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未來からのハッコウイチウ  作者: 檀D九郎
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第4章 交錯 第1話 「未来予想図」

その昔、この街は新京と呼ばれたことがある。一九三一年九月、関東軍は奉天市郊外の柳条湖りゅうじょうこで満洲鉄道爆破事件を自作自演し、これを口実に中国東北地方を占領した。謀略によって満洲を侵略したのである。世に言う満洲事変、中国ではこれを九一八事変と呼ぶ。その翌年、日本は満洲国を建国し、清朝最後の皇帝溥儀を元首に迎えると、新京市が満洲国の国都と定められた。

その後、日本が主導し国都建設計画が実行に移されると、道路や上下水道などのインフラが次々と整備され、建国当時十万人余だった市の人口は、十年で八十万人にまでに膨れ上がり、街は発展し栄えた。

しかし、一九四五年日本が太平洋戦争に敗れソ連が満洲に侵攻してくると、新京はソ連軍によって占領された。

時は流れ、現在は中国吉林きつりん省の省都、長春である。皮肉にも、今日キャンベラ、ブラジリアとともに二十世紀の首都計画の代表例として並び称されている。が、街を少し行けばかつての欺瞞ぎまんに満ちた夢の記憶が甦ってくる。かつての経済部や交通部のような行政機関、ホテルに中央銀行に裁判所、旧関東軍司令部などなど、昔の面影を残す建造物は多い。全てが新京時代に建てられた建物だが、未だ取り壊されもせず、その多くが今でも現役であり、しかも後年建てられたマンションや商業施設のビル群と比較しても、余程頑丈で美しく、むしろ都市としての品格を際立たせている。

そんな満洲国新京を懐かしむ日本人は今でも少なくない。現存する建造物群にはノスタルジックな帝国風の威厳や、当時の日本人の夢と希望がそのまま封じ込められている。夏になると年老いた日本人が大挙してやってくる。思い出の景色、そして古き友人との再会を果たす為である。かつて幼子だった人々の心に、両親や友達と過ごした楽しい日々がよみがえってくる。そしてその度に昨今の政治家や財界人を引き合いに出しては、今どきの日本人は小さくなったなどと嘆くのである。

長春は、一九九〇年代以降、都市部の再開発が急速に進み、近代的な高層ビルが林立する人口三百五十万の国際的都市へと成長した。自動車製造と映画産業が盛んだ。緯度は高く大陸性の気候だが夏はそれなりに暑い。

そして今年の夏はさらに熱い。北京オリンピック開催まであとひと月なのである。街路のあちこちには「オリンピック、おめでとう」「聖火ようこそ、吉林省へ」などとうたった五色ののぼりや横断幕が街にいろどりを与え、国家的祭典前夜の興奮に溢れ、路ゆく人々の気分もどことなく華やいでいる。


この季節、日が暮れると市内の広場や公園には近隣の老若男女がそぞろ集まってくる。薄明りの下で麻雀に興じる老人たちがいるかと思えば、民族舞踊を一心不乱に踊り続ける謎めいた集団がいたりする。

この夜もそうだ。明日は聖火ランナーが市内を走ることになっている。夕涼みに外に出てきた人々の話題もそんなオリンピックのことで持ち切りであろう。

街の中心部、南北に走る新民大街が解放大路と当たったところに、吉林大学(医学研究所)がある。かつてはベチューン医科大学、さらにその前身は満洲国国務院であった場所だ。一九三〇年代に建てられたその建物のスタイルは、西洋古典様式と中国王朝風の趣を兼ね備える「興亜式」と呼ばれるものだ。反った屋根と両翼を前方に張り出した形は故宮の午門を模したともされ、同時代に完成した日本の国会議事堂とも似ている。吉林大学の通りを隔てたはす向かいには朝陽公園があり、その先は小南湖という人口池へと続いている。


この夜、新民大街の歩道を行き交う人影は多くなかった。脇道では老夫婦が縁石に座り込んで談笑している。大学の裏手に回るとそこは新疆街だ。どこか離れたところのラジカセから大音響の中華ロックが鳴り響いている。時々どこかで爆竹が炸裂する。都市の発展とは裏腹に、この比較的アカデミックな一角にも、生ゴミに、油と酢と、醤油と白酒の臭いが入り混じる、どこか頽廃たいはい的な空気が満ちている。新疆街を少し奥へ入った一帯は暗く静まり返っていた。

今そこに、一台のSUVが獲物を狙う夜行動物のように、気配を気取られまいとゆっくり進んできた。そして、大学の裏手にやってくると、塀伝いの側道に停止した。

周囲に人の気配はない。するとカチャッという音がして運転席の重いドアが開いた。続いて、一枚、二枚とドアが開く。一、二、三、そして四つの影が、あたりの様子を窺いながら、そろりと這い出てきた。慌てる様子もなく、最初の影が大学の構内へとつながる通用門へと近寄る。すると、ポケットからなにかを取りだし、続いて閂を外した。影は仲間にこっちだと合図を送ると、自らは躊躇なく中へと侵入する。そして残りの影も追いかけるように通用門を潜り、音もなく建物の死角へと消えた。

