第3章 兵の夢 第2話 「再会」
東京青山にある陸軍大学校(陸大)は、一八八二年創設で、参謀本部直属の参謀養成機関である。受験有資格者は陸軍士官学校卒業者で、三十歳未満の隊付き少尉・中尉に限られる。そして、筆記に口頭試問にとやたらに多い試験に合格しなければならない。
陸軍大学校条例の第一条に謳う。
「陸軍大学校は、歩騎砲工兵科士官の入学志願者を選抜し学生となし、その学術を進達せしめ、将来よく参謀の職務に堪ゆべき者を養成する所なり」
校長以下教官は皆右肩に参謀肩章を付けている。主要な講義科目は、戦術・戦略、戦史に馬術、それに語学である。これらが学生たちに徹底的に叩きこまれる。
前年朝鮮から戻って会津の原隊へ復帰していた石原は、メンツを理由とする連隊長命令で陸軍大学校を受験した。行く気もやる気もなかったが、難関をなんなく突破してしまうと陸大第三十期生となった。
そこで石原は学校へ通う為に渋谷駅近くの青雲館というアパートに下宿した。しかし入学以来、学業はそっちのけでもっぱら宗教や思想の勉強をしたり、同期仲間の下宿を行ったり来たりしている。あるいは暇をみつけては会津まで出かけていって連隊の兵たちと交流するのが石原の楽しみだった。つまり、好き放題やりたい放題の学生生活を送っている。それでも成績はよく、教官との研究討論では度々教官をやり込めてしまう、所謂、始末に悪い学生であった。
龍山でのあの出来事以来、不思議なことは何一つ起こらず、あの時は物の怪にまんまと誑かされてしまったわいと、悔しさ半分で得心し、その記憶も夢の一部へと同化していた。
しかし、その日は突然訪れた。陸大二年の秋である。授業が早めに終ったので、下宿への帰り道、いつもの四谷の古本屋に長いこと居座ると、宗教書の物色に夢中になっていた。すると、あの時と同じように、突然、背後から声が掛かった。
「石原さん」
一冊の古本に目を落としていた石原が、肩越しに振り向くとそれは若い女だった。そこを退いてくれとでも言うのかと思った。石原は首をかしげてしばらく考える。そして女の顔を覗き込むように額を下げた。何故、俺の名前を知っているんだ。
「あっ」
声を出すなり、表情が型に流し込んだセメントの塊ように固まった。それを見て女が微笑んだ。
「お元気そうですね。なによりです。今日はお約束したお願いがあってやってきました」
さらに続けて女はなにかを言った。
「明日は、間違っても馬に近づかないでください」
「えっ、なんだって?」
訊き返した。表情は固まったままだ。石原は朝鮮の廃寺で見たナオミの顔を思い出した。あの時のこと全てが、一気に甦ってくる。樺太産の茶、米国との戦争で一敗地にまみれる話、不思議な医療技術、百年後の人物の話、そして必要な時に再び現れると言ったナオミという女狐のこと…。今、覚醒した。あれは夢幻ではなかったのか。どうしたらいい? どうする? トンカチで思いっきり頭を殴られて、異次元の世界にすっ飛ばされたような気がした。
そんな石原の心中などお構いなしに、女狐は石原に「明日は決して馬に近づいてはならない」と再び言った。それだけである。
そうか、こいつは本当に本当なのか。これが唯一無二の本物の現実なのか。そんな自問自答が頭の中で堂々巡りする。下手をするとこのまま気が狂いそうだった。一瞬の沈黙のあと、石原は気分を持ち直した。落ち着け。そうだ、落ち着くんだ。また突然現れたこの女に石原は訊きたいことが山ほどあった。そして口を開こうとしたが、旨く言葉が出ない。
ナオミは石原が手にしている古本をちらりと覗き込み再び笑みを浮かべると、じゃぁとだけ言い、石原の横を通り抜けると本屋を出て行った。石原は立ちすくみ、追いかけることさえもできない。狐の後ろ姿を改めて見送る以外になかった。再会というにはあっけなさすぎる。石原も、夢想だにしない展開だった。自ら喝を入れ我に返った石原は、手に持った本を棚に返すと、すごすごと店を出た。
