿は別人のようだった。ああ、と呟いてパリスがうなだれ、セドリックが唇を噛みしめるのが見えた。


 同時に、情景が自然と脳内に流れ込んでくる。


 煙と火、燃えさかる家々。寝かされた死体。

 目を閉じた青年の顔は悲しげで、その上に微笑みながら、力を失った乙女が折り重なる……。


 ――もう、私たちのような悲劇を繰り返さないで。お願い、ウィリウス……。


 これは多分、先生の記憶。魔法で流れ込んでいるのか、それとも精神が共鳴しているのか。心が張り裂けそうだった。


「私は彼らから頼まれたのだ。もう、この国で呪いによる災害を起こさせないでほしいと。だから、私は、私は……」


 杖に縋り、ゆらりと先生は立上がる。その口の端からつっと、血が垂れた。確かに、先生も限界だ。


 私は小さな声で神様に語りかけた。


「……神様、契約って、まだ有効ですよね」


 黒い馬のままで、神様は頷く。


「ルート変更も、大丈夫ですよね? ご褒美も、もらえますよね?」

『……グロリア、君は』


 神様の声を最後まで聞かず、私は一歩、先生の方に足を進めた。


「先生、少しエドガーと話をさせてもらえませんか」

「グロリア、気持ちは分かりますが、しかしエドガーには強い毒があるのです。近付けば命に関わりますよ」

「触れたら死ぬとか?」

「ええ、ほぼ即死です」


 大丈夫です。そう答えて私はスタスタとエドガーの方へ歩き出しかけ……くるっと先生の方を向いた。


「その前に! 私に魔法を掛けたこと、謝って貰えます? 雨で遭難した日と、舞踏会の日。二回駆けたのでしょう?」

「さすが、グロリアさん……気付いていましたか」


 クロムウェルは小さく微笑み、がっくりと首を垂れた。


「申し訳ありませんでした。貴方は婚約を迷っている様子だった……貴方には、王子の精神を安定させる役目を果し、どうしても結婚していただく必要があったのです。精神が安定していれば、それだけ呪いが湧き出すのを送らせることができる」

「先生なりに考えてくれてたんですね。大丈夫、怒ってはいません。真相を知れてよかったです」


 私はにっこり笑った。


「逆に、私からお礼を言わせてください。だって、先生の魔法が切っ掛けになったんですもの。あれがなかったら、私、違ったルートをえらんでいたかもしれない。迷って、長い時間がかかったかも知れない。今考えると良かったと思います……だから、もう先生は大丈夫です。私に任せて」

「グロリアさん……?」


 再び歩き出した私に、セドリックとパリスが驚きの声を上げる。


「おいっ、グロリア嬢、近付くな、うかつに……!」

「グロリア先輩っ」


 構わずに歩く私に、ついにエドガーがゆるゆると首をあげた。のっそりとこちらに顔を向ける。赤い目が泣きそうに見えた。


 ――グロリア、それ以上は……。


「大丈夫。私に良い方法があるんです。お顔を下げて」


 ――しかし。


「お願い。愛しているわ、だから貴方を救いたいんです。ひとつだけ、良い方法があるの。とっておきが!」


 私は無理をして微笑む。

 エドガーはまだ私を見つめている。


「……信じて」


 私はじっと彼を見つめ、それから深く息を吸い込んで彼の方へ近付いた。エドガーも顔を低く下げてくれる。 

 それ以上は! と誰かが叫んでいる。でも無視する。

 

 私はそっとエドガーの顔に触れた。


 竜になったエドガーはすべてが大きかった。ウロコの一枚一枚が私の手のひらと同じくらい。触れた手に赤い光がまとわりつき、私はすぐに気分が悪くなった。たぶんこれが呪いの毒なんだ。

 でももう関係ない。逃げるという選択肢ルートはない。


 すっくと、決意した顔を上げる。


「王子、お願いがあります。私を……婚約破棄してください」


 急に言われて、さすがの竜も目を見張った。


 ――何を言い出す? 婚約破棄? なぜ、いまそんな……。


「いえ、言うとおりにしていただければいいのです。『グロリア・ヴィクトリア、そなたのこれまでの行為を断罪し、婚約を破棄する』と言うだけでいいです」


 竜は赤い目を潤ませ、大きな大きな息を吐いて首を振った。


 ――出来るわけがない! なぜ愛する君を!


「愛しているから、です。お願いです、その通りにして……それですべてが解決しますから」


 私は竜の顔に寄り添った。ウロコに頬を当て、そのゴツゴツした感触に微笑んだ。

 ふうっと息が漏れる。


 まあ、ポンコツの自分にしては、なかなか上出来のルートだったんじゃないかと思う。

 最初は断罪ルート狙いで、田舎に引退したくて、モヒカンまで被っていた私が……恋に落ちたあと、また、断罪ルートに戻る。

 こんなジェットコースター人生、そうそうはない。神様だってきっと手を叩いて喜ぶだろう。


「お願い。でなければこのまま、ここで死んでしまいます」


 ――君が望むのか!? それを! 婚約破棄を!


「ええ。……貴方を愛しているから。本当に愛しているから。あなたと私のために。急いで!」


 ダメ押しをする私にエドガーは少しだけ迷ったようだった。だが小さく震え、それから囁いた。


 ――それを、君が望むなら。

 ――グロリア・ヴィクトリア。そなたの行為を断罪し。

 ――婚約を破棄する。


 王子の口から告げられた言葉が最後の鐘のように脳内に響いた。それは勝利の鐘だ。

 くらくらと立っていられないほどの目眩がする。私はそれでも足を踏みしめ、微笑み、勝ち誇った気持ちで空を見た。


「神様! どうです、断罪されましたよ! ……そしてここは、離宮と、私の別荘がある場所。引退にはぴったりですよね!?」


『ああ』


 空の中央に神様が浮かぶ。すでに馬の姿を説き、先ほどからそっちにいるのは感じていた。皆が驚きの声を上げるのが聞こえたが、もう応えることはできない。

 ごめんね、セドリック、パリス、ユイカちゃんによろしく言っておいてね。


「私はここに住むことにしました。いや、こうして踏ん張っているし、少しの間、住んだと言えますよね。だから……見事、断罪ルートを、走りきったことに……なりますよね、これ……」


 ぐらりと身体が揺れる。そのまま竜の鼻先に寄りかかって、それから。

 

「さよなら、エドガー。私、貴方を愛せて幸せでした……」


 私は崩れるように地面に倒れ、そのまま死亡した。



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