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未來からのハッコウイチウ  作者: 檀D九郎
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第3章 兵の夢 第4話 「生命線」

依然、ここは蕎麦屋である。ナオミが淡々と語る。これから起こるという話である。

…四月には蒋介石による北伐が再開する。山東に出兵した日本軍と衝突するが、その後北京の張作霖へと矛先を変えた蒋介石軍によって、張は押し出されるように北京を脱出し奉天へ引き上げることになる。

ここで関東軍が罠を仕掛ける。満洲で独自に新政権の樹立を画策する関東軍にとって利用価値がなくなりつつあった張は、彼らにとっては只の邪魔者でしかない。しかも反日行動を画策する張が奉天に居座るとなると、満洲域内の反日・排日運動に利用され、馬賊や共産分子の撹乱テロ行動も活発になる恐れが大きい。居留民や日本企業の安全も脅かされる。

そこで関東軍内に独断専行の張作霖爆殺計画が持ち上がる…。


張作霖は、遼東半島は海城県の貧しい家の生まれである。若くして馬賊に身を投じ、日露戦争中にはロシアのスパイとして活動したが、日本軍に捕えられると児玉源太郎によって助命された。その後、日本のスパイに転じた人物である。やがて、満洲にあって袁世凱率いる北洋軍閥と緊密になると、清朝滅亡後も東三省において軍閥としての地歩を固める。機を見るに敏で、一九一六年に袁が死去すると、満洲全域を手中に収めその支配者となった。さらに北京に進出し幾多の政争・紛争を凌ぎ切った。一九二六年末、自らを大元帥と称し、中華民国の主権者であることを宣言した。

日本政府も、ロシアから継承した満洲での権益を保持・拡大するために、当初この張作霖を利用し支援するという親和政策を取っていた。ところが欧米は中国統一を目指す蒋介石の国民党政府支持に動いた。しかしその蒋介石に満洲への侵攻意図がないことが判明するに及んで、日本にとって張作霖の利用価値が著しく低下するのである。張は今そのような不安定な立場に身を置いている。


さて、どうしたものか…。

成程、かなり乱暴な筋書きだが今の満洲の状況ならありえなくもない。石原は聞きながら一々納得した。ナオミがさらに言う。

「満洲国の将来にとって、この爆殺計画実行は致命傷になります。満洲の軍閥は排除するのでもなく、野放しにするのでもなく、取り込むことを前提に考えてください。そして、あなたが決してこの片棒を担ぐようなことはしないことです」

「片棒か…わかった。そのようにしましょう」

頷きながら、石原は了解した。誰が片棒なんか担ぐものか!と心の中で啖呵たんかを切ってみせた。同じ担ぐなら心棒だ。アジア主義の石原には漢口駐在時代の経験が生きている。日本人ではどうにもならない中国人の情報ネットワークが大陸の隅々に張り巡らされ、行き渡っている。実は蒋も張もないのだ。軍閥はうまく活用する以外にない。

が、わかったとは言ってみたものの、石原には関東軍の暴走をどうやって阻止するのかの妙案はない。そもそも前史においては暴走する筆頭前頭なのである。そこで訊いてみた。

「それで、その張殺害の実行犯ともいうべき関東軍の首謀者は誰になるのですか」

「河本大作大佐が実行します。当然ですが、関東軍司令官による指示です。いずれにしてもこれを阻止してください。いえ、歪曲でも結構です」

「成程、承知した。しかしだなぁ、日本に居ながらにして一体どのようにこれに細工したらいいのか、もう少し情報が欲しい。なにか取っ掛かりはないものなのかい」

普段は講義・講釈する立場の石原も、ここはナオミにどうすればいいのか訊くしかないのだろう。あてずっぽうにやっても駄目、強権的にやっても駄目。するとナオミは石原に顔を近づけると、声を落とした。石原も一々頷きながら話を聞いている。ナオミが、話はここまでですと言うのを聞いて、ようやく意を決した。

「わかりました、やってみましょう」

ナオミが近づいていた顔を離すと、石原は正対し軽く一礼した。

「それで、あとはなにか?」

今日はもう十分だという意味を込めて言った。

「今流行性の感冒が流行っているので、予防ワクチンを打って差し上げます」

「おやおや。蕎麦食ってしまいますから、すこし待っていてください」

すっかりのびた蕎麦を見ながら石原も応ずるほかない。残りを食い終わると、石原はその場で上着を脱いで腕まくりした。ナオミは細く短い注射器を取りだすと、手際良く石原の左腕にワクチンを打ち込んだ。周りにいたほかの客らは、なんとも目にも止まらぬ二人の連携作業を不思議そうに横目で窺っている。陸軍さんのやることは、さすがだと感心しているようでもある。第一蕎麦屋で注射はだれも見たことがない。

「それにしても、あんたのする注射というのは、全く痛みを伴わない。麻酔が効いているのかな」

適当なことを言って石原が感心してみせた。

「これは針ではなく、マイクロバブルで試薬を細胞に打ち込んでいるのです」

気泡を高速で打ち込む。だから痛くないのだという。そんなことができるのだろうか。そんな注射器をどこかにしまい込むと、ナオミが話題を転じた。

「それから、この先私に代わって色々あなたに助言をする人物を紹介しておきます」

えっと石原が反応する隙もなく「こちら、宮崎さんです」と言って、ナオミはそれまで隣で蕎麦を啜っていた男を指差した。石原が慌てて視線を横にずらすと、男は急に箸の手を休め「宮崎と申します。はじめまして」と言い、丁寧にお辞儀をした。

「石原です」

この男、何時からそこにいたのだろうか。石原も軽く会釈をした。

「宮崎さんはマクロ経済政策の専門家です。この先あなたの相談役として助言をしてくれるでしょう。私の友人です」

「…」

石原は男の顔を見ながら考えている。どこかで会ったことがある。石原より少し若い。黒ぶちの丸メガネを掛けている。が、思い出せない。いや間違いない。仕方なくもう一度軽く頭を下げた。

するとナオミは小娘のように小首をかしげ「では桜の季節になったらまたお話しましょう」と言った。そして、するっと立ち上がった。

「えっ」

石原は不意を突かれた。宮崎もペコリと頭を下げ、席を立つ。蕎麦屋は混んでいる。石原がなにか声を掛けた。ラヂオから「八卦よい」と軍配の声が聞こえる。ナオミは振り返ることもなく、もう暖簾をくぐろうとしている。丁稚が女将に従うかのように宮崎が黙って後に従う。

「残ったぁ、残ったあ」

行司の声と店の客の歓声が入り混じった。

やがて石原は一人になった。いや、相撲中継が佳境に入ろうとしていた。結びの一番である。拡声機からは呼び出しに交じって、取り組みの解説をするアナウンサーの高揚した声が聞こえている。今夜は皆、初めて聴く大相撲中継に夢中なのだ。

ラヂオの研究はまたあとだ。気を取り直した石原は蕎麦の勘定を済ませるとそろりと一人店を出た。


誰かが言った。

夢の中では何でもアリなことは分かっている。でも何故夢の中では不可解なことを不可解と認識できないのか。しかもそれを不思議にも思わず、無意識に何でも受け入れてしまう。そこには時間も空間の概念もない。因果もなければ始まりと終わりのけじめもない。夢が夢であることに気づくのは稀だ。実はそれこそが本来の魂の姿なのだと言う者もいる。

いやまて、真実はこうだ。現実と思っているこの物質世界こそが誰かが見ている夢なのである。そうかもしれない。この現実こそが夢。だから過去と現在に途方もない断絶があったとしても、それすら誰も気づくことなく、人々はこの世界の虚ろな時の流れに身を任せている。


* * * * * * * * * * * * * *


四月になった。ナオミは石原少佐を茶席に招いた。今年の桜は少し遅い。帝都東京でもようやく蕾が赤くなってきたところだ。石原が向かった先は赤坂にある料亭秋葉である。先月開業したばかりの数寄屋造りのしゃれた店だ。どこからともなく花の甘い香りが漂ってくる。石原は店の入り口で案内を請うた。寄り付きに案内されたあと、自ら庭へ出て茶室へと続く小さな門を潜った。飛び石にはしっかり水が打たれている。おやおや、随分粋なところにナオミは俺を呼んだなあと石原は感心する。しばらく待合で腰かけていると、ナオミの声がした。

