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未來からのハッコウイチウ  作者: 檀D九郎
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第1章 タイムトラベル 第5話 「夢の矛盾」

夕闇が迫っていた。ロクゴウナオミのロードスターは助手席に葛城龍一を乗せ、首都圏中央連絡自動車道(圏央道)を八王子方面へと南下している。青梅を過ぎた頃から小雨が降りはじめた。あきる野を過ぎ、いくつかの長いトンネルを抜けると八王子ジャンクションだ。ナオミは中央道を甲府方面へと向かうレーンへとクルマをのせた。

山間部の雨が激しくなった。フロントガラスで雨粒が旋律を奏でるように音を立てている。心地よい睡魔が龍一を襲う。時折、対向の大型トラックの水しぶきが中央分離帯を越えてきて視界を遮った。洗車機の中のようなしぶきを正面に受ける時、それは熟練ドライバーにとっても危険な瞬間だ。雨が一層激しくなった。やがてロードスターは前方を走行する見慣れないBMWの後ろに付いた。そこでナオミが言った。

「前のクルマ、わかるでしょ」

龍一は前かがみになって前を行くクルマのリアランプを凝視する。わかるはずはない。

「運転しているのはあなただから」

ナオミはこれ以上ないジョークを口にした。龍一はその言葉の意味を計りかねて黙っている。いや、これはジョークじゃない。前のクルマは俺が運転している。確かに自分が乗りそうなタイプのクルマだ。だがこのモデルは見たことがない。時折商用バンが無駄な車線変更をしながら追越してゆく。BMWも登坂車線では前方のトラックを追い抜く。そして走行車線へと戻る。ロードスターもそれに合わせて加速しハンドルを切って追従する。そんな動きを何度か繰り返した。するとまたBMWが前方のトラックを追い抜いた。ナオミはまたそれに続いた。BMWは走行車線に戻る。が、ロードスターはそのBMWをも抜いて今度はその前に出た。龍一は追い越しざまに運転手の姿を確認しようとした。が、何も見えなかった。するとナオミが言った。

「今からよ。後ろ、よく見ていて」

「ん、何を?」

「今追い抜いたあなたのクルマ」

ナオミが、バックミラーの角度を変える。龍一はそれを覗き込むと凝視した。が、何が見えるというわけでもなく、後続車の雨中のヘッドライトばかりが眩しい。ロードスターはスピードダウンした。

車線を走行車線に戻した後方のBMWが追い越し車線をゆっくり走る何台目かのトラックを左から抜きにかかろうとしていた。その時だった。さらに前方を走行しているダンプが急に進路を変えBMWの鼻先に接触した。そのように見えた。逃げ場がない。危険を察知したBMWは急ブレーキを掛け、回避行動を取って右に逃げようとする。が、路面の状態が悪すぎる。ハイドロプレーニングだ。ホイールが水の上を横に滑る。ブレーキコントロールが効かない。次の瞬間、そのクルマは中央分離帯の縁石を軽く突破し、その先のガードレールに接触した。左ヘッドランプが吹き飛んだ。さらに反動で反対側のレーンまで腰を振るようなスピンをしながら飛び込んでゆく。半回転したところでようやくクルマはコントロールされたように見えた。追い越しを掛けた一台目のトラックがみるみる迫ると、ボワンという音を立ててBMWに正面衝突した。

龍一は目を凝らしていた。いくつかのヘッドライトが不自然に交錯しているのがわかった。が、それ以上の詳細はわからない。何が起こったというのか。ナオミは急ブレーキを踏んで車を停めた。その横を接触したはずのダンプが追い越して行く。

