うちの娘は少しおかしい
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“わたしのパパはえらいひとです。”
“ママは私が生まれてから2年で死んでしまいました。ママのきおくはあんまりないけど、やさしい人だったとおぼろげに覚えています。パパもママはやさしい人だったとよくよく語ってくれます”
“ママが死んでからパパはおとこでひとつで私を育っててくれました。パパはとてもお金持ちなので、私がほしいというとお洋服でもくつでもアクセサリーでもかってくれます。パパはとってもやさしい人です。”
“そして、こうして私をこの王立ティアマト学園に入学させてくれました。パパは本当に私のことを思ってくれています。パパの期待に沿えるように、私もこの学園での生活をがんばっていきたいと思います。”
“以上、新入生代表。クラリッサ・リベラトーレでした。”
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「パパ。学校に行きたい」
クラリッサが唐突なことを言うのは初めではないが、今日のは少し違っていた。
「学校? 6歳になったら家庭教師をつけてやるっていっただろう。何も学校なんて通う必要ないんだぞ。それにどうにも俺はお前が学校で上手くやっていけるという自信がない。これぐらいしかない。エンドウ豆ぐらいしかない」
「酷い。子供の可能性を潰す悪い親だよ。子供には挑戦させなきゃ成長しないんだよ」
「まーた、誰かに吹き込まれたな? ピエーロか? ベニートか?」
クラリッサの言葉に父親であるリーチオ・リベラトーレが後頭部を掻いた。
クラリッサは6歳の誕生日を目前に控えた少女である。
母譲りのプラチナブロンドに、父親譲りのガーネットのように赤い瞳。その美貌は5歳児とは思えないほどである。人形のように整った目鼻立ちをしており、肌は雪のように白い。もし、世が世ならば、モデルの仕事が舞い込んできて、上手く事が進むならば子役にだってなれただろう。それほどの美しい少女である。
一方のリーチオは健康的な褐色の肌をした身長2メートルほどのとても大柄の男性だ。
目つきは肉食獣のように鋭く、ゴールドブロンドの髪を短く纏めている。今はスーツ姿なので、強弁すればビジネスマンのようにも見えなくはない。だが、やはりどちらかと言えば、リーチオはビジネスマンというよりも傭兵やマフィアの類にしか見えない。そして、実際に彼は暗黒街の顔役だった。
非合法な魔道兵器の密輸。脱税。マネーロンダリング。ストライキ潰し。公共事業の受注の際の賄賂。そして、売春クラブの組織と非合法な傭兵を手広く商っている。
このアルビオン王国の暗黒街でリーチオの名を知らないものはいない。誰もが裏切り者には容赦なく、敵対者を徹底的に叩き潰す恐ろしい暗黒街のボスを恐れている。
そんな彼は実はマフィアより不味いものに所属していた経緯がある。
彼は魔王軍四天王のひとりだったのだ。
「学校に行きたい。行かせて? お願い?」
「なんでまた学校に行きたがるようになったんだ。お前。勉強嫌いだっただろう」
そんな父を持つクラリッサがリーチオの腕にしがみつくのに、リーチオはそう告げた。確かに数か月前までは『自分はパパみたいな大人になるから勉強しなくていい』などとのたまっていたはずである。当然、リーチオは勉強することを強制したが。
「この学園、制服がとても可愛い。だから、行きたい」
「またしょうもない理由で……。って、王立ティアマト学園かよ。ここは貴族様ご用達の学園だぞ。やめとけ、やめとけ。入っても平民は苛められるぞ」
「そういう思い込みはよくないと思う」
王立ティアマト学園とは!
