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未來からのハッコウイチウ  作者: 檀D九郎
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第1章 タイムトラベル 第4話 「凌雲」

二〇〇二年夏、サッカーワールドカップが日本で開かれた。初めてのアジア開催となったこの大会で、日本代表チームは強力なサポーターの声援と地の利を生かして善戦すると、史上初めて予選リーグを突破するという快挙を演じた。決勝はPK戦を制したドイツがブラジルを破り優勝、二週間に及ぶ連日の熱戦のフィナーレを飾った。この間、世界中のサッカーファンが大挙日本にやってきた。各国入り乱れてのお祭り騒ぎは、日本各地で悲喜こもごものドラマを繰り広げ、この年の日本の夏はワールドカップ一色に染まった。

そんな興奮の余韻も冷めやらぬ、涼やかな九月のある夜。日付が変わろうとしている時刻だった。葛城龍一の自宅マンションの電話が鳴った。昼間なら取らない電話を何故かこの時は取った。そして取ってから後悔した。電話の主は昔彼のファンだったという瀬上と名乗る中年男である。折り入って話があるので会って欲しいと言った。唐突すぎる。見知らぬ人物からの勧誘と言うものは常にこのように始まる。龍一は経験からそのことをよく心得ていた。元Jリーガーで一時期海外でも活躍した。今でも熱狂的なファンからの追っかけをされることもある。今の彼の立ち位置は、芸能人ではないが、いわゆる有名文化人なのである。こんな電話にも、時として対処しなければならない。

龍一は二年前に現役を引退して以来、東京のテレビ局でスポーツキャスターとしてJリーグの試合解説をしたり、時には男性雑誌のコラムを書いたりしている。或いは精力的に少年サッカーチームの指導をしながら、人生のステップアップの方法を模索していた。

この瀬上という男は龍一に奇妙なことを言った。是非とも君に日本と世界の平和の為の大切な仕事を任せたいというのである。しかも、それができるのは君だけだと強調する。怪しすぎるだろう。男の意図を計りかねた龍一は、咄嗟に今のこの国の政治には興味がないと答えた。が、瀬上はそういう次元のものではないから、まずは一度話を聞いてくれないかと言った。有名アスリートがその全国区の知名度を生かして、ある政党から国政選挙に出馬し議員になるという下劣なパターンがあるが、もしそういう類の話なら龍一は全く興味がない。これまでサッカー一筋だったので、これからはもっと世の中のことについて見聞を広めて自分の進むべき道を真剣に考えたい。今はそう考えていると答えた。男は、それこそ今の君にとって大切なことですと言って同調した。かなり漠然とした夢である。が、それ以上は言わずに、突然のお話なのですこし考えさせてほしいと伝えると、男は「じゃぁまた掛け直しましょう」と言い、すんなりと電話を切った。これは一種のスカウトコールだ。こういうアプローチは時たまある。

やがてこの電話のことは忘れた。


ところが、それから丁度一ヶ月後の夜、また同じ瀬上と名乗る男から電話があった。この間の話、考えてくれましたかと言う。考えるも何も、そこまで具体的な話ではなかったと思う。だから龍一にはまたこの人物が電話してきたことが意外に感じられた。そもそも忘れていたのだ。「少し考えさせてください」と言ったのは婉曲な申し入れ辞退の表現だ。そのくらいは相手だってわかったはずだ。が、今回は話に肉がついた。まずは龍一のこの先の活動を支援したいという。しかも何をするかは問わない。この男にとって、そんな話のどこにメリットがあるのだろうか。龍一は思案すると、とりあえず、会ってお話を聞いてもいいと返答してしまった。普段はこういう話には一切乗らない。ただ、今回も男が言及した世界平和の為という言葉が気になった。あなたの人生を豊かにする為にとか、あなたの利益機会を増やす為にとか、そういう話ではなさそうだった。それでも、そうやって金銭目的の詐欺、或いは龍一の名義を借りて事業をしたいという類の話ということもある。用心に越したことはないが、男曰く、世界をしばらく放浪するのなら、それもサポートすると言った。「えっ」と思った。世界放浪に近いアイディアは龍一の頭の中に常にあったが、それを誰かに話したことはない。見ず知らずの男がそんな龍一の心中を知る由はない。何故俺の心の中を見透かしたようなことを言うのか、瀬上と言う男に興味を抱いた。