「おい、あのトラック、逃げるぞ。何かしなくていいのか!」

訳も分からないくせに、龍一はナオミに向かって叫んだ。

「私たちは埒外。関与はできない。私たちは過去を見ているだけ。それより、行ってみましょう」

ナオミはそう言うと、クルマを下りて五十メートル以上後方の大破したクルマのところへ走っていった。龍一も続く。後続の車両が次々と現場に達すると停止した。事故渋滞が既に始まろうとしている。何台目かの乗用車の運転手の影が、ケータイを耳に当てている。クラッシュしたトラックの方はどうなっているのか。運転手が外へ出てこないところをみると、怪我をしたのだろう。さらにその後ろにもう一台、乗用車が事故に巻き込まれている。

傘もささずにBMWに駆け寄った二人が見たものは、潰された運転席でうつ伏せのままぐったりしている男の姿だった。

「助けないと! まだ生きている」

龍一はまた叫んだ。

「だから駄目! 関与したらあなたにもその因縁が及ぶ。これが次にあなたの運命になりかねない」

そういうと、ナオミは龍一の腕を引っ張った。その物凄い力に龍一は驚いた。二人はロードスターまで走った。龍一は何度も事故現場を振り返るが、一体なにがどうなっているのか、出口のない動揺が頭の中を駆け巡った。


「須坂に戻りましょう。もうひとつ見せたいものがある」

運転席に身を沈めたナオミは何もなかったかのような口調で隣の龍一にそう言った。そして濡れた肩もそのままに、エンジンのスイッチを入れた。龍一はナオミの横顔を睨んで何なんだこいつと思いながら、もう一度後ろを振り返った。反対車線を二台の緊急車両が血相を変えて走り過ぎて行った。

こうして龍一は、悲惨な交通事故の現場に居合わせるという体験をした。いや、居合わせたといういい方は語弊がある。これは事前にわかっていたことなのだ。そしてナオミは事故の被害者はあなただといった。それを見せるために俺をここまで連れてきた。いや、そんなはずはない。俺はこうして生きている。

事故現場から遠ざかると、ナオミは平然とハンドルを握った。そういえばどれくらい走ったのだろう。やがて甲府盆地のにじんだ街の灯りが連なる山の間に間に見えはじめた。


* * * * * * * * * * * * * *


ここはどこだろう。薄明るい、そして何の装飾もない狭い部屋のようだ。壁は乳白色で、威圧するモノは何もない。龍一の前には小さいテーブルが置いてある。その上に更に小さな箱がある。夢の中だろうか。

…まずは、未来のことを話そう。

どこからともなく、声が聞こえてきた。誰だ? しかしすべてに違和感はなく、龍一の耳にその声だけが届いている。

…タイムトラベルマシンは二〇三九年八月、アメリカで完成した。北米はシカゴ近郊のフェルミラボでワームホール理論の大家である物理学者、ドクター泰司山井が率いるプロジェクトチームが開発に成功したものである。タイムトラベルはマイクロブラックホールを生成して異次元空間を移動することによって可能となった。人類滅亡を回避するために残された究極にして無二の発明といえる。

「人類滅亡?」龍一はその言葉に無意識に反応した。そうだ、瀬上龍之介も似たようなことを言っていた。

…しかしその開発は最初からうまくいったわけではない。プロトタイプが合計三基製造された。ネバダの実験場でおこなわれた無人テストでは初号機が数分間紫色の閃光を放つとやがて消滅した。実験は失敗だった。その後改良を加えた二号機で動物テストをおこなった。数秒間の発光現象が起こった後、乗員だった猿が変死した。それでもマシン内の時計が一時間進んでいたことがわかった。幾度か動物実験を繰り返した。猿は死なず時計だけが進み、タイムトラベルで経過した時間分の細胞レベルでの猿の老化が確認された。我々はこの結果に勇気づけられた。

龍一は腕を組んだまま聞いている。どこの誰ともわからない奴が何故こんな話を俺にするのか。

…最初の実験成功の時から二十八ヶ月の後、乗員の安全確保の設計改良を加えた三号機による有人テストがおこなわれた。テストパイロットにはヨハンソン・G・シュトッカーという男が選ばれた。スイス軍人で、宇宙飛行士だ。有人テストは成功した。その後、短時間のテストトラベルを重ねた結果、さらに出力アップや操作性の改良を加えたタイムトラベルマシンが完成する。それが二〇三九年の八月である。人類に残された時間は多くない。タイムトラベル実行の日は、二〇三九年十月十日。作戦目標は原子爆弾製造を目的としたマンハッタン計画を隠密裏に潰す、あるいは大幅に遅延させることにある。

