表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
未來からのハッコウイチウ  作者: 檀D九郎
26/26

第4章 交錯 第6話 「収まるべき場所」

佳奈とレッドは須坂の山中にナオミとともに立っていた。辺りは朝霧が立ち込め、若い薄の穂がゆらゆらとなびいている。薄と同じくらいの脱力感が佳奈にはあった。あの世界から今、戻ってきた。色彩を帯びた長い夢からやっと覚めたような心地がする。いや、本当に夢を見ていただけなのかもしれない。

「レッド君、キミはこれからどうする?」佳奈がレッドに向かって訊いた。

「うん、俺、バーテンの仕事は辞める。色々考えたんだけど、家に帰ることにした。オヤジに一回頭下げて、それで一から勉強して大学に行こうかと思っている。タイムマシンだとか、パラレルワールドだとか、そういうのが実際にあるってわかったら、なんか滅茶苦茶興奮してさ。俺もなんかやらないといけない」

そう言うと、レッドは子供の頃毎晩のように親父から聞かされた作り話を思い出した…。


昔々、山ん中のあるところに、人のいい爺さんが一人で暮らしていたとさ。名前を平蔵といった。ある時背中の真ん中に大きなデキモノができてしまった。これが痒くて痒くて仕方ない。柱の角に背中を擦りつけては、痒さを凌いでいた。そのうちどうにも我慢が出来なくなって、川向こうに住んでいる与作爺さんのところへ出かけて行って頼んだ。

「与作さ、よう、ちょっと背中が痒くて痒くてたまらんのじゃ。チョくっとワシの背中を掻いてくれんかのう」

「仕方ねえのう、チョくっと背中出してみぃ」

「おまさ、孫の手を作ったらどうじゃ」

背中を掻くのが面倒になった与作爺はそういうと、裏山へ入って適当な長さの木端を探してきた。

「そうれ、これで、孫の手作ってみれ」

平蔵爺は家に帰るとその晩、木端を斧で削って孫の手を作った。先っぽが少し曲がったただの棒切れだ。しかしこれが重宝した。それでいつでも痒いとき背中を掻くことができるようになった。

ところがだ。ある日のこと、こともあろうかその孫の手が突然人の言葉を喋り出し、平蔵爺に文句を言いはじめた。

「おう、平蔵、なんでワシは、お前の背中を掻かなきゃいかんのだ」

びっくりした平蔵爺も気を取り直すと負けずに言い返えした。

「そりゃきまっとるじゃろ、お前はワシの孫の手じゃからな」

「勝手に決めやがんない。生まれてこの方、ワシは孫の手になった覚えはない。ワシはワシだ。それより腹減ったから、なにか食うもんはないか」

孫の手が何か食える訳がない。それでも俺は孫の手なんかじゃないと言い張った。ましてや爺さんに造られたものでもないという。その自信はどこから来るのか。気の優しい平蔵爺はほとほと困ってしまった。背中をかこうとすると孫の手は反発した。そしてこう毒づくのだ。

「何、ワシが与作爺の家の裏山の木端から生まれただと。馬鹿言うな。ワシはワシだ。平蔵のうす汚い皺々の背中のそのまた醜いデキモノなんぞ掻くのは金輪際やらん。爺は、頭おかしいな。どこぞの若後家か生娘の背中だったらまぁ相談に乗ってやる。そのくらいの計らいはないのか」

平蔵爺は悩んだ。しかし、孫の手が孫の手の用を足さないのでは意味がない。今は孫の手だが、その前はただの木端だ。平蔵爺は決心した。

ある夜、孫の手が寝入ったのを見計うと、平蔵爺は寝床から起き上がり孫の手を懐に入れた。そして家を出ると、とぼとぼと裏山に登った。そして眠っている孫の手を真っ二つに折ってしまった。二つに折られたことに気づいた孫の手は、ことの重大さに恐れをなした。そして、去ってゆこうとする平蔵爺に「俺が悪かった、連れて帰ってくれ」と何度も大声を出して懇願した。しかし平蔵爺は振り返ることもなく肩を落としたまま、山を下って行ってしまった。やがて孫の手はただの木端に戻った。

