第3章 兵の夢 第5話 「心ある者」
偉大な事業の完遂にはしっかりとした計画と地道な作業の積み重ねが大切である。どれだけ複雑・怪奇な目標に見えても、その道筋は極めて単純な行動単位にブレイクダウンすることができる。例えば、歩く、走る、話す、聞く、書く、計る、上げる、下げる…。そういうレベルのエレメントだ。何故なら、人間にはそれしかできないからである。ひらひらと宙を舞うことも、他人の心を読むこともできない。
結局大事を成し遂げる者は、その理想を具体化し、為すべきことを順次そうした作業レベルに落とし込む能力を持っている。そうして単純化したその一つ一つのタスクを着実に実行する熱意と誠意が、事を成功へと導く。振り返ってみたとき、初めてその辿った道のりの偉大さを傍の人々が評価するのである。
愛新覚羅溥儀は、光緒帝の皇弟醇親王載灃と、西太后の腹心栄禄の娘瓜爾佳氏の子として、一九〇六年北京に生まれた。そして二歳十ヶ月で清朝第十二代皇帝に即位すると、宣統帝となった。しかし、五年後の辛亥革命の時、これに乗じて政界に復帰した袁世凱によって、退位を余儀なくされる。溥儀六歳の時である。
それでも、清朝政府と中華民国との間で結ばれた「清帝退位優待条件」なる契約に基づいて、溥儀は引き続き「大清皇帝」という尊称を名乗り、紫禁城に居住することを許された。その後、政争の埒外にあった溥儀は、スコットランド人の家庭教師を招き、英国式の教育を受けると、欧風の生活様式やキリスト教的思想の影響を受けた。一九二二年、満洲族の郭布羅氏・婉容を皇后として迎え結婚する。人格穏やかで、常に民に心を寄せ、洪水や飢饉が起こると、多くの義捐金や支援金を被災地や生活困窮者に送ることを怠らなかった。関東大震災の時も、紫禁城の膨大な宝石・財宝を日本に寄贈し被災者を見舞った。
しかし、溥儀の日々の安寧は長くは続かなかった。中国の武力統一を図る軍閥同士の争いが激化した一九二四年十月、第二次奉直戦争に伴うクーデター(北京政変)が勃発すると、溥儀は紫禁城からの退去を命じられたのである。行き場を失った溥儀と側近らの庇護に名乗りを上げたのが、イギリスでもアメリカでもなく、震災時に彼の厚意を受けた日本であった。これこそは一等級の歴史のいたずらであろう。言うなれば、関東大震災がなければ、その後の満洲帝国はなかったのかもしれないのである。
一九二五年二月、日本の支那駐屯軍、ならびに駐天津日本国総領事館の仲介によって、溥儀一行は天津の日本租界にあった張園(旧清朝将軍の別荘)に移ることとなった。これが関東軍と溥儀が緊密な関係を持つきっかけとなった。
一方、中華民国内の政治的状況は混沌とした。一九二七年四月、蒋介石率いる国民党は、ソヴィエトの支援を受ける共産党の排除工作を開始し(清党)、南京において「南京国民政府」の樹立を宣言、党および中華民国政府の実権を掌握した。そして同年七月、国共合作を破棄、共産党との内戦に突入する。
このような情勢のなかで、国民党派の軍閥に属する兵隊らが河北省の清東陵(清朝歴代皇帝の陵墓)を冒すという事件が発生した(東陵事件)。なかでも乾隆帝の裕陵と西太后の定東陵は墓室を暴かれ徹底的な略奪を受けた。溥儀は国民党政府に対して強く抗議したが、党中央の統制の及ばない一地方軍閥がしでかしたこの事件の責任問題は結局うやむやにされた。溥儀にとってこれは紫禁城を退去させられた時以上の衝撃的な出来事であり、彼の清朝復辟(帝位に再び就くこと)の念が以前にも増して強くなるのである。
その後溥儀は、張園から協昌里にある静園に居を移していたが、天津は外国租界が多く、長引く国共内戦の戦闘地域からは隔絶されており、比較的に安全な場所であった。そして日本領事館の保護の下に、婉容、そして鄭孝胥をはじめとする紫禁城時代からの側近らとともに静かに暮らしている。それでも溥儀の許へは国民党の密使が頻繁に訪れるなどして、これがいつ紛争の火種になるかもしれず、日本政府はその扱いに苦慮した。が、今更彼を租界から追い出すわけにもいかない。
さらに一九三一年九月、満洲で九一八事変が起ったのを機に、国民党以外の怪しげな者共が頻繁に静園に出入りするようになる。時代は溥儀をいつまでも歴史の舞台袖に置いておくことを許さなかった。
この日も朝からある男が溥儀を訪ねてきていた。生憎お目当ての人は側近らとゴルフに出かけていた。仕方なく、男は出された紅茶を何杯も飲んだり、持参したカメラで静園の庭をバックに庭木を手入れする庭師を無造作に写真に収めたりしては時間を潰した。ようやく午後になって黒くて丸いサングラスをかけた英国風紳士が帰宅する。玄関で出迎えた執事が主人に来客を告げた。急いでいるのか着替えもせず、溥儀は側近らを退け一人になると、そのまま客人の待つ応接の間に入った。待ちかねていた背広姿の男は溥儀を見ても恐縮するふうでもなく漫然と椅子から立ち上がった。