「マンハッタン計画? なんだそれ、聞いたことないな」龍一は思わず声を出した。

…シュトッカーは計画通りタイムトラベルに成功した。が、任務を遂行し帰還した彼が最初に発した言葉が「自分自身に会った」だった。皆が最初は笑い、やがて仰天した。

「タイムトラベル先で、自分自身に会う。別に不思議じゃないだろう」タイムトラベルが可能なら、それくらいのことはありじゃないのか。

…当初すべての話がシュトッカーの狂言かとも考えられたが、彼は、その自分自身から受け取ったという膨大なレポートと特殊な技術情報を持ち帰っていた。精査してみると、それらがねつ造のレベルを超えた科学性、信憑性、合理性のあるものであることが判明した。

「ん、一体何をそんなに持ち帰ったと言うんだ? そもそも過去の自分に会ったくらいで」

…第一が、そのシュトッカー本人と名乗る謎の男の正体に関わる情報である。我々はこれを消えたシュトッカーと呼ぶことにした。第二が、生体科学に関連した未知の技術であった。

「消えたシュトッカー? 意味不明だ」

…消えたシュトッカーは作戦通り一九三九年、マンハッタン計画に参画する予定であった科学者二名の脳細胞の一部をある薬品を用いて破壊した。そしてドイツへ渡り、科学者一名に同様の処置を実行した。これは我々の当初の目論見でもある、核開発を三十年以上遅らせることを確実にする為の作戦であった。

「どういうことだ? 消えたシュトッカーというのは、タイムトラベルした本人のことなのか?」

龍一は、何が何だかわからなくなっている。が、声は続く。

…ターゲットの一人はフェルミラボの名前の由来となった人物である。この時間稼ぎによって人類の叡智の発現を期待するというアプローチだ。しかし、これが誤りであった。シュトッカーは期待通り任務を遂行した。そして歴史は塗り替った。が、思いもよらぬ結末が彼を待っていた。

「思いもよらぬ結末?」龍一が抑揚なく反芻する。 

…シュトッカーは二ヶ月余りの任務を完遂すると、二〇三九年十月十日の元の世界に帰還した。ところが、戻ってみたその世界は、旅立つ前の世界とは全く異なる別物だったのである。彼はフェルミラボの仲間もいない、実験場も何もない荒涼としたネバダ砂漠に立ちすくんだ。全面核戦争を回避した代わりに、予期せぬ異世界がシュトッカーを待ち受けていたのだ。そして彼は計画が失敗に終わったことを悟った。

「それが消えたシュトッカーなのか…。でも、わからないぞ」

龍一は、子供の頃SF雑誌の挿絵入りのタイムトラベル物語を読んだことを思い出す。白亜紀にタイムトラベルしたハンターが恐竜を一頭射殺する。大きな蝶だったかもしれない。その後、ハンターが元の世界に戻ってみると、そこは巨大な爬虫類人が支配する世界に変貌していた。子供ながらに恐怖を感じたストーリーで、今でも鮮明にそのイラストを覚えている。

…シュトッカーがその世界で目の当たりにしたことは、別の人類滅亡のシナリオがそこには用意され、その結末に向かって確実に突き進んでいるという現実であった。そこではタイムマシンは開発されておらず、関連技術もない。シュトッカーは自分が時空の放浪者になったことを知った。