将来、このリーチオたちの暮らすアルビオン王国の将来を担う人材を育成する高度な教育機関である。初等部から中等部、高等部までの三段階の過程に分かれている。教師陣は一流の教育者が揃っている。この国最高峰の教育機関だ。
将来は貴族として政治にかかわったり、軍人になってこの国を守ったり、あるいは魔術の研究者となって生活をより便利にする。そんな志を抱いた若者たちが集まる古くからの伝統と数えきれないほどの名誉ある学園なのである。
その学園にクラリッサは制服が可愛いからという理由で入ろうとしている。
貴族たちの集まる学園に平民が入れば苛めの対象になるのは目に見えている。この国はバリバリの封建社会で、貴族は絶大な権力と富を握っているのだ。
もっとも、そんじょそこらの貴族より、リーチオの方が金を持っている。その総資産は王室のそれを上回るのではないかとすら言われているほどだ。
「とは言えどな。この学園、入学テストがあるぞ。クリアできるのか?」
「九九、全部言える」
「そいつは最高に賢いな」
クラリッサが胸を張るのに、リーチオは深々とため息をついた。
「他にも剣術、魔術とかもあるぞ。ってこっちは問題ないな」
クラリッサはフィジカル最強であった人狼である父の腕力と世界最強であったアークウィザードであった母の魔力を受け継いでいる。並大抵のことは軽くこなす。
「入学したい。勉強もちゃんとする。毎日休まず通う。約束する」
クラリッサは真剣な表情でリーチオを見つめる。
こうも迫られるとリーチオも断れない。クラリッサは成長するごとに母であったディーナの面影を感じさせるようになっているし、ディーナからはクラリッサには可能な限りクラリッサの好きなことをさせてあげてと頼まれているのだ。
「いいだろう。入学させてやる。だが、本当に勉強はしろよ?」
「する。必ずする」
リーチオが告げるのにクラリッサがコクコクと頷いた。
「なら、願書を出しておく。平民だからという理由では弾かれんだろうが、面談があるな。ちょうどいい。そこで確実に入学させるように手配しておくとするか」
そう告げてリーチオは悪い笑みを浮かべたのだった。
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……………………
リーチオと妻のディーナが出会ったのは、偶然だった。
ディーナは勇者パーティーの一員で、凄腕──いや、世界最強のアークウィザードだった。そんな彼女が勇者たちの進む方向とは逆の方向に進んでいたのだ。
二手に分かれた? その意味が分からない。後衛職のアークウィザードをいくら世界最強だからと言って、前衛職もつけずに放り出す勇者は何を考えている?
「おい、お前」
リーチオは思い切ってディーナに話しかけた。
その瞬間、リーチオの世界が彩られた。
月明りで照らし出されたディーナはとても美しかったのだ。
まるで細部まで計算されて作られた芸術品のようにディーナは美しかった。その美しさのあまり、リーチオは言葉が出ず、呆然と彼女を見続けていた。
「どうかしたのかしら? あなた、四天王のひとりでしょう? 殺しに来たの?」
「い、いや、そういうわけでは……」
微笑むディーナにリーチオはおずおずと告げた。
「それより聞かせてくれ。どうして勇者パーティーと別れている?」
リーチオは辛うじて当初の目的を聞き出そうとした。
「勇者にうんざりしたから」
嫌悪を込めてディーナは告げた。
「あれをしろ。これをしろ。お前たちは俺のおかげで勝ててるんだ。全て俺のおかげなんだ。俺の言うことを聞け。この繰り返し。その上、勇者だからって、私のことを襲おうとしたの。勇者に抱かれるのは名誉だって。だから、電流魔法を股間に流して、あんな勇者がいる勇者パーティーは抜けることにしたのよ」
そこまで告げてディーナは力なく微笑んだ。
「故郷に帰って教師にでもなろうと思ったの。でも、四天王のあなたに捕捉されたんじゃ終わりね。さあ、殺すなら殺して」
ディーナは抵抗する様子をまるで見せなかった。
確かに魔王軍四天王のひとりであるリーチオに捕まれば、いくらディーナが世界最強の魔術師だろうと勝ち目は薄いだろう。なにより彼女には生きていこうとする意志がない。もう死んでもいいと思っているのだ。
「俺は死にたいと思っている人間を殺してやるほどお人好しじゃない」
リーチオはそう告げた。
「俺も今の魔王にはうんざりしている。部下の進言は聞きやしない。無意味に兵力を分散させて各個撃破されているってのに、何の対策も取らない。別の重鎮がその姿勢に苦言を呈したんだが、その重鎮は処刑された。前の魔王の時代から仕えている忠臣を、あの魔王はあっさりと首を刎ね飛ばしたんだ。俺はもううんざりしてる」
リーチオも魔王に思うところがあった。
