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44.幸福な夜(2)


「え、エドガー、どうしたんですか、急に……」

「ああ、すまない、唐突だったな」


 エドガーは優しく笑うと私を抱き寄せた。


「さきほど、父上と話してきたんだ。結婚式を早めようと。出来れば来月……いや、来週くらいには挙げたい」

「来週!?」


 あまりに急なことに驚いた。いや、そもそも結婚するために婚約しているんだけれど、それは半年後だと聞いている。会場やドレスの準備もそこを目指して進めていたから……突然のことに驚いてしまった。


「……理由を聞いても?」


 エドガーは一瞬、切ない目をして、それからゆっくりと睫毛を伏せた。


「私のワガママだ。君と早く夫婦になりたいと思った。それ以上のことはない。……おいで、グロリア」


 エドガーはソファに座ると私を引き寄せ、膝の上に座らせた。なんだか恥ずかしい。でも嬉しくて、そして不安だ。

 言い出せないまま、彼の顔をすぐ下に見下ろす。


「……10年前。君と出会ったときのことを覚えてはいないだろう? なにしろ8歳だし」

「エドガーと出会ったとき、ですか。少しだけなら」


 そう、あれは8歳になる少し前。確か、家族で湖沼地方の別荘に遊びに行った時だった。

 記憶は曖昧だが、たしか近くに王家の離宮があったのを覚えている。お父様と共にそこを訪問して、大人達が話している間に勝手に冒険に出かけた。花壇で庭師のおじさんが草むしりをしていたので混ぜてもらった覚えがある。

 楽しく草むしりをして、それからお父様を探して……いつの間にか離宮の中に迷い込んでしまった。


「あの頃の私は病弱で、環境の良い離宮で療養されている時期があった。寝ている場所に君が入ってきたとき、本当に驚いたものだ。母が死んで間もなく、心の荒れた私に近付く者は少なかったから。だからこそ、君の来訪に驚き、そして、嬉しかった」


 こちらの手を握り、エドガーは熱っぽく見つめた。


「……その時、君が言ったんだ。あなたを置いてはいけない、私が助ける、と。その言葉のなんと嬉しかったことだろう。初めて、この人と一緒にいたい、と思ったんだ。母以外でそう思ったのは初めてだった」

「そうだったんですか」

「婚約の年齢も近付いて、誰かを婚約者に選ばなければならないとも聞かされていた。そこで、君の名前を挙げた。神の思し召しで……どうやら父も君のことを夢に見たと言っていた。私の話を覚えていたんだろうな」

「エドガーが私の名前を挙げてくれたんですか……!」

「表向きは私の父が推したことになっているけれどね。だって母親を失ってすぐの少年が少女を見初めたなど……良い話ではないだろう」


 私は深い息をついた。父上も、陛下もそれは言っていなかった。エドガーはそんなに前から私のことを思ってくれていたのか。

 でもそれからの態度は……。


「私はてっきり、エドガーには嫌われているのだと思っていました」

「そこは申し訳なかった。以前も言ったが、少し見えずらかった時期があってね。君を見つめているつもりが、つい、睨んでいたのだろう。君に言われてようやく気付いたよ」


 それよりも、とエドガーは深い息をつく。

 

「なにより……私は臆病だったんだ。君を傷つけず、幸せにできるのか分からなかったし、深く愛しすぎるのを恐れていた。母のように失うのを恐れていたんだ」

 

 言われてみればすべて納得する。睨まれていたのも、その割に触れあえば優しかったのも……すべて、揺れ動く彼の心のせいだったのか。

 端整な顔は悲しげで、真摯なほどに感情を伝えてくる。ようやくエドガーの本心が分かり、私は心の底から息をついた。


 深く納得する一方で、だが、まだしっくりとしない部分がある。何かが欠けている。


 そもそも、どうして視力は治ったのか。

 あの赤い光は何か。

 そういえば、8歳の時にも、彼の手から赤い光を見ている……あれは一体。


 尋ねようとして、でも言葉が出なくて。

 ――そうして聞いたところでどうする? 真相が恐ろしいものだったら?

 そしてこの関係が壊れてしまったら?


 心が急に冷えていくのを感じた。怖さが沸き上がってくる。

 耳の底に聞こえるのは神様の言葉。


 ……幸せって壊れやすいからさ。楽しんでおきなよ……。


 前世ではこんな恐れ、知らなかった。日々暮らしでも、たとえ死ぬときでさえ、こんな風に怖くなかった。幸せではなかったから。


 でも今は怖い。

 本当に、心の底から幸せなはずなのに。


 手に入れた幸せが壊れてしまうのが怖い……。


「すまない、グロリア。急なことで君も戸惑っているだろう。でも」


 言いかけたエドガーを、私はぎゅっと抱きしめた。自分からこうしたのは初めてだった。


「怖いんです、エドガー。……幸せなのが、怖い」

「グロリア……」


 エドガーが頬を撫で、それからキスをしてくれる。甘い、宥めるようなキスは唇を啄み、ゆっくりとこちらを慈しんでくれる。


「不安にさせてしまったな。でも大丈夫、私はただ、君を愛しているだけだから。それを絶対の真実として、信頼してほしい。結婚式はもう少し、相談して詰めていこう。君の不安を取り除くのが一番だから」

「いえ、大丈夫です。あなたが望むなら、すぐにでも進めていただいて」

「本当に?」

「ええ……私もあなたを愛しているから」


 ありがとう、と笑う、その顔が本当に愛おしい。


「明日から、少し急いで進めさせてもらう。大丈夫、私に任せて。心から愛しているよ、グロリア」


 互いに頷き、見つめ合い、私たちはもう一度、優しくてもどかしい口づけを交わした。


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