39.海辺のバカンス 運命の道(1)
青い空、遠い水平線。
ぽっかりと浮かんだ雲は白い綿のよう。
暑いけれど空気は爽やかで、寄せては返す波の音が静かに聞こえて……。
「海はいいなあ-」
私は心の底からリラックスして息をついた。
その向こうからはしゃいだ声が響く。
「グロリア! 見てくれ! オオツノカジキを釣ったぞ!」
見れば、向こうの岸壁の上でエドガーと数名がデッカい魚を掲げている。すごい。虹色のカジキマグロだ。この世界ではこの辺でそんなカジキが釣れるのか。
それよりエドガーの笑顔にほっこりした。
あんな風に、子供みたいに笑うようになったんだなあ……。
「見てくださいグロリア嬢! 大ツボエビが捕れましたよ!」
反対側で声を上げたのは……セドリックだ。
両手にデッカいエビを掴んではしゃいでいる。あ、挟まれた。
大騒ぎして痛がっている姿がなんとも牧歌的だ。いや本人は痛そうだけど……なんというか、小学生の夏休みっぽいというか。
「エドガー王子もセドリック王子も、張り切ってますねえ」
ガーデンテーブルの向こう側に座ったフランチェスカがのどかに言う。今日はメイド服を脱ぎ、軽いサマーワンピースを纏っている。レディーズメイドだから小旅行にも着いてくるのは当然だが、今は少しの間、お手伝いを休んで相手をしてほしいとお願いしたのだ。なにしろこんなに素敵な夏の午後である。
「元気なのは良いことだけどね。エドガーはこの3日間、ずっと張り切りすぎで……ちょっと心配よ」
同じく、白いワンピースを纏った私が応じる。夏の午後、パラソルの日陰は暑さとだるさが丁度良い。テーブルの上でアイスティの氷がカランと音を立てた。
8月の終わり。私たちは予定通りセイレーン市を訪れていた。
今日はすでに3日目。午前までのうちに市長や市場の関係者を訪問しておいたから、午後はつかの間の休息を楽しんでいる。昨日までは歓迎会だの懇親会だのが目白押しで本当に忙しかった。この後には慈善院でのアットホームなパーティもあり、バカンス本番という感じがした。
予定外だったのは今日の朝、セドリックが合流したことだ。
しかもエドガーの希望で。
こんな風に兄弟水入らずで遊んだことはほとんどなかったらしい。確かに、王族は忙しいし、護衛だのなんだの自由も少ないもんね。セドリックも呼んでいいだろうか、と聞かれた私はもちろん二つ返事でOKした。兄弟の仲が良いのは私も嬉しい。
そもそもセイレーンは隣町なので首都から近い。セドリックは早朝に馬を飛ばし、1時間ほどで着いたという。
「セイレーン風レモンパイをお持ちしました。アイスティのおかわりもいかがです?」
初老の男性がパイとお茶を持ってきてくれた。白髪を撫でつけた上品なこのおじさんはモーリスさん。元宮廷料理人で、いまはすぐそこの、海辺の大きな白い建物でレストランを経営している。慈善事業にもよく協力してくれるので私も前から知っている人だった。
「うわあ、綺麗なパイ!」
取り分けられたパイを見て私とフランチェスカが歓声を上げる。
三角のパイ生地の上には七色のムース、その上にレモンのジャムがとろりとかけられていた。トップに飾られたミント、それに散らした銀のアラザンがなんとも涼しげだ。ここにスマホがあったら激写していただろう。
「いただきます! ……んー、冷たい!」
「思ったよりヒヤッとしてますねえ」
「ははは、先ほどまで魔法冷凍庫でキンキンに冷やしておきましたから、この夏日にはぴったりでしょう」
私たちにお茶を注ぎ、それからモーリスさんは目を細めてエドガー達を見た。
「あのご兄弟も……大きくなられましたね」
「モーリスさん、小さい頃の二人をご存知なのですか? あっ、料理人だったから?」
「ええ、ちょうど料理長を務めていた頃……エドガー王子が12歳のころですか」
モーリスさんはにこやかに笑って、それからちょっとだけ視線を伏せた。