「どうぞ、中へお入りください」

石原はつくばいで手を洗うとにじり口から身を屈めて茶室に入った。


   ひさかたの ひかりのどけきはるのひに しずごころなく はなのちるらん


紀友則の歌が床の間に掛かっている。竹の花入れには八重山桜と山吹。墨蹟窓ぼくせきまどからの明かりに照らされてその花がいかにも瑞々しい。石原は、客として床前へ座った。

まもなくナオミが能役者のような足運びで、衣擦れの音を立てながら勝手口より茶室に入った。茶道具を運び入れるために何度か往復する。それを眺めていた石原は思わず「うん」と声を漏らした。彼の目を奪ったのは、ナオミの着物姿だった。蒼地の着物で身頃に薄桃色の桜吹雪の模様があしらってある。袋帯は赤地に毬の柄だ。なかなかいいじゃないかと感心すると若い父親が娘でも見るような眼ざしになった。ナオミはいつ会っても若い。石原と同年代だとすれば、もうとっくに四十路のはずなのだが、明らかにそうは見えない。朝鮮で初めて会った時から全く変わらないのだ。

国柱会の誰かが話していたことを思い出す。

「なにか面白いことに熱中していると時の経つのがはやい。楽しすぎて、二時間が三十分ほどにしか感じられなかったという経験は誰にでもあるでしょう。実はそういうとき、その人は本当に三十分しか生きていないのです。だからそういう時は歳も四分の一しか取らないわけです。時間は誰にでも平等っていう話は嘘です。人間は楽しいと思うことをすれば長生きするのです。だから面白いと思うことを徹底的にやるのが一番」

不思議なことが不思議ではない。そういうナオミに石原は好感を抱いている。

「今日はよくいらしてくださいました」

ナオミは風炉の前に座ると丁寧に挨拶し、作法通りに茶席が始まった。この娘?はこんなこともできるのかなどと感心しながら石原も慣れない作法に集中することにした。あまりにもいいタイミングで鹿威しがコンと裏手の築山に響く。

抹茶はどうやら樺太産ではないようだ。ナオミが口を開いた。

「この間お話した件ですが、如何ですか? 二週間後には、蒋介石軍の北伐が再開されます。来月には山東省に出兵する日本軍と衝突し、転じた蒋介石が張作霖を北京から押し出すことになるでしょう」

「うん、心配ない。総長とはずいぶん話はしています。鈴木さんも事の重大性は十分認識しているし、あとひと押しすれば間違いないでしょう」

石原は自信ありげに言った。


話は少し遡る。

そもそも蒋介石の国民革命軍による北伐は、一九二六年七月革命拠点であった広州から起こった。最終目的は北京政府を打倒し中国全土を統一することである。これが満洲や山東省に権益をもつ日本を刺激した。翌年、立憲政友会の田中義一内閣が誕生すると、迫りくる国民党軍に対抗して山東出兵(第一次)に踏み切った。さらに張作霖を擁護し満洲の権益を死守すべしとの方針を打ち出すと、武力介入も辞さずの決意を明らかにした。が、この時は国民党政府内の内紛により北伐は頓挫し、事態はひとまず収束したのだった。これを第一次北伐と称す。

そして今、態勢を立て直した蒋介石が北伐を再開しようとしている…。


今から三カ月くらい前のことだった。石原は、陸大校長の林銑十郎をくどき落とすと、その林の口添えで、鈴木壮六参謀総長のところへ押しかけて行った。陸大教官で一介の少佐がそうやすやすと参謀総長と差しで話ができる訳はない。細工が必要だった。考えあぐねた末、石原は林に駄々をこねて鈴木に会えるように取り計らってもらったのだった。林も「面白いことを考える奴がいるから一度指南してやってほしい」と鈴木に手紙を書いた。

鈴木の方も、石原という変わった奴が陸大の教官にいることは噂で知っていた。そこで休日家に遊びに来てみなさいということになった。会ってみると、本当に面白いことを言う奴だということで鈴木はたちまち石原のことを気に入ってしまった。ドイツ滞在中にシュリーフェン元帥の孫と懇意になった話が特に鈴木の興味を引き付けた。なんといっても、シュリーフェンはドイツ陸軍参謀総長である。その話で鈴木はとても愉快になり石原に気を許すようになった。また鈴木は越後の蒲原郡の出身であり、言わずもがな陸大教官の経験がある。同じ雪国出身の石原とは自然とウマが合ったのかもしれない。

石原は、その後何度か鈴木を家に訪ねて行っては、熱っぽく時局を語った。二月の衆議院選挙の結果(政友会も民政会も過半数を取れないこと)を言い当てたり、そのあとに続く田中内閣による日本共産党弾圧を予言したりして、鈴木を驚かせている。そして、数日前も、蒋介石の北伐の動き、アメリカの日本の政策遂行に対する干渉、張作霖の反応などの行動分析を披露しては、日本が採るべき方策を説いた。鈴木も不思議な奴だと思いながらも、他にも色々なことを言いに来る輩は多いが、見当はずれな意見が多く、石原の時勢を見る慧眼には一目置くようになっていたのである。


「前史のように進んでいけば、満洲事変まであと三年です」

姿勢を崩さずナオミは言った。

「ちょっと待ってくださいよ。仮に張作霖暗殺を回避しえた場合、その先の状況が君の言うシナリオ通りに進む保証はないんじゃないのか」

石原の尤もな意見にナオミは頷いた。しかし、石原の顔を見据えると言い切った。

「問題はそこで終わりなのではなく、その先の満洲の運営なのです。奉天軍閥との致命的な対立は避けるべきです。彼らは満洲国成立後に解体し国軍に組み入れるのが上策です。張作霖の爆殺計画阻止に成功したとしても、彼が奉天に戻れば日本の権益との衝突があり、この先反日色を増してゆくことが考えられます。短兵急にはいかないでしょう。それでも諦めずに可能性を追求してください。いつかチャンスがあります」

石原はやれやれと思う。が、ナオミは何かを隠していると感じた。その部分に彼女の確信があるのだ。気を取り直して、話を先に進めることにした。

「この間、宮崎さんが世田谷に来てくれて、話を散々聞きました。で、やはり八紘一宇では駄目なのか」

世田谷とは石原の自宅だ。畠の中の借家である。

「いえ、そうではなく、アヘンです。これがいけない。アヘン取引による財政運営は、国を滅ぼすもととなります。これで実際に一度滅んでいます。ですから、これは是非とも修正しなければないところです」

確かに宮崎も言っていた。国民全般の教育を平等に充実させ、産業を興し、明治の日本がおこなったように、満洲でも富国強兵策を実行するのですと。

「なるほど、露助に対抗する方法としては、富国強兵ですな。そう、そして農業」

石原はナオミが言い出す前にそのことを言った。石原は農業こそが国の基盤と考えている。ナオミも異論はないはずだ。しかし、ナオミは別のことを言った。

「それから、ラストエンペラーとの密約、これも変更が必要です」

「密約?」

「そう、五族協和の理念を実現しなければ、満洲帝国の命運はやはり尽きてしまいます」 

まだあるのか、相変わらず注文が多い。そんなに何でもかんでも俺ができるわけがないじゃないか、と腹の中で思う。顔にも出してこう言い返した。

「あんたのその言葉だけでは、何がなんだか見当がつかないよ。その密約とはそもそも何なんですか?」

「前史では一九三二年の春先に満洲帝国の運営に関連して、関東軍が溥儀と密約を取り交わします。五族協和はいいのですが、その内容に欠陥があった。そもそも、それは日本政府相手でなく関東軍司令官との密約なのですが、そこに関東軍司令官が満洲国皇帝の上に立つという条項があったのです。それが破滅の誘因となりました。あなたがその首謀者だった。ですから、そこを修正してください」

ナオミは、彼女の世界が辿った歴史を「前史」という言い方をする。関東軍と皇帝の関係性が後々問題を惹起じゃっきするということか。時には譲歩も必要である。今の石原はそこのところは即座に理解した。