その数分後、建物の中からボンという籠った地鳴りのような音がした。構外の路上を行くカラオケ帰りのサラリーマンと若いカップルが、音のした方へと無造作に顔を向ける。が、近所のカラオケの騒音が覆いかぶさるように、その余韻を瞬く間にかき消す。そして、またどこかで爆竹のさく裂する音が聞こえた…。


翌朝、当直の警備員が構内の壁の一部が壊されているのを発見するまで、それに気づく者は誰もいなかった。しかし大学で御影石の壁が何者かによって破壊されたらしいという噂はすぐに広まり、夏休み中とはいえ、公安が昼前に到着する頃には、学内はもとより周辺にも一時野次馬が集まり騒然となった。

午後から現場検証や聞き込みが行われたが、事件にかかわるような目撃証言は得られなかった。近所の夕涼みの老人が、そういえば何かが破裂したような音が聞こえ、少ししてから豆を煎る匂いがした、と話したが、なにぶん年寄りの言うことである。全くあてにはならなかった。


この夏、ギリシャから北京へ向かった聖火はヨーロッパ、日本、アメリカなど世界各地を巡りながら苦難の旅を続けていた。人民解放軍の兵士らによってガードされた聖火はもはや聖なる火ではなく、あたかもチベットの自由を奪った侵略者の象徴であるかの如く、行く先々で活動家の小競り合いやら、政治的な問題やらを起こしていた。

その後ようやく中国に辿り着いた聖火は、今度は東トルキスタンイスラム運動などの、新疆しんきょうウイグルの独立を目指す過激派の恰好の標的、テロの口実になった。それだけに各地での警備は厳重を極めていた。だから公安も中国五輪組織委も面子にかけて聖火を守っている。


大学の壁破壊は、当初聖火通過にあわせた過激派のデモンストレーションと考えられたが、それにしても大学の研究室脇の壁一枚を吹き飛ばしたところで費用対効果はよくなかった。しかもあるべき犯行声明がない。そうなると、何の意図による爆破か地元公安も考えあぐねた。それでもテロ対策の不備や治安に対する不安を海外メディアから指摘されることを懸念した当局は、事件をありのままには公表しなかった。奇しくも丁度一週間後に雲南省の昆明で複数のバス爆破事件が起き、乗客二人が死ぬ。それには犯行声明もあった。それがテロと言うモノだ。

そのあと、吉林大学の壁爆破事件は窃盗事件の線という扱いに降格されたものの捜査は続いた。一通りの調査の結果、一部を破壊された壁から何かが採りだされた形跡はあったが、とにかく金目のモノが盗まれた証拠はない。第一、そんなところに何かがあるはずもない、只の壁だった。テロとの関連性を示す証拠は結局でてこず、犯人も動機もまったく見当つかずになった。そして公安の表向きの結論は麻薬取引をめぐる北朝鮮系の組織抗争ということで報告書が作成されようとしている。

事件当初から捜査に関わり、聞き込み調査をおこなっていた公安の陳広傑二級警司だけは、巷間言われる異民族テロや朝鮮マフィアの取引云々とは異なるなにかを感じ取っていた。実は警備員が一人行方不明になっていたし、破壊工作に軍関係者が使用するプラスティック爆弾が使用されている可能性が高いとの報告があったからである。ただの悪戯ではない限り、そこには何らかの目的があったはずである。

市中の暇な連中はあれやこれやと事件の真相を推理しては時間を潰した。長春には旧日本軍の軍用資金が政府関連の建物のどこかに埋め込まれているという噂が前からあった。それを引っ張り出してきては殊更に指摘する者もある。一九四五年の夏、日本が無条件降伏すると、その機に乗じてソヴィエトの百万の大軍が満洲侵攻を開始した。これを察知した関東軍が敗走前に軍資金を何処かに隠して逃げたという都市伝説である。たしかに破壊された建物は旧満洲国国務院だ。が、それが本当であったとしても、とうの昔に八路軍か匪賊が奪い去っているに違いない。結び付けるには話があまりに古すぎる。破壊された箇所も莫大な金塊が眠っていたにしては小さすぎた。せいぜい五十センチメートル四方の大きさなのだ。犯人が捕まっても、それは不法侵入と器物損壊容疑にしかならないであろう。テロとは関係ない、それが結論である。公安にとって真偽は二の次。時が経てば皆忘れる。そう、今は北京オリンピックなのだ。


* * * * * * * * * * * * * *


香港は、一九九七年に英国から中国に返還されて以来、一国二制度の政策によって二〇四七年までの間、一定の自治権が保証されている。返還前の一大関心事は、香港が中国化するのか、中国が香港化するのかということであった。が、今やそんな議論も忘却の彼方、街の喧騒は以前と変わらない。いや、中国本土からの観光客や投資が増えた分、以前にも増してにぎやかで姦しい…。