石原だった。笑みを浮かべながら土肥原の代わりに来たというようなことを言った。土肥原とは奉天特務機関長である。普段は溥儀と関東軍を結ぶ太いパイプ役となっている男だ。
二人は初対面であった。目の前の男が数週間前に事変を引き起こした張本人であることを溥儀はこのとき知る由もない。社交辞令の挨拶の後、二人はソファに腰を下ろした。これにお目付け役の吉岡安直中佐がやってきて加わる。すると石原が姿勢を引き気味にして唐突に本題を切り出した。
「閣下には、清朝祖先発祥の地である満洲で、元首として新しい国家を指導していただきたいと考えています」
溥儀は一瞬はっとしたような表情を眉間に浮かべ、両肩を微かに硬直させた。そして表情を悟られないようサングラス越しに石原を睨んだ。自分に対する「閣下」という呼称に反応したのである。今の自分の立場を言い表す言葉だった。そしてその言葉の意味が持つ冷酷さに身が震えた。石原も、意図してそのような呼称を用いた。本来なら「皇帝陛下」なのだ。退位したといっても、尊敬と畏怖の念から、そうへりくだるのが常識である。が、敢えて石原がそう言わないのにも訳があった。満洲に下向したあとの、そこでの待遇を暗示しているのだ。
それでも国家元首就任要請とも受け取れる話をいきなり石原が切り出したものだから、同席の吉岡のほうがあからさまに驚いた。演技ではない。そもそも、満蒙の地にそんな「国」は存在すらしない。というよりそこは形式的にも中華民国の一部なのだ。唐突な申し出である。吉岡は溥儀と石原の顔を遠慮もなく見比べた。
溥儀は、以前弟の溥傑から「日本は兄上を満洲の皇帝に祀り上げようと画策している」という意味のことを聞かされていた。だから「来たか」と思った。が、心の奥底の思いとは裏腹に、精一杯自尊心を立て直すと、いつも側近らに語っているような言葉を石原に返した。
「僕はいずれここを離れたら、婉容や王子らを連れて、海外に行こうと思っている。勿論日本はその第一候補地です」
いや、本気なのかもしれない。そのあと溥儀は黙った。実は日本総領事の吉田茂から、軍部の甘言にはくれぐれも乗らないようにとくぎを刺されている。その言葉を思い出しているのだろう。が、石原もなるほどそうですかと引き下がる様子ではない。
「陛下、一九一一年の革命以来、お国の情勢は混とんとしています。国民党政府は内輪もめばかりし、一向に定まる様子なく、或いは共産党との争いに明け暮れております。一方旧来の地方軍閥が跋扈しては、国土を荒廃させ、民心休まるところを知りません。このような時こそ陛下の慈悲深い御心が人心を一つにするものと信じています。幸い、満蒙の地、いや東三省はわが関東軍の力をもって秩序は安定し、陛下が以前のように徳高き施政をおこなう環境は十分に整いつつあります」
今度は溥儀の心の中を見透かすかのように「陛下」になった。溥儀はカチンときた。「閣下」や「陛下」にではない。
「ちょっと待ちなさい。わが祖先の地においていたずらに軍を動かし、揚句張学良とことを構え、不法にその地を占拠しておいて、それはいかがな言いざまなのか。蒋介石も関東軍のやり方には反発している。そんな状況で何を私にしろというのですか」
石原は鼻の下でにやりとする。
「陛下、ことは外見から見るほど単純ではないのです。張司令とはある目的を共有しています。今日私がここへ参りましたことは、司令の意向でもあります。即ち、先ほど申し上げたことは奉天軍閥も承知の上のこと。巷間九一八事変といわれていますが、これは国内の共産主義者とソヴィエトを攪乱する為の計略なのです。満蒙の地はロシアにも近く、アカの犬どもが暗躍・跋扈しています。関東軍が兵を動かし、満蒙の地を制圧したのは、その犬どもを駆逐することが第一の目的です。奉天も最初は渋っていましたが、ソヴィエトと共産党の謀略を未然に防ぐ為に我々と協力関係を結ぶことにしたのです。奉天軍は、国民党政府から離脱したのち、満洲国皇帝麾下の直属軍となります。そして我々関東軍もいずれそのようになりますでしょう」
溥儀は内心驚愕した。実は数日前も張の軍事顧問を名乗る日本陸軍の将校が張の腹心だという王何某とともにやってきて同じようなことを言って帰ったのである。色んなことを言いにやってくる輩は多い。その時も何を馬鹿な戯言かと思い一笑に付した。そもそも、張学良は満洲で王になろうとしている男だ。いやもう王様気取りなのかもしれない。そんな男が、自分を満洲に招きたいと言い出すはずがないのだ。自分が行けばいずれ邪魔者になる。結果は見えている。
溥儀は石原の顔を凝視した。関東軍のなんらかの思惑が働いているに違いない。利用されるのは嫌だ。が、逆手にとって利用してやるのも手かもしれない。溥儀の頭の中で相反する思惑がぐるぐると渦巻いている。しかしこの話が本当であれば、清王朝再興の現実味が出てくる。いや、まだ遠心力が足りない。すると石原が溥儀の思考を遮って言った。