「ちょっと待ってくれ、やっぱり変じゃないか? シュトッカーは元の世界に戻れなかったということなのか。だとしたら、どうやってそのことがわかったんだ?」 

龍一が夢の矛盾を突いた。が、声はこの指摘を無視する。


…仮にこれを第二世界としておこう。シュトッカーのミッション遂行によって核兵器の開発は確かに三十年ほど遅れた。しかしその間、細菌兵器の開発に奔走した日本とドイツがソヴィエトとの戦争にむかって準備を整える。とくに日本は満洲と協力して、人体実験という非人道的な方法によって生化学兵器を研究した。そしてハルビンの石井細菌研究所が大量殺戮兵器の開発に成功する。アメリカとイギリスが対ソヴィエト戦を想定してこれを陰から後押しした。後年実験的な細菌兵器戦争が中東などで局地的におこなわれたが、帝国資本主義と拡張共産主義の二大陣営の冷戦状態が長い間続いた。

「ふう、どう転んでも、厭な未来が、結局はやって来た、ということなのか」

夢の矛盾は矛盾のままだが、人類とはやはり愚かな種なのかもしれないと思った。

…一九五五年にスペインのトレドで細菌兵器不使用の国際条約が結ばれたが、この条約が失効した一九八五年以降に状況が変化し始める。そして新たな生物兵器としてウィルスが注目されるようになった。特に二十一世紀に入ってからはハルビンの研究成果を取り込んだアジア連邦が特殊ウィルスの開発に成功した。

「アジア連邦…、一体何なんだ?」瀬上龍之介の顔と言葉が脳裏に浮かぶ。

…すると二〇二〇年以降、欧州とアメリカで後年M3-KYと呼ばれたパンデミックが発生し、国家体制存亡の危機ともいえる事態に陥る。発症すると、高熱を出し、消化器官からの出血を伴い死に至る、致死率六十%以上のウィルスだという。有効なワクチンはない。エボラ出血熱に似ていたが、それとは違って空気感染した。アジア連邦が何らかの方法で、ウィルス攻撃を仕掛けたと言われる。その理由は、アジア地域ではほとんど感染事例が報告されなかったからだ。そして欧米の衰退をしり目に東アジア地域は安定する。

「ちょっと、待て。順を追ってもう少し詳しくその歴史を説明してくれないか」

…第一世界、即ち我々の歴史においては、一九三九年のドイツの欧州侵略戦争を皮切りに第二次世界大戦が勃発した。二年後、日本がドイツ、イタリアと同盟し、米英と全面戦争に突入する。この世界大戦は六年続いたが、一九四四年ドイツが降伏すると、翌年にはアメリカによって原子爆弾が日本の広島と長崎に投下され、日本の全面降伏で大戦は終結する。その後、ソヴィエト共産主義陣営とアメリカを中心にした資本主義陣営が東西に分かれ、冷戦と呼ばれる戦争なき戦争を繰り広げた。または局地的な代理戦争を繰り返した。このような状況が一九八九年まで続いた。二〇二五年に食糧危機の深刻化とエネルギー問題をきっかけに、経済破たんしたロシアとアメリカ、さらには中国が加わって全面核戦争が勃発する。以降人類は滅亡の危機に瀕している。

「それはひどい歴史だったな。ちょっと待てよ…」

龍一は石原が言っていた日本とアメリカの戦争のことを思い出している。

…ところがシュトッカーの関与を受けた第二世界は異なる歴史を辿った。一九三九年のドイツによる侵略戦争が一年で終了する。当初ヒットラー率いるナチスドイツ軍はソヴィエトとの秘密協定に基づいてポーランドに侵攻し、ポーランド分割をおこなった。西部戦線ではドイツ軍により黄色作戦と呼ばれるベルギー・オランダ・ルクセンブルク三国を攻略する戦いが展開したが、フランスが構築したマジノ防衛ラインでドイツ軍の侵攻が止まり、戦線は膠着状態に入る。するとミュンヘンでヒットラーが爆殺され、それを機に反ナチス系のハルダー参謀総長が国防軍を掌握すると状況が一変した。英国も宣戦布告したものの、ドイツ軍との大規模な交戦には至らず、結局はドイツも英国を攻撃しなかった。一方、アメリカは参戦する機会も必要性も失う。