翔平とジュディは、九龍突端チムサツイの大きな中華レストランで、泡のないビールを前に、湯気のたつ小龍包を一つまた一つと口に運んでいる。昼にはまだ少し時間がある。

「今度香港いつ来る?」 

ジュディが半ば期待を込めて訊いた。

「春節明けかな」 

面倒なこと訊くなよというふうに翔平が答える。

「そんな先?」 

不安のほうが的中する。

「これでも忙しいんだ。その代わり今度はマカオに一緒に行こう」 

でまかせだ。

「うれしいけど私は香港人じゃないから、むずかしいね」 

中国人は得てして日本語を覚えるのが早い。日本人が中国語を覚えるのとは比較にならない。ジュディは翔平が香港に出張する度によく顔を出すカラオケバーのホステスだ。最初の頃は日本語を片言しかしゃべらなかったのに、一年と少し経って日常会話は殆ど問題ないレベルに上達している。

「そうか。買い物済んだし、まだ時間有るから、すこしその辺でも歩こうか」 

最後のえびシュウマイの蒸篭を平らげると、二人は混み始めた店内をすり抜け、外に出た。この辺りは旧九龍駅に近く、再開発後に建てられた文化センターや公共娯楽施設が競い合うように立ち並び、通りの向かいにそびえるペニンシュラホテルの威容が、十九世紀のヨーロッパ列強のアジアでの繁栄を今も讃えている。このあたりは若いカップルやジョギング姿のOLが行き交う洒落たビジネス観光地でもある。出勤前の近くのショップ店員の娘たちが手をつないで通り過ぎてゆく。九月の香港はまだ十分に暑い。

二人はその一角にある宇宙博物館へと向かった。予想外に人通りが少なかった。博物館のステップを何段か上がった先、切符売場の横の案内板に目が行った。二人が近づいてみると「改装中で営業は来年春頃から」と英語と広東語で書いてある。

「なんだあ、休みみたいだ。改装工事中だってさ」 

翔平は、看板とジュディの顔を交互に見る。

「ダメだ、しゃぁないな。戻ろうか」そう言いながら二人がきびすを返した瞬間だった。切符売り場の壁にもたれるように立っている若い娘と翔平の目が合った。

「あれ、そこに人、いたっけか」

何か違和感を覚えながら、翔平は女の様子を瞬時に観察した。日本の女子高生のようななりをしている。すると向こうもこっちをじっと見ている。もともと英国の植民地なので制服は珍しくない。するとその時、少女がなにかを呟いた。どうみても翔平たちに話しかけるような声だった。

「元・よ・った・・ね」

翔平は思わず「えっ、何?」と聞き返した。

今日は閉まっているみたいですね、多分そんな話だろうと思う。ナンパしようってわけじゃない。が、何か声を掛けないと。たぶん財布を落としたとか、仲間とはぐれたとかそういうことだ。が、もっと何かを言いたげにまだこっちを見ている。

「北京オリンピックはあったのかな?」

少女は唐突にそんなようなことを言った。あれ、やっぱり日本語をしゃべっている。具合が悪いんじゃないのか。ただ、なんだか馴れ馴れしい。そっちがそうなら、まぁいいけど。翔平は少女に近づいた。

「オリンピック?」

「そう、北京」

「えーっと、いや、香港ではやってないでしょ。ヨットとかなら確かチンタオあたりでやったみたいだけど」 

なにを藪から棒にと思いながら言い返した。だいたい、もう閉会してから一ヶ月以上も経っている。

「ひとりじゃないんでしょ?」

どうでもいい質問だ。

「ううん、じゃぁショーン・マッカシーは香港に現れたかな?」 

女子高生は急に話題を変えて、またおかしなことを言った。知るか、そんな奴、何を言いたいんだ、この子。何かを売りつける魂胆か? 翔平はすこしだけ考えて、少しむっときながらまた聞き返した。

「ショーン・マカシン? あーごめん、おれロックとか芸能系とかは詳しくないんだ。嵐とディープパープルなら少しはわかるけど」 

適当なことを言ってはみたが、翔平は以前この子とどこかであったことがあるような、そんな気がふとした。が、気を取り直すと、こいつは何かの追っかけだと断定した。

だが少女は「マッカシーよ」と名前の誤りを正した。

翔平は「知らないなぁ、まだじゃないかな」と腕をからめているジュディに同意を求めると、ジュディは「ウオブーチーダオ(私は知らない)」とわざと中国語で答えた。早く行こうと言っている。

落胆したらしく、少女は首を横に二度振った。

「やっぱり、パンデミックでそのうち大変になるんだ。ショウちゃん助けて」

(えっ、今なんて言った?)