それ以来、秋になると裏山には決まって孫の手というそこでしか取れないキノコが生える。人が来ると「連れて行ってくれぇ、連れて行ってくれぇ」と声を出すのだそうだ。しかしその毒々しいキノコに耳も貸すものはいない。代わりに山奥の動物が下りてきてはそれを美味しそうに食べて、また山に帰って行くのだとさ。


「あ、それで佳奈さんは、どうするの? 俺の母ちゃんみたいに言われちゃってさ」

レッドは我に返ると佳奈に訊いた。

「うん、そうだね、実はナオミさんに連れて行ってほしいところがある…」

最後まで言い切ろうとすると、佳奈は「うっ」と言って急に手で口を押さえた。

「えっ、大丈夫っスか?」

元の世界に戻ってきて、一気に疲れが出たのか、レッドが心配そうに覗きこんだ。

「ちょっと安心して、疲れがどっと出たみたい。それより…」

「うん、わかっている」

佳奈が言いたいことを察してナオミが言葉を引き取った。そしてレッドには聞こえないように言った。

「私は構わないけど、佳奈さん、もうこの時代には戻って来られないと思うけど、それでもいい? これ以上のタイムトラベルは、お腹のその人にもよくない。そして私も…」

佳奈は自分の体の変化に気がついていた。そしてしばらく考えてから頷いた。

「そうね。私の中では、もう心は決まっているから、大丈夫。どうしても会いたい人がいるから」

「わかった、じゃぁ今から出かけましょうか」

二人は翻って、今降りてきたばかりのタイムトラベルマシンの入口へと歩を進めた。

「えっ、ちょっと待って、今から行くって、東京に戻るんじゃないの?」

レッドは慌てて声をあげた。なんだか自分だけ取り残されそうな気がした。そこへ、美馬が測ったかのように現れた。それに気がついたレッドは「あ、美馬さん!」と懐かしい人に会ったかのように声を出した。名前は思い出していたらしい。

「お帰りなさい。あちらは如何でしたか?」

美馬は言いながら、ナオミを見た。ナオミは黙っている。

「そうですか。まだ機会はあります」美馬はなにかを理解したようだ。

「そんなことより、てか、ナオミと佳奈さん、どっかに行くみたいなんだけど」

「大丈夫ですよ、レッド君、いや康司君と言ったほうがいいかな。キミは一人じゃないから」

美馬は諭すように言った。ナオミと佳奈はマシンに再び乗り込もうとしている。

「ちょっと、二人だけでどこへ行くのさ。めちゃ、寂しいじゃないか。これでサヨナラじゃないよね」

レッドは、泣きだしそうだ。美馬は首をかしげながら微笑んでいる。

「サヨナラなわけはないでしょ、二人は親子なんだから」美馬がもう一度宥めた。

「いやいや、そうじゃなくてさ」

「じゃあ何よ」佳奈が割って入った。

「ナオミさんはどうなるのかなって思ってさ。あ、言っちゃった」

「そーかい、やっぱり若い方がいいんだな。まあ許す。そうだ、ところで君、ちゃんとした泰司っていう名前があるのに、何故レッドなの。一度訊こうと思っていたんだ」

冷やかし半分、腕組みしながら佳奈が言った。

「わかった、今日は特別だ、教えてあげる」

「よしよし、聞いてやる」

「幼稚園くらいの時だったかな、地元にかぐや姫伝説みたいなのがあってさ、『じゃあ、そのお姫様を俺が捕まえてやる』って言って、父ちゃんに内緒で一晩中裏山の竹藪の中を歩き回ったことがあったんだ。そのうちに虫に刺されたり、竹の葉で切り傷だらけになったりして、しまいには転んで膝を擦りむいた。泣きながらしゃがんで一人動けずにいると、誰か知らない女の人が現れて、傷に赤チンを塗ってくれたんだ。『かぐや姫だろ、それ!』って、後で気がついたんだけどさ。でも、その時はそれどころじゃなかった。で、手足や顔が真っ赤になって朝家に帰ったから、暫くは赤チン小僧ってみんなにからかわれた。それから赤が俺のラッキーカラーになった。その時のことはよく覚えてないんだけど、きっといなくなった母ちゃんを探していたんだと思う。ふう、って感じっスかね」