「何を言わんとしているのか」

龍一には飲み込めない。いや、それが誰もが知っている世界史の一部ではないのか。細部は分からないが、少なくとも酷似している。

…よって、アメリカの対日強硬姿勢は継続しなかった。欧州が膠着しているうちに、ソヴィエトが北欧や中央アジアで攻勢に出る。あわてた米英、フランス、ドイツは急いで停戦協定を結ぶと、比較的緩い反共防衛体制を構築した。一方アジアでは日本が委任統治領のサイパンを一大軍事要塞化し、日本海軍の前進基地としアメリカと対峙均衡していた。しかし、ソヴィエトの動きが北東アジアでも活発化した為、一九四一年、日米不可侵条約が締結されると、日本は中国本土からの撤退と引き換えに、南方からの石油調達ルートを確保した。

「要するに、ヨーロッパ戦線もアジア戦線も不完全燃焼となり、そうこうするうちに、ソヴィエトの共産主義が台頭し、自由主義世界と対立した…。いいんじゃないか」

やはり似ているといいながらも微妙に異なる。が、龍一はどこがどうと指摘できるほど、そこまで歴史に詳しいわけではない。

…スターリンに指導されたソヴィエトは、世界を共産化するために暴力的な拡張主義を採ったが、急ぎ停戦条約に合意したドイツと英国が共同して防衛線を張り、一方のアメリカは中国、日本と結んでアジアでのソヴィエト南下を阻止した。スターリンは世界の共産化に失敗し、やがて一九六一年、フルシチョフの時代に、内部分裂による政治抗争によってソヴィエトは瓦解する。このあとロシア共和国が成立するが、のちに帝政が復活した。

「まぁ、スターリンはダメだろう」

龍一は生理的にスターリンが嫌いらしい。そして帝政が復活というところで首を傾げた。

…一方中国大陸では一九四四年に汪兆銘の南京国民政府が国内統一を成し遂げ、日本と和平協定を結んだ。が、一九六〇年ロシアが満洲帝国のハルビンまで南下して勢力を伸ばすと、日本の傀儡政権だった満洲は黒竜江省を失う。ロシアの経済侵略によって黒竜江省が独立宣言した。

「うーん、やっぱりちょっと違うな」黒竜江省の下りは明らかにこの世界のものとは異なる。

…ところが、一九八〇年代後半になると、アジア各地の経済発展により人口が急増し、その為、環境が悪化、さらに天候不順な年が何年か続くと深刻な食糧問題が慢性化した。これによって大勢の中国人や日本人、一部の朝鮮人やヴェトナム人などが安定・安住の地を求めて欧米、アフリカ、南米、オーストラリアなどの非アジア大陸への移住を始めた。一説には三千万人以上が動いたという。このことが、欧米各国の国民、特にロシア、アメリカ、ドイツ・フランス・スペインで大きな反感を招いた。仕事を奪われ、あるいは土地を奪われ、資源を奪われたと主張する彼らは、各地で大規模なアジア人排斥運動を起こした。黄禍論の再来である。資本家や大規模農場経営者らは安いアジア人の労働力を利用し膨大な利益を上げた為、時として彼らも攻撃対象となった。こうして世界の争いの中心は白人種対有色人種へと変貌し始める。この人種間ともいえる対立は後々ウィルス兵器の開発を助長する。特殊なウィルスをアジアのどこかが開発したのは間違いない。M3-KYに何らかの関与があることも明白だった。

結局は人種間の争いに帰結するのだろうか? いや、そうではない。龍一は紛争の種、憎悪の根源は宗教間の対立だと思っている。

…その後、二〇〇〇年にウィスコンシン大学の研究チームがウィルスを人工的に作ることに成功する。機械的に合成したDNAから生命体であるウィルスを再生したのだ。リバースジェネティックスという手法を用いた新種ウィルスのワクチン開発が研究目的だった。