その時、大通りのほうでクルマが急ブレーキをかける音と、間髪入れず「ばん」、続いて「どがん」と何かが連続して衝突した音が聞こえた。一瞬の静寂の後、誰かの悲鳴があがる。通りがかりの人たちが集まりだしている。誰かが大声で叫んだ。また人が走ってゆく。クルマに人が当たったらしい。

「うわー、事故か。全く、怖いなー」 

翔平はジュディと顔を見合わせた。

「香港じゃ、よくあるよ」

ジュディが嘯いた。

気がつくと、少女はそれが合図かのように、くるっと背を向けると、黙ったままコンクリートの階段を下りて行った。

「なんだぁ?」

翔平は少女の後ろ姿を追った。何処へ行くんだ? ふとそう思ったが、別にこれ以上用もない。

「事故みてみる?」

気を取り直した翔平が、ジュディに興味あるかと訊く。離れたところで短パンの外国人観光客らが様子をうかがう中、事故の運転手らしき男が、野次馬に向ってなにかまくし立てているようだ。

「いらない」

ジュディはそっけない。

「へぇ、そう、じゃどこへ行こうか。博物館休みじゃ、しょうがないね」 

「ショッピングでしょ」

「ええっ、さっき行ったじゃない」

「今度は私になにか買ってくれるでしょ」

ジュディは他の女に声をかけた罰とでも言いたげに、翔平の腕を両手で強く握りなおした。遠くで救急車のサイレンの音が聞こえている。


翌日の香港紙東方日報の社会面に事故の記事が小さく載った。

『昨日昼頃、スペースミュージアム前のSulisbury Roadを横断中の歩行者が、信号無視の乗用車に撥ねられ、救急車で病院に搬送されたが、内臓破裂によって死亡が確認された。被害者の名前は川倉嘉信(五十一歳)。日本人旅行者で友人と市内観光中に事故に遭遇したとみられる。 東方日報九龍支局』


* * * * * * * * * * * * * *


暫く前の話である。二〇〇一年の十一月、アメリカのインターネット掲示板上に、その男は突然現れた。ショーン・マッカシーと名乗り、二〇三九年の未来からある任務の為にこの時代にやってきたと言った。突拍子もないこの男のストーリーに大勢のインターネットユーザーが興味半分飛びついた。

すると、マッカシーは掲示板上での多くのやり取りを通じ、タイムトラベル理論や未来の世界で起こったこと、この時代にやってきた目的などを語ったのである。そうなると正体を暴いて化けの皮を剥がしてやろうと、ネット上の野次馬が色々な質問を投げかけマッカシーに挑戦した。が、彼の話には致命的な欠陥が見当たらず、誰にもこの男が偽物未来人であると論破・立証することができなかった。

そして数ヶ月後、任務が完了したという言葉を残し、男は忽然と姿を消したのである。それ以降、模倣者があとを絶たない。一種のゲームである。


* * * * * * * * * * * * * *


二〇〇八年の初秋の頃、ここは東京、恵比寿の界隈である。清々しく晴れた週末の午後、街道沿いにある小さなコーヒーショップ。そこで若い男二人が何やら話し込んでいる。一人は日本人、もう一人はフランス人である。日本人の名前は滝田翔平。フランス人はニコラ・ソワイユという。忙しそうにノートパソコンの画面に向かって何やら仕事をしているフランス人に向かって日本人が言い縋っているという風情である。態々わざわざ話があるからお茶でもしようと言って呼び出したのも日本人の方である。

「ええと、ジョン・マッカートニーって奴のこと聞いたことあるだろ?」 

アイスラテを飲み干すなり、唐突に、翔平がニコラに訊いた。気のせいか顔が少し青ざめているようでもある。

「誰それ? ジョンとポールかい? それともゴルファーかな?」

「ちがうって。てか、タイムトラベラーでしょうが」

「んー、タイムボカンなら知っている。あと深キョンは可愛いい、よね」

ニコラは軽く受け流す。

「あー、もう、フランス人って、フランスが世界の中心だと思っているんだよな、まったく…。二〇三九年の世界から何年か前にタイムマシンでやってきたっていう奴のこと。それで、いろんな予言して、イラク戦争とか当てたろ。知らないかなぁ」

「よくあるネタだね。ていうかそういう話で得するヤツがいるってことだろ。そうでなければ愉快犯。そもそも予言って言っている時点で、未來から来たという前提を否定しているでしょうが」

言われてみればその通りだ。実は自分も最近聞きかじって知ったことだ。が、そんなことはどうでもいい。翔平は言い返す。

「えっ、何? とにかくこれは当時アメリカで大騒ぎになったっていうんだから、知っていると思ったけどなぁ」

ニコラは、仕方なく大いなる過ちを指摘し、上げ足を取る。

「それを言うんだったら、ショーン・マッカシーじゃないの。ポール・マッカートニーじゃないんだからさ」

「あーそう、それだ。ま、どっちもあんまり変わらんでしょ。てか、やっぱり知ってるんじゃん。予言とか当てたりしてさ」

「ふう。だから、マッカシーだよ。で、それ予言でしょ。それに外れたのもけっこうある。北京オリンピックが中止になるとかもね」

「そう? でもイラク戦争とか当っているでしょ」

「ま、数撃ちゃそのうち当たるでしょ」

「いやー、そういうレベルじゃなくて…」

「確かに一時、あっちではネット上の一部の人が騒いでいたよね。で、それがどうかしたって?」

「会った、ていうか、まー、マッカシーの仲間だなって、思うんだよ」

「ん?何が?」

ニコラは翔平の顔を覗き込んだ。そして何を言っているんだコイツという諦めの視線を送る。

「いや、だから、マッカシーの仲間に会ったんだ、てか、そう思うんだけどな。この話、聞きたくない?」

ニコラは、思わず小さく吹き出しながら言い返す。

「んー、わかったぁ。もういい、忙しいから」 

そういうとパソコンの画面に目を落として、何かを忙しなくタイプしはじめる。だれかとチャットしているようだ。その話、聞いてもしょうがないでしょという暗黙のサインでもある。