そして夢遊病者のように心そこにあらずの体で下宿に戻った石原は、持病のリウマチが悪化したといって寝込んでしまった。翌日は授業をさぼった。
その翌朝登校してみると、前日の模擬訓練中に同期の佐伯庄次郎が落馬して大怪我をしたことを知った。打ちどころが悪く内臓破裂の重体らしい。命は取り留めても、おそらく退校になるだろうと皆が囁き合っていた。ナオミは馬に近づくなと言った。佐伯は俺の身代わりになったのだろうか。不思議な感じがした。
下宿に帰ると、ナオミから手紙が届いていた。封を開けてみると、妙に形の整った文字がきれいに並んでいる。読んだ。するとまた奇態なことが書いてあった。
(来春、川島芳子という女性に出会うのでしっかり心に留めておくように。後年あなたを助けてくれる人です。では三年後にお会いしましょう)
石原は考え込んだ。川島芳子? 聞いたことのない知らない名前だ。
負けの込んだギャンブル好きは必ず言う。
もしタイムマシンで過去に戻ることができたら大金持ちになれるんだがなぁ。なにしろ万馬券全部当ててさぁ、一年で億万長者だ。そのあとは、どこか南の島を買って、残りの人生パラダイスだ。
しかし、別の誰かが言い返す。
馬鹿だなぁ、おまえ、そんなことがうまくいくわけがないだろ。仮に過去に戻れたとしても、時空への影響力を行使したその瞬間から、世界は全く新しい枝に分岐する。その時点で、決して君が知っている未来はやっては来ない。
* * * * * * * * * * * * * *
一九一九年春、陸大を卒業した石原は、大尉に進級すると教育総監部に配属となった。通常陸大卒業生の成績優秀者は参謀本部か陸軍省に配属される。が、石原の場合は違った。次席卒業の石原が、窓際的な教育総監部へ配属されたのには訳がある。その性質粗野にして無頓着。その所以である。かなり不名誉な訳だった。そして与えられた仕事は文書の校正という極めて退屈なものである。すぐに飽きが来て、仕事を放り投げた。八月、知人の勧めで旧藤堂藩家臣の家系をもつ国府家の二女、銻と結婚した。実は経歴上ではバツイチの石原だったが、この時は旨く事が運んだ。これが三十歳のときであった。人生は人並みに順調である。
石原が日蓮研究に没頭し始めたのはこの頃であった。ある時、既に八紘一宇の理念を高らかに提唱していた田中智学の日蓮主義講習会に参加した。そこで「安土法難史論」の講釈を聴いてたちまち感激すると、田中が主宰する国柱会に入会し「信行員」となった。信行員とは、国柱会の主義・主張を絶対的に捧持することを誓う、いわばプレミアム会員である。石原は、日蓮がその生涯においてあらゆる迫害に耐え、身命を賭して信念を貫いたところに共感し、自分もそうありたいと心に願ったのである。このとき、ナオミの言葉を思い出し、東条なんぞの迫害に負けてたまるかと思ったかどうかは定かでない。
漢口の中支那派遣隊司令部付への転出命令を受けていた石原は、一九二〇年五月、現地に赴任した。ここには、居留民の安全と邦人の商業活動の保護を名目に軍が駐留している。軍事情報の収集が石原の主任務である。時間はたっぷりあった。
漢口は南京、重慶とならんで「支那の三大竈」とよばれる熱暑の地だ。夕方長江の岸を散歩し、夜には日蓮の遺文を読むのが石原の日課である。日蓮の勉強を欠かさず、さらに日蓮主義へと傾倒してゆくには十分すぎる環境だった。同時に本務である中国研究も熱心におこなった。
そんな中、石原は愛用のライカ製カメラを片手に、中国各地への視察旅行を敢行した。二ヶ月間の旅程で、南昌、南京、蘇州、上海、開封、鄭州と見て回ったのだが、この小旅行を強力に提案し、半ば強要したのが梁史明と名乗る支那人だった。上海から来た自称予言師というこの男を当初は訝しんだ石原だったが、梁が実はナオミの依頼でやってきたと言ったものだから、そういうことなら早く言え、ついでに「一緒について来い」となったのだった。男は通訳として石原に同行した。石原はこの旅行中、男から二十世紀から二十一世紀に至る体系的なアジアの歴史―石原から見たら未来なのだが―を事細かに聞かされた。
