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ある人生の終末  作者: ウィザード・T
7/11

風邪をひいても

「どうしたの……まだおなかいたいの?」


 次の日、まだ多少腹痛が残っていた私は家事全般をぞんざいに行い寝転がった。そんな母親を心底心配そうな目で見つめる娘の視線の痛さは相変わらずだ。その視線の痛々しさに相応しい沈痛そうな声に耐えきれず頭を前に動かすと娘は昨日私が出しっぱなしにしていた薬を慌てて私に差し出し、続いて水を汲んで持って来た。お願い元気になってと言う圧力に負けた私は薬を口の中に放り込み水で流し込んだ。おかげで腹具合は落ち着いたがだからと言って気力が湧く訳ではない。気力が湧いて来る薬がない物かと一瞬考え、そしてそれを飲んだら完全におしまいである事にすぐ気付いてまた落ち込んだ。娘には大丈夫もう少し休めば良くなるからと適当に言った物の、娘の表情は欠片も明るくならない。


 言える物ならば言いたかった、ママが今元気がないのはパパと一緒に過ごして行く自信がないからだと。だがここでそれを言えば娘が更に慌てふためくだろう。娘はあちらこちらにかつ針小棒大に私の言葉を言い触らすだろう、そうなれば私たちに何があったのだと近所総出で問い詰めにかかって来る。自信過剰・自意識過剰と言われれば全くその通りなのだが、ここしばらくの様子を見ていると近所の奥さんたちは自分たちの事を理想の家庭であるとすっかり信じ切っていたようであり、逃げ道などどこにもない。それでもなおどうにかならないかと頭を巡らそうとしたものの何も思い付かない。結局そのまま私は夢の中に入り込んでしまった。

 そして目を覚ますともう五時四十分であった。もちろん夕飯の支度などしていない。慌てて出来合いのお惣菜を取り出そうとすると娘が不服そうな顔をして服の裾を引っ張って来た。


「パパ今日はやくかえって来るっていってたよ?」


 ………いつと聞き返したら三十分ほど前、朝に見た私の具合が悪そうだしとか言う理由でその旨電話をかけて来たらしい。起きていれば大丈夫だと言ったのに、なぜまたそんな最悪のタイミングで

「まあそうだよな、調子が悪い日なんて誰にでもある。俺もここ最近肩が重くてさ」


 そして案の定そんな真摯そうな事を抜かして来た。そういうセリフはもっと早く言えと思う。あの時だって、あの時だって、具合の悪かった私を置き去りにして自分勝手に好き放題やって……!


「ちょっと大丈夫かおい」

「だいじょうぶ…だよ…」


 そういう口に出せない怒りを吐き出すかのように顔色を紅潮させると娘がすぐに額に手を当てて来た。熱はないのだって?いくら数時間前まで腹痛が残っていたとは言え少しでも気分が悪そうになるとすぐこれか、全く父子揃ってどれだけ私の事を心配している事を主張したいのか。もうこんな人間の世話など見切れない。そんな事を考え、そして実行しようとしながら私は床に着いた。




 翌朝、目は覚めたが布団から出る気はない。二人して私の神経を全力で逆撫でし続けた罰と言う物だ、勝手にやっていろ。と言うか足音が騒々しい、いくら私の不興を買ったからって二人して何を慌てているのか。


「ちょっとお前、風邪薬ないか?あと氷!」


 …………三十八度二分だそうだ。どうやら昨日私が寝ていた隣で横になり、私と違って何もかけずに寝たせいで寝冷えを起こしたらしい。咳もしないし鼻水も出さないしとは言え真横で狸寝入りを決め込んでいた、つまり肉体的には起きていた私はまるで気が付かなかった。いや、気が付かなかった事にしないと私には母親としての資格はないと言う事になってしまう。


「いやお前は寝てていい、俺が飯作って娘の世話もするから!……そうか、じゃあ娘を頼む」


 この日は土曜日で会社は休みだった、だからたまには俺がやってやると言わんばかりの言い草だ。ったく、こっちがもう二度とあんたらなんかの為に動いてやるもんかと決意したのを察しているかのような反応だ。これに対し私は娘の面倒は自分が見るからと怒鳴り声をあげてこの男を追い払い、その言葉通り娘にへばり付いた。

 するとこれまで真っ赤な顔と体温計の数字以外風邪と言う病気を示す様な物などなかったはずなのに、急に咳き込み始めた。私はママがいないと駄目な幼気な幼稚園児だと甘えているのだろうか。自分の腹を痛めて産んだ子が愛おしくない訳ではない、だがその娘の半分を形成している存在を私はどうしても許せない。


「パパとなかよくして……そうじゃなきゃママきらいになっちゃう」


 娘の手を引いて病院に連れて行く間、娘が咳以外で口から出した音はそれだけだった。やはりわかっているのだ、私があの男と離れようとしている事を。でも最早限界だ、半年以上そんな状態が続いている。現実的な話、もう少しあの男を好いてくれる女と一緒にいた方が娘の為にもいい。

 そんな事ばかりを考えていたせいで病院での待合は長く感じなかったが、それにしても老人が多い。しかもことごとくマスク姿であり、風邪持ちなのか感染を恐れているのかわからないがいずれにせよマスクをしていない私は随分と目立った。


 二日後、娘に対しては徹底的に貼り付きそしてあの男に対しては娘が言うから仕方なく面倒を見てやった結果見事に娘の風邪は治った。しかしあの時マスクをしていなかったのが悪かったのかあるいは娘からうつってしまったのか、今度は私が本当に風邪を引いてしまった。しかも娘よりも症状が重く、何とか病院に行った後は本当に寝るしかできなかった。

 ったく、本当に私の事を愛しているのならば一日や二日ぐらい会社を休んで私の看病をしろと思う。娘は娘で精一杯やってくれるが所詮は六歳児、できる事など高が知れている。料理など作れるはずもなく、私からお金を渡されて何か買って来ると言うのが精々だ。


「パパはママとわたしのためにがんばってるんでしょ、だからまっててあげて」


 と言われた所で今日は月曜日であの男が帰って来るのは早くても午後六時、その時までに本当に何もできない。そして予想通りかつ期待に反してあの男はまっすぐ家に帰って来た。


「大丈夫か……熱は引いたのか」

「だめ、まだ三十七度九分ある」

「まあ明日ももしそんな有様だったら俺明後日会社休もうかな」


 その提案を私は内心慌てふためきながらいいのいいの大丈夫と拒否した。

(何よ……私の全てを知っているとでも言いたい訳?)

 愛しているのならば会社を休んででも看病しなさいよと思っていた事などおくびにも出していないつもりだったのに。まるでお前は籠の中の鳥か俺と言うお釈迦様の掌の上で粋がっている孫悟空じゃないかと言われている気分だ。

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