「ふーん、そうだったのかぁ。それ、君はいつも誰かに守られているってこと。よく覚えておきなさい」

佳奈は母親のような眼差しをレッドに向けた。ナオミが「くすっ」と笑っている。するとレッドはもう一度そのナオミをみた。

「やっぱり、いっちゃうのか」

「レッド君は、将来とても大切な人に出会うから。その人を大事にすればいい。それに私は一度元の場所に戻らなければならない」

ナオミはレッドにそう言うと、佳奈のほうへ振り返って今度はこう訊いた。

「一九八九年の三月で良かったかな。というかそれしかないと思うけど」

佳奈は頷いた。実父が事故で亡くなる少し前だ。

「じゃあ、レッドクン、色々ありがとう。最初は何この胡散臭い奴と思ったけど、君に会えてよかったよ」

佳奈はレッドに向ってコクリと頭を下げた。

ナオミと佳奈はマシンの中に消えようとしている。レッドは小さな声で「さよなら」と二人の背中に向かって呟いた。夢の続きを見に行くのだろうか。二人が乗り込むのを見届けると美馬は動こうとしないレッドを促して、その場を離れた。そして神社への道をかき分けるように進んだ。しばらくして振り返ると、紫色の一条の光が幽かに天に昇るのが見えた。

「大丈夫、また会えますよ」

美馬の気休めの言葉でレッドは我に返った。

「しまった、ナオミさんからまだ追加の報酬貰っていない気がするぞ」現金な奴。ついでに美馬に言った。

「ちょっとケータイ貸してもらえますか。俺の、充電切れなんで」

美馬のケータイを借りると、レッドは何年かぶりに父親に電話した。オヤジはすぐに出た。

「あっ、オヤジか。俺だよ、康司だよ。振り込めじゃねーからな」

「おー、康司か。お前、久しぶりだな。選りによって…聞いて驚くなよ…」

「ん? いやいや、話があるのはこっちだよ、まあ、ちょっと頼みがあるんだ」

「あ? 何だ、まあいい、何の魂胆だ。それにしても、滅多に連絡もよこさんで、元気でいるか」

久方ぶりの親子の会話だ。少しかみ合わない。が、言いたいことははっきりしている。

「まぁね、ぼちぼち」

「それで、どうした。振り込めか?」

「だから、ちげーよ。あのな、今からそっちへ行っていいか? 近くにいるんだ」

「そりゃ、いいに決まっている。おまえら、グルじゃねえのか。タイミングが良すぎる」

「なんのこっちゃい?」

「さっき、母ちゃんが、お前の母ちゃんがひょっこり戻ったんだ」

「えっ、母ちゃんが?」

レッドは当惑して、思わず美馬の顔を見た。すると美馬が「ほらね」といった顔をしている。


*****************************


東京都心を走る山手やまのて線は、最初から環状線であったわけではない。明治時代、物資輸送を目的とし東海道本線と東北本線を繋いだ日本鉄道品川線(品川-新宿-池袋-赤羽)がその原形であり、その名の由来でもある。後に、常磐線への接続を睨んで池袋-田端間が繋がり、更に品川-東京、東京-上野が順次結ばれるに及んで、ようやく環状線となった。一九二五年のことである。以来、本当は何処が始まりで、何処が終わりなのか、それは誰も知らない無限のループの様でもある。一周三十四.五キロメートルをおよそ一時間かけて一周する。

さて、その山手線は内回りの車内である。平日とは言え、昼下がりのこの時間帯、乗客は多くない。今、目黒駅あたりを定刻通りに発したところである。一人の若い男が隣に座っている外国人らしき友人のパソコンを覗き込んでいる。

「随分熱心そうじゃないの。何を見ているのさ?」

男が訊いた。

「石原莞爾の最終戦争論、かな」

パソコンに目を落したまま、友人が答える。

「ん、なんだって? 戦争論?かなり変ったものを見てるんだねぇ」

どうでもいい反応をした。すると、

「てかキミ、シャンブラって知ってる?」

友人は視線を上げながら切り返した。

「しゃんぶらぁ? しゃんぶら。何だそれ、知らない。天ぷらのしゃぶしゃぶか何か?」

「何言ってるの、違うでしょ。インディアナ・ジョーンズっていう映画が随分昔にあったよね。わかるでしょ?」

「ああ、それなら、生きた虫のサンドイッチ食ったり、洞窟の中を岩が転がってきて、トロッコで逃げたりするアドベンチャーだな。でもそれ、インディ・ジョーンズじゃなかったっけ?」