十日後、龍一は築地にある本願寺別院へと出かけた。日比谷線の築地駅を降りると寺は目の前である。浄土真宗本願寺派のこの寺院の創建は江戸初期だが、関東大震災後に再建された現在の建物はインド様式の石造りで、知らない者が見たらその外観からヒンドゥーかイスラム系の寺院かと勘違いをする。奇妙な待ち合わせ場所だった。官庁の入り口のような構えの門柱を通り抜けた。寺と言うよりは、あるいは博物館かと見まがう。入り口のはるか先に見える、中央にかまぼこ型の伽藍天井を備えた本殿はまさに異様と言っていい。アスファルトの小学校の校庭のような前庭を進み、建物中央の円形の階段を上ると、小さな牛の石像が龍一を欄干で出迎える。そぞろに本堂へと入った。内部の造りは外観からは想像できない桃山式と言われる荘厳な仏教寺院様式である。金色の内陣に安置されているご本尊は言わずもがな阿弥陀如来。すなわち他力本願を旨とする。宗祖は親鸞であることも言うまでもない。

閑散とした外陣で阿弥陀如来をじっと見つめて合掌している男がいた。龍一はその男の横へ進むと同じようにご本尊に向かい合い合掌した。

「初めまして、瀬上です。わざわざおいでいただき恐縮です」

男が合掌したまま龍一に声をかけた。

合掌の手を下した龍一が「どうも、葛城です」と応えた。男は龍一に向き直る。歳は五十代だろうか。濃紺のスーツに赤地に青のピンストライプのタイを締めている。白髪が混じり七三にきっちり分けたヘアスタイルは高級官僚か銀行の支店長とでもいった雰囲気だ。そんな隙のない容貌が、詐欺師臭いのである。龍一は自分の警戒心をあらためて確認した。

そんな龍一の心中を見透かしたのか無視したのか、瀬上は抑揚をつけて言った。

「ここでは込み入った話はできませんから、場所を変えましょう」

印象とは別に、ざっくばらんな話し方をする。龍一に対して腰は低い。それにしても妙な出会いだ。龍一が来ることを先刻から承知していたように瀬上はそこにいた。「どうぞこちらへ」と言われるがまま、瀬上の後をついてゆくと、本堂の外へと出る。階段を下り、瀬上は裏手方向へと迷いなく歩を進める。人影はまばらである。本堂とは分離した平屋の別棟があった。寺院の一部である。無人の小さな玄関を入ると、瀬上は貴賓室とドアに書かれた一室へと龍一を導いた。この間無言である。

ここですという瀬上の案内を受けて部屋の中に入ると、そこにはまた別の男が龍一を待っていた。和服姿の頭の禿げあがった老人だった。車いすに腰掛けている。柔和な表情だ。齢八十はとうに越えていそうなのだが、座っていても背筋はしっかり伸びている。そして強固な意志と威厳を備えていた。ついさっきまで煙草を吹かしていたのか、紫煙の名残が部屋に立ち込めている。窓には黄色くて分厚いベルベットのカーテンが掛っており、外は見えない。午前の太陽がその一部を照らしてカーテンの色を斜めに分断している。瀬上は、あとから部屋へ入り扉を閉めると龍一の肩越しに老人に言った。

「葛城氏がおいでになりました」

すると、老人は「ご苦労さん」と瀬上に言葉を返した。龍一は即座に二人の関係を理解した。

「はじめまして、瀬上です」

そう言うと、老人は腰をいたわるようにゆっくりと立ち上がると、にこやかに挨拶した。敵意はない。親しみをこめて龍一を眺めている風情だ。二人とも瀬上か。親子だろうか。

「あ、はい、葛城です」

龍一もまずは気のない挨拶を返した。

「今日はあいすまんです。事情もよくわからずに、よくおいでくださった。私は龍之介、で、そっちは私の甥っ子なんですが、智明です。一応区別しておいてもらいましょう。まぁ、こちらにお掛け下さい」

目の前のソファを指さしながら笑みを浮かべてそう言うと、老人は若い方の瀬上に視線をくれた。智明が若いといっても還暦も近いはずだ。少しボンボン臭いのは、この老人の前だからだろう。龍一が返答に窮していると「今日はじっくりお話したい」と、有無を言わせぬ表情を見せながら老人は言った。