新魔王は前代魔王の死去によって4年前に即位したが、軍事的な才能は皆無であるにもかかわらず、そのことを認知しようとはしなかった。彼は独断で作戦を決め、部下たちを死地に追いやっていた。今は数に置いて魔王軍が優勢だがいつ逆転されるか分からない。そんな魔王をリーチオは尊敬できなかった。
「ふふっ。私たち似た者同士ね」
「そうみたいだな。俺も辞めちまおうかな、魔王軍」
ディーナが小さく笑うのに、リーチオはそう告げて返した。
「その後の当てはあるの?」
「腕力があればどこだろうと稼げる。それに前に人間の中に密偵に入った時、俺に似合ってそうな仕事を見つけてるんだ。そういう仕事をする」
「ちなみにどんな仕事」
「マフィアって仕事だ。腕力が強くて多少頭が回れば楽に儲けられるぞ」
リーチオは人間の社会に密偵に行った時、マフィアの活動を目撃していた。興味を持ったリーチオは試しに組織に加わって見ることで仕組みを理解した。
力、頭脳、財力のあるものがマフィアのトップになり、下っ端にあれこれ命令することや、下っ端が組織のために稼いだ金を収めることでマフィアは繁栄しているのだと。
リーチオには力はある。頭脳もある。ないのは財力だけだ。
財力は働いて稼げばいい。リーチオはマフィアとして成功するつもりだった。
「また悪い仕事を選ぶのね」
「世の中、誰かが得をすれば、誰かが損をする。そういうものだろ?」
ディーナが苦笑いを浮かべるのに、リーチオはそう告げて返した。
「気に入った、あなたのこと。とても気に入ったわ。私も一緒に連れて行って。あなたとなら上手くやれそうだから」
「いいのか? 俺は魔族だぞ?」
ディーナがそう告げるのにリーチオが困惑して返した。
「そうね、心優しい魔族さんだわ。連れ行ってはくれない?」
ディーナはそう告げて少し寂しそうな表情を浮かべた。
「構わないぜ。一緒に来てくれ。俺もひとりよりふたりの方がいい」
「なら、行きましょう」
こうして、勇者パーティー最高のアークウィザードと四天王フィジカル最強の人狼は、それぞれ勇者パーティーと魔王軍を抜けてアルビオン王国の地に居を構えた。
それからは紆余曲折あったがリーチオとディーナは2年で暗黒街を乗っ取り、莫大な富と権力を手に入れた。流石の暗黒街の人間もフィジカル最強の四天王と世界最強のアークウィザードには手も足も出なかったのである、
そして、それから半年後、リーチオとディーナは結婚式を挙げた。
それからさらに1年後、ディーナがクラリッサを出産。
だが、体の弱っていたディーナは出産後からほぼ寝たきりとなり、リーチオに『あの子のことをお願い。立派に育ててあげて』という最後の言葉を残してこの世を去った。
だから、リーチオは彼女の遺言通りに、クラリッサに何不自由ない生活をさせていた。欲しい服はなんでも買ってやったり、靴でもアクセサリーでもなんでも揃えてやった。そして、立派に育てるために勉強もきちんと行わせた。
そして、そうであるからこそクラリッサの学園に通いたいという願いも無視できないものであった。ディーナが、ただひとりの愛する妻が残した言葉なのだから、絶対にやり遂げなければならないと思っていた。
リーチオはそういうわけだから、クラリッサとともに王立ティアマト学園に向かった。スーツで身を固め、ビジネスマンに見えるように極力努力し、クラリッサとともに馬車で王立ティアマト学園の扉を叩いたのだった。
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「リーチオ・リベラトーレさんとクラリッサ・リベラトーレさんですね。初めまして。この学園の学園長を務めさせていただいているマーティン・モンタギューです。この度は本学園への入学を希望されるということで」
このマーティンという男は既にリーチオとクラリッサを見下している。
所詮は平民。何を考えて由緒正しいこの学園に入学しようと思ったのか。恐らくは平民の中でも裕福な方でステータスのために、この学園への入学を考えたのだろう。
だが、ここは大切な貴族の子女を預かる重要な場所。平民などそう簡単に入学させるわけにはいかない。ここで振り落としてやらなければなるまい。
「リーチオさんはご職業は何を?」
「金融業などを」
嘘は言っていない。高利貸しも金融業だ。
「なら、この学園への入学を希望する理由についてお聞きしても?」
「それはこの学園の長年の歴史を実績を評価してのことです。ここはアルビオン王国でも最高の学園です。教師陣も立派な方々が揃っているし、カリキュラムや設備なども非常に充実している。娘の将来を思うならばこういう──」
「制服、可愛かった。だから、入学したい」
リーチオが心にもないことを告げている最中にクラリッサがあっさりとそう告げた。
