30.運命の日(5)
黒猫は座っているだけ。目を細めてこちらを見ている。
そうだ、私……こんなことしている場合じゃ……ないのでは……。
リズムと共にゆっくりと思考が戻ってくる。だが音楽が止まり、足が止まってもまだ世界はぼやけていた。本当に、自分はどうしたんだろう。シャンパンに酔ってしまったのだろうか。
「グロリア、どうした?」
「す、少し、酔ってしまったみたいで……」
「大丈夫か?」
ぐらりと視界が揺らぎ、王子の腕に取りすがる。彼は私の腰を抱くと急いで広間を出、休憩の為に用意されている廊下の長椅子へと向かった。
ソファに腰を落としても私の頭は混乱していた。ぼやけた理性とはっきりした感情がまだらになっている。王子と共に居られるのは嬉しい。でも、これはダメでは……?
私を座らせ、王子は走ってきた侍従に水を持ってくるよう言いつけた。
「どうだ、具合は?」
「大丈夫です。気分も落ち着いてきました」
「そうか」
ホッとした様子でエドガー王子は私の隣に座る。じいっとこちらを見る目が赤くて大きくてとても綺麗だ。揺らめく色合いがまるで炎みたい。その中にある感情は、いままで見たことがないほど、真っ直ぐで、真剣で、熱っぽかった。
「グロリア、よく聞いて欲しい。先ほどの君の気持ち、本当に嬉しかった。気持ちを表わすのが一瞬遅れたのは私の迷いのせいだ。けれど、それも君の言葉によって完全に消え去った」
「弱さ?」
「ああ。私は君と最初の婚約関係になってから、まだ不安があった。私は君を安全に……幸せにできるのか。自信はあったが、君にはひとつの傷も付けたくなかったからだ。その他にもいろいろな不安が私の心を苛んでいたんだ……」
ひとつひとつの言葉が真剣で、まっすぐに胸に染みる。王子は両手で私の手を包み込むと、その爪先に軽くキスをした。びくんと身体が震えてしまう。まるで魔法が解けたみたいに急に思考が戻ってくる。
えっと、あの……ここは、私は、この状況は……。
そうだ、断罪。断罪は……?
急速に冷えた頭に、もしかして、と恐ろしい疑惑が浮かぶ。
いや、それはたぶんほとんど事実で。
……もしかして私、正式に婚約ルートに乗ってしまった!?
「だが君の言葉で、君の気持ちをはっきりと聞いたことによってその迷いも消え去った。私たちがお互いに求め合っていたこと、それが私に強さを与えてくれた」
誇らしげに言い、王子は清々しい表情で私をまっすぐに見つめた。
「私は君に改めて誓おう、グロリア。君を尊重し、愛し続ける。この生涯の終わりまで……私の命を賭けて」
王子の手が私の頬を押さえ、彼の顔が、息を感じるほどに近付く。
赤い目。白磁のような肌。薄く赤い唇。
窓の外にはいくつかの花火が上がって、王子の瞳にそれが映って……。
「愛している、グロリア。昔からずっと……未来も」
王子の唇が私と重なり、軽く、啄むようにこちらを含んだ。
温かくて、しっとりして。シャンパンの軽い甘さを感じる。
わずかにそうしたあと、王子はそっと顔を離した。
「私の妻となる人。君と出会えたことを嬉しく思う。10年間、側にいてくれてありがとう」
そうして浮かんだ微笑のまぶしさ。
私は目をまん丸に、頭を真っ白に、そして顔だけを真っ赤に染めながら脳内で叫びを上げた。
ど、どうして、どうして、どうしてこうなったーーーーーーーッ!
私の雄叫びを祝福するかのように、窓の向こうにもうひとつ、花火が打ち上がった。