「はぁ、どんなお話かまだ詳しくは伺ってはいませんけど、主旨は承知しています」

龍一は「今日は仕方ありません」といったニュアンスを含めたつもりだったが、次の瞬間「あっ」と小さく声を出した。瀬上龍之介…、あの瀬川龍之介か。雑誌のインタビュー記事かなにかで見たことがある。一線を退いているはずだが、今でもメディアに時々名前がでる財界の重鎮である。そうだとしたら、話の内容も中途半端ではないのかもしれない。が、待て、その前に本物かどうかが問題だ。年寄りの顔まではいちいち覚えていない。それに写真と実物は印象が異なることはよくある。詐欺師の線は消えない。油断をしてはならない。

龍一の心中を見抜いたかどうかはわからないが、老人の長い話が始まった。年配者が特に好みそうな間合いで、最初は龍一のサッカー人生における活躍やら、世情についてのよもやま話を小一時間も一方的に老人は話し続けた。これは消耗作戦か。内容がどうでも良すぎて反論の余地もない。「何時まで続くんだこのくだらない話」と龍一がいい加減ウンザリしてきた頃。そのタイミングを見計らったように突然、奇想天外なことを老人は言い出すのである。詐欺師の本題だ。


「というわけで、実は計画がある。いや、計画以上の大計画と言っていい。プログラム・イオという」

「…」

龍一の反応に嫌悪感が表れる。が、老人は容赦ない。

「ご存じのように、今この世界は、存亡と破滅の危機に瀕している。見ての通りだ。特にこのアジア地域がいけない。人口の爆発的増加に加え、食糧問題に失業問題、疫病の蔓延、北からの圧力など、あらゆる危機に晒されている」

龍一は、どこか少し大げさ過ぎやしないかと、思う。が、まあそこはそこ、詐欺話だ。老人は続ける。

「しかし、これはずっと前からわかっていたことでもある。だからイオは計画された。新しいものではない。わしらもその歯車の一つだ…」

くどい無意味な言い回しに、さらに嫌悪感が増幅される。

「一体いつから、そのイオなんとかはあるんですか」

龍一が仕方なくそう訊いた。すると、老人は「我が意を得たり」と畳みかける。

「まさしく百年の計といえる。しかもその神髄は、時空を超越した次元でこれを実行することにある」

「時空?」龍一の口からため息が漏れる。

「そう、それがミソだ。二十世紀の歴史については既に修正に成功しつつある。ここからは二十一世紀の我々の仕事だ」

老人の言い分からすると、どうやら随分昔からある秘密結社かなにかが、この計画の主ということか。バカバカしい。しかも歴史の修正がなんとか、とか。

「相当遠大な計画のようですね」

正当な皮肉である。が、相手にそれは通じない。

「そして最終目標は、極東の地に連邦国家を打ち立てるということだ。極東アジア地域の統合、真の一体化を意味する。五族協和、八紘一宇の再構築だ…」

老人は気づいたかどうか、龍一は、ふっと薄笑いを浮かべた。

「連邦国家、ですか」

「そうだ、だから君に手を貸して欲しい」

そうら来たぞ。老人は、間を作るとそう言った。

「いや、言い直そう。その主役どころを君に演じて欲しいと思っている。それしかない」

こんな荒唐無稽な話をするエナジーが、この老人のどこにあるのだろうか。バカにしながらも、龍一は感心する。

「これは、世界平和の為である」

お次はそう来たか。話の成り行きに任せて、我慢強く法螺話を聞き続けるしかないのか…。そうだ、まだ話は終わらない。

さらに「時空を超えて」とか「世界の平和」とかいうフレーズが繰り返された。或いは二十世紀の歴史が間違っていた、修正は不可避だったというふうな意味不明なことにも言及した。そして最後に老人は言い放った。

「重要なのはここだ。計画の完遂には二十一世紀の歴史においても修正が必要である。しかも、それは君にしかできない」

「…」

君にしかできない…。そこまで言うか…。しかし、ここで何か言葉を返せば、敵の思う壺、詐欺の本丸へ誘導される恐れがある。まだまだ我慢しかない。

龍一が黙っていると、どうやら話が一段落したらしい空気が流れた。いや三段落くらいしたかもしれない。相手を幻惑して判断力を減衰する。これも連中の常とう手段なのだろう。