ウィルスを人工的に造ることができるなんて、龍一は聞いたことがない。

…二〇一〇年以降、大規模な国家間のウィルス戦争は少なくとも四回起こる。戦争ということは当事者にしか認識されない。その意味で戦争であって戦争ではない。一方的な実験といってもよい。鳥や豚など家畜が媒体だ。一説には昆虫とも言われる。結果、大量の人間が訳も分からないうちに殺戮された。やがて世界は終末思想で満たされる。世界人口は二〇二五年には四十億にまで減ったが、正確なところは誰にもわからない。経済活動は停滞し、農業生産も大幅に落ち込んだ。そして穀物も食肉も野菜もバターもチーズも、さらには飲用水も一切流通しなくなる。大勢の人々が餓死した。二〇二八年頃からは世界各地が小規模単位でブロック化し、やがて無秩序な食料争奪の争いがコミュニティ間で始まった。

「これはいったいどういう意味なんだ」

龍一は気分が悪くなり、我慢できなくなった。話に筋が通っているのかどうかはわからない。しかし、断片的な事象を取ってみれば、それはそれであり得るといえばあり得るのだろう。またそれ以上に気になることがある。今龍一の生きているこの世界は、その第二世界に類似している。第二次世界大戦もなければ、日本に原爆が投下されたという歴史もない。ソヴィエトはとっくに崩壊し、アジア諸国は今ロシアの南下政策を脅威に感じている。ウィルスも兵器かどうかは分からないが、人類存続の脅威として再認識されつつある。

龍一は「ふぅ」と息を吐きだしたが、言葉にはならなかった。これから起こることは誰にもわからない。いや、ちょっと待て。ここで別の疑問に注意が向いた。

「ところで、そのシュトッカーが二〇三九年に持ち帰った生体科学技術とはどんなものだったんだ?」

声が反応する。

…その生体科学はアンチエイジングから派生した技術であり、人間の細胞・組織を再生し、これをロボットに移植する技術であった。これによって、人間のロボット化が可能になった。つまり、サイボーグの製造が可能になった。しかし、問題はその維持にあった。十年で更新が必要となるのである。それでも、この技術を山井は利用する決断をした。何故なら、生身の人間のタイムトラベルには肉体的・思考的限界がある。それはシュトッカーのレポートにより明らかとなっていた。

「人に人工臓器、骨などの移植は今でもできる。何が違う?」

…人工物に人間の器官、臓器、骨格を利用する。山井は、一九三九年で失敗したプロジェクトを再構築する必要があった。そして再起動したプロジェクトは目標を一九〇〇年と二〇〇〇年の二つのポイントに設定し、その時代にサイボーグを送り込んだ。八紘一宇の理想を具現化することが目的である。君は選ばれし者である。よって、この時代においてそのリーダーとならなければならない。

龍一はまた気分が悪くなった。「君は選ばれし者…」とうてい納得できない飛躍がある。龍之介の言ったことともダブって聴こえた。


龍一はまたため息をついた。酸欠なのか。目眩がして苦し紛れになにか言葉を発しようとしたその時、誰かが背後から龍一の肩をとんとんと叩いた。

振り向くとナオミだった。その唇が動いた。

「着いたよ」そう言った。こんな時に、なんと軽い言い方なんだ。

「えっ、どこ?」思わず子供のような言葉で反応した。

龍一は我に返った。ナオミの顔を見て安堵した。それから手のひらを広げて晒し、それが自分のものであることを確かめた。やはり夢であったか。それにしても気味の悪い夢だった。そうだ、俺はタイムトラベルマシンの中にいる。そうか、自分の世界に帰還したのだ。

ナオミがボソッと言った。

「今あなたが見ていたもの、それこそが真実、そして為すべきこと」

龍一は「真実」という言葉に引っかかったが、その意味はこれまで持っていたものとは大きく変わったような気がした。

それから、惑わされないためには、もう少し歴史を学び直さなければならない。


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