石原は後になってこの時のことを振り返ると、梁は実はナオミ本人ではなかったのかと思うほど、男の言うことはナオミのそれと符合していた。そしてこのことが契機となり石原の中には最終戦争論の骨子が生まれることになる。即ち、中国の問題は行きつくところアメリカ問題であり、アメリカとの調和なくして中国の問題の解決はないということ。さらにそのあとに続く厄介な問題、共産主義者との闘いであった。これに勝つにはアメリカをうまく利用する以外、一気に東亜の問題を処理し、繁栄を築くことは不可能であるとの認識を深くしたのだった。また、日蓮の教えによれば、仏滅後二五〇〇年前後に統一世界が実現する。そのタイミングがナオミのいう葛城龍一という人物によるアジア連邦構想のそれにうまく合致するのだ。どうやら最終決戦戦争は四次元の世界、霊界で起きるのである。
翌年七月、石原は陸大教官に転補となり、日本に戻った。
帰国後二ヶ月が経過した九月某日の深夜、石原は自室である陸大教官室にいた。椅子に深々と腰掛けている。その視線の先には冷たい灰色の壁に映るもう一つの影がある。石原は腕時計に目を落とした。もう五時間は経っている。その影がおもむろに石原のほうへ近づくと言った。
「では、イヌを手に入れていただきたい」
「…」
石原は万年筆の尻でモールス信号を打つように机をトントンと叩いている。言葉の主はナオミだった。夕方、男の様な身なりで教官室にふっと突然姿を現したのである。石原が、中国で着想した新世界秩序構想のことや、湧き出る疑問の数々をここぞとばかりにナオミに質しているうちに、夜も更けてしまっていたのだ。そして唐突にナオミの口から出たのがこれである。自分の話題と関連などあったものではない。
「また随分、珍妙な話だ。イヌですか?」
しばらく考えたふりをしていた石原が訊き返した。
「そう、イヌです」
「土佐ですかな、それとも…秋田犬…」
石原はわかっている。いや、ムッとしている自分の腹の中のことだ。
「いいえ、イヌは清朝の遺物です。北京郊外の円明園という庭園からアロー号事件の時に英国軍が略奪したとされるもの。十二の干支からなる動物像のうちのひとつですが、その後日本の手に渡っています」
ナオミは石原の軽いジョークを無視して端的にイヌを説明した。
「遺物ですかぁ。像ねぇ」
「ブロンズの頭部像です」
のらりくらりしながら「そんなことより、もっと重要なことがあるだろう」とは言わず、石原は言葉を繋いだ。
「ほう、ブロンズの像ですか。なんでまたそれが必要なのですか」
石原の問いにナオミは淡々と答える。からかうつもりはない。
「これからの世界の運命が、そのイヌの手の内にある、と言ってもいいでしょう。どうしても必要です」
「随分大仰なイヌなこってすな。で、日本に渡っているということなら、具体的な手掛りはあるわけですね。だったらそんな難しい話のようにも聞こえないが」
どうしてもこの話の持って行き方が気に入らない。
「今は行方不明です。もう二十年ほど前になりますが、英国の外交筋から当時駐英公使だった林董伯爵の手に渡っています。そこまでは裏が取れています。林公使は、その後すぐ、シベリア経由で日本に帰国していますが、この時イヌも一緒に持ち出しました」
「随分漠然としていますな。その任務、私でなければ駄目ですか。キミが持っている科学技術でちょちょいとちゃっとやっつけてしまうわけにはいかないのですかね」
「未来を変えられるのは、私ではないのです。今を生きているあなたがやらなければならない。私はあなたの思考の中にだけに存在する、そう考えてください」
君だって今を生きているんじゃないのか。うまいことはぐらかされている気がした。石原には全くピンとこない。しかし、そうとは言わずに、別なことを言ってやった。
「その、突っかかるようで申し訳ないが、もしキミが時空を飛び越えることができるのなら、まぁ、俺は信じていますけど、ひょいと時代を遡って、林伯爵に直接会ってだね、そのおイヌ様を頂戴するという訳にはいかないのだろうか」