「うーん、確かに。で、そこんところをそんなふうにならんよう段取りしろと言うことだな」

しばらく考えて石原は苦し紛れ半分に言った。

「石原さん、あなたには志を同じくする仲間がすでにいるはずです。特に満洲で上司になる板垣さんをうまく誘導して、協力者にする必要があります。抵抗を受ける可能性はありますが、密約文書は、石原さん、関東軍司令官が皇帝の上とならないよう起草して、なんとしても通してください。でないと、日本と満洲は滅びます」

ナオミの言葉にはいつもより力があった。

「重大だな、これは。そのさじ加減で日本が滅ぶとは。で、うまくいかなかったら?」

そう言い返しながらも、これはなかなか面白くなってきたじゃないか。ならばやってやる。そういう闘志が石原の顔に出た。

「協力者への根回しを十分にしてください。必要なら、色仕掛けもありです」

ナオミは洗脳という代りに根回しという言い方をした。そして色仕掛け。石原の眉がむむっと動いた。

「俺に色仕掛けはできんよ。それに下戸だ」 

酒席でのテイノウな酔っ払いを大勢見てきて、いつもヘドが出るような嫌悪感を露わにしている石原だ。酒飲みは好かん。それに本当に下戸なのだ。

それにしてもナオミの口から色仕掛けなどという言葉が飛び出すとは思わなかった。あんたならそれができるだろうとは言えず「確かに関東軍司令官が、皇帝の上というのは、まずいかもしれんなぁ」と嘯いてみせた。

「勿論、目的は清朝の復活ではありません。満洲国は近代国家として、独立国家としての道を歩ませなければなりません」

ナオミはそう念を押した。

「ふうぅ」

石原にはナオミの言っていることに納得はできるが、十分には消化しきれない部分もある。それがため息になって時々出る。それに話はまだ先のこと。満洲帝国のまの字すら今はこの世に存在しない。が、ドイツで見てきたような敗戦国の悲哀は避けなくてはならない。アメリカは嫌いだが、無謀な戦争は避けた方がいい。ナオミは百年後に備えよと言っている。今から俺がその片棒を担ぐのだ。

ナオミは今、石原の脳みその回転具合を無視して、満洲という国ができてしまったその先の話をしている。ナオミ以外の誰かが同じことを言ったとしたら、それこそへそが茶を沸かす。彼女の予言どおり世界がその未来の終着点に向かって収束しようとしている。石原の心の中でも、その確信は揺らぎない信奉へとなろうとしていた。今から種まきをしろというのもわかる。大事とはそういうもの。誰もわからない誰も気づかないところに決定打があるのだ。シュリーフェンの言葉を思い出した。

「以上ですか?」

「いえ、まだあります」

「やっぱり、まだありますか」

石原はがくっときた。しかしナオミは容赦ない。

「満洲国にアメリカの資本を入れるのです」

「なんと」

石原は驚いた。

「技術者を招へいし、農業機械を大量導入して大規模農業経営を展開します」

「日本の農村から大量移民するんじゃないのか」

政治、経済産業の話は埒外らちがいだ、とはこの天才は言わない。しかし疲弊した日本の農村の活路は大陸にあるとみている。これは確信だ。いや信念である。だがナオミは言う。

「入植はけっこうですが、日本の零細農家による農業スタイルは満洲ではうまくいきません。産業としても未成熟に終わってしまいます。それに満洲でのアメリカの存在がロシアへのけん制になります。もともと陸軍はロシアを仮想敵国としてやってきているのですから、違和感はないと思います」

石原は黙ってしまう。アジア主義の看板は掲げてはいるものの、まずは日本の農村を何とかしたいと思っている男としては、はいそうですねとすぐには言えない。それにナオミが言えばいちいち尤もらしく聞こえるが、それをすべて自分ひとりでやれるとは毛頭考えていない。

「でも、ナオミさん、私一人でそれを全部やれと言うんかいな?」

掛け軸を見上げながら言ってやった。

「一人でできる人があなたなのです」

「一人でできる人」と言われると、それはそうだと胸を張りたくはなる。石原が小便をし終わった小犬のようにぶるっと身震いすると、ナオミが付け加えた。

「シュリーフェンの言葉、忘れましたか?『小さな原因が大きな結果を招く』」

いや、忘れちゃいない。何でもお見通しだな。石原は目の前の茶碗を取り上げると、底に残った抹茶を啜りなおした。

そして茶席の午後の部が始まる。


二十世紀、大東亜共栄圏―八紘一宇の理想は関東軍をはじめ軍部の暴走で大失敗に終わった。ナオミの前史レクチャーではそうなっている。結果、満洲に大量の棄民を発生させ、しかも残った軍人らはソヴィエトによってシベリアに連れ去られたという。ナオミはそのソヴィエトを諸悪の大元締めのように言った。石原の国家発展計画の基本スタンスは、社会主義または統制主義だ。その大本はソヴィエトの五カ年経済計画にある。一方で、いずれはアメリカと雌雄の決着をつけなければならないと考えていた。

しかしナオミはそれではうまくいかないと言った。遅ればせながらも二十一世紀に大東亜の平安と繁栄という理想を実現するには、歴史を遡り、これを改変し、未来とリンクさせる以外に方法はない。情報を一部の人間が占有する二十世紀の技術ではこれは不可能なのである。これがナオミの構想であり計画である。この若い女いったい何者なのか。一人で動いているとは考えられない。改めて石原は背筋に冷たいものを感じた。


三日後、大陸より南京の蒋介石軍が動いたという急報が石原の元に入った。予定通りじゃないか。石原は翌朝、鈴木参謀総長の自宅へと向かった。日本が取るべき方策をもう一度念押しするためだ。朝食前にもかかわらず、鈴木は玄関口で石原の顔を見ると「来たか」とだけ言い、ひょいと手招きをして石原を家の中に呼び入れた。

洋風調度品に囲まれた畳敷きの応接室である。開け放たれた縁側の外には幾つもの青い実をつけた梅の木が見える。そこにメジロがやってきては、花の蜜を漁るかのように首をかしげては家の中を覗き込む。今、二人は真剣な顔で相対している。参謀総長がピースの煙を吐き出すとそのはずみで髭元の口から言葉が出る。

「しかし君の言うことは全くことごとく当たるなあ。その情報収集能力と分析力は認めるよ」

メジロが飛び立った。

「私は時局をあらゆる角度から精査し、大局に立って日本の行く末を案じているのです」

石原は煙をよけながら、適当な返事をした。勢い余って危うく日蓮大上人のお導きでしょうと言いそうになるが、堪えた。

「それで君はこの先どうなると思うか」

鈴木はこの重大な局面にあってもう一度石原を試しているようでもある。

「まず蒋介石が北伐を再宣言するのは明らかです。国民党軍が動き出したのはその兆候にほかありません。こちらも山東への出兵は既定路線ですから、南から圧迫を受けた張作霖は耐えきれずに奉天へと脱出を図るでしょう。今日、関東軍と奉天軍は疎遠になりつつありますが、これを今排除するのは上策とは言えません。蒋介石軍が満洲へ進出するのを力ずくで阻止することがまずは肝要かと思います」

「そんな芸当が、簡単にできると思うかい?」

「国民党軍は欧米、特にアメリカの支援を受けています。その筋から釘を刺すことが、一番でしょう」

鈴木が何かを言えば石原はそれによどみなく答える。

「アメリカはそんな簡単には動かなんだろう。そう思わんか?」

「アメリカは我が国の満洲に対する思い入れを十分承知しています。ですから日本が中国本土において邪な領土的野心がないと言う意図を正確に伝え、共通の敵はソヴィエトの援助を受けている中国共産党であることをしっかり認識させておくことが重要です。いずれ奴らはなにかしらチャチャを入れてきますので、逆手に取ってやったらいいでしょう」

鈴木は石原の真剣に話す姿に一種の感動を覚えた。こいつは将来国を背負って立つ宰相の器かもしれんと、前に座っている男の額のあたりをまじまじと眺めながら、遠い目をした。鈴木はあと二年もすれば退役だ。後々のことは、いずれはこういう若い連中に任せるほかない。