「ぷっ、インディとか言ってるの、日本人だけだし。まあ、いいよ。で、あれに出てくるチベットの謎の地底王国。それがシャンブラなんだけどね」

「あっそう、どっちでもいいけど。で、そのシャンブラがどうしたって?」

「シャンブラっていうのは、理想郷という意味」

「理想郷?」

男の声のトーンが下がった。そんなことにはあまり興味がない。しかし、友人の方はそうではなさそうだ。訊かれたついでに、あれこれ喋り出した。

「いいかい、シャンブラっていうのは、ブータンからヒマラヤを越えたあたりのソグポという秘境の渓谷にあるんだ。それも地下王国。でも、今はそのあたりは中国軍が押さえていて民間人は行くことができない」

余計なことを訊いてしまったと思いながら、しかたなく男は惰性で言葉を返す。

「ふーん、地下王国ね。今は中国がその秘密を握っているってわけか。でもなんでそんな所にそんなものがある?」

「わからない。ニコライ・レーリッヒと言う冒険家が二十世紀の初頭に、そのシャンブラを求めてチベットを探検したんだけど…」

「じゃぁ、それ実在ってこと? な、わけないか」

「いや、それはわからない。あったような、なかったような。まぁ、どっちでもいいんだけど、気になったので色々調べているのさ」

隣に座ってケータイを弄っていた若い女がちらりと横目で二人を見た。

「ん、でも今見ているのは戦争の話なんでしょ?理想郷じゃないだろ?」

「そう、石原莞爾の最終戦争論ってやつ。この石原という旧日本陸軍の軍人は八紘一宇という理念でアジアに理想郷をつくろうとした人でね、レーリッヒと日本の関係を調べていたら、これが出てきて、ちょっと面白いから見ていたんだよ」

「ふう、そういうことね。キミ、難しいもの読めるんだな。それにしても、昔の軍人さんと理想郷ってのはあまり結びつかないけどなぁ」

「そんなことはないんだけどね。でも、石原さんって中々面白い人物だよ」

「はぁ…」

「たとえば経済とか人生とか、ちょっと宗教臭いところもあるけど、例えば、こんなことも言っている」

『経済はどこまでも人生の目的ではなく、手段に過ぎない。人類が経済の束縛からまぬがれ得るに従って、その最大関心は再び精神的方面に向けられ、戦争も利害の争いから主義の争いに変化するのは、文明進化の必然的方向である』

「何々。もう一回言ってくれない?」

聞いていてかなり面倒くさい話題だ。

「だからさ、百年前とは言わないけど、随分昔の帝国主義時代のしかも軍人がこんなインテリだったとか、興味深いじゃないか」

「えっ、そうか? まぁ、第二次世界大戦のときの日本人は軍国主義で凝り固まって、アジアを侵略した悪い奴らだったって、学校で散々教え込まれてきた感じだから、そう思えば確かに意外ではある、か」

「昔は一番のエリートが士官学校に行ったんだぜ」

「えっ、そうなんだ。それもちょっと意外」

「そうなんだって、実際フランスでは今でもそうだし。ただの血の気の多い奴が軍人になったわけじゃないし、そもそも、そんなんじゃ職業軍人にはなれないってことだろ。でね、面白いのは、この石原さん、その一方で昭和十五年当時、西洋文明と東洋文明が太平洋の真ん中で邂逅かいこうするって予言めいたことを言ったりしていてね。つまり太平洋で決戦戦争やるって。満洲事変もその脈絡で彼がやったことだし」

「へぇ、太平洋戦争が最終戦争っていう話なわけなの?」

今にも次の世界戦争が起こりそうなこのご時世、ちょっと違うだろうと思わなくもない。最終はおそらくもう少し先だろう。

が、友人は何がそんなに面白いのか、お構いなしに自分の興味ある話を続ける。

「そう、西洋と東洋の邂逅っていう構図はいいとして、それが文明の対立っていう視点がいいじゃない。少なくとも十九世紀的な考えでは、東洋は西洋に比べると格段に劣っていると見られていた訳だから」

「あー確かに、俺、キミに劣等感を感じることはある、か」

「だろ。面白いでしょ。でね、東亜が八紘一宇の精神を元にして一念発起して一致団結しなければならない、そして産業革命を起こし、工業生産力を飛躍的に向上させ、科学技術を発展させる必要があるって力説したんだ」

