24.雨降ってさらに人生はぬかるむ
「……ロリア、グロリア! しっかり!」
「むにゃ」
ぼんやりと目を開き、すぐに震え上がった。
「さむっ、寒い……」
「大丈夫か!? これを!」
ガタガタと震える私に上着を掛けてくれる。あ、暖かい。着ていた人の温もりが伝わってホッとする。おまけにすごくイイにおいだ。誰だろう、素敵な匂い……。
「ありがとうございます、レアアイテム配布ありがとうございます……」
「何を言っている!? しっかりしろ、グロリア!」
揺さぶられ、次第に意識がはっきりしてくる。この声……黒い上着!
ガバッと顔を上げるとすぐ前に超絶美形が。
「ひいっ、王子! ありがとうございますっ!」
「それは分かったから、どこか怪我はないか? 具合の悪いところは!?」
王子は手際よく私の手を上げたり足を持ち上げたりしていたが、やがて大きな安堵の息を吐いた。
「どこにも出血はないようだな。他に痛むところはないか?」
「だ、大丈夫です。ちょっと転んで、泥だらけなだけで……」
「転んだのか。足の汚れもそれか?」
返事をしつつもまだ夢を見ているようだ。
だってあの王子が、あの無愛想な王子が甲斐甲斐しくこんなこと……!
膝を摩られた私は、いてっ、と色気のない声を上げた。
「いたた、そこ痛いです……」
「痣になっているな。打撲かもしれない。……失礼する」
声と同時に王子は私をひょいと抱き上げた。
だ、抱き上げられたーーーーーッ!
「お、お、王子、大丈夫ですよ歩けます!」
「そんな格好で何を言う。大丈夫だ、任せておけ」
王子の胸板は意外としっかりしている。細く見えて筋肉も付いてるから、抱えて歩かれても不安定さがない。私は顔を真っ赤にしながら為すがままに任せていた。こんなこと初めてだ。お姫様みたいだ……。
木陰から出ると雨はすでに止んでいた。あたりは暗いが、こうして見れば校舎の明かりが森のすぐ向こうに見える。なんだ、本当に近くで迷っただけだったんだ。なんだかアホすぎて恥ずかしくなった。
というか、王子、わざわざ私を助けに来てくれたの…?
「なぜ道に迷った? こんな雨だし、クロムウェル先生の部屋で待てばよかったのでは?」
「今日の午前に流浪民さんを助けたんですけど、その書類の提出が5時までだったので……」
「明日に先延ばしはできなかったのか?」
「いえ、提出が早ければ早いほど、慈善支度金が下りるのが早くなりますし」
王子が溜息をついた。呆れられたかな。
「君は優しい。とても優しい……けれど、自分の体を大事にして欲しい。それが周囲に対しての優しさだ」
「あ、ありがとう、ございます……」
私はびっくりして王子を見上げた。そんな優しいこと、前世では言われたことがなかった。
王子は私をひたりと見つめ、ぎゅうっと抱きしめる。
「……どこかに行ってしまったらどうしようかと思った。大切な君が大怪我でもしたら、私は……」
うわわーーーーーッ。頭が真っ赤になる!
突然の推し摂取……量が多い……どうしたらいいのか……。
王子は私を抱え込み離そうとしない。手の温もり、腕の確かさ。
ダンスの時よりも密着していて緊張に体が強張っちゃう。
でも、心の底から嬉しさがこみ上げてくるのも事実だ。
私のために来てくれたのも嬉しいし、優しい言葉も嬉しい。それに王子とこうしてまともに話せるのって、記憶を取り戻してから初めてじゃない?
「本当にありがとうございます。お手数をおかけして申し訳ないです。でも、その……こうして王子とお話出来るのは嬉しいです!」
おっ、ダンスの時よりはきちんと言えたぞ。やれば出来るじゃないの自分。
王子は一瞬、赤い目を潤ませたが、すぐにそれを優しく細めた。
「君は私の光だ、グロリア。私もいつでも話をしたいし、ずっとこうしていたいと思っている。でも、出来ない理由も……あるのだ。迷う私を赦して欲しい」
長く答えてくれてびっくりした。心境の変化だろうか。
王子の表情は弱く、声は少し苦しげだ。見ているこちらまで切なくなってくる。
それよりも、理由ってなんだろう。忙しいから、とかそういうことだろうか。この国は王妃様が早くに亡くなられたので、エドガー王子が王の片腕として忙しく政務をこなしていているのだ。
いや。そもそもなんでこんな急に王子の態度が変わったんだろう。
変わったというより……隠していたものを出した、みたいな。
そういえば先生に言われたっけ。相手の気持ちを確かめ、自分の気持ちを伝えるのが大事だって。
す、少し、歩み寄ってみよう……かな……。
ほわほわ、どきどきした気持ちのまま私は顔を上げた。
「王子、わたし……」
言いかけて、脳内の黒猫に引き留められる。分かってる?