我慢の龍一が口を開いた。どこかで幕引きを図らねばならない。

「なるほど、壮大稀有なお話です。百年の計、とても興味深いです。でも、俄かには信じがたい内容ですし、その、時空を超えてとか、世界平和や連邦国家とかいうお話をいきなり伺って、はい鵜呑みせよとおっしゃられても…」

どうお応えしたらいいのか正直困りますね、と言葉を区切りながら言った。話を聞き終わってみて、詐欺かあるいは別の犯罪の片棒を担がされる線が濃厚になってきた。こいつらいい年こいて馬鹿じゃないのかと思った。それにしても、なんで俺なんだ。こんな酔狂に付き合わされる自分が無性に情けなくなる。

すると滑稽にも、俄かに信じられないというのは尤もな言い分だと、瀬上龍之介は年寄りらしく頷いたり、甥っ子に同意を求めたりしている。そして「まぁ慌てなくてもよい」としゃぁしゃぁと言った。言われるほどに、龍一には一時間前には真面目で賢そうに見えた二人がやがて、猿ほどの間抜け野郎に見えてきた。ところが、龍之介は龍一の心の内を見透かしたかのように「では、ひとつ証拠をお見せしよう、それでどうであろう」と言った。

「ついてはこれから君をサポートする人物を一人紹介する。実際はサポートというより、計画のディレクターだ。コーディネーターと言ってもいいかもしれん。わしらもその歯車に過ぎない。勿論、君の希望する世界周遊の活動は僕が支援するつもりだ」

龍一は「ああ、そうですか」と、また気のない返事をした。今日ここまでノコノコと出てきたことを後悔し、そういう俺もバカみたいだと自嘲した。しかし、瀬上龍之介の名前を騙ってまで俺に何をさせようというのか、しかも何の為に? そんなことに思いを巡らしているうちに、その龍之介が智明に言った。

「おい、じゃぁ彼女を呼んでくれないか」

軽く頷いた智明が一度部屋の外に出ると、しばらくして一人の若い女を連れてきた。というより、若い女に連れられるように智明が戻ってきた。

「葛城君、こちら、ロクゴウナオミさん。僕とはもう六十年のお付き合いだ」

龍之介はそう言って女性を龍一に紹介した。龍一は「何を言ってるんだか、バカだなあ、六十年とは」とまた心の中で嗤った。

「はじめまして、ロクゴウです」

「あ、はじめまして」

龍一もありきたりの初対面の挨拶をした。

「あー、聞いて驚かないでほしいんだが、と言っても無理かもしれんが、ナオミさんは未来から来た人でね。つまり未来人でね、二十一世紀のストーリーを書き直そうとしている。僕らは、それに賛同し協力している。で、君がその計画のキーマン、という訳だ」

思わず「未来から来た人」と「キーマン」という言葉に吹き出しそうになる。堪えたが顔がにやけた。

「はぁ、だいたいお聞きしたように思います」

言いながら何が飛び出てきてもいいように龍一は身構える。するとロクゴウが言った。

「まずは見ていただきたいある方からのメッセージがあります」

そして、部屋の隅にあったテレビのスイッチを入れ、メモリースティックを差し込んだ。くそっ、まだ何かあるのか。龍一は不満の色を顔に出した。

斟酌なしに、ビデオが再生を始める。


最初にどこかの寺院が映し出された。由緒ありそうな広い寺内の参道を誰かがこちらに向かって歩いてくる。おや、見ると軍人風の若い男である。青みがかった茶褐色の詰襟の軍服を着ている。近年の軍装とは明らかに違う。ただの右翼に見えなくもない。彼はカメラの前で一度立ち止まり、カメラマンに二言三言声を掛けた後、またニコニコと笑みを漏らして寺の本堂と思しき方向へと進んでゆく。カメラがそれを追う…。

画面が室内に切り替わった。広い部屋の片隅らしき場所だ。さっきの男が横から現れると正面にある椅子に腰かけ正対した。カメラに向かって、またなにか話しかけている。音声はまだない。そしてカメラに向かって話し始めた。音声がオンになった。