「制服が可愛いから、ですか? そういう理由であればちょっと問題がありますね」
決まりだ。この親子を学園に入れるわけにはいかない。
「分かった、分かった。まどろっこしい芝居はなしにしよう」
そして、リーチオが足を組む。
「正直、この学園も最近では寄付が減ってきていて苦労しているんだろ? 最高のものを集めるのには金がかかるからな。それに加えて貴族たちは見栄のために一定額は寄付するが、大した金額でもない。で、融資を受けることも検討している。そうだろ?」
「な、なんでそのことを……!」
リーチオ自身は数字には強くないが、リーチオの部下たちには数字に強い人間が集まっている。脱税やマネーロンダリング、高利貸しをするには経済に詳しい人間が必要なのだ。リーチオは彼らにこの王立ティアマト学園の帳簿を調べさせた。
ここ数年は赤字が続いている。貴族たちからの寄付金が減ったのだ。
「ここに500万ドゥカートがある」
リーチオはドンとテーブルの上に革袋を乗せた。
「もし、娘を入学させてくれたら、その金はあんたたちのものだ。どうする?」
「う、裏口入学をするつもりですか! この名誉ある王立ティアマト学園で!」
リーチオが悪い笑みでそう告げるのにマーティンはテーブルの上の革袋から視線が外せなかった。500万ドゥカートもあれば、赤字は一気にチャラだ。
「ここにもう500万ドゥカートある」
リーチオはさらに金貨の詰まった革袋を置く。
「娘を入学させてくれて、新入生挨拶までやらせてくれればこれはあんたのものだ」
マーティンは大金の詰まった革袋から視線が外せなかった。
「で、ですが、今年の新入生には王太子もいまして……」
マーティンが渋るのに、リーチオが新たに革袋をテーブルに乗せた。
「素直な返事が聞きたいな。なんなら豚の物まねでもいいぞ」
これぞまさしく札束で殴るという攻撃である。
「さて、どうするんだ? 了解するなら、頭を下げて見せろ。そうじゃなきゃ、あんたの学園は財政破綻だ。名誉と伝統ある学園があんたの代で潰れたらことだよな? 素直になった方がいいんじゃないのか?」
「は、はい! 喜んで受け取らせていただきます!」
とうとうマーティンは折れた。
金の魅力というものはまさに魔性のものである。
「さて、帰るぞ、クラリッサ」
「これでいいの?」
「いいんだよ。あんなに喜んでいるんだから悪いことじゃない。そして、お前もこれから学園に通えるんだから、楽しみだろう?」
「うん。楽しみ」
リーチオの言葉にクラリッサは微笑みを浮かべて頷いた。
その笑みは今は亡きディーナによく似ていた。
クラリッサはリーチオはいつも頼りになると思っている。これまでも、これからも。
……………………
……………………
制服を作りに学園指定の服屋に行ったのは、一応の合格発表が成されてからのことだった。いくら金を積んで合格を確かなものしているとはいえ、それを知られるのは不味いのである。あくまで普通に合格したことにしなければ。
「ええ!? ボスの嬢ちゃん、王立ティアマト学園に入学するんですか!?」
「そうだよ。何か問題でもあるのか?」
クラリッサの制服の仕立てに行ってくると部下に告げた時の反応がこれである。
「だ、だって、王立ティアマト学園って言ったら貴族のボンボンが通う学校じゃないですか。そんなところにクラリッサちゃんを放り込んだら、サメの生け簀に餌を放り込むようなものですよ。きっと滅茶苦茶苛められますよ」
王立ティアマト学園が貴族ご用達の学園であることは庶民にも広く知られている。庶民には縁も所縁もない天空の城のような扱いであった。
これまで平民が入学したことがないということはないのだが、平民が無事に卒業できたという話は聞かない。大抵が貴族たちの陰湿な苛めにあって、途中で退学していくからだ。そのような危険地帯でもあるのである。
「王立ティアマト学園なんかより聖ルシファー学園なんてどうです? あそこはいい感じの雰囲気の学校で、貴族も少ないですし、いるのはボスみたいな金のある平民たちですから、クラリッサちゃんも友達が作りやすいと思いますよ」
「おい。ピエルト。いつからお前は俺の娘の教育方針に口出すするようになったんだ? お前はそれほど偉くなったのか、ええ?」
「め、め、め、滅相もありません、ボス! ただ、クラリッサちゃんが苛められるのは嫌だなあと思いまして……」
リーチオがピエルトと呼ばれた部下を睨むのに、ピエルトはすくみ上った。
「安心しろ。あいつはそう簡単に苛められるような奴じゃない。俺とディーナの娘だぞ。それなりに立派に育ててきたつもりだ。まあ、念には念をという話はあるが」
そう告げてリーチオはパチリと指を鳴らした。
「お呼びでしょうか、ボス」
現れたのは黒服のハンサムな20代前半ごろの男だった。