「ちょっと、ちょっと、ていうか、暇じゃん。俺とお茶してるくらいだし。聞いてくれたら、ここのお茶代おごるからさあ」 

空のアイスラテのグラスのストローをかき混ぜながらしつこく言い縋る翔平。そこまでして、一体何を聞いてほしいと言うのか。付き合うしかないか。コーヒーくらい最初から君の奢りだろうがという代わりに、ニコラは何かを思い出すかのような視線を道行く車に投げかけた。そして、仕方ないな、じゃぁ話してごらんと肘をテーブルの上について半身を乗り出した。そして言ってやった。

「…でもさ、聞いたことないねー、マッカシーに仲間がいただなんて付け足したような話。確か親と名乗る人物は出てきたんだよね。子供ときのマッカシー本人も。ただその後はすぐに行方不明になった」

本当はニコラもマッカシーの話はよく知っていたが、彼の結論としては、マッカシーとは相当頭のいい奴の悪戯、或いは高額商品か何かのステルスマーケティング、そのいずれかである。まあ、それが普通の感覚だ。そもそも、アメリカではこの話、著作権登録もされている。その時点で「ジ・エンド」だろう。だから今更特段の興味もなかったが、その仲間に会っただなんてことを半ば真剣に言い出す物好きが身近にいるとは、かなり笑える。マッカシーの話自体がもう十年近く前のことなのだ。しかも似たような愉快犯?は後を絶たず、騙される方も一緒になってある種のネット上の娯楽の領域として確立している。

「それでマッカシーの仲間って、それいったい誰なの?」 

ニコラはどうせ最後はつまらないオチ話だと見切っている。六甲山の山頂で舞っているゴミ袋の動画をみて、天使が舞い降りてきたとか真顔でいう奴なのだ。翔平のロマンとはそういう類であることをニコラは知っている。

が、翔平はどうやら本気(マジ)らしい。ここから長い話が始まる。

「実はこの前、香港に出張で出かけたときにさ、ある女子高生に会ったんだ」

あー、もうその先、聞きたくないといった表情が速攻でニコラの顔にでる。

「JK? そーか、少女出会い系もアジア進出の時代ってね。でもそれ犯罪でしょ」

翔平は話の腰を折られてむっとするが、気を取り直し続ける。

「聞けよ、だから九龍島のスペースミュージアムに行ったんだよ」

「宇宙…博物館? へえわざわざ。香港にそんなところがあるんだ。銀河から一番遠そうな街だけどね。で?」

「だから買い物のあとに、プラネタリウム見ようと思って。ただの暇つぶしだったんだけどさ」

「なにそれ、プラネタリウムって。一人で? 変だなぁ」

ニコラはキミ、なにか重要なこと隠しているだろといった冷やかしの視線で翔平をあおる。

「はいはい、だから小姐シャオジェとだよ」

すんなり白状した。

「なにそれ? あーそういうことね。やっぱり出会い系のわけね」

「カラオケの女の子だよ。そこ、本題じゃないから。で、そうしたら改装中で閉まってたわけ」

「何が?」

「スペースが」

「何やってんの。そのくらい調べてからにすれば。ホテルの人に訊いてから行くとか。どーでもいい話、無駄に長くね」

イライラするが、まだ我慢だ。

「いやいや、ホテルで訊いて割引チケットもらったから、近くだったし行ってみたの」

「まあその辺は香港だな。テキトーではある。で?」

「うん、それはいいんだけど、仕方なく、似たような間抜けなやつが他にもぼちぼちいるなぁと見ていたら、うちらを見てる子がいたワケさ」

翔平の記憶ではそうなっている。

「なるほど、それがそのJKね。で?」

「修学旅行かなって思ったんだけど」

「修学旅行? 旅行会社も馬鹿だねえ。キミんとこ、じゃないよね?」

翔平の仕事は旅行関係である。それでこのツッコミだ。

「いやいや、違うでしょ。で、よく見ると、他には誰もいないし、なんか違っていて、一人で青ざめたような顔していた。動かずじっとしていて、他のみんなとはぐれたのかなとか思って。それで、近づいて行って『どうかしたの?』って声を掛けた」

「どーして?」

「未成年だったら、保護しなきゃでしょうが」

「どうだかね。でも日本人って、どうしてわかった? なぜ女子高生なの?」

「白い肌とアイラインが印象的。てか、ケータイにはたくさんの人形とかぶら下げているし、化粧しているっぽいし、まつ毛も多分濃いし、スカート短いし、それで革靴はいているし、そんなの誰が見ても日本の女子高生ってわかるでしょ。ただ髪は黒だった。ローカルの子が、コスプレやっているようには見えなかったし…」