うん、わかる。そうだよね、断罪だよね……! でも……!
王子が顔を寄せ、それから囁いた。
「こんなに苦しく君を愛する私を、許してくれ……」
えっ。
いま、いまなんて言った、いま……!?!?
「あっ、王子! ヴィクトリアさんも!」
玄関の手前で学長の声がした。小太りの体がぽてぽてと走ってくる。後ろには他の先生たち、中にはクロムウェル先生もいた。
「よかった! 見つかったんですね! 本当に……心配しましたよ!」
「す、すみません、雷雨で道に迷ってしまって」
「私がお送りすれば良かったんですよ、本当に申し訳ない」
クロムウェル先生が平謝りする。私は慌てて首を振った。
「いえ、ドジな私が悪かったので、先生は悪くありません。傘ありがとうございました。汚しちゃってすみません。洗って返しますから」
先生は一瞬、泣き出しそうな顔をしたが、すぐに大人の表情に戻って小さく俯いた。
「傘なんて、いいんですよ……すみません。貴方が無事でよかった」
「うわあん、お嬢様! グロリア様ぁ!」
向こうからすごいスピードで走ってくるのはフランチェスカだ。すごい、足が速い。
「よかった! 前回といい、今回といい、ほんとにほんとに心配させないでください!心臓が止まりそうでしたよ……!」
「ごめんね、心配かけて。迷うつもりはなかったんだけど」
「山で遭難する人はみんなそう言うんですよ!!!」
半ギレで泣いているフランチェスカが可愛いやら怖いやら。自分より年下の子に心配を掛けるなんて申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「膝を痛めているようなので、保健室へ連れて行く。ついてきてくれ」
「は、はい!」
王子に言われ、フランチェスカが背後へ回り……。
そこではたと、私は王子に抱えられたままだということに気付く。
「あ、あの、下ろしてください、歩けますから……」
「だめだ、足を痛めているんだぞ。保健室まで行く」
「あと書類が……」
「明日でも間に合う。いまは自分のことを考えろ」
ぴしゃりと言われて身を竦める。怒らせてしまったかな。
「……いや、すまない。本当に、君には自分自身のことも考えて欲しいんだ」
うわ、王子優しい……その優しい表情をスチルにしたい……。
大事にしてもらってる、それだけでもう胸がいっぱいになりそう。嬉しい。
でも嬉しいはずなのに胸が痛くなる。
いや、だめだな、こんなの。
こんなの長く続いてたら、本当に王子が好きになってしまう。いやいや、断罪あるし……でも……。
校内に入り、保健室の前に立つと王子は、じい、と私を見つめた。やっぱり視線は鋭い。
だがそれから、彼は優しく微笑んだ。
「こうして近くだと、君がよく見える。目を細める必要がない」
慌てて目を上げると、王子の赤い瞳に微かな揺らめきが見えた。もしかして王子、目が……!?
「あらまあ、ヴィクトリアさん! どうなさったの、こんな遅くに!」
保健室から校医の先生が出てくる。もうお祖母ちゃんの年齢に近い優しい先生だ。
「お帰りの間際にすみません、先生。先ほどの雨でヴィクトリア嬢が転んでしまって。膝を痛めたようなので、見ていただけませんか」
「あら大変! 中にお入りください」
先生がドアを大きく開けてくれる。王子は保健室の中に入ると、白いベッドの上にそっと私を下ろした。
「……すまないが、私は王宮に戻らねばならない。よく見てもらって、結果は王宮まで伝言鳥を飛ばして欲しい。遅くなってもいいから」
「分かりました。ほんとうにいろいろありがとうございます」
お礼を言って彼を見上げる。彼も私を見つめる。
額にキスが落とされたのはその時だ。
「君を助けられてよかった。私も自分の心を……再確認できた。次は、舞踏会で」
触れたのは一瞬、すぐに王子は身を翻した。先生に一礼し、固い歩調で部屋を出て行く。私はその背中を見送った。顔が赤い。心臓はまだドキドキしている。当たり前だ。こんな短い時間にいろいろあって……どれから考えて良いのか。
「エドガー王子って、本当に素敵な方ですね! さっきも、私がお嬢様のことを訴えたら血相変えて飛び出していって。『必ず連れ戻してくるから』って。ご結婚なさったらきっとお嬢様を大事に大事にしてくださいますわ」
「そ、そうね」
フランチェスカの声に私は急いで頷いた。
結婚したら、か……。
「それでは足を拝見しますね」
先生の声もどこか遠くに聞こえる。私はすべてが上の空で王子の出て行ったドアを見つめていた。