「それで、満洲ですが、この機を逃さず全域に軍を展開したらよろしいでしょう」

石原は本題に突入した。

「おいおい、君。急転直下だな」

参謀総長は石原の性急な話の持って行き方に少し驚いた顔を見せた。

「その為には言わずもがな奉勅命令が必要となります」

「わかっているよ。そうだな」

「はい。参謀総長はいかがお考えになりますか」

石原は畳みかけた。

奉勅命令とは陸海軍の最高統率者である天皇の作戦命令である。閣議決定後に参謀総長が天皇に伝宣し、お上がこれに承認を与えるという形式をとることからこう呼ばれる。命令はこの場合関東軍司令官に発令されるもので、満鉄とその付属地以外の日本の管轄権の及ばない地域に関東軍を展開する場合に必要とされる手続きとなる(大陸令)。

満鉄とは南満洲鉄道株式会社のことをいう。一九〇六年に設立された日本政府が出資するいわゆる特殊法人である。ポーツマス条約によってロシアから引き継いだ東清鉄道南満洲支線(大連―長春)と、日露戦争中に物資輸送を目的として設置された軽便鉄道安奉線(安東―奉天)にそれらの付属地とを併せて経営することを業務としている。が、これが只の鉄道会社ではない。鉄道経営に加えて、炭鉱開発、製鉄、港湾、電力開発、さらには農林牧畜、ホテル、病院、教育・娯楽、航空、果ては都市開発の事業運営をおこなう一大コンツェルンなのである。鉄道付属地の行政権を有することから、満鉄自体が一独立国のような体をなしているのだ。後世の人間から見ても、ロマン溢れる夢のような会社と言えた。

さて、日本がロシアから引き継いだもう一つの権益に関東州の管轄がある。遼東半島突端の地、大連だ。元々はロシアが清朝から受けた租借地であったが、日本に引き継がれると、中華民国政府との間で租借期限を一九九七年までとする合意が成立した。ここには行政機関として関東都督府がおかれたが、後に関東庁となり、一方軍部は独立し関東軍となった。満洲国が誕生すれば、満鉄も関東庁も関東軍も全て移譲され満洲国の一部となることが想定される。しかし今は違う。満鉄の管轄地域および関東州以外での軍事活動は、他国への軍事進攻と同義となるのだ。

鈴木はしばらく考え反問した。

「だったら、結局奉天軍閥はどうするんだ」

「蒋介石が北京を押さえ北伐が一段落した後、奉天軍は一旦武装解除するのが適当でしょう。これは表向きだけでも良いのです。そのあと関東軍に組み入れるのです。田中さんは張とは気脈を通じているし、説得工作を試みてはいかがでしょうか。それに奉天閥は遠からず息子の張学良に代替わりします。親父の張作霖にとっても今は強硬な策に出るよりも、いずれ満洲の治安維持の為に相応の地位となにがしかの役割を与えれば、およそ丸く収まると考えられます」

「君にかかると大日本帝国の首相も将棋の駒の一つのようだな」

参謀総長は笑いながらそう言った。

「是非とも」

石原は鈴木の目尻の皺を数える。

「うん、そうか、確かに君の言う通りだ。まあいいだろう」

鈴木はタバコの煙をくゆらせながら鴨居に掛った書を眺めている。どうやら観念した。その表情を見てとった石原は喫緊の対応策として次の四点を具体的に献策した。


 一、蒋介石の北伐が再開され満洲への侵攻があった場合、関東軍に命令し蒋介石軍の武装解除措置をとる方針を田中首相と相談して即座に閣議決定すること

 二、同方針を蒋介石並びに張作霖に通告し、日本軍の山海関への出動の準備を決然且つ粛々と整えること

 三、田中首相はアメリカの干渉に影響を受けやすいから、これを十分懐柔すること 但しアメリカと正面より敵対することは避け、条件が整えば満洲問題について個別に協議する用意があることをケロッグ国務長官に伝えること

 四、関東軍の暴走を抑えるため、時宜よろしく奉勅命令を上奏すること その際は参謀総長自ら出馬し、必ず首相と直談判すること


「ようく分かった。すまんが今君が言ったことは全て文書化して上申してくれんか。ああ、それから直接俺のところに持ってくるんだ」

静かに聞き終わった鈴木は石原に命じた。


数日後、蒋介石軍は北伐を再開した。これに呼応して関東軍は山東省に出兵、朝鮮軍がその隙を埋めるため満洲へと進駐した。ここまでナオミの予言通りの展開である。事態の進展を注視していた鈴木は、一々奴の言うようにことが進みやがるという驚きを抑えながら、石原の献策通りに行動を起こした。蒋介石軍が満洲へ進出した場合には北伐軍並びに奉天軍を武装解除(軍事介入)することが閣議決定され、日本政府はこれを蒋、張両軍へ通達したのだった。これにより、蒋介石軍の張作霖軍への攻勢に制限を与えることに成功した。続いて鈴木は田中首相とも気脈を通じ、奉勅命令を天皇に伝宣し裁可を受けた。軍令をうけた関東軍が歓喜したのは言うまでもない。満洲全域での日本軍による軍事行動の利己的な自由が担保されたが、より重要なことはこれが後々彼らの暴走を食い止める抑止力となったことである。


一方、満洲における日本軍の動きに大いなる嫌疑を抱いていたアメリカは、日本政府の方針、中国北東部での軍事行動計画などについて日本に説明を求めてきた。政府は蒋介石軍の動きを封じる目的でその企図をアメリカ政府に伝えた。報告を受けたケロッグ国務長官は、思った以上に日本がアメリカの対日対中政策を熟知していることに警戒感を顕にし、極東アジア政策は迂闊には処理できないとの思いを強くした。同時に、日本のスパイが政府内に深く入り込んでいるのではないかという疑念を抱いた。


北伐軍は山東で日本軍と軍事衝突を引き起こしたが、その後北京へと進路を転じ張作霖を圧迫すると、日本政府の勧告もあり、愈々張は北京を脱し奉天へ帰還することを決意した。

この機に乗じ張を殺害する計画を画策したのが関東軍高級参謀の河本大佐である。「前史」の通りの進行だ。鉄路奉天へと帰着する直前に張を列車ごと爆殺する。河本は奉天守備隊の東宮鉄男大尉を巻き込み計画実行予定地の皇姑屯という地点に守備兵を送りこむと、朝鮮軍の工兵を用いて満鉄陸橋の橋げた部分に爆薬を仕掛けさせた。列車を吹き飛ばすには十分な量である。張の列車はその下を走る京奉線を通る。三百キロの黄色火薬が頭上で炸裂するのだ。ひとたまりもないだろう。それでも念には念を入れた河本は、爆殺に失敗した場合には、列車ごと脱線転覆させ、そこを襲撃、張作霖を殺害するというバックアッププランを用意した。計画は無茶であっても粗漏はない。

さて六月四日の未明、張の乗った特別列車が奉天に到着することが主要駅に配置してあった関東軍参謀からの報告で明らかになった。早速東宮が動いた。国民党軍の便衣隊の仕業と見せかけるため、中国人の浮浪者を殺害し、現場周辺にその死体を遺棄した。

同日午前五時二十分。空はすでに白み満洲の大地は光を帯び始めていた。張の乗った特別列車が京奉線と満鉄線がクロスする地点をまもなく通過する。編成は二十両、張が乗る車両は西太后のお召列車である。爆破予定地点の数百メートル手前、監視小屋に潜む兵の顔がはっきり見て取れた。列車が静かにやって来る。全ては計画通りである。今だ! 合図を受けた東宮が爆破スイッチを一気に引き下げた。その瞬間、轟音とともに大爆発が起きた。お召列車の頭上で三百キロ爆弾が炸裂したのだ。ひとたまりもなかった。瞬く間に黒煙が昇り、併せて鉄片やら彩りあざやかな木片やらが斟酌なしに飛び散った。誰かの絶叫も聞こえた。爆弾が仕掛けられていた鉄橋は崩落し、下を通過しようとしていた張を乗せた列車を押しつぶした。