「私はイシワラカンジといいます。えー、職業は、陸軍大学校教官の任を拝しています。本日は大正十年九月二十五日、築地御坊さんに来ています。何故ここに来ているかと申しますと、本日がすなわち大正十年、えー、というよりこれは私も未経験なのですが、来る関東震災の前年ですか、いや失礼二年前であるということを、ご覧の方に理解いただくためです」

龍一は黙って画面を見詰めている。少し、いや、かなりあっけにとられている。イシワラカンジといえばあの石原であろう。イシハラではなくイシワラというのは今初めて知ったが、満洲帝国創建に深く関わった関東軍高級参謀ということぐらいは知っている。だが、おかしい。昔ながらのノイズの入った画質の悪い白黒映像ではなく、鮮やかなカラー映像で音声も明瞭である。昨日映画村で撮ってきましたというようなデジタル映像だ。これで龍一を騙そうというならあまりに拙い。子供でも分かる出来栄えだ。馬鹿じゃないのか。今はこの言葉以外龍一の頭の中には何も浮かんでこない。画面の中の男の話は続いている。

「私は、これを、本日、二十一世紀に生きている葛城龍一氏に向けてお話をさせていただきたい」

俺のことじゃないか。しかし、手が込んでいる割にはバカだ。それでもイシワラの話は進んでゆく。

「初めてロクゴウさんにお会いしたのは、えーっと、一九一〇年、中国辛亥革命の年でした。朝鮮のある部落に部隊が駐屯しておった時です。最初は、朝鮮半島のテンかと思いました。とにかく幾ら私が能天気とはいえ、聞く話が相当にバカバカしいわけです。人間離れしているわけです。いやぁ、ところが、この人が不可思議なことを言うだけでなく、やることもやってしまうものですから、次第にこりゃとんでもない化け物にでくわしたなと、おっと、これは失礼、そう思いましたが、この人が後から後から起こる世の中のことを殆ど言い当ててしまうわけです。こりゃぁ、日蓮上人の再来に違いないと考え直した次第…」

録画しているのはこのロクゴウという女なのだろうか。カメラマンの方向に向かって目線をあげて、これは失礼と言った。

「それで、そのうち、ロクゴウさんの言うその通りにやっていけば、これはいけるんじゃないかと思ったわけで、私も職業は戦をすることですが、日本の国防とか、アジアの平和繁栄ということには大変興味があるものですから、結局彼女の思想というかその姿勢ですね、これに大変共感したわけです。そのうち百年先の未来から今日の世界にやってきたというこの女性の、まぁ虜になってしまった。そんな塩梅なのです」

天才石原莞爾も脱帽という訳だ。おいおい、龍之介も嬉しそうにビデオをみて頷いているじゃないか。何とも滑稽である。

「それでもって、今から十年くらいしたら軍の計略で、と言うよりロクゴウさんのご指導のもと、中国東北地方に満洲国なる新興国を築くという見通しがあります。多分そのようになります。勿論その国は二十一世紀にも存続していることを切望していますが、重要なのは、その建国理念がアジアの繁栄、東アジアに暮らす万民に平和と幸福をもたらすものでなければならないということなのです」

なるほど、ビデオの真偽は別にしても龍一もその視点には大いに興味があると思う。今は漠然としているだけだ。しかし、石原には大いなる不安があるのだと言う。

「ところがロクゴウさんの言うところでは、一つ間違えると、今から二十年後に再び天地をひっくり返すような世界大戦が起き、あーいや、まだ世界大戦が終わったばかりで世界中は厭戦えんせん気分というか平和を熱望しているわけですが、それなのにまた世界中が戦争に巻き込まれることになるというのです。実は私の研究でも、ロシアまたはアメリカとの戦争は東洋の西洋に対する力関係を考えれば、不可避だろうと思っているのですが、ロクゴウさんの未来世界が辿った二十世紀の歴史は将にそのようなものだったというのです。西太平洋全域を舞台に日本がアメリカと戦争したり、中国がソヴィエト化したり、朝鮮やヴェトナムが南北に分断したりするということです…」