なるほど、それもそうだ。だが、ナオミは的確だが妙な論法で言い返す。
「それはできません。林さんにはお会いしたことがありますが、アジア連邦の理念を理解いただくには生きている時代が怪異すぎる方です。拡散による不測の事態はそれ以上に避けねばなりません。しかもこれは起きてしまった過去の出来事なのです」
時代が怪異? やはりナオミの説明は奇妙だ。そもそもが起きてしまった過去を変えるって言う話じゃなかったのか。何を言おうとしているのか、さっぱりわからない。が、ここは話を合わせるしかない。
「…そうか、そういうことですか。うん、そういうことにしておくか。では、一体そのイヌですか、どんな意味をもったイヌなんですか。世界の運命を左右するとか、どういうことです」
ここまで入手にこだわるイヌだ、石原が当然の質問をした。
「百年先の世界を支配する力を持ったイヌです。いや、変える或いは修復する力を持ったと言ったほうが適切でしょう」
「ほう、それは大変だ。まさにそんなイヌなら興味は深い。ではでは、お犬様と言ったところですな。で、もしですよ、運よく探しあてたらどうするんですか。それを使って世界を征服しますか?」
「いえ、安全なところに確保してほしいのです。この世界から一時的に抹消してください。ただ、将来、これが必要になる時が来ます」
「へえ、折角隠れているものを見つけ出して、また隠す。おイヌ様を必要とするのが百年先の話なら、百年後の誰かが探し出せばいいのと違うのか」
「手がかりは、この先の未来にはありません。今探し出さなければ、もう探しても半永久的に見つからないでしょう。少なくとも今、その痕跡を後世に残す必要があるのです」
「ややこしい話だ。まあ、筋は通る。仕方ない、わかりました。で、そいつはどこをどう探したらいいのかな? 何かもう少し具体的な手掛かりがあるのでしょう?」
「手掛かりはドイツにあると思われます。林公使は帰朝の折、ベルリンに数日滞在しています。まずはそこを当たるのが適当でしょう」
「ドイツですか、そりゃ遠いな。しかも手掛りと言う割には、なんと不確かな」
「来年には、あなたはドイツ留学することになりますから、そのときがチャンスです」
「チャンスねえ 」
石原にはなんのチャンスなのかがわからない。ドイツは欧州大戦で敗れ、敗戦国として疲弊困窮している。石原もドイツ留学の希望は前から上にはあげている。行けと言われれば喜んで行こう。で、これがイヌを探す好機だというのか。なんと人迷惑なことを。しかも、何処をどう探してこいというんだ。
「もし、ベルリンになければ?」
「行動することで道は開けます」
「そういうことですな」
苦笑するしかない。どこまで本気で、どこからが冗談やら…。石原はため息をついたが、ナオミは構わず続ける。
「イヌを確保したら、ハルビンまで運んで、そこでお仲間に託してください」
「まだ見つかるとは決まった訳でもないが、ハルビンとはまた遠回りだな。それにお仲間って誰だい?」
「シベリア経由で帰国することになるので、満洲は通り道です。お仲間は国柱会。大丈夫、見つかります」
石原は一年前に国柱会信行員になっている。その点は問題ないだろう。しかしだ。
「国柱会か、じゃあそれはいい。でも、露助とは国交がない。ハルピンは通り道ではないと思うが」
ロシア革命以来、日本も含め西欧列強はソヴィエトを承認していない。国交がない。だからシベリア経由で帰れと言われても土台無理な話だ。が、ナオミは「それはいずれ解決される」と言った。またひとつため息がはいる。仕方ない、やるしかないか。しかし手がかりがドイツというだけでは、あまりにも心もとない。出たとこ勝負でいくしかないか。
「犬も歩けば棒にあたるといいます」
ナオミは茶目っ気をだしてそう言った。
「ああ、俺は犬か。そして探し出すのもイヌだ」