「今時、『カワイイ』は世界共通語だよ。パリなんか知ってる? そんなっぽい女の子は街にいくらでも見かけるけどな。でもケータイ向こうじゃ繋がらないでしょ」

「さぁ、でも写真は撮れるでしょ」

「で、どうしたの」

「意味不明。どうしたのって訊いているのに、今年北京オリンピックはありましたかって訊くんだ」

「今どきの子はテレビとか新聞とか見ないのは知っていたけど、そこまで世間知らずなの。要はそういうことでしょ」

「オリンピックは俺もあまり興味なかったけど。そう訊くから、テレビで観なかったのって逆に訊いたよ」 

翔平は実際にはそう思っただけだったが、口に出したと思い込んでいる。

「変なこと訊くね。おちょくられているんでしょ。でなければ…」 

ニコラは言いかけてやめた。

「そうしたら、その子余計青ざめた。わかんねー。で、今度はショーン・なんとかさんは現れているかって、またわからないこと言ったわけだよ。俺に訊くことじゃないねって思ったら、だんだんむかついた。日本語変でしょ」

「ま、最近はキミのも含めて変だね」

「誰?って聞き直したら、ショーン・マッカシーだっていうんだ。確かに、マッカートニーじゃなかったか。で、聞いたことあるような、ないような」

「そう、そこでマッカシー登場なわけか。でも何それ? それじゃ、全然知り合いとは言えないじゃん」

「そのときはベッカムとかマイケル・ジャクソンとかのスーパースターみたいな奴が香港にきてコンサートでもやる話かと思ったんだけど、ローカルはわからないし、まだみたいだよって適当に答えた」

「その子、精々キミみたいなオタクの同類だよ。それとベッカムはコンサートはやらない」

ニコラはイギリス人のことなんかどうでもよかったが、それだけは訂正を入れる。

「俺はオタクかよ。で間抜けな返事したから、はぁとため息つかれた。疲れんのはこっちのほうだろ」

「随分記憶力いいね。で、キミはマッカシーを知らなかったわけだね。だからマッカートニーになっちゃう」

「後でわかった。てか、さっきね。ところが、そのあとまた変なこと言う。じゃあもうじきこの辺はパンデミックで大変になっちゃうとか言った」

「なんのこっちゃ。自暴自棄だね。でなければ…悪い薬やってそう」

「そう、そのときはパンデミックって何だってかんじだから」

「パンデミックも知らないの? 知っててよ。何も知らない日本人だな、キミは。それで?」

ニコラは少しだけ興味が湧いてくる自分をおかしく思う。

「小姐、あっ楊ちゃんっていうんだけど、予測不能の日本語の会話についてこられなかったみたいで、どうでもいいからおなかすいたって言うから、タクシーでワンチャイに行って、で、ケーキを食った」 

その後余計な買い物をさせられた話は端折った。

「なんだ、それだけ? どこがマッカシーの仲間?」

がっかりなオチだな。ニコラはバカバカしくなった。

「まだ終わってないって。実はここからが、問題、なんだ…」

「はあ? そうなの?」

「思い出したんだ。彼女に前にも会ったことがあるって。ていうか、同じような会話をした。で、その証拠もみつけた」

「ほう、それは面白い、かも。でも、マッカシーとはどんどん離れていくね。で、前にはどこで会ったって?」

「中学三年のとき」

完全に話は別のところにすっ飛んだ。ニコラは「えっ」と反応したが、そこは指摘するしかない。

「何を言うかと思えば、大体、そのJKさん、君が中学の時じゃまだ生まれてないんじゃない。それか精々赤ちゃんだろ。自分で言ってて、笑わない?」

「だよな、普通なら。でも、だからマッカシーってか、それに、元気そうでよかった、みたいなこと言ったんだよ、その時。独り言かと思ったし、中国語のようにも聞こえたし、知り合いであるわけないから、気にしなかったんだけど、だけどやっぱりそう言ったような気がする。それで辻褄があう」

「何が?」

「だから、辻褄」

「精々、知り合いの娘とか、じゃないの?」

「そんなのそんなところで偶然会うわけない」

「いや確率から言ったらそっちのほうが確からしいけど。違うとしたら、じゃあ、何?」

翔平の頭の中では完全に何かと何かが繋がっている。ニコラの声も何を言っているのか聞こえないほどに、今、何か甘美なモノに囚われている。

「後になってなんだか懐かしい感じがした。で、思い出したときは全身鳥肌が立った」

「すごいね」

ニコラはそう言って茶化すしかなかった。よく見ると翔平の目が真剣になっている。

「未・来・空・想・図、なんだ」

「ん?未来空想図?」

「いや、予想図、かな」

「まだ続くんだ、この話」

そう言いながら、ニコラは、自分の冷えた二の腕を温めるように摩った。そう、話はまだ続く。


* * * * * * * * * * * * * *


それは、翔平が中学二年生の時だったと思う。

その少女は二学期が始まると同じクラスに転校してきた。少し大人びていて、バレー部の女子のようなショートヘアに涼しい目をしていた。そして物静かで知的な雰囲気を持っていた。それでも翔平には印象の薄い女子に思えた。なにしろ、名前すら気にしていなかった。