爆音は周囲に鳴り響いた。が、いったい何が起きたのか、すぐには誰もわからなかった。いや、そのように見えた。が、すわ一大事とばかりに将校に率いられた守備兵が計ったように飛び出す。これを見た東宮鉄男大尉は「ったり」と得意の笑みを浮かべた。

爆破計画は見事成功した。それっ!とばかりに兵らは散開し、床と壁の一部だけかろうじて残っているお召列車の内や外で張を探した。

ところが、だ。どこをどう探しても張どころか飛び散ったはずの人間の肉片ひとつすらも見つからない。事態の思わぬ展開に、さっきまで得意満面の東宮の顔が朝日に照らされて蒼白となった。無事だった他の車両も虱潰しに探した。そこに誰もいないことが確認されるたびに怒声が聞こえる。が、すべては空しかった。どうやら列車はもぬけの殻で、誰も乗っていなかったのである。

現場に駆け付けた河本はようやく事態を把握し、計画が空振りに終わったことを悟った。そしてセミの抜け殻のように呆然と立ち尽くした。張と彼の側近は一体どこへ消えたのか。関東軍は懸命に張の行方を捜した。が、皆目見当がつかなかった。我に返った河本は地団太じだんだを踏んだ。

鉄路爆破事件は国民党軍便衣兵らの破壊工作として処理する以外にない。それだけが計画通りとなった。


三日後、張作霖が、軍事顧問の儀我誠也少佐と奉天軍東三省辺防司令の呉俊陞しゅんしょうらを伴い、奉天に到着した。急報が関東軍参謀本部に飛んだ。これぞ晴天の霹靂へきれき、張にまんまと裏をかかれたことを思い知り、河本らは切歯扼腕せっしやくわんした。そして内通者がいると確信した彼らは、時を経ずして裏切り者探しを始めた。裏切り者が絶対にいるはずだ。が、それも徒労に終わるだろう。そんな者はどこにもいないのだから。

さて、張作霖はどのようにして虎口を脱したのか。実は一行は天津から商人に変装して商船に分乗すると海路営口に至り、その先大石橋から遼陽までを鉄路で北上してきたのだった。さらにそこからは満鉄が手配した乗用車に乗り、今朝奉天に到着したのである。

そのあと張作霖が取った行動が、敵味方なく人々を驚かせた。奉天城に入城するや否や、張は、息子の張学良に軍閥の実権を譲り、自らは第一線を退き隠居生活に入ることを宣言したのである。

こうして兎にも角にも、張作霖爆殺計画は失敗に終わり、関東軍の理不尽な野望は潰えた。


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一九二八年八月、石原は中佐に進級すると、十月関東軍作戦主任参謀として満洲に赴任した。

神戸を発し旅順に到着した石原を港で出迎えたのは儀我少佐であった。奉天軍軍事顧問であるこの男は石原とは陸士(二十一期)・陸大(三十期)の同期である。船のタラップを降りてくる石原の姿に気がついた儀我がにこにこと笑っている。その姿に石原も気が付いた。そして二人は歩み寄り、立ち止ると正対し固い握手を交わした。

「莞爾、貴様のおかげで命拾いした。ようこそ満洲へ」

儀我が最初に口を開いた。

「いやいや、君は運がいいから、それは俺のおかげじゃないだろう」

石原も言い返してやった。

「しかし、貴様の忠告がなければ、どうなっていたことやら。爺さんが船に乗るのを相当嫌がって説得するのに苦労したがね。露助の工作員が命を狙っているぞと、散々脅してやったさ」

「自分が殺されかかっていたんだ、否やはないだろう」

「俺も爆破事件の詳細を後から知って本当に肝を冷やした。関東軍の連中は、同じ釜の飯を食った仲間の命にも斟酌しないということがよくわかった。関東庁外事部に手をまわしてくれたのも貴様だ。おかげで任務を果たすことができた。本当に礼を言う。ありがとう」

「何々、そういうな。それに関東庁を差配する力なんか俺にあるわけがないよ。君の任務の完遂、それが何よりだ」

「ああ。それで俺はまもなく内地に帰るが、あとのことは宜しく頼む」

「うん、任せてくれ。俺は最後のご奉公のつもりで満洲に来たんだ。何、満洲をごっそり頂戴するさ」

儀我は石原の「満洲をごっそり」という言葉に一瞬ギョッとした。が、すぐに切り替えるともう一度感謝の念を込めて言った。

「そうだろうな。そのように頼む。さてと、じゃぁまずは腹ごしらえだ。船の上ではろくなものも食ってないだろう。今日は俺の奢りだ。なんでも食いたいものがあったら言ってくれ。鰻と汁粉か?」

儀我はそう言って石原の肩を軽く二度ほど叩くと、再び歯を見せて笑った。


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張作霖の長男学良は一九〇一年の生まれである。幼少期から英才教育を受け、学業の成績も優秀だった。軍幹部養成学校である東三省講武学堂を一九歳で卒業すると陸軍少将となった。二十歳の時に訪日した。日本では同い年の天皇と瓜二つの容姿であったことから、人々をたいそう驚かせたというエピソードの持ち主である。学良は生まれながらにして軍人としての人生を歩むことになったが、実は人殺しの軍人ではなく本当は医者になりたかったのだとよく周囲には漏らした。

そんな学良だが、一九二二年と二四年の二度にわたる奉直戦争(奉天派と直隷派の主導権争い)において目覚ましい活躍をみせ、奉天軍閥内での確固たる地位を築くに至るのである。また、奉直戦争に勝利した父の張作霖は、孫文が病没した後に北京政府の実権を握るが、それも盤石ではなく、蒋介石の北伐再開によって奉天へと逃れたのは件のとおりである。そして時を経ずして学良が奉天軍閥首領の地位を継承した。

奉天を新たな拠点とした張親子は、国民党革命軍の満洲への武力侵攻の企図を、取り除くべき第一の脅威と認識していた。そこで蒋介石と裏取引をした。即ち、表向きには国民党政府に恭順の意を示すことで、その見返りに満洲における政治的・軍事的独立を承認させるというものだった。これが奏功した。

一九二八年十二月、張学良は支配地域である東三省(奉天、吉林、黒龍江)において中華民国国旗の青天白日旗を掲揚し、国民党政府に迎合する意志を公にしたのである(これを易幟えきしという)。実はその頃、蒋介石は、支援を受けているアメリカから満洲侵攻は支持しないとの通達を受けていた。そう言われた蒋にとって選択肢は他にない。それでも東三省を形の上では支配下に置くことができたのである。一方、張にその裏事情を知るすべはない。が、兎にも角にも両者は均衡したのである。

張作霖は、東三省における支配権が息子に無事継承されたことを見届けるかのように、西洋歴の大晦日の朝、心臓発作を起こしあっけなく他界した。息子の学良は年明けの一月五日、父の葬儀を主宰すると、二月九日まで喪に服することを宣言し、これを東三省に下達した。

その後、国民党政府の満洲への不干渉で自信を持った学良は、軍の実権を握っていた親日派の楊宇霆らを懐柔し政治・軍事にわたる全権を掌握した。こうして権力基盤を固めた彼は、日本の明治維新に倣って富国強兵、近代化を推し進め、満鉄に対抗する鉄道の建設や大連に匹敵する貿易港の建設などの強国政策を次々と打ち出したのである。


さて、関東軍作戦主任参謀・石原莞爾は、既に「ごっそり計画」を実行するべく活発に動いていた。荒木貞夫、小磯国昭、永田鉄山らと満洲問題について談合する為に東京へ出張していたかと思うと、対ソ作戦計画の研究を目的に北満参謀研修旅行を企画し戦闘・戦術の妥当性を検証したり、或いは、各地の特務機関長を招集し、奉天軍閥と不測の衝突が起こった場合の対応について研究会を開いたりしていた。前任の河本に代わって板垣大佐が関東軍高級参謀として着任したのは丁度この頃である。

