27.運命の日(2)
ひとり、廊下を歩きながら溜息をつく。
あの雨の日から今日まで、私は悩みに悩んだ。食事のときも、散歩の時も、トイレのときだってずっと悩んでいた。便秘になった。
そうして私が選んだ道、それが『断罪ルート』だった。
選んだ、と言えば聞こえはいい。
ご褒美が欲しい、王妃とか似合わない、王族の立場なんて恐れ多い、怖いなど、理由はいろいろある。
でも本当の理由は違う。
不安だ。
相手の気持ち、自分の気持ち。そして……予想外の恋への不安から、私は逃げ出すのだ。
王子が私を好きなのか、どうか。
あの好意的な行為が、果たしてどんな意味を持っていたのか。なかったのか。
何度考えても答えは出ない。それはそうだ、本人じゃないんだから。でもその不安は私を悩ませるには十分だった。
そして私は逃げるように、断罪ルートを選んでいた。
前向きに頑張ってきた私だけど、この不安は凄かった。こんなに不安になったことがないだろうってくらい。これが1ヶ月も続いたらきっとハゲていたはずだ。
逆に言えば、それだけ王子に心を奪われたんだと思う。もし相手から好かれていなかったら立ち直れないほどに。
だから突き落とされる(かもしれない)前に、別ルートへ逃げ出す。
もうとっくに自分の心に結論は出ているんだ……。
前世でも報われなくて、この世界でも報われない。そんなのは嫌だ。
だったら、自分で別ルートを選んだ方が良い。そうすれば決定的な衝撃を避けられる。
自分で考えていても溜息が出る。私、やっぱりちょっとポンコツだわ。他の事は頑張れるけど、恋愛が絡むとちょっと無理みたい。弱っちいというか、逃げ腰というか。まあもともと断罪ルート走る為に転生してるし。いままでで十分、黒猫の神様は満足させたでしょ。
それでも自分なりにルートを選んだらホッとした。これでもう悩まなくても良い。モヤモヤしなくてもいいし、好かれているかどうか心配する必要も無い。これ以上傷つくことはない。
カツカツと、私は自分の荷物が置いてある部屋に向かって歩いて行く。
そこには徹夜で作った『世紀末風ドレス』と『モヒカン二号』が置いてある。
いまからそれに着替えて登場すればちょうど6時。大広間に入場する時間だ。
その格好で堂々と入り、驚かれ、嘲笑され、精神を心配されたところで婚約破棄を申し出よう。未来の王妃になる重圧からの精神の病気うん、それでいい。
そう言い聞かせていたとき。
「おや、ヴィクトリアさん、どうなさいました?」
聞き慣れた声がした。
私が顔を上げると、真っ直ぐな廊下の先にクロムウェル先生が立っていた。
今日は先生もきちんと正装を着ている。長い髪を束ねているのは変わらず、黒い燕尾服に白い手袋、襟元にはタイを巻いていた。胸ポケットに挿した黒い花はアムネリスだろうか? こんなに色の種類を見たことはなかったので一瞬、驚いた。
「今日の主役がこんなところで歩いていてはいけませんよ。そろそろ舞踏会も始まりますが」
「す、少し落ち着きたくて」
私はソワソワと長手袋をした指を組み合わせる。先生は片眼鏡を指で押し上げ、私をじっと見つめた。
「……まだ、迷われているようですね?」
ぎくり。
先生の片眼鏡がこちらを見透かすように白く輝く。
「あなたは優しい。しかしそれは心の弱さと表裏一体です。おまじないは効きませんでしたか?」
「ええ、効いたと思うのですが、やはり……王子の隣に立つのは自分ではない気がして」
精一杯の声で言うと、先生は困ったような溜息をついた。
「仕方ありません……グロリアさん、あなたは意外と困った生徒でしたね」
かつ、かつ、と音を立ててゆっくりと先生が近付いてくる。廊下は薄暗く、表情が余り良く見えない。私は思わず一歩後ずさり掛けて……できなかった。足が動かない!?
「か、身体が……!」
その間にも先生がすぐ前にやってくる。私を見下ろす先生の瞳は氷のようだった。
そのまま、先生はこちらの顎に手を添え、上を向かせる。じっと見つめる視線が抉るように心へ食い込んだ。
「ふむ、まだ感情を妨げるものがありますね。あなたの感情は決まっているのに、それをねじ曲げようとする理性がある……私が取り除いてあげましょう。自分に素直に、グロリア」
続けて、薄い唇が何かを呟く。なんだろう、この国の言葉ではない。私の手の甲がじんわりと温かくなった。怖い、でも目を瞬かせることしかできない。
「怖がることはありません。いま、追加のおまじないをしています。ほら、体も心もほぐれてきたでしょう?」
先生の声はあくまで穏やかで、静かだ。次第に手の温かさは体と心を包んでいく。いや、心というよりは頭だろうか。怖かった気持ちがあっという間に溶け、ふわふわ温かく、そして軽くなる。
なんだか不思議な気分。ぼんやりして、自分の心と体が離れるような気がして……。
クロムウェル先生が微笑む。
「あなたは王子の婚約者であり、その立場を変えることはできない。王子の側で彼を支え、心を安定させるのが役目です。いいですね?」
授業のとき、新しい知識を教えてくれるような声だ。私はぼんやりとした頭で頷く。
「……はい、私は王子の婚約者です。彼の心を安定させます……」
「素直で良い答えです。さあ、もう大丈夫。すぐに控え室にお戻りなさい。直に舞踏会も始まります。
「はい……」
私は夢を見ているような足取りでくるりと踵を返し、元来た廊下を戻っていく。頭が上手く働かない。でも体は勝手に、素直に動いていく。おかしな感覚だ。まるで理性を取り除かれて、操られているみたいに……。
そこには不思議な満足感があった。現状を受け入れる、それしか考えられなかった。
「グロリア、王子を助けるのは貴方しかいないのです。そしてあなたの心にも確かに彼を思う気持ちがある……それを忘れないでください」
先生の声が背後から、切ない呪いのように追いかけてきた。