翔平は毎日放課後、暗くなるまで陸上部の練習に明け暮れていた。県大会も近い。走っていると、決まって正門脇の家の庭から金木犀きんもくせいの香りが漂ってきたものだ。そんな秋も深まり始めたある日のこと、偶々翔平は少女と月例の学級新聞を書くことになり、担任の言いつけで授業が終わると何を書くか相談することになった…。

「なんで、俺なわけぇー」

教室に二人だけになると、翔平は照れ隠しの愚痴を垂れた。

「ショウちゃん、ごめん、私が先生に頼んだんだ」

「えっ、そうなの、なんか、どーよ。え、てか、センセーに頼むとそうなるってか、変じゃない?」

とは言ったものの、そこまで仲良くねーだろ、それでも俺がいいってか、ふーん。そう言われてみると少しだけ翔平の顔に血がふわっと上った。それに俺のことショーちゃんだって。クラスの奴にそんな呼ばれ方をされたことはない。

「しょうがないね。じゃあ、何書くかー? わかんねー」

また愚痴が出た。そして翔平はわからないように少女の顔をちらっと見た。新聞といっても、何を書いていいものかさっぱりわからず、誰かが書いた前号の猫の話を斜め読みして、あーつまんねーと言った。

「滝田君はなにか書きたいことある?」やさしい声で少女は言う。

「うちの犬の話かなぁ」猫がきているので、次は犬という単純な発想だ。

「たとえば、将来なりたいものとか」少女は、犬を無視する。

「そっち方向の話? なりたいもの? 金持ちかなぁ。うちのオヤジ見てても、なんかイメージ湧かないし」

「…じゃ、今から十五年後に何しているか、何をしていたいか、それを想像しながら書いてみるっていうのはどうかな」

「へえー、おもしろそー、でもなんで、十五年後なんだ?」

「三十歳になったとき、何をしているかってこと、今から考えるの」

「サラリーマンじゃねえの」

「もっと、違うことしようよ」

「そーいうお前は何してるんだ、大人になって? フツー考えないでしょ、そんな先のことは」

「考えるでしょ。考えようよ。私はきっと旅していると思うな、今と同じ」

「旅って、どうやって食っていくんだよ、それで。じゃ、俺はプロゴルファーにでもなって、デカイ大会で優勝して、賞金がっぽりもらって、新しい家を建てる。地下も作って、俺専用のゲームルームにする」

「そのとき三十歳だよ、ゲームまだするの? それにショウちゃんはプロゴルファーにはなってないと思う」

また、ショーちゃんって言った。なんか悪い気はしない。

「わかんねーだろ。ゲームは今する暇がないから、三十になったらするんだな、これが。そうだ、それでいこう。なかなかよくね」

翔平は少女の言うことに釣られてちょっぴり空想の世界に遊んだ。結局、学級新聞の記事は「未来空想図―三十歳になった時」と名づけた。家に帰ってその晩、翔平はいい加減な夢を綴った。

数日後、放課後の教室。三、四人の運動部の女子がバタバタと出て行った。二人はまた残った。

「それで、お前は何書いたんだ?」 

翔平は白いブラウスの少女の原稿を覗き込んだ。

「なんじゃこれ。なになに、その年、アジアのオリンピックが中止になり、世界大恐慌がおこり、戦争になりますぅ、だぁ。で、パ・ン・デ・ミ・ッ・クによってアジアの人々が大勢死にますが、其のとき、君が現れてアジアの国々を統一して敵に立ち向かう、でもこれが人類の破滅の始まりとなります、ってかぁ。むずい単語つかうなぁ。何これ?」

「どうかな、こうはならないようにしないと。だから滝田君にも手助けして欲しい」

「いいねー。面白いけど、意味わかんねー。で『使徒』は登場しないのか?」翔平はおちゃらけるしかない。そして少女に「それでお前は何するの?」と訊いた。

「私も戦う。みんなを助けたいなって思う」

「はぁ、なんか夢見ちゃってるよ。アニメの観すぎじゃない? ま、いいか。先生こんなんでOKするかな」

「私、小説家になりたいんだ」少女は悲しそうに言った。

「おっ、そういうことか。なんだ、オーケー。ちゃんとそう書いとけよ」

「でも、約束ね。滝田君、そのときは助けてくれる?」

「オーケー。やっぱ、俺だよね」 

約束までは出来ないけど、とは口に出さなかった。毎度のお調子者で、まだ中学生なのだ。

「それから、卓球部の加藤君の県大会の優勝のコメントも載せたらどうかな」

「だな、わかった、とにかく、はやく新聞にしちゃおうぜ。だんだんメンドーだし」

「じゃぁ、私、加藤君の話をきいておく」

「ふぅ、ラッキー。頼むよ」


どこかの家の数珠なりの姫りんごの赤い実が、その甘い香りを狭い路地先まで運んでいた。すでにあたりは仄暗くなり始めている。中間テストも済んで部活動を終えた翔平は、途中まで一緒だった仲間とも別れると、ようやく家にたどり着いた。玄関先で自転車をおりて中に入ろうとした。その時、こっちを見て立っている少女に気付いた。