「陛下、我々は蒋介石から陛下のもとに頻繁に使いが来ていることも承知しています。国民党政権より、我々のほうが信用できます。どうか信じてください…。当初は執政という立場についていただきます。国体が整い時期が来ましたら、その上の位に上っていただきたく考えております」
さらに石原は満洲に日本の明治維新を再現させると言った。海外からの技術、資本を導入し、諸産業を興し、富国強兵を図るという青写真がすでに細密に描かれているのだとも言う。日本の傀儡ではなく、五族協和・王道楽土の旗印の下、元首として国の指導者になっていただきたい。もちろん、地位だけではなく、経済的な保証もするという話だと熱弁を奮って溥儀の決断を求めた。
一方蒋介石からは「満室優待条件」を復活し、北京に溥儀を迎え入れたいとの申し入れが何度も来ている。名ばかりの皇帝として。ここは天秤を持ち出すほかない。
「陛下、もう一つ、大事なことを申し上げるのを忘れていました」
帰り際、石原は一度立ち上がりかけた椅子に座りなおすと勿体ぶって言った。
「数年前、匪賊によって乾隆帝と西太后の陵墓が荒らされたという悲しい事件がありました。陛下のお気持ちを察すると、我々も心が痛みます」
ふん? 何を急に無関係なことを言い出すのか、溥儀はひんやりとした顔を同席の吉岡に向けた。確かに東稜事件ではつらい思いをした。国民党は犯罪者どもを処罰もせずにそのまま放置した。そのことが残念でならない。一瞬のうちにそんな感情が溥儀の心の中を通り抜ける。
溥儀の反応をみた石原は肘を膝に置くと前かがみになった。
「陛下、あの事件をしでかした連中の本当の狙いは、何だったのでしょうか」
墓荒らしに決まっている。東稜には価値のある副葬品が代々の皇帝らとともに眠っていたのだ。狙いもへったくれもない。金目のものはなんでも盗ってゆくのが墓荒らしだ。そうか、先祖代々の墓を荒らされたままにして、己だけが海外に逃避するという発想は墓荒らしと同様の犯罪に等しい。そんな考えではだめだ。石原はそう言っているのだろうか。
「イヌ、ですよ」無反応の溥儀の隙をつくように石原が言った。
「は?」声にならない。いかにも犬は唐突だろう。
「円明園の、といえばお分かりいただけるかと」
溥儀の表情がみるみる青ざめた。ゴルフで日焼けした顔の色の変化までは石原にはわからなかったが、その口元の動揺を見逃さなかった。
「ご安心ください…。そのことをお伝えしたかったのです」
それ以上、石原は何も言わなかった。溥儀も何も訊かなかった。
実は二ヶ月ほど前だったろうか。巷間でよく当たると噂されていた有名な西洋占星術師を晩餐に招いたことがあった。その占星術師が溥儀の行く末を占った。余興である。即ち「清朝復辟をお望みならば、円明園で破壊された噴水時計を修復するがよろしかろう。大切なのが十二支像、とりわけイヌが重要である。それが先祖を供養する一番の方法です」と言ったのである。周りの者は一笑に付したが、真顔で聞いていた溥儀はうんうんと頷いたという。今、そのことを思い出したのである。しかし、東稜事件と円明園、どうにも結びつく話ではなかった。溥儀は混乱した。
石原が帰った後、彼は満鉄総裁の内田と関東軍司令官の本庄のもとに側近を遣った。石原の話の信ぴょう性と、自らの処遇を確認する為である。さらには東京の南陸相にも親書を書いた。日本は何故関東軍の一参謀である石原と言う一介の陸軍中佐にこんな大事を託したのか、それも気になる点だ。
奉天郊外の陵墓には愛新覚羅家の代々の先祖が眠っている。安住の地、心のよりどころの地としてこれ以上の場所はない。最初からそれはわかりきっていた。溥儀が己の夢を石原のいう満洲国にかけてみようと決心するのにそれほど時間は掛からないのかも知れない。
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二ヶ月後、溥儀と彼の側近は天津を脱した。夜陰に紛れ静園をこっそりと抜け出すと、国民党の警戒網を潜り抜け、塘沽から大連汽船の淡路丸に乗り込んだのだった。すべて関東軍の差配である。一行は一路満洲へと旅立った。溥儀の失踪はすぐに国民党や諸外国メディアの知るところとなり大騒ぎになるだろう。それは近くて遠い道のりだった。もう、帰る場所はない。天津を脱してから二日目の夜、溥儀らは営口に上陸すると、そこから湯崗子へと向った。唐代からつづく古い温泉療養地であり、満鉄経営の高級旅館対翠閣があった。長春では、満洲国建国式典、そして溥儀の執政就任宣誓式を執り行なう準備が内々に進められているはずだ。が、まだ機は熟していない。九一八以降、世界の耳目は満洲の動静に注がれている。そして溥儀。今はどこかに身を隠す以外に取るべき策はない。
そんな折から、南陸相から本庄関東軍司令官宛に訓電が届いた。