板垣征四郎は、一八八五年、南部藩の名門の家に生まれている。盛岡中学の三級上には米内光正、一つ上には金田一京助、下級生には石川啄木がいる。一九〇四年、陸士を卒業すると日露戦争に出征、その後陸大を卒業し参謀本部付きとなると、昆明駐在を経て、一九一九年、中支派遣隊司令部のある漢口に赴いた。石原が同地に着任したのはその翌年である。板垣は「思いやり」の人で、人の話をよく聞くいかにも東北人らしい我慢強い性格の持ち主だった。寡黙で鈍重なところもあり、饒舌で発想も言行も暴走しがちな石原とは性質が真逆だが、東北人同士ということでどうにも相性がいい。

そんな板垣の着任後、満洲での石原の行動はさらに活発になった。板垣と新たに満洲問題研究会を立ち上げると、北満への参謀演習旅行計画を実行に移した。この目的は、関東軍の満洲占領計画の発案と参謀らの洗脳にある。石原は熱弁をふるいその帝国主義的満洲占有計画の信念を謳いあげた。


 一、満洲は日本の生命線であるばかりか、ソヴィエト共産主義の南下政策をけん制、阻止するは大いなる目標であり、その為の軍備増強が不可避なり

 二、満洲においてこれをなし得るはわが日本民族しかなし。ゆえに満洲領有は必然性を有し、しかもそれは在満洲蒙古の中国・朝鮮その他民族の幸福を保護増進する為の正義であり使命なり

 三、奉天軍閥は、武装解除をおこなったのち、再編成し関東軍傘下に編入することを第一とし、しかるのち、関東軍は満洲軍として再編成するは道義なり。これこそ満洲の平和実現の近道なり

 四、ソヴィエトとの軍事衝突やむなきの場合、共産主義を徹底的にせん滅する覚悟は五族協和の礎なり。この大目的を達するに、適宜南京国民党政府と連携し、共産党を駆逐するは我が戦略なり

 五、満洲領有後において南京政府を支援する米国とはこれと協調路線をとり、人的・経済的要素を活用し、満洲の経済的、政治的安定を図ること、百年の計なり


そして石原は大東亜の繁栄の基礎こそはこの満洲にありと結論するのであった。

石原の満洲領有計画を聞いた参謀らは、これぞ我らが進むべき道と興奮する者あり、いや、そんなにことは簡単ではないと日本政府の弱腰や国民党との争いの拡大を懸念する者あり。当初議論は百出したが、石原の主張は参謀らの頭の中に次第に浸透し、やがて確固たる集団的意志へと変わっていった。そして関東軍参謀本部内では、占領計画は段階的に実施されるべきもので、即ち「第一段階 平定」「第二段階 統治」「第三段階 国防」とすることが既定路線化した。


その後、石原らは第一段階の「平定」を実現する為、大連から長春までの作戦展開計画、奉天城攻撃戦術、ハルピン攻略などの検討をおこない、第三段階の「国防」を確かにする為、チチハル、ハイラル、満洲里などのソヴィエト国境方面を精力的に視察し攻防戦戦術を再検証した。残った一番の課題は第二段階の「統治」であり、それは奉天軍閥をどう料理するかに大きくかかわっていた。


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一九二〇年代のアメリカ経済史は正に激動の十年であった。欧州大戦が終結すると、二〇年代前半はその復興需要によって輸出が急伸し、重工業への投資が拡大した。さらにモータリゼーションの波が押し寄せ、生産財・消費財ともに需給が拡大、やがて未曾有の好景気が現出した。人々は「わが世の春」を謳歌し、それは永遠に続く繁栄と誰もが信じた。

ところが、欧州の復興がひと段落し、さらにソヴィエトが市場経済から離脱すると、農業の機械化と相まって次第に農産物の供給が過剰になり始めた。これが二〇年代半ばの農業不況へと繋がった。

それでも投機熱による信用拡大とともに大量の資金が株式市場に流入し続け、まもなくバブル経済が現出した。この間、株価は五年で五倍と暴騰する。そして一九二九年九月、史上最高値を更新したダウ平均株価はまもなく四〇〇ドルに届こうという勢いとなった。

しかし、その日は前触れもなく、唐突にやってきた。大いなる宴の渦中にいる者たちにとってそれは将に寝耳に水の出来事だった。一九二九年十月二十四日の木曜日である。後に言う「暗黒の木曜日」だ。朝、十時。突如、主要銘柄であるゼネラルモータースの株価が下落しはじめた。その異常さを敏感に察知した市場は、それから三十分の間に一千三百万株の売り注文を浴びせかけた。初動で出遅れた個人投資家らもすぐさまこれに追随した。堅牢強固と思えた無敵のダムがあっけなく決壊したのだった。見る見るうちに全銘柄の株価が連鎖的に暴落したのである。やがて自殺者が続出し、ウォール街に警官隊が出動する騒ぎにまで発展した。更にシカゴとバッファローの市場が相次いで取引を閉鎖するという事態になった。

その翌週も株価は暴落し続けると、なんと連邦予算の十年分相当の時価総額が吹き飛んだ。これが世界恐慌の始まり「わが世の春」の終わりの始まりであった。

ウォール街に端を発した経済恐慌はまたたく間に世界を駆け巡った。欧州大戦後の反動的な不況と関東大震災の影響で経済が弱体化していた日本の貿易も急激に落ち込んだ。これに金解禁の政策発動が重なるという不運が追い打ちをかけ、物価はさらに急落し、失業者が東京の街に溢れだした。未曾有の大不況時代の到来である。

こうした経済恐慌は日本の満洲経営にも大打撃を与えた。特に満鉄が甚大な損害を被るのである。世界市場が縮小したことから、大豆・石炭の輸出が激減し、事業の大きな柱であった運賃収入が低迷した。これに張学良の産業振興策が追いうちを掛けた。満鉄の独占的事業に反発した中国系資本が満鉄に並行する鉄道路線を開業したからだ。これで満鉄は一気に競争力を失った。そして運賃設定が金の市場価格に連動していたことが災いを拡大した。さらに、遼東湾の葫蘆ころ島(大連の対岸)にオランダ資本によって完成した港湾施設が稼働しはじめると、大連を迂回して満洲産の農鉱業産品の直接輸出が可能になった。よって大連の物資取扱量が激減した。

これらの結果として、満鉄は創業以来初の赤字経営に転落したのだった。


満洲情勢が不安定化する要因は、経済だけではなかった。西欧列強、そして後から来た日本と時の中国政府との間で結ばれた不平等条約の存在である。

第一次アヘン戦争後の一八四二年から翌年にかけて、清国政府は英国との間に南京条約、続いて虎門寨こもんさい追加条約(虎門寨は珠江河口の要塞名)を結んでいた。特にこの二番目の追加条約が所謂不平等条約を具体化した諸悪の根源であった。この条約には、上海・広州等の開港、租借地での英国人居住権の承認、関税自主権の放棄、英国官憲の領事裁判権の許諾、そして片務的最恵国待遇の容認などが明記された。これに便乗したのがフランスや米国で、清国は同様の不平等条約(望厦ぼうか条約・黄埔こうほ条約)を強要されたのだった。西欧列強の支那大陸の半植民地化が進んだのである。

清国滅亡後、後を引き継いだ中華民国にとって、これら不平等条約の是正・撤廃は最大の外交課題となった。特に一九二五年以降、中国国内でナショナリズムの運動が高揚すると、不平等条約撤廃は国民党政府の対外基本要求となった。蒋介石が北伐を完遂し中国統一を宣言すると、欧米列強は事実上この政権を中国の正統政府として承認した。そしてこれを機に関税自主権が認められ、国権の一部が回復した。

一方日本は欧州大戦の折、ドイツが有する山東省の権益の継承と、満洲における権利の拡大を画策し、一九一四年、袁世凱政府に対し対華二十一カ条の要求を突きつけた。その結果、翌年条約等の形で一定の合意を袁と取り交わすことに成功した。ここで満蒙問題に関する重要な取り決めが確定し、その後の満洲善後条約や満洲協約、北京議定書・日清追加通商航海条約などの締結によって、日本の中国における特殊権益が固定化された。しかし日本と中華民国間のこれら条約をめぐる争いが、排日・抗日の民族運動の高まりへと繋がってゆくのである。その後、紆余曲折を経て蒋介石政府との交渉が進むと、一九三〇年五月に日華関税協定が締結され、中華民国の対日関税自主権が回復した。