長身で身長は190センチほどはあり、頬には一線の深い裂傷を負っているが、それが渋さを醸し出していた。この男が街を歩けば、女性のうち10人中10人が振り返るだろう黒髪の美男子だ。その男が音もなく、リーチオの執務室に現れた。
「ファビオ。ファビオ・フィオレ。お前にはいろいろと貸しがあったな」
「ええ。それはとても。自分がここまで立派に育てたのはボスのおかげです」
リーチオがネクタイを正しながら告げるのに、ファビオと呼ばれた男は頷いた。
「いい心がけだ、ファビオ。恩を忘れない男というのは立派だ。お前にはいろいろと仕事を任せてきた。信頼しているからだ。今回も新しい仕事を頼まれてはくれないか?」
「ボスのためでしたらなんであろうと」
このファビオという男。元はスラム街で犯罪組織に頼まれて殺しをやっていた男だった。リーチオとディーナが暗黒街に殴りこんでから、リーチオを消すようにと命じられ、その命令通りにリーチオの命を狙った。
だが、失敗した。リーチオは暗殺者に気づき、そのナイフを握った手をねじ伏せた。
「俺の命を狙うとは大したガキだ。勇気があるし、面白い。俺についてくれば、いい目を見させてやるぞ。どうだ?」
最初は暗殺に失敗したことで殺されると思ったファビオだったが、リーチオは思わぬ提案をした。自分の命を狙った暗殺者を許し、自分の下で仕事をさせると告げたのだ。
「これからはひとりで暗殺を実行する必要はない。複数のチームで狙う。まずはお前を送り込んできた野郎を始末するぞ。ピエルト、支援してやれ。俺の命を狙った命知らずの首をここに持ってこい。通りに吊るしてやる」
それからファビオは立派な教育を施されて一流の暗殺者に育て上げられた。これまでのような鉄砲玉ではなく、必ず帰還することを求められるリーチオの組織にとって重要な人物になった。報酬もたっぷりと支払われ、ファビオはそれをかつてのスラム街の仲間たちに分け与え、彼らも教育を受けられるように手配した。
暗殺者であるが、彼は決して悪人とは断言できない男なのだ。
「ファビオ。既に聞いていると思うが、俺の娘のクラリッサが王立ティアマト学園に入学することになった。俺はクラリッサが貴族のボンボン程度に苛められるような軟な娘だとは思ってないが、万が一という場合もある」
やっぱり心配してるじゃんとピエルトは思ったが口には出さなかった。
「王立ティアマト学園っていう場所は大層な場所で、執事か侍女をひとり連れてきていいということになっている。お前にはその執事役として、クラリッサとともに学園に向かってもらいたい。俺のクラリッサに手を出すような野郎がいたら──」
リーチオが獰猛な表情を浮かべた。ピエルトは震えあがっている。
「骨の1、2本は教育費として支払わせてやれ」
「畏まりました、ボス」
リーチオの物騒な命令にファビオは表情を変えることなく、頷いて返した。
「結構だ。任せたぞ、ファビオ」
リーチオはそう告げて時計を見る。
「そろそろ時間だ。クラリッサの制服を受け取りにいかなにゃならん」
「それでしたら俺が取ってきますよ?」
「馬鹿か? こういうのは親が子供に与えるから意味があるんだ。ちっとは学べ」
「も、申し訳ないです、ボス!」
そう告げるとリーチオはビジネススーツ姿で部屋を出た。
「パパ。制服、楽しみだね」
「そうだな。きっとお前に似合うぞ」
部屋の外に出るとクラリッサがトトトと駆け寄ってきた。
「さあ、行くぞ。この時期は服屋も忙しいみたいだからな」
リーチオはそう告げると表に待機させておいた馬車に乗った。
……………………
……………………
服屋は貴族ご用達の高級店だった。
そうであるが故に場違いにならないようリーチオもクラリッサもめかし込んでいる。
リーチオは最高級のファッションの国であるロマルア教皇国製のビジネススーツで、最高の職人たちの手で仕立てられたウールの生地のもの。ネクタイも同じくロマルア教皇国製の落ち着いた青色のものを几帳面に締めている。
最初、リーチオは服装にこだわるなど馬鹿らしいと思っていたが、妻のディーナが服装は相手を判断する貴重な材料になるとアドバイスし、遥々ロマルア教皇国まで出かけて、スーツを仕立てた。ディーナはこういうことに詳しく、多くのことをリーチオに教えてくれていた。今もその知識が役に立っている。
一方のクラリッサはシルクの手袋に春の陽光に似合った白いワンピースとギンガムチェックのショールを身に着けている。これもロマルア教皇国製だ。クラリッサはこういうドレスより、パンツルックの方が動きやすくて好きなのだが、どうしてそんな彼女が王立ティアマト学園の制服に興味を持ったのか謎だ。
「予約していた客だ。リーチオ・リベラトーレ。できてるか」
「はい。ミスター・リベラトーレ。お待ちしておりました」