「一支那人である溥儀の行動或いは溥儀に対する行為については、帝国の関知するところではないのは当然のことである。万が一溥儀が政権樹立を企てるような事態が起きたとしたら、それは日本の国策推進にとって極めて不利である。よって関東軍は軽挙妄動を慎み、溥儀をもって政権問題に関係させしむ事態を惹起せぬよう周知徹底すべし」
徒に溥儀に関わって余計なことだけはするなと陸軍省から関東軍にくぎを刺してきたのである。軍中央は、これ以上の国際関係の悪化を恐れている。南は溥儀にも親書の返事を書いていた。しかし「日本政府が良きに取り計らうので、ご安心ください」というような曖昧な内容であった。これがことを難解にした。
暴走する関東軍の謀略は着々と進んでいる。進行中の悲劇のようでもあり喜劇のようでもある。溥儀は湯崗子に滞在中、関東軍によってある極秘文書の署名を迫られた。満洲国建国における日本の権益を確認するための関東軍との密約に関するものである。草案は板垣ら関東軍参謀本部がつくった。溥儀が署名したならば、その内容に関東軍司令官が同意するという形をとる。つまり発起人は溥儀である。さてどうするのか。
話はひと月ほど前に遡る。奉天の瀋陽館の一室において「日満議定書甲案」なる文書について関東軍参謀本部内で侃々諤々の議論が交わされていた。
「満日議定書甲案」
一 満洲の国防、治安維持は国軍編成までの間日本軍にこれを委ねるものとする
二 鉄道・港湾・航空路等の新設・管理は日本との協議によるものとする
三 関東軍の国軍化に便宜を図るものとする
四 満洲国参与、官僚に日本人専門家を率先して登用するものとする
此処までは、まあ、なんとか良かった。争点は、次に続く「五 参与、官僚の任免・罷免権は関東軍司令官がこれを持つ」というものだった。石原が、これに異論を唱えたのだ。引く様子はない。監修者の板垣に向かって主張した。
「板垣さん、これはまずいでしょう。満洲国の上に関東軍ありきでは、国際世論からの独立の承認を得られないばかりか、東京だって認めやしませんよ」
「いや、これは密約だから、表に出ることはないのではないか」誰かが言った。
溥儀サイドがバラせば、一貫の終わりじゃないか。そんなこともわからないのか!と石原はその発言をした参謀を睨んだ。すると板垣がまぁ待てと口を挟む。
「そうは言うが、満洲に関東軍なくして全てはうまくいかないと、お前が一番言っていたことじゃないか。それに溥儀や側近連中が勝手なことをやりだしたら、それこそ収拾がつかんだろう。何を今更言うんだ」
「いや、それにしても、官僚の任免権まで関東軍司令官が口を出すっていうのは、前代未聞ですよ。それに、関東軍の軍事的プレゼンスがあれば充分です。誰も勝手なことなんかできやしませんよ」
「お前にしては弱気なことを言うんだなぁ」
板垣は同情するような視線を石原に投げかけた。
「満洲国が末永く発展するための仕掛けとしては、これはまずいでしょうと申し上げているんです」
勿論、石原は引かない。これは百年の計なのだ。が、板垣も負ない。この二人が人前で真っ向から意見を対立させるのは珍しい。周りの参謀らは中々嘴を挟む余地がない。
「いや、やっぱりネコには鈴をつけておく必要があるだろうよ。お前は支那人をそこまで信用できるのか」
これは、痛いところを突いた。
「満洲国誕生の暁には、関東軍は、日本を捨てて満洲帝国国軍となることを厭わないといって賛成したのは、板垣さんですよ」
そのような二人の応酬に他の参謀連中も隙を見ては加わると、さらに騒々しくなって、それこそ収拾がつかなくなった。仕方なく石原は伝家の宝刀を抜いた。まがいものではある。が、言い放った。
「このままいくと統帥権干犯問題を惹起する危惧があります。これは溥儀との問題、満洲国の問題では済まされないものです」
何のことかとしばらく考えた挙句、板垣が珍しく声を荒げた。
「おまえ、何を馬鹿なことを言う!」
温厚な板垣でも、いたく神経を逆なでされた気がした。これに同調する者もいる。しかし、しばらくすると統帥権干犯という殺し文句に板垣やほかの参謀も黙ってしまった。意味がわかって黙ったというより、その言葉に生理的に反応したといってもいい。遅効性の下剤のようなものかもしれない。下腹部が重くなってきたのだ。「統帥権干犯」元来軍部の政敵に対してこそ使われるべき言葉だ。それは皆痛いほど学習している。が、それを逆手に使われたら、それは反乱軍のレッテルを貼られることと変わりがない。迂闊なことをやって錦の御旗を敵に渡すことはできない。いや、そんなことあろうはずがない。関東軍に刃向う敵などない…。
