22.エドガー王子の焦燥
エドガーは顔を上げた。
呼ばれた気がしたのだ。
「……どうなされました、エドガー王子」
学長の声に、いや、と答えて視線を下ろす。
グロリアの声がしたように思えたが、気のせいだったか。
第1校舎の玄関ホールには学長や理事が見送りに来ている。ダンスも終わり、学院で今後の運営を確認して、帰ろうとしたところだった。窓の外は雨が降り続き、雷の音が窓ガラスを震わせていた。にわか雨かと思ったがまだ続きそうだ。
「次にお会いするのは週末の舞踏会ですな。楽しみにしております。……なにしろ我が学院のヴィクトリア嬢と王子との、正式な婚約式になりますからな。我々も嬉しいのですよ」
校長が、それ以外の教諭たちも笑う。ああ、と頷いてエドガーは複雑な表情を浮かべた。衰えた視力ではすでに人の顔も曖昧だ。そう告げたら、皆はどんな顔をするだろう。
おまけにグロリアとの婚約も、迷っているのだと言ったら。
グロリア・ヴィクトリア……大切な婚約者。
今日のグロリアも美しかった。いつも花のような彼女だが、今日のドレス、髪型は最高だった。古き神々の愛でた天上の花、雲間に咲き誇る一輪の花。すらりとした腰は細く、結い上げた髪は銀色に輝き、抱き寄せたときの初々しさ、いじらしさは森の妖精の姫君か。踊るときの手のしなやかさ、抱きしめたときの温もり。うなじから香る素晴らしい薫りが彼女の……。
「王子、どうなさいました? 王子」
ハッとしてエドガーは眉間にシワを寄せる。
いけない。グロリアのことを考え出すと止まらない。
私は王子なのだし、自重しなければ。いつものように表情をわざと無愛想にして、何でも無い、と厳かに答えた。
「それではまた、週末に……おや、騒がしいですな」
ホールの向こう、学生事務室のあたりから騒ぎが聞こえてくる。それが収まる前に、小さな人影がばたばたと走ってきた。護衛達が咄嗟にエドガーの前に立ちはだかる。
「すみません、あたし、フランチェスカって言います! グロリアお嬢様のレディーズ・メイドで……あ、エドガー王子!あたしです、フランです!」
そばかすの肌にお団子の髪、ヴィクトリア家のメイドの服を着ている。それは確かに見覚えのある少女だった。エドガーは片手を上げて護衛を下がらせた。嫌な予感がする。
「あのっ、グロリアお嬢様、こちらにいらっしゃいませんか!?」
「どういうことだ? もうダンスも昼食もとっくに……」
「お嬢様、まだ馬車にお戻りになられていないんです! 午後4時には馬車に戻られるって伝言鳥が着て、お迎えに上がったのですが、教務員室の方も分からないって……お嬢様がこんなに遅れること、今までないんです!」
必死に訴える手には小さな紙の鳥が握られている。生活魔法のひとつ、言づてを伝える紙の使い魔『伝言鳥』だ。そこには確かにグロリアの書名で、4時に来て、と書かれていた。
皆が顔を見合わせる中、校長が懐中時計を見て眉をしかめる。
「今はもう5時に近い時間です。いったいどこへ……」
その向こう、教務員室の方から走ってくる影があった。
「グロリアさんがまだ戻らないというのは本当ですか!?」
「クロムウェル先生……! どこでお聞きに?」
はあ、と息をついたのは灰色の髪をした史学教諭クロムウェルだった。
「さっきそこのお嬢さんが教務員室に来られたそうで、研究棟に連絡がきました。私は3時過ぎまで彼女の相談を受けていたんです!」
「その後は?」
「雨が降っていたので送っていくと言ったのですが、彼女は近いしひとりで戻られると……」
「なんと……」
愕然とする校長を横目に、エドガーはクロムウェルの方を見た。
「学校の魔方陣に異常があったわけではないのですね?」
「ええ、雷で少し不安定ではありますが、許可された者以外の侵入者はありません。おそらくは純粋に迷子かと。慣れ親しんだ道だからと慢心せず、私がお送りすればよかった……」
「いえ、先生のせいではありません。少なくとも、外部の者に襲われた、という事態ではないのですから」
エドガー自身もそれは感じている。何かあれば自分の『感覚』に引っかかってくるはず。それがないということは少なくとも事件性はない。
とはいえこの天気だし、夜も近付いている。早く迎えに行かねば。
『力』を使うか……。
ならば自分は1人きりになる必要がある。エドガーは護衛の方を向いた。
「お前達は研究棟の東を探せ。一人は正門、もう一人は裏門と馬車留めだ。先生方は念のため学内と、研究棟への声がけをお願いします。私は先に森へと向かいますから、終わった方から順次、森へと来てください」
「王子も探されるというのですか!? 近衛兵か、少なくとも王都警備隊に連絡すれば、すぐに……」
「その必要はない。私の婚約者だ。すぐに見つける」
エドガーの静かな剣幕に校長達は口を噤んだ。
そう、すぐに見つかるのだ。しかしその原理を説明することはできない。エドガーは外套のボタンを留めてから軍帽をきちんと被った。
「では頼んだぞ。終わった者から森の方へ。フランチェスカ、君は教務員室で待っていなさい。御者にも待つように伝えて」
「分かりました……あの、王子、絶対お嬢様を、グロリア様を、どうか……」
エドガーは安心させるように少しだけ笑う。
「……大丈夫。私が必ずグロリアを連れてくるから」
ほう、とフランチェスカが頬を赤くする。エドガーは身を翻し、軍靴を慣して走り出した。グロリア、と脳内の姿に呼びかける。無事でいてくれ。すぐ、すぐに見つけ出してやる。
校舎の外は土砂降りの雨だった。なるほどこれでは目視で探すのは難しい。
左手を握りしめ、我知らず心に呟く。
呪いよ、力を示せ。
手袋の下が熱くなり、赤い光が漏れ出す。左手で押さえても光は収まらない。
急に感覚が鋭くなり、森のすべてが視覚として脳内に流れ込んできた。
遠くの木の葉、隠れた動物の動き、流れていく雨だれの行き先。
彼女の姿はすぐに見えた。校舎の向こう、森の奥へしばらく行ったあたりか。木に寄りかかって……うなだれているのか、眠っているのか。
美しい顔が汚れているのにドキリとしたが、良く見れば血ではなく泥だったので安心した。足も身体も泥だらけ、転んだのかもしれない。怪我をしている様子はないが、この気温だ。すぐに助けないと。
頭にズキンと痛みが走った。左腕が震えだし、急いで右手で押さえる。だんだんと、力が暴れ出すまでの時間が短くなっている。
落ち着け、と自分に言い聞かせて目を閉じる。
静かに、心を平静に。動揺すると暴走を招くと『先生』にも言われたはずだ。
脳裏に描くのは今日のグロリアの微笑み。
そこに幼いときの、8歳の彼女が重なる。
――安心して、わたし、あなたを助けるわ!
押し殺していた感情がエドガーの心の中に渦巻く。焦燥と、愛おしさと。いつもは自制していた、彼女への感情があふれ出すようだった。
その感情の前には、先ほどまでの迷いさえも嘘のようにかき消えてしまう。
グロリア、最愛のひと。
彼女が傷ついたり、失われたりすることは絶対に許さない。たとえ自分の在りように迷うことはあっても、彼女は、彼女だけは守らなければならいのだ。絶対に!
エドガーは軍帽を深く被ると、雨の中を走り出した。