歴史はそのようにはなっていない。その不安は杞憂きゆうだ。龍一は、この強引な誘導にイラッとする。が、石原はやめない。

「そして日本に原子爆弾が落とされ大勢の民間人が死に、皆さんが生きていらっしゃる二十一世紀にはとうとうその原子爆弾で第三次世界大戦が起きるというのです。せいてはことを仕損じる。確かにそうです。だから、こりゃいかんという話で、つまり、それが仮の話だとしても、実際にそうなってはいけないと思う。ですから、私も納得できる限りロクゴウさんのアドバイスを受け入れ、できる範囲でやるべきことをする。ただ、アジアの繁栄、平和といっても、そんな短期間でできあがるものじゃない。明治の御代も四十年、だから、まぁそれ以上掛る覚悟でやらねばなるまい、そう信じています。今日の人間が百年生き続けるわけではない。後世の人に託さなければならないものがある。未来人のロクゴウさん曰く、この理念を引き継いでなお且つこれを実現するには、葛城さん、あなたの真心と献身が必要とされているのです。理想の実現、私と共にその夢に命を掛けては下さいませんか」

ふーん、そういうことか、違和感はあるが龍一は石原の言わんとしていることは理解できた。が、落としどころはなんだ? 俺に何をしろと? そこがわからない。石原の話はまだ続く。

「葛城さん、それから瀬上という男に会うと聞いていますが、この男が、私たちの時間的な齟齬そごを埋めてくれるということです。今はまだ富山の野山を走り回っているハナタレのガキ大将のようですが、ロクゴウさんと共にあなたを支えてくれる手筈になるとのことです」

そう言ったところで石原は、一度にっこりと笑うと少し頭を下げた。


このあとも石原の世界観やら、自分は法華経信者なので本来なら真言宗の寺なんぞへ来ることはないとか、龍一も同志として法華へ帰依したら如何かとか、戯言を織り交ぜながら法話のような話が続いた。もう終わりかと思った頃、石原はさらに人を幻惑するような不可思議なことを言った。

「あ、そうそう、大切なことを言いそびれていました。私は来年ドイツへ遊学することになるようですが、その時にあるモノを見つけ出してくるように命令を受けています。勿論、ロクゴウさんからです。そいつがどうも『おイヌ様』といった奴ばらで、これを探し出した暁には、いつかあなたの手元へお届けする算段ができればと考えています」

龍一にはあまりにも話に脈絡がなく(おイヌ様がどうしたって?)と反射的に思ったが、何を言っているのか皆目見当がつかなかった。

石原は依然頓着せずに話を続けている。おそらく自分もそれが重要なことのどれほどかもわかっていないのだろう。そしてもう一度、何もしなければ、悪いほうへと歴史がねじ曲がってゆく。それを良い方向に持っていくには時代を超えた共同作戦が必要だというようなことを言って、石原の話はやっと終わった。

画面が再度寺院の外に切り替った。「本願寺築地別院」と書かれている大きな額が映る。画面を引くとまた石原が登場した。本堂の階段を下りるところだ。またニコニコしている。そして来た道をやがて遠ざかってゆく。ビデオは石原の背が豆粒大になったところでやっと切れた。


龍一は真っ暗になった画面を黙って見詰めている。すると智明が龍一に向かって言った。

「大体お分かりいただけましたか? 太平洋戦争なんていう戦争はどこにも起きていないし、原子爆弾という恐ろしい爆弾が日本に投下されたという歴史もこの世界のものではありません。私等はナオミさんと石原さんのおかげだと考えています。だが、問題なのは、その代わりに生物兵器による世界戦争、人類滅亡のシナリオがこの二十一世紀の未来に用意されているという。これを是正し阻止するのが我々のそしてあなたの使命なのです」

龍一は鼻で笑うと「はぁ」と反応した。するとナオミが付け加える。

「葛城さん、あなたの力が必要です。私たちと共に行動してください」

行動って何を? 龍一は目の前の三人にもよくわかるような深いため息をついた。

「興味深いビデオでした。すこし考えさせてください」

龍一はまたもやそう答えた。しかしただ問題を先延ばしすることは意味がない。ビデオの真偽はこの際関係ない。そもそも何をしたらいいのか、わからない。自分をサポートしたいと言う話はどうなったんだ。そんなことを考えている。