「あっ、そのハッコウイチウなら聞いたことあるかも。最初は人の名前かと思ったし」

確かに無理をすれば、やひろ・かずたか君と読めなくもない。

「それにしても全く何にも知らない人だな。それはみんな一つの屋根の下っていう意味でしょ。で、石原構想の中では、昭和四十五年頃にアジア連合対米州連合の最終戦が行われるだろうと予測したわけ。でも、ここは見事はずれた。実際にはその東西最終戦争はたった一年後の一九四一年に太平洋戦争という格好で始まって、四年半後に日本の大敗北という形で決着がついてしまう」

「ふむふむ。そのくらいの流れはわかるよ、いくらなんでもね。多分…」

男はそう言いながらため息をついた。

「じゃ、もう少し詳しく教えてあげなくちゃね。で、その戦争の結果、アジアの連合どころか、中国はソヴィエトの支援を受けて共産化してしまうわけでしょ。石原さんは、共産主義自体は悪いものじゃないと考えていたみたいだけど、統制経済国家みたいなものを日本は目指すべきと考えていたらしい。今風にいえば社会主義国家ってところだね」

「そうなの? でも大戦争やったら普通そのあとは大変でしょ、みんな死ぬし」

「これが違うんだな。大戦争の後は世界統一と恒久的な平和の時代が来るって信じていた。どうそれ?」

「えー、戦争やったら平和? まぁ確かに今のところ日本は平和かもだけど。キミもこうして日本に来て好き勝手なことやれるわけだし」

隣の女がクスっと笑った気がした。その指摘に友人は左肩で反応する。そして、まあ聞けよといった顔をしながら、さらに言い返す。

「それは違うでしょ。でね、これが共存共栄の精神でアジアの団結を図って、結局世界の平和を目指すっていう構想なんだ。力で屈服させる西洋覇道主義じゃなくて、東洋古来の王道によってこれを実現するって。ここんところがまた面白い。東洋の王道だよ。なんか、ロマン感じるだろ? つまり桃源郷、シャンブラの出現だよ」

こじつけのようにも聞こえるが、どうやら本人はマジなようだ。

「そうかぁ、でもそこんところのロマンはわからないぞ」

「ところが、実際には石原莞爾という人は、中国で謀略によって満洲事変を起こした張本人なわけでしょ。その石原莞爾先生ともあろうお人が、その後の世界平和を願うというのはありかって? そう思っちゃう」

「満洲事変もなんとなくわかる。日本軍が線路かなにかを爆破して、でもって中国に戦争をしかけたってヤツだろ」

「そうだよ。それでもって、この人法華経の篤い信仰者なんだよね。日蓮の予言を信じ、自分なりの解釈もそこに加えているし」

「法華経? でも、それどこか矛盾しているよね。昔の人って、あちこち鬱屈していたんだろうな」

「いやいや、そんな単純じゃないかもよ。平和ボケした現代人が昔の日本人を正しく理解してないってところが問題なんじゃないのかな。それに日蓮宗って、どこか国家主義的臭いがするのだけど、そんなことすらみんな興味ないでしょ。そもそも今の日本人の方が鬱屈していない?」

「ハッピーならよくない?」

友人は「んったく」といった表情を作った。が、話はまだ止まない。

「もう一つ面白い話がある」

「はぁ」

「この東洋の王道主義みたいな主張だけど、石原さんの時代よりずっと前にこれを唱えた人がいるんだよね。肅親王善耆しゅくしんのうぜんきという人。まぁ、知らないだろうな」

「しゅくしんのう?ぷっ、知るわけはないね。誰よ?」

「川島芳子の実父と言えばわかるかい?」

「もっとわからないだろ」

「まぁいいか。その善耆っていう人は、中国の清朝末期の王族でね、開明的な人だったんだけど、日本と中国が一致団結・協力提携して、西洋人を駆逐することができれば、東アジアに一大国家連邦を築くことが出来るだろうって、主張しているんだ。東洋における八紘一宇の原型ともいえる発想だよね」