服屋の店員は受付で笑顔でリーチオを出迎えた。
リーチオの金払いの良さとちゃんとした服装に好感を持たれたのだろう。まさかリーチオが暗黒街の顔役だなどとはまるで思っていない。
「それでは少しばかり調整いたしますので、試着室にどうぞ」
「ほら、行ってこい。楽しみだったんだろう?」
リーチオがそう告げるのにクラリッサは無言で目を光らせて頷いた。
そして、クラリッサが試着室に入ってから15分ほどが過ぎた。
「どうかな?」
クラリッサは制服姿で出てきた。
クラリッサが興味を持っただけはあって、制服は素晴らしいものだった。
赤いブレザーに白いシャツ。胸元には青いリボンがワインポイントで。これは学年ごとに色が変わるようになっている。そして、右の胸ポケットには王立ティアマト学園の紋章である盾を守り、カギと矛を握ったドラゴンのエンブレムが刻み込まれていた。
スカートはやや短めで、白と黒のチェック柄。スカートは普通のスカートとキュロットスカートが選べたが、クラリッサはキュロットスカートを選んだ。また学校指定のハイソックスは紺色で、茶色のパンプスと合わさっているとまさに学生という装いだ。
「よく似合ってるじゃないか。動きやすいか?」
「うん。少しひらひらするけど、これもいいかな。前に学園の生徒を見かけたときにあれは可愛いってずっと思ってたんだ。これで私も同じものが着れる。ありがとう、パパ」
「娘を着飾らせるのも親の務めだからかな」
クラリッサはいつものように言葉数こそ少ないものの嬉しそうにスカートをひらひらさせたり、鏡を見たりしてはしゃいている。リーチオもクラリッサの喜ぶ姿が見れて、実に満足しているところだ。ディーナに約束したようにクラリッサは大切に育ててやらなければという思いが、強く湧き起こってくる。
「サイズの調整は必要か?」
「いえ。採寸した通りでよかったようです。今、お包みしますのでお待ちを」
制服はクラリッサの体にフィットしている。父親としてはスカート丈の短さが気になるところだが、キュロットスカートなので大丈夫だろうと思うことにした。
「よし。明後日はいよいよ入学式だぞ。明日は教科書を買いに行く」
「おー」
リーチオの言葉にクラリッサがダウナーに告げるとふたりは服屋を出ていった。
……………………
……………………
いよいよ入学式がやってきた。
入学式ではクラリッサが新入生代表で挨拶することになっている。
これを見逃すわけにはいかないとリーチオは執事役のファビオとともに、王立ティアマト学園に乗り込んだ。
「凄い貴族どもの集まりだな……」
リーチオはそこら中に貴族の紋章バナーを翻した馬車が止まっている。
「流石は王立ティアマト学園といったところでしょうか」
「そうみたいだな。おい、クラリッサ。行くぞ」
リーチオはそう告げて、クラリッサに手を貸す。
「ん。人がいっぱいだね」
「そうだな。緊張してきたか?」
クラリッサが新入生とその保護者たちで溢れる学園の前庭を眺めて告げるのに、リーチオがそう尋ねた。
クラリッサはあまり人の多い場所に出たことがない。リーチオも各種パーティーなどを催すが、集まるのはその筋の人間ばかりで、その数はさして多くはないのだ。
故にリーチオはクラリッサが緊張しているのかと思った。
「別に。パパのパーティーに来る人たちに比べたら空気みたいなものだし」
「そうだよなあ」
数は少数でもリーチオのパーティーで集まる人間というのは、少なからず犯罪に手を染めているものばかりである。中には殺しに手を染めているものもいるし、ここのお上品な貴族の集まりと比較すれば、物騒極まりない集まりだ。そんなパーティーを何度も経験しているクラリッサにとってこれぐらいの集まりはなんでもない。
「じゃあ、行ってくるね、パパ」
「おう。帰ったら入学祝いのパーティーだ。楽しみにしとけよ」
「分かった」
これから新入生はクラス別に分かれて、それから体育館で入学式を行う。
「やあ。君もA組?」
「ん。そうだよ。君も?」
「そうなんだ。私はサンドラ・ストーナー。よろしくね!」
クラリッサにまず話しかけてきたのはくすんだアッシュブロンドの快活な少女だった。背丈はクラリッサよりやや小さく、あたかもリスなどの小動物のような顔立ちをしている。美人というよりも可愛い系の女子である。
「私はクラリッサ・リベラトーレ。よろしく」
「リベラトーレ? どこの家系の人?」
「リベラトーレの家系の人」
「いや、そうじゃなくて。男爵家とか子爵家とか……」
サンドラが困った表情を浮かべる。
「私、貴族じゃないから」
「えっ!?」
クラリッサがさらりと告げるのにサンドラが驚愕の表情を浮かべた。
「そっかー。でも、うちはお金持ちの人?」
「入学するのに1500万ドゥカート使った」
「裏口ー!?」
サンドラがさらに驚愕の表情を浮かべる。