「あれっ」聞こえるように声を出した。

「部活、大変そうだね」

「えっ、まー、疲れた。でもなんでいるの? なんか俺ヤバいことしたっけ?」

翔平としては、何故こいつがそこにいるのか、家の前にいるのか理由が分からずドキッとした。

「実はさっき、三十歳のショウちゃんに会ってきたんだ。でも、その世界はあってはいけない世界だった」

少女は突然意味のわからないことを言った。

「あー、学級新聞ね。やっぱみんな見てねえよ。それでいいんだけど、逆に。俺の出番はもうないね」

翔平は、話題は学級新聞のことだと思ったが、また少女が謎めいたことを言った。

「だから、これから少し未来を修正しないといけないと思うの」

「…そうなんかぁ」と翔平は反応するしかない。大体、何を言っているのか、全くわからない。少女のしつこさに少し気味悪さを感じた。が、少女はまだ何か言いたげである。

「あの、未来を変えるってこと、どういうことかわかるかな?」

「えっ、わかんね。俺疲れてんだけど、わりい」

翔平はそっけなく言った。早く家の中に入りたいのだ。

「だよね。ごめんね。でも聞いて。未来を変えるって言うのは、過去を変えるってことだよ」

「なんか、お前雰囲気変わったね。いつもより大人っぽいし、格好変だし。そこにいっぱいぶら下げているのは、何持ってんの?」

少女のカバンを指差して翔平は言った。

「ケータイ、かな」

「なんの?」

「ただの飾り」

「なんか都会に行ってましたーって感じだね。そういえば、ここに来る前はどこに住んでいたんだっけ?」

「いろいろ渡ってるから、わからない。香港、かな」

「へぇー、なんか渡り鳥みたいじゃね。で、ホンコンってさ、どこにあるんだっけ?」

「行ってみない?」

そういうと少女は、何かをカバンから取り出し翔平に手渡した。

「えっ? 何これ?」

無理やり何かを押し付けられた翔平はいぶかった。見ると英語と読めない漢字で書いてあるチケットかなにかのようだ。プラネタリウムの写真と星座の絵が描いてある。何を俺にと思いながら半分以上は無視して言った。

「今日は疲れたし。明日また話聞くよ。腹減ったし」

「ごめん、そうだね。うん、じゃぁ、私も行くところ、あるから」

「オーケー。でも、なんかお前この間もそれ言った気がする」

「言ってないよ」少女は言い返すと翔平の目をじっと見つめている。が、彼女が今からどこへ行こうが翔平には興味がなかった。

翔平は急に眠気に襲われ、少女のシルエットが心に眩しく感じた。自宅の前で同級生の好きでもない女子と二人きりでいるのは、誰かに見られたら恥ずかしい。早くその場から抜け出して新鮮な空気を思いっきり吸いたい。少女はそんな翔平の心の内を見透かすように、もう一度「じゃぁ」と言って手を挙げた。翔平はそんな彼女を見送るまでもなく、ふえっと息を吐くと家の中に飛び込んだ。

「ただいまぁ、腹減ったよー、何かすぐ食えない?」 

気配だけあるキッチンの母親に向かって叫んだ。包丁がまな板をたたく音だけが聞こえてくる。


翌日、少女は前触れもなく転校していった。話す機会もなかった。翔平は、彼女がどこに住んでいたかすら知らない。他のクラスメートに訊いても、彼女のことはあまりわからなかった。何をわざわざ家まで言いに来たんだろうか。考えれば考えるほど、分からない。転校するなんて言ってなかったし。香港がどうとか言っていた。つい最近のことばかりなのに記憶はすでに茫漠としている。


* * * * * * * * * * * * * *


「それで、未来予想図もいいけどさ、そのJKのどこがマッカシーの仲間だって?」

どうにも煮え切らない翔平のストーリーにニコラが業を煮やした。どう見ても脈絡がない。

「待て待て、だからここからだよ。いいかい、驚くなよ。実は無性に気になって、中学校の時の学級新聞、押し入れの奥の奥から引っ張り出したんだ。そうしたら、やっぱり出てきたんだよ」

「何が?」

「スペースが」

「はぁ?」

「だからさ、スペースミュージアムの全く同じ二〇〇八年の割引チケットだよ」

そう言うと、翔平は少しくたびれたチケット一枚と、別に真新しい一枚を取り出してニコラの目の前にかざして見せた。暫くそれを見比べていたニコラが言った。

「まあ、ホントなら凄いけど、絶対勘違いでしょ。ホントにもう、しっかりしてよ。それだけなの?」

これがこの話の最後のオチかよと、がっかりした顔を翔平に投げると、翔平が反発した。

「いや、これマジだから。ほら、じゃあこっちも見てよ、彼女、書いているから。パンデミックのこと」

翔平はそう言うと、今度は黄色く褪色した学級新聞を取り出して見せた。ニコラはそれに軽く目を通すと、視線を上げ最後に言った。

「こういう偶然って、時々あるんだよね。その意味では面白いかもしれないけど、もう済んだことだし、忘れたほうがいいね。うん、君にしては面白い話ではあるな。それは認めよう」

ニコラはふぅと息を吐き出しながらそう言った。何かを言い返そうとした翔平だが、言葉は続かなかった。



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