石原は心の中で念仏を唱えると、黙ったまま窓際に歩み寄った。そして背伸びをしながら「あーあ」と声を出した。すると頭の中の緊張がすっと消えた。窓の外を見遣ると、西に傾きかけた宵待ちの月が白い顔でこちらを見返している。
「もうじき満月だなぁ」
どうでもいいことをひとり呟いてみる。訳もわからぬままイヌもどきを探す心の準備がどうやらできた。
話はここまでかと思いきや、ナオミからもう一つ注文がついた。
「次の日曜日、築地御坊までおいでください。そこでもうひとつやっていただきたいことがあります」
「えっ、築地? 浄土真宗のお寺さんか? そこで一体何をしますか?」
一瞬日蓮主義の講釈を浄土真宗の宗徒相手にぶちかます構想が頭にひらめいた。が、ナオミは違うことを言った。
「そこで百年後のパートナーに言葉を送っていただきます」
「ほう、それもまた、思いもよらない仕事ですな。いいでしょう」
そこに行けば、百年後のパートナーがいるというのか? 何を馬鹿な、と思った。
一週間後、齢三十三、石原莞爾大尉は、戦史研究の任でドイツ留学の正式命令を受けた。
* * * * * * * * * * * * * *
一九二三年一月、石原を乗せた香取丸は神戸を出港した。船旅は香港、シンガポール、セイロン島などを経由してスエズ運河を通る南洋航路だった。石原は停泊する先々で異国情緒を楽しんだ。エジプトではナポレオン所縁のピラミッドを観光したあと、やがてマルセイユに着いた。そこからは鉄路パリに向かう。
パリには十日間ほど滞在し、オペラを見たりヴェルサイユ宮殿へ見物にでかけたりした。が、石原は花の都パリにはそれほど深い感銘を受けなかった。初めて接する西洋文明にどこか退廃的な臭いを感じ、むしろ嫌悪し、そこに生きる人々を見て毛唐と蔑むのである。フランスは、欧州大戦の戦勝国でありながら、その戦争の傷跡をあちこちに残していた。石原はそんな戦跡もあちこち訪ねた。成程、近代消耗戦においては勝者も敗者もないということか、そんな感想をもった。
数日後にはベルリンへ発とうかというある夜のこと―その日は陸軍記念日だったが―パリ駐在の将校らが、市内の日本料理屋で外国の武官らも招いてパーティを開いた。石原も招かれた。酒もたばこもやらない。やれるのは日蓮主義の講釈だけだ。なんと石原はそこに和服を着て出掛けた。石原を見た他の武官らは大いに戸惑った。或いは面白がった。場の雰囲気にはそぐわないからそんな恰好は止めたらどうかなどと指摘する人もある。が、実は、これはナオミの指示によるものであった。大勢の人が集まる場所に出るときは、なるべく目立つようにしなさい、そうすれば、欲っするものが引き寄せられてくると。そこで石原が選んだのが和服だった。
宴もそろそろお開きになろうかというころ、フランス陸軍の将校が、石原と目が合うと軽い会釈をして近づいてきた。階級章は石原と同じ大尉だ。その将校は石原の身なりに大変興味を覚えて声を掛けたと言った。そして和服は頗る美しいとか、機会があったら日本のことを色々教えてほしいとか、妙に馴れ馴れしく纏わりついた。石原は「なんだ、このフレンチ野郎は」と胡散臭く思った。が、その男が別れ際に石原に耳打ちした。
「ドイツでお探しのものは、シュリーフェン元帥所縁の人物を尋ねればよろしかろう」
酒が入って多少なりともご機嫌よろしいフランス人将校が、急に真顔でそう言ったのだ。石原には何のことかわからなかった。
「シュリーフェン元帥?」
石原は驚いた様子で大尉の顔を見返しながら訊き返した。勿論、石原も知らない名前ではない。いや有名すぎる名前だ。
「そうです。それを和服姿の貴兄にお伝えしたかったのです。貴方にお目に掛る日を待っていた」
意味深なことを言って、はにかんだような笑みとともに会釈をすると、男は石原から遠ざかっていった。