「そ、そのことはみんなには言わない方がいいよ。それから君が平民でも私は友達になれるからね。苛められたりすることもあると思うけど、私のこと頼っていいよ」
「君、優しいね。私のリベラトーレ家のモットーは『受けた恩は絶対に返す。受けた害は必ず血を以てして報復する』だから、必ず恩は返すよ。君は私の初めての学園での友達。改めてよろしくね、サンドラ・ストーナー君」
「よ、よろしく」
ひょっとしてこの子の家ってヤバイところなのではとサンドラは感じ始めていた。
「じゃあ、そろそろ体育館に行こうか。知ってる? 今年はジョン王太子が入学するんだよ。王太子もA組らしいし、楽しみだよね」
「何が?」
「え、えっと。その、王太子ってとっても偉い人じゃない? そんな人と一緒に授業が受けられるのって楽しみじゃない?」
「あんまり」
「そ、そっかー」
クラリッサはこの学園の制服が可愛かったから入学したのであって、王太子のことなんてどうでもいいと思っているぞ。
「それよりも行こう? 遅刻したら怒られるでしょ?」
「そうだね。急ごう」
クラリッサがそう告げてサンドラは体育館に向かったのだった。
……………………
……………………
新入生挨拶は今年入学するジョン王太子がやるものだと誰もが思っていた。
だが、演台に立ったのは見知らぬ少女。
確かな美しさと可憐さを持ち合わせた少女であるが、こんな少女はこれまでどの貴族も社交界で見たことがない。どこの家の子供だろうかと保護者の貴族たちがひそひそと話し始める。新入生もジョン王太子が挨拶をするのではないことに驚いていた。
そして、クラリッサが新入生代表の挨拶をする。
いつもならばアルビオン王国のさらなる繁栄のためにとか、国王陛下のためにとか、そういう文言の挨拶が行われるのだが、行われたのは自分の父親に感謝する内容の挨拶。締めくくりに述べられたクラリッサの名前に誰もが首を傾げた。
「あれは平民では?」
「リベラトーレ家など聞いたことがない」
保護者の貴族たちはざわめき、拍手は起こらない。
いや、ふたりだけ拍手をしていた。リーチオとファビオだ。
彼らは娘の晴れ舞台を堪能できたことに感動し、周りのざわめきも無視して、クラリッサに拍手を送っていた。
だが、ことがただの噂話で済まなくなるのは明白だった。
「あなた!」
クラリッサが次に行われる新入生オリエンテーションのために教室に戻っていたとき、攻撃的な声色の声がかけられた。
「あなた、なんですの? 平民の分際でジョン王太子から新入生代表の挨拶の場を奪うとか何を考えていますの? 平民は平民らしくしていなさい」
声をかけてきたのはゴールドブロンドの髪の毛をカールさせて、縦巻きロールにした見るからなお嬢様だった。気の強そうな顔立ちをしており、そのマリンブルーの瞳にはクラリッサに対する敵意の色が浮かび上がっている。
「平民だと挨拶しちゃいけないの?」
「当たり前でしょう! ここは伝統と名誉ある王立ティアマト学園ですわよ! 平民が入学しているということだけでも問題ですわ!」
この少女の名前はフィオナ・フィッツロイ。グラフトン公爵家令嬢で、噂のジョン王太子の婚約相手でもある。大貴族の中の大貴族だ。
「ふーん」
クラリッサは小娘がきゃんきゃん吠えた程度ではびくともしない。これより物騒な荒くれ者たちのやり取りを普段から耳にしているのだ。『てめえ、目玉掻き出して、指の骨全部折ってやるぜ』『借金が返済できないなら、ガキを売れ』とかなんとか。
「な、なんですの、その態度は! あなた、私を馬鹿に──」
フィオナがクラリッサに近づいたとき、クラリッサがフィオナの顔を正面から見つめて、壁をドンと叩いた。いわゆるイケメンだけに許された壁ドンである。
「そんなに怒らない方がいいよ。せっかくの可愛い顔が台無し」
「か、可愛い……?」
クラリッサが甘い声で囁くのにフィオナが赤面した。
「その髪の毛。ふわふわで奇麗だね」
「そ、そんなことはありませんわ……。あなたのプラチナブロンドの髪に比べたら、荒れてますし、それにくせ毛だからこういう髪型にしかできなくて……」
クラリッサが耳元で囁くのにフィオナがますます赤面していく。
クラリッサはホストたちから女性を口説くための手段を学んでいるので、これぐらいのことは造作もないぞ。リーチオの暗黒街の顔役としての交友関係のせいでクラリッサには余計な知識が山ほどついているのである。
「そんなことないよ。天使の羽みたい。自信をもって。君は可愛いよ」
「ふ、ふにゃあ……」
とうとうフィオナは真っ赤になって床に崩れ落ちてしまった。
「君、何をしている!」
クラリッサがフィオナを落としていたとき、今度は男子の攻撃的な声が響いた。
「ジョン王太子殿下!」
「殿下だ!」