かつて世に言う統帥権干犯問題という政争事件があった。二年前の一九三〇年、ロンドン軍縮会議において時の政府、濱口内閣が軍の反対を無視する形で軍縮条約に調印した。これを犬養ら野党がここぞとばかりに騒ぎ立てたのがことの発端である。なんと犬養らは軍の意向に反して条約調印するとは憲法に謳われている天皇の統帥権の独立を犯すものだと政府を攻撃したのだ。この完璧な言いがかりは狡猾な誰かが発明したものであった。が、最後には、軍神東郷平八郎やら天皇の伯父の伏見宮まで担ぎ出して、とにかくこれは統帥権干犯である、ということにしてしまったのである。
このときは、これがまさかケチのつきはじめになろうとは誰も考えていなかった。軍縮条約調印まではなんとかこぎつけたものの、その先海軍は軍縮派すなわち条約派と、艦隊決戦派にわかれて不毛の抗争を続ける羽目になる。さらに濱口首相が暴漢に襲われ死去すると、内閣は総辞職の憂き目にあった。これを機に軍部は国軍編成権という強大な権力を手にしたのである。
今石原がいう統帥権干犯の可能性とは、国事行為、すなわち天皇の大権であり、国務大臣が輔弼するところの外国との条約締結という行為について、一地方軍司令官がそれを執り行うのは、憲法違反だと言っているに等しい。板垣らは、そこのところはよくわかっていないのだが、一番頭の切れる石原がそういうのなら、それはそうなのだろうという程度の認識であった。冷静になって何故だとも中々訊けない。己の無知の証になるからだ。
しかも、最近の石原は、行く先々のことをうまく言い当てている。百発百中の予言者のような凄みすらある。柳条湖をやる前から、いずれ国際連盟の調査団が満洲にやってくるので何としても満洲国建国はそれまでに完了しなければならないとか、変わったところでは少し前だったが、トーマス・エジソンがまもなく死ぬとか言っている。今この(一九三一年十月の)時点で国連の調査団などというものは影も形もない。が、エジソンは数日前に死んでそのニュースは満洲にも届いていた。これまで石原が語る未来はすべて現実のものになっていた。石原の言うことには、理屈でない迫力が備わっている。この男の先を見る目、情報収集とその分析能力は超人的であった。板垣が納得すれば、もうそれで行くしかない。
「じゃぁ、こういうことでどうでしょう」
石原は切り札を切った。折衷案を提示したのだ。即ち「関東軍司令官、またはその代理のものは、高級官僚の任免を含めた満洲国皇帝またはその代理の者の国事行為を輔弼する」
これでどうだと迫った。任免についての同意が必要という文言より曖昧であるが、逆に「国事行為を輔弼する」で、その権限の範囲がなんとなく広がって影響力は大きくなったような気がしないでもない。いずれにしても、溥儀は傀儡なのだ。皆黙りこくって考えている。しばらくこの文言を反芻した後、ようやく板垣は妥協した。
「わかった、じゃぁ、それでいい。その代りに『優先的に』という文言を追加しよう」
つまり優先的に輔弼したい。石原は、わかりましたと言った。修飾語は、どうでもいい。しかし、一度署名されてしまったら、なかなか文言を覆すのは難しくなる。しかも一人歩きする。だから、今この時はっきりさせておく必要があった。何度も言うが、石原にとってここは譲れない。輔弼という言葉で、司令官の立場は、日本国内でいえば天皇を輔弼する国務大臣という位置づけになるのだ。あとは、財政的にも独立して、張とも協力していつか関東軍が満洲国軍になればいい。
一九三一年十一月、溥儀は湯崗子においてこの密約に署名した。そして翌年三月一日には溥儀を執政、張学良の腹心栄臻を国務総理とする満洲国が誕生する。
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年が改まった一九三二年一月、石原の予言通りジュネーブの国際連盟で満洲事変調査団が編成された。英国のリットン卿のほかに、フランス、イタリア、ドイツからそれぞれ軍人、外交官、国会議員らがメンバーに加わった。世に言うリットン調査団である。調査費用はすべて紛争当事国である日本と中華民国の負担となる。
溥儀がまだ湯崗子に足止めされていたころ、調査団はサンフランシスコを発し、そして溥儀の満洲国執政就任日、即ち満洲国建国日の前日にあたる二月二十九日に横浜に着いた。手始めに日本の国情、政府の立場を理解しようということだった。東京ではリットン調査団はまもなく五・一五事件で暗殺される犬養首相に面会した。リットン卿は、その犬養に中国の実態をよく見てきてくださいとの要請を受けた。そこでリットン卿は調査団の立場を説明し「日支両国の恒久的友好関係の基礎を築く手助けをしたい」と返答したのである。
調査団メンバーの中に、フランク・ロス・マッコイ、アメリカ陸軍少将がいた。米国は国連未加盟国であるが、中国には多大の権益を有している。国連としてはこれを無視するわけにはいかず、そこでマッコイがオブザーバーという立場でこれに加わっていたのである。