友人は得意になってきた。

「十九世紀以来、中国を含めアジアは欧米列強にいいように蹂躙されていたから、残っている俺たちで『やるっきゃないでしょ』ってこと。白色人種対黄色人種の一大決戦。それって最終戦争論でしょ。日本の武力と中国の資源を結び付ければこれが可能だとした訳さ。そういう意味では、石原さん達が謀略で作った満州帝国って、この理念の具現でもあるよね。これは現世的シャンブラだった可能性もあるって見方も悪くない。そういうところが面白いでしょうに」

「はぁ」

「しかしながら、これは挫折した。その後、どうなったか、それは歴史をよく知らない君でも知っての通り。でもね、この善耆さん、もう一つ面白いエピソードがある。民生部の尚書という総務省の大臣みたいな役職にあった時、清国重臣の暗殺というテロ計画が露見したんだけど、その首謀者が汪兆銘という若者だった。で、当然死刑になるはずの汪だったんだけど、何故だか善耆さんに『君こそこの国の将来を担うべき人物だ』と賞賛され、刑を免れるとその後二人はとっても仲良くなるんだよ。善耆の息子の一人に憲立という人望の厚い人がいたんだけど、この人とも意気投合して、義兄弟の契りを交わしたとも言われている。この二人は時局や東亜の行く末について随分語り合ったというし。百年も前の話だけど」

「何が言いたいのか、全然わからない」

「だからね、これは僕の想像だけど、この東洋の王道主義の実現といった理想は、彼らから子々孫々に受け継がれて、そして見えないところで今でも誰かによって実現されようと企てられているんじゃないかって話だよ。憲立って人は、日本に帰化して政治の道に進んでいるようだし」

「わかった、わかった。で、ニコライ君はどこへ行っちゃったの?」

もうこの話はいいでしょ、と言ったつもりだ。外を見ると、駅に近づいている。まもなく電車はゆっくりと大崎駅に滑り込んだ。横の女が席を立つ。ドアが開き、女が出て行くと、入れ替わりに紺色の制服姿のランドセルを背負った小学生が数人無言のまま乗り込んできた。その内の一人がさっきまで女が座っていた隣の席に座った。車内が落ち着くと、友人がまた喋り出す。レーリッヒはどうした?に反応したに過ぎない。

「でだ、実はレーリッヒは日本に来たことがある。しかも何らかの理由で石原さんに会ったんじゃないかと思ってる、僕的にはね」

友人はレーリッヒと石原を結び付けた。

「僕的に、か。ま、なんかまた、飛躍だなぁ。自分で言っていて可笑しくならないの?」

「いいから、いいから。で、どうもその辺りで石原さんの思想というか目指すものが変わったみたいなんだよね。これも歴史のロマンだろ。で、レーリッヒも、もしかしたら石原さんに感化された可能性がある。要はそういうことさ。ほら、やっぱりロマンでしょ?」

「なるほど、またロマンね。キミもそういうのがどこまでも好きなんだね」

「石原さんは一九三四か三五年頃、つまり満洲事変を起こしちゃった後ね、膀胱の病気で床に臥していたことがあるんだけど、その時、病床から奥さんに宛てた手紙があって、日蓮の教えと同じくらいの衝撃を受けた人に出会ったとかいうことを書いているわけ。どうよ、臭わない?」

「いや、臭わない。で、キミの見立てでは、それがニコライさんだってわけか」

「そう、未知の国からアジアにユートピアを探しに来た人だってはっきり言ってるし。そんなの当てはまる人、何人もいないでしょ」

「ニコライってナニ人なの?」

「ロシア人だね。ペテルブルグの上流階級の生まれだよ。写真で見ると、コサック騎兵の隊長みたいな風貌。でなければ、ユル・ブリンナー的な。一九二〇年頃にはアメリカに渡り、そのあと中央アジアからインド、ネパール、モンゴルなどを探検して、シャンバラの研究をした。ネパール仏教や東洋哲学に対する造詣も深かったはずだよ」