しかし、それでも列強による中国大陸の植民地化政策に大きな変更は見えず、租借地の返還要求などの国権回復運動は衰えるどころか、さらに激しくなる様相を呈していた。


こうして世界恐慌に端を発した経済の大停滞と反日・排日運動の高まりが、多数の満洲在留邦人の危機感に火を点けた。人々は「こうなったら畳と桶を背負って夜逃げでもする以外にない」と囁きあっては、不安を募らせていた。

この局面を打開する為の過大な期待が実は今、関東軍に集中している。それは自然の成り行きでもあった。石原は関東軍内にあって「満洲問題処理計画」を策定し、満洲は国防上の最重要拠点であり、その領有は朝鮮統治を安定化させるとともに、日本国内の経済問題を一気に解決するものであるとした。さらに言う。農業の近代化、工業の育成・発展を目指し、北東アジア繁栄の一大根拠地としてその地位を確たるものとする以外に、その将来を拓く道はないのだと。

この頃から「満蒙は日本の生命線」というスローガンが内外で流行した。


* * * * * * * * * * * * * *


時は一九三一年九月一八日、夜半。奉天郊外、正確には奉天駅北八キロメートルの地点、高粱こうりゃん畑が果てしなく続く柳条湖りゅうじょうこという農村地帯の一角である。外気は零下二度。弓張の月はその高粱畑に沈み、満天の星空が慈愛に満ちた仄かな光で黒い大地を照らしている。

今その静寂の中、満鉄線の線路上を走り去る二、三の人影があった。張学良軍が駐屯する北大営の兵舎からも遠くない。影の塊は線路上の一点で立ち止まり、動かなくなった。保線作業ではない。黒っぽい塊がしばらく地面にうごめいた。そして闇に溶けて消えた。

突然花火のような閃光とバンという大きな爆発音が霜天を縦横に切り裂いた。レールと枕木が黒々と宙に飛び散った。そして一時の静寂が戻る。

間もなく、何者かによって満鉄線の線路が爆破されたとの急報が関東軍司令部に入った。沿線を管轄する関東軍は、報告に基づいて即座に状況を分析した。そして奉天軍の破壊工作と結論付け、即応態勢を取るよう守備隊に命令した。すべて茶番である。が、ことは予定通りに進んだ。

偶々近傍で夜間演習中であった歩兵大隊が即応した。そして北大営に駐屯する奉天軍に対し反撃を開始したのである。張の駐留部隊は一万の兵からなる。しかし一皮剥くと馬賊やならず者の寄せ集め集団であった。しかも統率は緩く、パニック時における戦闘能力は低い。さらに張学良は日本との無用な軋轢あつれきは避けるようにと通達していた。日本側の動きは速かった。間髪を入れずに後方から増援部隊が駆け付け、守備隊に加勢すると、彼らが発砲する榴弾砲の威力の前に元々戦闘意欲の薄い奉天軍は沈黙した。

関東軍の猿芝居は淡々と進んだ。日が改まった十九日の午前一時、大本営参謀総長宛てに至急電を発する。「十八日夜十時半頃、奉天北方北大営西側ニ於テ、暴虐ナル支那軍隊ハ満鉄線ヲ破壊シ我カ守備兵ヲ襲ヒ、馳駆ハセカケタル我カ守備隊ノ一部ト衝突セリ」

北大営を制圧した用意万端の関東軍は一気に奉天城を占領した。

これが世に言う柳条湖事件のあらましである。実はすべてが石原と板垣らに主導された関東軍の謀略だった。いや「実は」もへったくれもない。大本営が黙認した関東軍自作自演の満洲乗っ取り計画、その序の幕が開いたのである。

翌十九日、関東軍は無政府状態となった奉天のほかに長春、営口を占領、数日後には朝鮮軍の満洲進出を既成事実化した。さらに十月に入ると張学良が東北軍の兵力を集中しつつあった錦州を爆撃機によって空爆したのである…。


以上が、ナオミが石原に語った柳条湖事件、すなわち満洲事変(九一八事変)の端緒となる板垣と石原による謀略とその後の展開であった。

そして今、将にこの謀略が起ころうとしている。いや、石原が起こすのだ。しかし、それは「前史」とは異なる過程、結果でなければならない。結果を変えるには原因を変える必要がある。石原は予知夢をみるかのような奇妙な感覚に陥った。

彼は考えている。満洲で起こる事象に干渉してくる外部勢力としては、漬物石のように厳然と存在する北のソヴィエト、そして蒋介石を陰に陽に支援し日本の山東進出に異を唱えている米国、この二つである。前者は第一次五カ年計画の最中でシベリア方面まで手が回らない。後者は世界恐慌で経済が疲弊、極東方面への軍事介入の余力はない。さらにいえば、蒋介石だが、国民党政府は共産党との戦いを優先する「安外内攘」方針を採っている。満洲領有計画を実行するのは将に今、この時なのだ。タイミングだけをとってみれば、それは歴史の必然と言ってもよい。この部分はどのように評価しても変わらない。


そんな時、満洲である事件が起った。一九三一年六月、参謀本部所属の参謀中村震太郎が、兵要地誌調査を目的として東京から満洲にやってきた。関東軍の手が及ばない満洲奥地を隠密裏に旅行する為である。これは参謀本部の若い参謀らに中国単独行という修養旅行を経験させるという、いわば慣例行事であった。ところがこの中村を含む一行四名が、こともあろうか旅先で行方不明となった。そしてすぐにそれが張学良の指示に基づく奉天正規軍の仕業であることが判明した。そして、時を経ずして外交問題にまで発展した。これも歴史のいたずらであろうか。

するとまた、別の厄介な事件が起きた。朝鮮併合後、日本政府の斡旋によって大勢の朝鮮人が満洲に入植していたが、そのうちの一団が長春近郊の万宝山に居住し農業に従事していた。土地は地主との正規の賃貸契約に基づくものであったが、朝鮮人が勝手に農業用水路を作りはじめた。これが事件の発端である。反発した中国人農民らによる朝鮮人排斥の暴動が起きたのである。そして最悪だったのは、朝鮮日報長春支局がこの紛争で朝鮮人入植者八〇〇人が殺されたというねつ造報道を流したことだった。このデマがデマを呼び、デマが朝鮮半島まで達すると、今度は朝鮮国内の各地で暴動が起き、数百人の在朝鮮支那人が殺害された。こうして新たな憎悪が生まれ、後々まで尾を引くことになった。

このように反日、抗日、排日の火種は連鎖し増幅し、やがて尽きることがなくなった。柳条湖事件前のおよそ半年以内の情勢である。


そんな八方塞がりの時、参謀本部付きの今田新太郎大尉が張学良の軍事顧問として満洲にやってきた。今田は人格者であり純情熱血漢、そして交際範囲が広く信頼のおける男との評価が高い人物だった。

石原はこの機会を逃さなかった。早速今田を仲介者として、張学良との直談判を画策し始めた。そしてとうとう、病気見舞いと称し、板垣と石原は関東軍司令官の名代として張と秘密裏に面会する機会を得た。張はこの頃、腸チフスを患い北京の協和病院で治療中だったが、対日情勢の緊迫化をうけ数週間前に奉天に戻ると、市内の病院で入院加療中だった。

それは立秋も近い、蒼く晴れ上がった爽快な一日だった。石原らは今田を伴い張が入院する病院を訪れた。病院内の季節感のない寒々した貴賓室、顔をそろえたのは日本側が板垣、石原そして今田、奉天側が張、東北辺防軍司令長官公署参謀長の栄臻えいしん、側近で日本への留学経験を持つ趙欣泊きんぱくの六名であった。趙が通訳を務める。そして張の近衛隊副隊長の王軍がドアの前に立った。会談の目的は、こじれた両者の関係を修復するべくより建設的な方策を検討する為の初歩的協議という、わかったようなわからない議題が日本側の申し入れの裏面であった。

これより先、張は国民党軍を支援し、中原戦争と言われる軍閥の反乱を鎮圧、その勝利に貢献したという戦功によって、国民党政府から陸海空軍副司令に任命されていた。今、奉天軍の兵力は二十五万とも言われ、東北三省だけでなく、北京・天津もその勢力下においている。特に直属軍は十万の兵員を擁し、兵備においても関東軍を圧倒している。どうみても、日本側が下手に出るべきところである。

