プロローグ
――報われたい、と思っていた。
がんばったらその分だけ幸せに。条件をクリアしたらハッピーエンド。
決められたルートに乗れば必ず幸せな結末が待っている……そんな人生だったらよかったのに。
そう、王道乙女ゲームのように。
死ぬかもしれない。
というか死ぬんだわ、これ。
仰向きに倒れたまま、私はぼんやりと落ちてくる雪を眺めていた。
車道にちょこんと座っていた黒猫。迫るトラック。とっさに庇ったけれど、その顔を上げる間もなく私が轢かれてしまった。ついさっきのことだ。
流れた血も感じず、救急車の音も聞こえない。心臓の音だけがやけに大きいから、たぶん、もう身体がダメになっているんだろう。
思い返せばごく普通の人生だった。
二十代後半のしがないOLで、彼氏ナシ、貯金ナシ。ついでに残業と持ち帰り仕事で休日もほとんどナシ。お人好しで世話好きだとはよく言われたが、あまり報われたことはなかった。
その挙げ句が猫を庇っての轢死。笑えない事態だけどちょっと笑える。私ってこんなにドジでダメだったのね。笑って吹っ切れようとしたが上手くいかず、ぼんやりした寂しさに包まれるのを感じた。
『おひとよしだね』
不思議な声がして、ひょこひょこと歩いてきたのは黒猫だ。すぐ脇に座り、ひょいと私の顔を覗き込む。艶やかな毛並みと綺麗な金色の目。さっきの猫、助かったのね……良かった。
いやちょっと待って。この猫、喋ってない?
私の疑問を肯定するように黒猫は、ふむ、と目を細めた。
『徹底しておひとよし、おまけにドジでダメでポンコツ。面白いな。このままだと死んじゃうけど……どうする、転生する?』
なんかすごいディスられた気がする。私、あなたを助けたんですけど……。
まあ死ぬ前の夢なんだろうな。猫が話すわけないし、転生するフラグとかあるわけない。本当にできるならしたいけど、するとしてもどこの異世界へ?
私はふと、猫の足下に自分のスマートフォンが転がっているのを見た。
画面に映っているのは絶賛ハマり中の恋愛乙女系ソシャゲ『うん★こい 王子とあなたの100万の運命の恋』。
そういや新イベント、今日からだったんだよね。すごく気になった王子様がいて、絶対に攻略してガチャでSSR★5引いてアイテム揃えて最終変化イラストまで見ようと思ってた。好感度マックスボルテージにしてその先に進んでもいいかもと思ったんだっけ。
そういう世界なら、転生もいいかなあ……。
『そう、そのソシャゲの世界に転生するよ』
えっ? ほんとですか?
『きみ、本音では報われたいって思ってたでしょ? 恋愛ゲームみたいに、条件をクリアして、ルートに乗っかって、報われて幸せに。ねえ?』
私はドキリとする。黒猫はニヤっと人間みたいに笑った。
『助けてもらったお礼もあるし、じゃあ僕と契約して、転生させてあげる。おまけに、見事に条件通りのルートで幸福な人生を全うできたら……人生の最後に、望みをひとつ叶えてあげるよ。どう?報われるでしょ?』
転生、条件通りのルート。しかもクリアボーナス付きとは太っ腹だ。
『嘘はつかないよ。僕は神様だもの……異世界のだけどね』
神!?
もう考える力は残っていなかった。夢でもなんでもいい。このまま、希望もなく死ぬよりはマシだ。
ありがとうございます、と心の中で呼びかける。
転生……お願いしたいです。割と良い感じに、できれば人間で……あと美人でお金持ちだといいですね……。
『腰が低い割に要求が多いね!? それじゃあ契約ってことで。安心して、君はちゃんと人間になる。条件も十分に満たそう。そう、とびきりの……』
猫の瞳が三日月みたいに細くなった。
『――悪役令嬢とか、どう?』
聞き直す前に、あたりが真っ白に塗りつぶされる。
それが光だと気付く前に私は意識を失った。