「あれ、じゃぁそのニコライさんて、あのニコライ堂のニコライさんか?」

「バカ、それとは違う人。こっちのニコライは探検家でしかも画家だし。彼は奈良や京都も訪れている。そのあと満洲へも渡った」

「ほう、石原さんと目指すものは同じだったってこと?」

「そうかも、理想郷繋がりだな。石原さんとレーリッヒはお互いを感化しあった可能性があると思う。ただ記録には一切ない」

「ほんとよく知っているね、ふう。記録になかったら、やっぱり違うと思うけどね」

男はそっぽを向いて、フランス人って一体こういう話の何が面白いのやらと内心呟くが、フランス人にはフランス人の動機と言うモノがあるに違いない。

「まあ、調べれば、わかることさ。でね、もうひとつ興味深いことがある。実はレーリッヒはフリーメイソンだ」

友人は、キメ台詞のように言葉を吐いた。が、もう一方の男には効かない。

「あー、なんだかどんどんややこしくなるな。今度はフリーメイソンか。そういうのホントに好きだね」

「例のアメリカドル紙幣の目玉とピラミッドのフリーメイソンのデザインだけど、あれも仕掛けたの実はこのレーリッヒだから」

「へぇ、そりゃまた。じゃぁレーリッヒのせいで石原さんもフリーメイソンってこと?」

「そこまでは、わからない。てか、そこを知りたい。あー、わからないからむしゃくしゃする」

「キミがこんなことに興味あるって方が、俺にはむしゃくしゃする。レーリッヒが好きで、それでイシワラさんに興味が流れて、そこからどこかの王族の話に流れていくって、普通じゃないでしょ。どんだけ暇なんだか。てか、フリーメイソンって何?」

「もう知らなくていい」

友人は男を突き放した。

電車は揺れながら減速し、間もなく品川駅に到着しようとしている。随分時間が経ったような気がする。

「あれ、ねぇ、さっきも品川駅、通らなかった?」

男は、なんとなくそんな疑問が頭に浮かんで、呟いた。

二人の目の前をさっきの小学生が、一人、二人と携帯ゲームに目を落としたまま通り過ぎて行く。それはいつもと変わらぬ日常の風景の一コマである。


第4章 交錯 完


未來からのハッコウイチウ 終




   


あとがき


太平洋戦争なかりせば一体どのような日本が、或いは東アジアがこの時代この世界に現出していただろうか。そんな空想からこの小説を書いた。過去を変えるためには、未來からの何らかの力を借りる必要があった。それがロクゴウナオミというキャラクターの設定となった。石原莞爾閣下には畏れ多くもパペットとしての役を演じていただいた。


最終章最終話がその物語の結末というわけではない。第3章「兵の夢」が実は物語の中核である。この部分の話を進めるにあたっては、史実と言われている部分と創作部分を如何に見分けのつかないように尤もらしく表現するかという一点に腐心した。縁あって本書に接しられた読者様には、そんなところにも興味をもって読んでいただけたら幸甚である。


今日、中国・韓国・北朝鮮との関係はとても悪い。北方領土問題によって、ロシアとは平和条約がいつになっても結べない。極東にこのような現状を作り出したのが、十九世紀から始まっていた大東亜戦争の帰結である。この大戦争が仮になかったならば、アジア各地の欧米列強による植民地支配は今でも続いていたかもしれない。一方の日本は今でも軍国・国粋主義国家であったかもしれない。それを非とするならば、世界で唯一の被爆国、借り物の平和憲法によって守護される幻想平和国家・日本が誕生したことは感謝するべきことなのであろうか。この疑問に答えられる時代がそこまで来ているのかもしれない。


「満州」にノスタルジックな響きを感じるのは何故だろう。一九九〇年代、吉林省長春市を何度も訪問する機会があった。旧関東軍司令部や国務院の建物がそのまま残っていたことに驚かされた。当時の中国の貧しさと現代的喧噪を兼ね備えた地方都市の風景がとても印象深かったのを覚えている。機会があれば、いつかまた訪れてみたい場所である。


それにしても、私たちが知る歴史のどれ程が本物の「真実」を語っているのであろうか。資料や伝聞、遺物や遺跡から窺うことが出来るのは、その一部分であり、またそれすらもフィクションかもしれない。歴史の改ざん、資料のねつ造、流行のフェイクニュースの蔓延、最近では画像や映像の改変も可能である。信じていたことが、実は真っ赤なウソだったと暴かれる日がいつかやって来ないとも限らない。


この小説は、二〇一六年一月に自費出版した「未来からの八紘一宇」檀D九郎著を再編集し、投稿したものです。私の拙劣な空想小説を最後まで読んでいただきました読者様には心より御礼申し上げます。


二〇一七年十月 檀D 九郎


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