そんな中、張は蒋介石との申し合わせによって、機を見ては一々騒動を起こそうと企んでいる関東軍とは極力事を構えないという方針を再確認していた。会談の提案は張にとっても別に悪い話ではない。関東軍が軽挙妄動に走らないよう直接そうした要求を伝えるいい機会だ。心理的立場は五分と五分だろう。

今小さな四角いテーブルを挟んで六人が正対している。今田は奉天軍軍事顧問という立場から、中立というよりやや奉天側についた。いや、そういう立ち位置を演出しているといったほうが正確だろう。そもそも今田は関東軍の将校ではない。張は病気のせいか顔が青白い。そして板垣と石原に目線をちらりと運ぶとあとは黙ったまま顎を引き、板垣の顔の先にある壁のシミを見つめている。

板垣が、張の体調を気遣いながら外交辞令的な見舞いの言葉を二、三並べたのち、会談の趣旨を説明した。そしてその板垣が黙って一つ頷くと石原が待っていましたとばかりに小賢しい口調で戦舌せんたんを開いた。

「司令はドイツ語を話されますか」

余計なセリフをドイツ語で吐いた。司令とは張のことである。張は「こいつは何を言っているのか」というふうに端正な顔の眉を動かした。通訳の趙が「日本語でお願いします」といって咳払いをする。

「では。まずは昨今の満蒙の状況を鑑みるに、司令のお考えをひとつお伺いしたい。現状、各種の問題が惹起し解決の糸口が見えないでいる。しかし、それはさておき、満蒙の地で共に暮らす人民の共通の目標は何であると思われるか」

石原は突飛な質問を遠慮会釈なしに繰り出した。通訳の趙が間髪入れずに中国語に訳す。張は黙っている。今度は石原がわざとらしい咳払いをする。

「ならば、私から申し上げましょう。我々の共通の目標、それはですね、五族協和、満蒙の経済的発展は言うまでもありませんが、その為にまずは必要な第一は共産主義の打倒です。即ち、ソヴィエトの南下に対する備えです。反日・排日に明け暮れている場合などではない」

趙がすかさず訳す。すると即座に張が抑揚のない口調で返した。

「石原先生、私にはそれほど、共産主義が危険だとは思えない。むしろ懸念は、日本政府の意向を無視するやり方を正当化しようとする一部の跳ね返り者たちではないのか。そもそも東三省は日本人のものではない」

趙が遠慮がちに日本語に訳す。が、最後の一文は意図的に省いた。

「いやいや、司令、形式論は今必要ではないんです。いいですか、社会主義国家というものは私も反対じゃない。むしろこれからの現代的国家建設には必要な理念です。が、問題は、その理念を曲解悪用して、国家の活力源である国民経済から搾取しようと画策する、その見え透いたアカ根性が問題なのです。ロシア帝国と同じ轍を踏んではならんのです」

確かにロシア革命によってロマノフ王朝は崩壊した。東三省でニコライ二世に最も近い存在が張学良であろう。少なくとも本人はそう考える。が、農民や炭鉱労働者、或いは泡沫の苦力らが自分の脅威になるとは到底考えられない。だから石原の能書きは方便にしか聞こえない。蒋介石は中国共産党を利用しながら合作と分裂を繰り返しているが、共産党は対抗勢力というには弱小すぎる。それが蒋と張の共通認識だ。

「中国共産党は脅威とはならない。小事件は起こせても、それ以上の知恵は彼らにはない」

栄臻が張の意を汲むように口を挟んだ。

「本当にそうですかな、参謀長殿。問題は、支那大陸にはびこる似非共産主義者を背後で支援する連中です。アジアを乗っ取ろうとしている。その悪辣さは英米資本主義国家の比ではない。騙されてはいけない。奴らはシロアリのように柱をボロボロと食い尽くす。気がついてからでは遅いのです」

「いやいや、彼らから言わせれば、騙されてはいけない相手はもっと身近にいると言うだろう」

栄がまた言い返した。日本のことだ。

「いいですか、我々は自由な資本、自由な労働力を用い、商売、貿易、生産・消費活動を営み、個々の生活を豊かにしている。それこそが経済の要であり、国の繁栄の礎じゃないですか。奴らは、これを真っ向から否定する。しかもそれを欺瞞ぎまんで満ちた糞のような理屈で底辺の不満分子をあおって詐欺商売している。満洲がソヴィエトのようになったら、司令の晩飯も明日から高粱とイモの葉っぱの味噌汁になるのです」

張は味噌汁を飲んだりはしないだろう。が、そうは突っ込まず、傍らの板垣も黙って聞いている。

東三省の統治はうまくいっている。欧米の資本も導入し産業基盤も整いつつある。問題が起きるのは、日本人が絡んでくるからだ。やはり石原の言葉は張らには盗人が盗人の理屈をこねているようにしか聞こえない。それは石原にもわかった。が、ここは引き下がるところではない。

「もう一度言いますが、高粱畑からやってきた農民やら山の中の穴の奥から這い出てきた炭鉱労働者らがソヴィエトの手先に扇動されて革命を起こそうとしている。一年先ではなくても、放っておけば、いつか必ずその日が来る。だから我々は一致協力が必要なのです」

「言いたいことはそれだけですか」

暫く石原の顔をまじまじと見ていた張が会談の幕を引くように言った。話は平行線のままである。

「私の言葉は、真実なのです。言いたいことは以上ですが、もう一度よく考えていただきたい。何度でもこうしてお見舞いに伺いたいと思っています」

張らは黙っている。すると石原が付け加えた。

「そうだ、大事なことを忘れていました。最近日本で開発された司令のご病気の特効薬があります。近いうちに誰かに届けさせますので、是非お試しいただきたい。薬効は関東軍が、いやこの石原莞爾が保証します。ご快癒の節には盛大に祝いの宴を催しましょう」

板垣と今田が一瞬視線を合わせた。どこまでも法螺を吹く奴だなあと、二人の目が言っている。


* * * * * * * * * * * * * *


板垣、石原が張学良と会見したその数日後、奉天市内の瀋陽館という日本旅館に関東軍高級参謀らが参集した。その中心に石原の姿がある。

「ソヴィエトの南進の脅威は日増しに高まっています。今ここ満洲に、奉天軍閥を超える親日政権を樹立させ、近代国家満洲国を成立させることが喫緊の課題です。当初は原則日本の支配下に置き、同盟諸国の資本を導入しつつ、殖産興業によって富める国を築き上げる。これが目標であります。また五族協和の旗印として清朝最後の皇帝溥儀を招聘する案に同意します」

石原は、関東軍参謀の面々、そして参謀本部から出張中の作戦部長に対して、こう言い放ったのである。同意もへったくれもない、元々石原の計画なのだ。しかも、すでに十分陸軍省内で揉まれていた構想である。いわばこれは実行部隊のキックオフミーティング。そしてこの日のこの一言で満洲の行く末が確定したのである。


これまでの三年間、板垣を含めた参謀連中を洗脳してきたのだ。今更文句を言う者はいない。石原にはそういう自信があった。


それからしばらくして、山が動いた。張学良が、関東軍参謀本部宛に「特別相互援助並びに日本管理地以外における諸規定に関する合意」なる書簡を送ってきたのである。これは、約束した薬と一緒に石原が張に送り届けた文書であった。封を開けるとその文書に張の署名があった。いくつか朱書きの訂正が入っていたが、それを吟味して確認を取ると石原は飛び上がるほどに喜んだ。薬が効いたらしい。

「どうやら近いうちに張司令の快癒祝いを盛大にやらなくてはいかんなあ」

報告を受けた板垣がそう言って同じように喜んだ。

「板垣さん、これからが正念場です。これで今まで以上に忙しくなります。近いうちに張司令に会いに行きましょう。正式な調印文書の手交が必要です」

そう言うと石原は早速参謀会議を招集した。


こうして前史とは異なる形で、異なる結果の九一八事変が起こるのである。


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