「あの頃、王妃様が病気で亡くなられて、エドガー様はとても落ち込んでおられて。セドリック様は泣いてばかりでしたね。おかわいそうでした」
私はごくんとパイの欠片を飲み込んだ。その頃の私は8歳、記憶は断片的だ。
たしか病弱だった王妃様が亡くなり、国葬が行われて、その後に私はエドガーと初めて会った。湖畔にある国王様の別荘に招かれ、そこで熱にうなされる男の子を見つけて……。
「いやあ、いっぱい捕れましたよ!」
頭まで水で濡れたセドリックが歩いてくる。今日はさすがに軍服ではなく、半袖に半ズボンという気軽な格好をしていた。後ろに着いてくる従者のカゴはエビでいっぱいだ。
「大漁ですね、セドリック王子。お疲れ様、レモンパイを先に頂いてます……あれ、エドガーは?」
「兄上はもう少し、魚を捕ってくるそうです。はあ、疲れた」
注がれたアイスティを一気に飲み干し、セドリックはもう一度、大きな息をついた。
「兄上は体力があるなあ! あんなに元気だったのか。もっと病弱で、体力のない印象だったが」
「昔はよく熱を出されていましたな。熱冷ましと喉を滑らかにするコロートルのシロップを量産した覚えがあります」
「そうそう、モーリス氏特製のあの甘まずいシロップ……あ、失礼」
「いえ、構いませんよ」
モーリスさんがクスクスと笑う。セドリックは気まずい様子で視線を巡らせ、エドガーの方を見た。
「……そう、あの頃はあまり良い思い出が無かった。お母様が亡くなり、兄上は『自分のせいだ』と強く思い込んでいて。熱を出したのもそのせいが大きかったのではないか」
「自分のせい?」
尋ねた私にセドリックは重く頷いた。
「そうだ。お母様は元々病弱で、あまりベッドから起きられる生活では無かったのだが……兄上はなぜか、その理由を自分のせいだと言っていた。自分の身体から『呪い』が染みだしているせいだと」
「何ですか、呪いって?」
「兄上の幻なんだ。そんなもの、ありはしない。母上を亡くしたのが悲しくて、納得できる理由を求めただけだ。実際、父上も誰もそんなものは見ていないのだからな」
カップの中の氷まで噛み砕き、セドリックは表情を改めた。
「おそらく兄上も分かっていたんだろうと思う。でもそれを乗り越えるのが難しかった……だから最近まで、あんな風に無愛想だったんだ。でも彼は変わった。グロリア嬢、あなたのおかげだ」
「私の!?」
いきなり言われてビックリした。だがセドリックは真顔だった。
「あなたが一瞬、おかしな格好をしたり、ハチャメチャな行動をしたのを私は怒った。頭を打ったせいもあるが、もしかしたら婚約を破棄したいのではないかと疑ったのだ。だが……舞踏会での、はっきりとした宣言を見て考えが変わった。あの行動は兄上を元気づけようとしてくれたのだろう?」
「あ、ええと……あはは、まあ、そういう感じで……」
私はなんとも言えない表情で明後日の方を向く。
まあ、そういうことにしておいたほうがいいかも……脳内の黒猫はジト目で睨んでいるけど。
「思い返してみれば10年間、あなたはつかず離れず、優しく、ずっと兄を見ていてくれた。兄上の中でかけがえのない人になっていったのは必然だ。……これからもどうぞ、宜しくお願いします」
そんな風に改めて言われるなんて思ってもいなかった。そもそも彼にはツンツンされていたから、こんなに評価してくれるなんて意外だ。
それもこれも『グロリア』が10年間頑張ってきた成果なのかな。
しみじみと心に染みるものを感じて私は小さく微笑んだ。
「ありがとうございます、セドリック王子。お兄様想いなんですね」
「……べ、べつに兄弟なら当然のことで……」
彼は顔を真っ赤にする。基本的なツンデレは変わっていないようだ。かわいい。
「話が弾んでいるようだな」
顔を上げると向こうからエドガーが歩いてくるのが見えた。やはり頭からびっしょりで、濡れてかきあげた金髪が太陽に煌めく。はあ、と私は溜息をついてしまう。今日も最高にイケメンだ。