ジョン王太子が出現するのに、周囲で歓声が響く。
「私の婚約者に何をしているんだ。彼女、泣きそうじゃないか」
フィオナが泣きそうなのは感動のあまりです。
「別に何もしてないよ。お喋りしてただけ」
「君は噂の平民か。どうやら礼儀どころか社会常識も知らないようだね」
クラリッサが首を横に振るのに、ジョン王太子がそう告げた。
「私が礼儀と社会常識というものを教えてやろう」
そう告げてジョン王太子は手袋を外すと、クラリッサに投げつけた。
「決闘だ! 私の婚約者フィオナ・フィッツロイのために君に決闘を申し込む!」
ジョン王太子がそう告げるのに周囲では歓声が響いた。
「わ、私のためにクラリッサさんとジョン王太子が……。でも、どちらかなんて選べませんわ……。どちらも素敵ですもの……」
フィオナは少し頭が残念だぞ。
「いいよ。決闘、受ける。場所は?」
「中庭だ。覚悟したまえ。私は相手が女性だからと言って手を抜いたりはしない」
わーわーと教室や廊下がざわめき、クラリッサとジョン王太子が中庭に向かうのに、大勢の生徒たちがついてくる。
「それでは名誉をかけて決闘だ。勝敗は相手が戦闘不能になるか、降参を宣言することで決める。伝統的な方法だ。準備はいいか?」
「いつでもどーぞ」
ジョン王太子が鼻息を荒くするのに、クラリッサが適当に頷いて見せた。
「では、立会人。勝負開始の合図を」
「はい、殿下。両者、位置について」
立会人は学園の生徒だった。
「はわわ。どうしてこんなことになってるの、クラリッサちゃん……」
観客のほとんどがジョン王太子を応援する中、サンドラだけはクラリッサを心配していた。ジョン王太子は王太子として、小さなころから武術を学んでいる。それに対してクラリッサは可憐な少女だ。勝ち目があるとは思えない。
「では、始め!」
それは立会人が合図したのと同時だった。
クラリッサの拳がジョン王太子の腹部にめり込み、ジョン王太子は今日の朝食の残骸を吐き出すと、その場に崩れ落ちた。
「立会人。判定は?」
「ク、クラリッサ・リベラトーレの勝利です……」
クラリッサが尋ねるのに立会人は何が起きたのか分からないという顔でそう告げた。
クラリッサは人狼の父を持つ半魔族だ。その身体の力は人間を遥かに超えている。その上、母親であるディーナ譲りの魔力でフィジカルブーストをかけているので、その戦闘力はもはや殺人的だと言っていい。ジョン王太子が死んでいないのはクラリッサが手加減したからだ。
「おいたわしや、ジョン王太子殿下……。けど、クラリッサさんも素敵でしたわ……」
決闘の様子を見ていたフィオナはそんな感想を漏らしていた。
フィオナはちょっとお馬鹿である。
「凄いな、あの子」
「強いし、可愛いし、無敵じゃね?」
ジョン王太子が保健室に運ばれていく中、観客たちが囁く。
「でも、平民だろ?」
「平民でもこの学園に入学できたってことは凄い金持ちなんだよ」
周囲がざわめくのをよそに、クラリッサはVサインを掲げると、中庭から去っていった。この後、クラリッサとジョン王太子の決闘を見に行って新入生オリエンテーションをさぼった全ての生徒が怒られたのは、また別の話である。
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……………………
「初めての学園はどうだった?」
リベラトーレ家ではクラリッサの入学祝いのパーティーが開かれていた。
食べきれないほどの御馳走が並べられ、数多くの暗黒街の人間がボスの子女が学園に入学したことを祝福しにやってきている。
「友達できた」
「おお。やるじゃないか。流石は俺の娘だな」
クラリッサが告げるのにリーチオが嬉しそうに笑った。
「それから変な子に絡まれた」
「おいおい。早速かよ。それで、どうしたんだ?」
「口説いた」
クラリッサの言葉にリーチオがワインを吹きかけた。
「口説いたって、お前……」
「それから王太子にも絡まれた」
「お前というやつは……」
リーチオはクラリッサの言葉に肩を落とす。
「で、王太子はどうした?」
「決闘した」
「決闘って」
「教えられたとおりに速攻でボディブローを叩き込んだよ」
クラリッサがどこか自慢げに語るのにリーチオは天を仰いだ。
うちの娘は少しおかしい。リーチオはそう思ったのであった。
「ところで、やっぱり相手の下駄箱に馬の首を放り込んでおいたほうがいいかな? これからまた手出しをするなら次はお前がこうなるぞって」
「下駄箱に馬の首は入らねえよ」
これから先が思いやられるクラリッサである。
ちなみに馬の首は下駄箱には入らなかったので、ジョン王太子の机の上に置かれた。
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学園長「どうしたらいいんだ……」