マッコイは、六十に近い初老の男である。卵型の頭部は生え際がだいぶ後退しているが、口元には常に強い決意の色を湛えた、思慮深く言葉を選びながら話すタイプのエリート軍人だった。元々アジア通であり、関東大震災の時にはアメリカの被災地救援隊の陣頭指揮を執っている。
調査団が明日は東京を離れて京都へ向かうという日の夜であった。政府主催のお座敷大宴会がお開きとなり、調査団メンバーの皆が機嫌よく宿所である帝国ホテルに帰ってきた時のことである。マッコイがフロントでルームキーを受け取ろうとすると、接客係が「お客様にメッセージが届いています」と言って、彼に一通の封書を手渡した。マッコイは訝しがりながらも、注意深く中のメッセージを取り出して開いた。そしてもう一度訝しむ。どうやら今から折り入って話をしたいという者がその辺りに来ているらしい。差出人の名前を見ると「大地満洲の心ある者より」となっている。フロントマネージャーが言うには、その人物は一時間も前から中庭テラスでマッコイを待っているという。他のメンバーは皆自室へと引き上げ、マッコイだけがロビーに残った。小賢しいが暴漢でもあるまい。根っからの軍人であるマッコイは考える。ほろ酔い気分も手伝って、ヤンキーの好奇心が頭をもたげた。
彼は、アメリカ政府から日本と満洲の行く末が合衆国にとってどのような国益に結びつくのか(或いは相反するのか)、その可能性を見極めるようにと命じられてきている。今夜は、珍しい芸者つき宴席で思わず酒量も増した。酔い覚ましには丁度いい。いやこれからもっと面白い余興があるのかもしれない。
春とは名ばかりの東京の夜。マッコイは、ホールを抜けて暗い照明の中庭テラスへと出た。屋外のテーブル席のいくつかには蝋燭が燈り、ちらほら客の姿も見える。その先に目をやると、二つの影がこちらの様子を窺いながら隅のベンチに座っている。一人が立ち上がった。それを見たマッコイは、ズボンのポケットに片手を突っこむと、その男らに近づいた。座ったままの男の方に目がいった。黒のソフト帽に黒っぽいウールのオーバーを身に纏って、こくりと一度頭を下げると、あとはあらぬ方を凝視している。私服だが、姿勢が軍人のそれであることは、すぐにわかる。もう一人の立ち上がった方の男は、スーツにネクタイ、どこにでもいそうな日本のビジネスマンといった風情だが、常に周囲の気配を伺うような物腰である。マッコイは声を掛けた。
「失礼、フランク・マッコイですが、私になにかご用というのはあなた方ですか?」
「そうです。お待ちしていました。マッコイ少将」
マッコイの接近を視界の中で窺っていたビジネスマンが愛嬌のある声をあげた。男は手を差し伸べたが、マッコイは無視をする。暗くてはっきりはしないが、丸顔でメガネをかけた男である。すこしロシア訛りの英語だが、まあ聞き苦しくはない。
「大地満洲の心ある者とお名乗りのようだが、一体どなたですかな」
「はい、私たちは、つい数日前まで、満洲におった者です」
ビジネスマンは、言葉を選ぶようにゆっくりと言った。
「ということは、もちろん、日本人、ですな」
「満洲国建国に向けて数日前まで奮迅しておりました…」
マッコイの眉毛が額とともに吊りあがった。そして懐中から取り出した葉巻にゆっくり火を点けながらこう言った。
「ほう、それは興味深い。それで、私にはどのようなご用件でしょうか」
マッコイはもう一度同じことを訊きながら、なにか面白い情報があるかもしれないと直感した。只の勘である。するとビジネスマンが応えた。
「はい、では、失礼ながら、単刀直入に申し上げます。今から申し上げることはアメリカ政府に対する提案と考えていただきたいのですが…」
マッコイはもう一度眉を吊り上げずにはいられない。
「ほう、提案、ですか。それはあなたの個人的考えの一部としてお話しされるものですかな? それとも、ふう、まぁ、いいでしょう。お聞きしましょう」
マッコイは距離を取って隣のベンチに腰掛けた。ソフト帽は、黙って何もいわない。目付役かそれとも言葉ができないのか。マッコイはそんなことを考えている。するとビジネスマンが向き直って言った。
「すでに御存じとは思いますが、満蒙の地では満洲国の建国が宣言されました。清朝ラストエンペラーの愛新覚羅溥儀閣下が執政に就任されます。九日には、長春でその執政就任式典が大々的に執り行われる運びです。新しい満洲の時代がやってきました」
「ふむ、なかなか手回しがいい。どうやらそのようですが、しかし、事を急ぎ過ぎると、後で後悔することになるかもしれませんな」
カウボーイの恫喝にも聞こえる。が、マッコイはカウボーイではない。
「いえ、そのようなことはありません。これは満洲の人民諸子にとって避けて通れない必要なプロセスであると私たちは理解しています。やみくもに日本の国益だけを考えて行動しているわけではありません。そこをご賢察いただきたいのです。御承知のように、満洲の北方地域はソヴィエト共産主義の脅威に晒されています」