こいつ、一体何を言ったのか。石原は考え込んだ。ドイツでのお探し物とは、ライカのニューモデルのことか。いや、そんな趣味の話題はしていない。カメラと元帥はそもそも結びつかない。とすれば、やはりあれしかないのだろうか。しかし何故フランスの将校がそんなことを言うのだろう。日本贔屓の日本かぶれの男のようではあった。それともナオミのメッセンジャーか。いや、それはない。考えてもわかるはずはなかった。
シュリーフェンとは十九世紀末から二十世紀初頭までドイツ軍の参謀総長を務め、露仏同盟に対抗して、ドイツが将来フランス、ロシアと事を構えるにあたっての軍事作戦計画を立案した人物である。軍人なら知らない者はない。
シュリーフェンプランと呼ばれたその作戦とは、まず東のロシアに対しては防御に徹し、その間に西の正面では大きく迂回しフランスの後背を突く。そしてフランスを下した後、ロシアに正対するという二正面作戦であった。実際の欧州大戦勃発時はモルトケが参謀総長を務めたが、この戦略は中途半端に終わった。そして戦争に敗れ、今のドイツ、フランス、そしてソヴィエトがある。
石原は思った。いずれにせよ、これは一つの手がかりだ。なるほど、犬は歩いてナンボか。石原は妙な納得をして腹の中で笑った。とにかくシュリーフェンに所縁のある人物を探してみようと石原は決めた。取っ掛かりとしては上々だ。留学の目的からも外れない。まさしく一石二鳥。
三月、石原は最終目的地のベルリンに入った。欧州大戦は五年ほど前に終わっていたが、そこで石原が見たドイツは想像以上に疲弊していた。しかも、ヴェルサイユ条約で定められた戦後賠償の債務履行がはかばかしくなく、二ヶ月ほど前からフランスが制裁措置と称してルール地方を占領していた。言うまでもなく、ルールはドイツの工業中心地であり、国内鉄鋼生産高の八十パーセントを産出している。ドイツ政府はこの占領に反発して「消極的抵抗」という名のもとに、官吏や労働者のサボタージュを主導することで抵抗した。が、これが原因でドイツはハイパーインフレに見舞われることになる。
石原がベルリンに到着したのはまさにそんな時勢であった。到着後しばらくはベルリン市内の安ホテルに滞在していたが、数週間もすると殺伐とした都市部に嫌気がさし、ベルリンから三十キロほど離れた田舎町のポツダムに移った。そして現地人との接触を密にするべく、とあるドイツ人の家に下宿することになった。
ベルリンの大使館付武官補に坂西という男がいた。石原はこの補佐官に、さっそくシュリーフェン所縁の人物についての調査を依頼した。坂西は、石原の研究熱心さに心を打たれ、方々を当たり色々調べてくれたが、あまり有力な手がかりを得ることはできなかった。シュリーフェン本人は十年前に亡くなっている。ヴァイマル共和国軍陸軍兵務局(旧ドイツ参謀本部)にも問い合わせてみたが、退役軍人の親類縁者の消息まではわからないとのことであった。
石原のポツダムでの下宿先は、ごく普通のどこにでもありそうな一般家庭だった。フォン・ディフルトという名の上品な老婦人が女中一人と住んでいた。石原の希望は三食賄い付きだった。交渉の末、朝と晩に食事が付き、晩飯は女中もいれた三人で一緒に食うという決まりになった。
ディフルト夫人は大戦で夫を亡くしていた戦争未亡人である。その彼女が東洋の果てからやってきた遠慮会釈ない態度の石原を何故か気に入った。石原もこの家主を親愛の情をこめて「おせっかい婆さん」と呼んだ。石原が用足しに外出する時、ちょこちょこと一緒に付いてくるのである。そして、紳士がレディと歩く時の立ち位置まであれこれ指図をする。東洋人は童顔だ。婆さんは石原のことを孫くらいに思っている。石原は、自分ではドイツ語はろくにできないと言ってはいるが、そんなことは全くない。
ある晩、三人で食卓を囲んでいるとき、石原がおせっかい婆さんに訊いた。
「なぁ婆さん、いつも一人暮らしじゃ寂しいと愚痴ばかり言っているが、何故せっかく近くにいる娘と一緒に住まないんだ? 簡単なことじゃないか」
すると婆さんは、石原の質問の半分も終わらないうちに、首を横に振りながら言い返した。