それまで画面の中の懐かしい人をじっと見つめ、しかもいまだ余韻に浸っている龍之介が口を開いた。

「あれ、あのハナタレガキ大将っていうのは、僕のことだ。時間はまだあるそうだから、偶には世界中を色々見て回るといい。金銭的なサポートはする。ああ、その時はスポンサーを付けるって形だよ。おう、もうひとつ、極東ひとつの屋根評議会っていう受け皿の組織を発足させるから、いずれそこのメンバーに加わって欲しい。この辺は細かいことだから智明にきいてくれ給え。ナオミさん、それでいいよね」

龍之介は一方的にそんなことを言ってあとは沈黙した。この三人の序列は、どうやらロクゴウ、龍之介、智明ということのようだ。それにしても、考えさせてほしいと言ったはずなのに、龍一にその選択肢はもう残されてはいないかのような言い様だ。

「ちょっと待ってください。ひとつ重要なこといいですか。『ロクゴウさんは未来から来た人』ということの意味をわかるように説明してください。そんな突拍子もないこと、どう信じたらいいのでしょうか」

龍一が、勝手に進行する詐欺話に歯止めをかけようとした。鵜呑みにして信じろ、はない。

「タイムトラベルを経験してもらう予定です。見てほしいものもある。それでどうですか」

ナオミがいとも簡単なことのようにタイムトラベルを経験させると言った。龍一は「えっ」という表情とともに沈黙し、そして苦笑いした。

「はぁ、ちょっと怖いですが、できれば…そのくらいのことは…必要ですね」

意外な証拠の見せ方の提案に、龍一はビビった。言うことを聞かないからと言って、ドラム缶詰めにでもされたらたまったものじゃない。そうだビビらない方がおかしい。向こうは年寄りと中年おやじと若い女だ。いざとなればなんとかなるだろう。

「ああ、忘れていた。それから、東大の曽我教授が主導する未来外交経済政策研究会という長ったらしい名前のゼミがある。略して未外ゼミだ。葛城君にはそこの見習い研究員になってほしい。そこで君に英才教育をする。毎日行けとは言わないが、週に一回くらいは顔を出してやってくれ。極東連邦の政策ブレーンだ」

龍之介は泰然とそう龍一に言い渡すと、咳払いしてタバコに火をつけた。いや、私にもいろいろ都合があると龍一が言おうとすると、龍之介が「しまった、もう一つ重要なことを忘れていた」とタバコの煙を吐き出しながら、言葉も吐き出した。

「はぁ」紫煙を手で追いながら龍一は気のない反応をした。

「葛城君のパートナーとなる女性のことだ」

「はぁ?」語尾が上がる。

「といっても、君もよく知っているひとだ。勝山茉莉だよ」

「えっ、茉莉ちゃん?」高校時代の恩師の娘だ。知らないはずはない。

「彼女とは二人三脚で将来進んでもらいたい」

これには龍一も驚いた。知らないところで、大がかりに仕込まれているということなのか。

「昔から決まっていたことだ。君は私の息子ということになっている。まあ方便だがね」

「ははは、昔からですか。で、僕が瀬上さんの息子ですか。いくらなんでもそれは…」

何を言い出すかと思えば。何でもありだな。そうだ、これは笑うしかない。

「そういうことだ、君らの知らないところで、すべては進行している。知らぬうちに何かのレールに載っているっていうことはよくある。気にしなくていい。勝山茉莉については君も知らないことがある。それも智明から詳しく聞くといいだろう」

気にするなと言われてもそうはいかない。なんてことだ。滅茶苦茶気になるじゃないか。


その日、龍一はドラム缶詰めされることもなく解放され、夕刻自宅に戻った。すぐに「瀬上龍之介」のことを調べた。が、今日会った人物が本物の本人かどうか、結局断定はできなかった。更に「石原莞爾」という人物のことをそれ以上に調べた。そして「満洲建国と発展 フィクサー・石原莞爾」というタイトルの伝記本をインターネットで見つけると注文した。

数日後、龍一は届いたその本の中に驚くべきものを見つけた。「築地御坊にて」という一枚の風変わりな写真があった。石原本人は、ビデオで見たままの男だった。あれは本当に石原本人だったのか。そして、軍服姿の男の横に、並んで若い女が写っている。これは、あのロクゴウという女ではないか。龍一はその人物の姿かたちを何度も確認し、頭を抱えた。


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