ビジネスマンは、何度も練習してきたかのような歯切れのいい勢いのある調子で言い切った。
「なるほど。共産主義の犬ども、いや熊ですかな、これはなんとも頭の痛い問題です。将来の脅威であることには変わりがない。いいでしょう」
マッコイも、資本主義の敵であるソヴィエト共産党の拡張主義はどこかで抑え込まなければならないと考えている。恐慌の誘因の一つでもあり、ファシズムより始末が悪い。これはアメリカ政府の方針でもある。満洲がこの防波堤になるのであれば、米国の国益にも適うだろう。検討に値する。たぶんそうなのだ。ビジネスマンが続ける。
「そうなのです。しかし、現実を言ってしまえば満洲国にはこれに対抗する力が十分ではない。日本が維新で成し遂げたように、産業を興し、文化・教育を発展させ、人々が平等で平和に暮らせる豊かな国を作り上げたいと、我々はそう願っています。ソヴィエトの野望を挫くには、貴国のお力添えが必要なのです。また、アヘンで中国を食い物にする連中もいつまでも許してはおけません」
ビジネスマンはついでに英国を批判している。一歩間違えば満洲もアヘン商人の餌食となる。そうとも言っている。いや、アヘンは既に満洲の人々をもひどく蝕んでいる。だから何とかせねばならない。
「そうですか。その点は同意ですな。それで提案とは何なのでしょう」
はて、一体どの部分に同意なのだろうか。ビジネスマンは話の核心を突いた。
「満洲に貴国の資本、人材、技術を大々的に招聘・導入したいのです。御承知のように、日本にはそれらを全てやるだけの力がない」
「…」
マッコイはしばらく考えている。突飛なこの申し出に言葉が出ないようだ。こいつ、本当に日本人か。そもそもそんなことを言うほどの当事者能力があるのか。そんな疑念も生じる。まずはそこを確認しなければならない。
「それは、あなた達、いやお二人の個人的な考えですかな、それとも犬養さんや荒木さんも御承知なのでしょうか」
無言を通しているソフト帽をちらりと見やりながら、マッコイは当たり障りのない質問で返した。荒木とは陸相である。マッコイは二、三日前官邸で会っている。これは日本政府の内々の要請かと訊いているのだ。そんなわけはないだろうと思う。彼ら政府筋の人間の口からはそのような話は微塵も出ていない。いや待て、そんな話がたとえあったとしても、確かに内々にマッコイに話す機会はなかった。早合点は禁物だ。するとビジネスマンは予断に反したことをさらに言った。
「いいえ、これは日本の声ではなく、満洲の声と考えていただきたいのです。調査団はまずは中国へ渡られると聞きいていますが、長春で執政に会われる前までに、この提案をよく吟味いただきたいのです。満洲という地域は、貴国と同じように多民族国家です。貴国から援助をいただくことができれば、満洲の国家発展はゆるぎないものとなります」
ビジネスマンはゆっくりと話しているが、熱を込めてこれを説いていることはマッコイにも伝わりはじめている。が、その内容まではすんなりとは通じなかったようだ。
「しかし、日本軍が満洲に居座るというのはいかがなものでしょうな。国際世論は蒋介石に同情している」
マッコイはアメリカの懸念でこう切り返した。
「今、日本軍が撤退すれば、元の木阿弥です。馬賊や満洲軍閥だけならよいが、間違いなくソヴィエトに付け入る隙を与えるでしょう。引くに引けないのです。必要な時期までは国際連盟の委任を受けるかたちで、関東軍が治安維持に当たるというオプションも選択肢の一つでしょう」
「…」
マッコイは黙った。政治の専門家ではない。が、ビジネスマンがこの話を思い付きで言っているわけではないことは成程わかった。
「お話の趣旨はわかりました。それで、この話はリットン卿やその他のメンバーにも伝わっているのでしょうか? それから、あなたの今のお話の信ぴょう性はどうやって判断すればよろしいのか」
ジョークで言っているわけではない。それはいいだろう。が、裏付けのない絵空事にも聞こえるし、何らかの思惑でアメリカを嵌めようとしているのかもしれない。なにしろ初めて聞く話なのだ。しかもこの胡散臭い連中から。
「この話は少将、あなたにするのが初めてです。それから二番目のご質問についてですが…、こちらの方を紹介させてください」
すると、それまで視線も合わせず一言もしゃべらなかったソフト帽が立ちあがって、マッコイに手を差し出した。
「石原です。どうぞよろしく」
「はっ? とおっしゃると?」
「石原莞爾といいます」
マッコイは男が何を言っているのか、一瞬わからなかった。なにしろ、どんな意図からか、男がドイツ語で挨拶をしたからだ。しかも名前を名乗っただけだ。
「この顔と氏名は手形になりますでしょうか。こちらは石原莞爾陸軍中佐、関東軍参謀本部作戦課長です」