「馬鹿を言ってるんじゃないよ。以前三ヶ月くらい一緒に住んでみたんだが、ありゃ人生で最悪の三ヶ月だったね。もうこりごりさ」
婆さん自身未亡人だが、やはり戦争未亡人の娘がベルリンに住んでいる。孫も三人いた。石原からすると、親子が別々に暮らしているということが不思議でならない。しかも婆さんは、いつも寂しい寂しいと愚痴をこぼしている。そしてふた言目には「おお神よ」とか「イエス・キリストよ」とか呟くと、決まって愚痴り始めるのだ。神も仏もないとはこのことだ。思わず日蓮の教えの素晴らしさを講釈したくなる。が、言ってもせんないことだ。ドイツ語でこれをやるのも難しい。代わりにこう言ってやった。
「あのなぁ、親子が一緒に住むことが辛いなんていうのは、どういうことか。いったい何を考えているのかね。親子愛、人類愛ってものがないのかね、なぁ婆さん」
これだから、毛唐は下等なんだと言わんばかりに見下した視線を婆さんに投げかける。
「そんなのは無理さ」と、婆さんも引かない。
「あのね、日本じゃ、そりゃ親兄弟で時には喧嘩もするが、親子楽しく生活するって言うのが、上品な人間の道徳ってものでしょうが」
「おー、そうだわ、まったく石原閣下のいうとおり!」
黙って隣で聞いていた本来はお喋りな女中が石原に味方した。この女にも思い当たる節があるらしい。ところで、この家では石原は一応閣下と呼ばれている。偉いのだ。ここぞとばかりに、石原は日本人の素晴らしさを講釈してやろうと腕まくりをした。が、婆さんはさえぎるように言う。
「ほれ、またフォークの持ち方が、違う。何遍言ったらわかるんじゃこの唐変朴!」
「何! 閣下に向かって唐変朴だと!」
くそっ…。が、言いかけて石原はやめた。話題を転ずるにはいいタイミングだ。
「わかった、わかった。今日のところは勘弁してやろうじゃないか。ところで、婆さん、訊きたいことがある。ある人物を探しているんだが、アンタも軍人の家族のはしくれだ、なにかうまい伝手はないか。新しい政府筋に問い合わせても、面倒くさがって、相手にしてもらえんのだ」
「誰や?」
「シュリーフェン元帥だが、知っているか」
「ふっ、ドイツ人捕まえて、シュリーフェン元帥を知っているかはないだろうさ。閣下の割に、そんなこともわからんとは、情けない。あー、情けない。でも、元帥さんはもう何年も前に死んでいるさ」
婆さんは首を横に振りながら、即座に言い返した。横の女中が目を輝かせながらウンウンと頷く。
「いや、それは知っているさ。だからその元帥の親類縁者だ。探している」
「そうか、そういうことなら…まあ、知らんでもない…かもしれない」
婆さんは勿体ぶる。
「なんだ! 知っているのか。でかした、婆さん」
「確か甥っ子にあたる夫婦がベルリンの近くに住んでいる。私の娘が詳しく知っていると思う」
「お、そうなんか、じゃぁ一度訊いてみてくれんか」
「娘とは話したくないが、まぁ閣下の頼みじゃしかたがない。いいとも、その代わり、頼みがある」
「あー、いいだろ。だが、もう一度言っておくが、日本では、夫婦愛というのも大切だが、それ以上に大切なものがある。いいか、父母、国家そして人類に対する愛というものだ。どうだい、わかったか」
「おう、それには私も大いに賛成だよ。なんだ、閣下とはやっぱり気が合うじゃないか」
「そうだよ、それでいい。じゃぁ何が問題なんだ」
石原と女中は顔を見合わせる。婆さんは、急にしんみりしたかと思うと「あの娘の親不孝なことといったら…、なんであんな娘に育ったのか…」そう言うと首を垂れて下を向いた。
婆さんのいつもの愚痴が始まろうとしている。なんだ堂々巡りか。石原もまずいと思ったか「ちっ」と舌を鳴らしてテーブルに片肘をついた。そもそも、話をそっちに持っていったのは石原だ。
「…私のことなど、どうでもいいって態度だから…」
始まった。興味のない他人の愚痴を延々と聞かされるのは、石原の日蓮主義を聞かされるに等しく苦痛である。話題の方向を変えたほうがいい。が、夜は長い。