ビジネスマンが、意訳した。マッコイは一瞬戸惑ったが、イシワラカンジと口の中で反芻する、そして、はっと息をのんだ。まさか。オーマイゴッド! 板垣とともに満洲における軍事作戦を首謀した男ではないか。目の前のこの男は、本当にそのイシワラなのか? 動揺を気取られまいとして、マッコイは苦笑いを浮かべた。世間一般では、石原が満洲事変を画策し、実行した人物という認識はない。が、諜報活動の組織が発達し、その情報網を中国や満洲にも張り巡らしていたアメリカでは、すでにそのような分析がなされ、その名前が挙がっていた。
「まさかとは思いましたが、あなたがあの高名な石原中佐ですか! これは、これは、お会いできて光栄です。今回の事件の…」
皮肉が交じりはじめたところでマッコイは次の言葉を一瞬見失う。ソフト帽が頷いたように見えた。
「…なるほど、しかし満洲にいらっしゃるはずの方がどうしてまた東京に…。そういうことなら、改めて色々お話を伺いたいものです」
マッコイは内心考えた。だとするとこの男、何故ここにいる。まぁいい、いずれはっきりさせてやろうじゃないか。問題は今の話だ。これはきわめて慎重に状況を分析する必要がある。彼は初めてみる恐竜の化石を発見した古生物学者のように奮い立った。いやいや、ここはもう一度慎重に対処しなければならない。狂言ということもある。冷静になってそう思い直した。それにしても何故だ。するとソフト帽が、マッコイの思考を遮った。
「彼が今申し上げたことは、およそご理解いただけたとは思います。が、後々のことも考量しまして、一度会っていただきたい人物がおります」
またもやドイツ語で言った。ビジネスマンが、それを同時通訳する。だったらドイツ語で話す必要もなかろう。マッコイもなにか反応しなければならない。
「それは構いませんが、こんなところではなんですな、よろしければバーでウイスキーでもいかがかな、私の奢りで結構、ゆっくり話を…」
はにかんだ笑みを浮かべながらそう言ってホテルの中を指さした。男らの反応がない。仕方なくマッコイは似たようなことをもう一度言いかけたが、石原がそれをまた遮るようにして返答した。
「いや、酒のほうは全くダメなのです。それに今夜は遅いので、また後日、お目にかかる日もあろうかと思います。その時、詳しいことをお話いたしましょう。これは正真正銘、一念覚悟のまじめな提案なのです。今夜はご挨拶までということで、夜分遅くお疲れのところを失礼いたしました」
石原は帽子をかぶり直した。そして出口とは逆の方向へと歩き出した。えっ、そうなのか。
「ちょっと待ってほしい」
マッコイは追いすがるように言った。すると石原は立ち止まり、振り向いた。
「そうだ。もう一つ、お話しておきましょう。今、貴国の政府内には、かなりのアカのスパイが入り込んでいますが、そのことをどうお考えですか?」
あずかり知らぬ話の内容に、マッコイはひるんだ。
「一人、二人ではありません。数百人単位のソヴィエトのエージェントが政府内や関係機関に入り込んでいる。目的は、日米の衝突、そしてアジアの共産化です」
それだけ言うと石原は背を向けた。マッコイは驚いた。一日本人が知る術もないことを、何故そこまで自信満々に言い切るのか。思考が止まった。そして眉をひそめた。
ビジネスマンが「是非新京でもう一度お会いしたいと思います。では」と言うと、軽く会釈した。マッコイはベンチから立ち上がる。もう見送るしかないのか。二人の日本人は影となり、暗闇へと消えた。
マッコイは立ちつくすと、獲物を諦めた狼のような表情をその闇に向けた。
「思わせぶりなことを言いたいだけ言って、あとはさようならか、なんとも失敬な奴らだ」
そう独り言を言いながら「くそっ」と舌打ちをした。が、これが少しでもまともな話なら、大変なことになるかもしれない、そんな予感に身震いをすると、今度は無性に可笑しくなってきた。
世界は出口の見えない大恐慌の真っただ中である。世界恐慌の震源となったアメリカ国内では、共和党のフーバーの財政政策が後手に回ったこともあり、恐慌前に比べて株価は五分の一、工業生産高は三分の一にまで落ち込み、失業率は二〇%を超えている。民主党のルーズベルトが出てきてニューディール政策を実施するまで、否、どこかと戦争を始めるまでアメリカ経済はどうにもならない状況なのである。今、まさにどん底であり、自由の国アメリカですら社会主義革命勃発の危機に直面している。この話が実現可能なら、うまくすれば満洲を梃子にアメリカを立ち直らせることができるかもしれない。検討に値する。誰もがそう考えても不思議ではない。
しかし日本は本当にこんなことを考えているのだろうか。そこがわからない。情報がもっと必要だ。奮い立つような思いでそうマッコイは自分に言い聞かせた。今から満洲が楽しみだなんて、なにか新鮮じゃないか。いい音楽を聴きながら、誰かと美味いバーボンを飲み交わしたい気分だ。誰でもいい。




