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未來からのハッコウイチウ  作者: 檀D九郎
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第3章 兵の夢 (序) 「最終戦争論」

   正義凛たる旗の下♪ 明朗アジアうち建てん♪

   力と意気を示せ今♪ 紀元は二千六百年♪

   あゝ弥栄いやさかの日は~ のぼる~♫


黒いレコードが、蓄音機の上を波打ちながら、チリリチリリと廻っている。流れるような抑揚とリズム溢れる流行り歌。聴けば満々自信みなぎるその祝歌。「皇紀二六〇〇年」


天気晴朗、初夏というには幾分早い。ここは京都市内、ある道場の演舞場である。急ごしらえの演壇を前に壮気溢れる大勢の男たちが参集し、何かを待っている。婦人の姿もちらほらと見える。

そして今、彼らの視線の先に一人の学者風の男が立った。聴衆の喝さいを浴びると、自信ありげに演壇へと登る。薫風香る五月晴れの午後である。開ききった窓からは不如帰ほととぎすの無邪気なさえずりが聞こえてくる。


演題は「来るべき世界最終決戦に備える」である。要は「次の戦争」の話、なのである。なんとも仰々しいようだ。しかし、これが時代の要請である…。会場は水を打ったように静まり返っている。

この男、立命館大学講師の肩書をもつ。大きな日の丸を背に一つ咳払いをすると、結んだ右手を口に当て、いざ居住まいを正す。一度聴衆を見回した。そして大きな澄んだ声で毅然と語り始めるのである。


    傍題 『人類の前史おわらんとす』


我々は第一次欧州大戦以後、戦術から言えば戦闘群の戦術、戦争から言えば持久戦争の時代にいると言って良いでしょう。第二次欧州戦争では所々に決戦戦争が行なわれておりますが、時代の本質はまだこの持久戦争の時代の中であります。が、やがて決戦戦争の時代に移行するであろうことは、これまでの歴史的観察によれば、疑いのないところなのであります。


では、その決戦戦争とは一体どんな戦争なのでしょうか。これを今までのことから推測して考えてみます。まず兵数の視点から見ますと、今日では男という男は全部戦争に参加するのでありますが、この次の戦争では男ばかりではなく女も、更に徹底すれば老若男女全てが、戦争に参加するということになるのです。


また戦術の変化を見てみますと、密集隊形の方陣から横隊になり、更に散兵になり戦闘群になったのであります。これを幾何学的に表現すれば、方陣は点であり、横隊は実線であり、散兵は点線であり、となると戦闘群の戦法は面の戦術というように表現できるでしょう。つまり、点線から面に来たのです。よって、この次の戦争はの戦法であると想像されるのです。


次に、戦闘の指揮単位はどういうふうに変化したかという話になります。これは必ずしも公式の通りではなかったのですが、理屈としては密集隊形の指揮単位は大隊です。今のように拡声器が発達すれば「前へ進め」と三千名の連隊を一斉に動かし得るかも知れませんが、肉声では声のよい人でも大隊が限界です。これが横隊陣形になると大隊ではどんなに声のよい人でも号令が通りません。よって指揮単位は中隊となるのです。

次の散兵となると中隊長ではとても号令は通らないので、小隊長が号令を掛けねばなりません。それで指揮単位は小隊になったのであります。戦闘群の戦術では明らかに分隊―軽機一挺と鉄砲十何挺を有する―が単位であります。

大隊、中隊、小隊、分隊と逐次小さくなって来た指揮単位は、この次は個人になると考えるのが至当であろうと思料する次第なのです。


即ち、単位は個人で量は全国民。ということは、国民の持っている戦争力を全部最大限に使うということに他なりません。そうして、その戦争のやり方はの戦法、即ち空中戦を中心としたものでありましょう。

更にその先があるのかどうかと言いますと、われわれは以上のもの、即ち三次元以上の世界のことになるともう分からないのです。もし、そういうものがあるならば、それは恐らく霊界とか、幽霊などの世界でしょう。これは、われわれ普通の人間には分からないことです。

であるが故に、要するに、この次のによる決戦戦争の形態は戦争発達の極限に達することになるといえるのです。


ですから、戦争発達の極限に達するこの次の決戦戦争で、そのあと戦争は無くなるのです。しかし人間の闘争心は無くなりません。では闘争心が無くならなくて戦争が無くなるとは、どういうことでしょうか。つまり国家の対立が無くなるということ、即ち世界がこの次の決戦戦争で一つになるのであります。これが私の結論とするところになるのです。


これまでの私の説明は突飛だと思う方があるかも知れませんが、私はこれが理論的に最も確からしいと信じています。戦争発達の極限が戦争遂行を不可能にする。兵器の発達が世の中を泰平にするのです。この次の、ものすごい決戦戦争において、人類はもうこれ以上戦争をやることはできないということになる。そこで初めて世界の人類が長く憧れていた本当の平和に到着するのであります。

要するに世界の一地方を根拠とする武力が、全世界の至るところに対し迅速にその威力を発揮し、抵抗するものを屈伏し得るようになれば、世界は自然に統一することとなります。


しからばその決戦戦争とはどういう形を取るのかを想像してみましょう。戦争には老若男女全部が参加する。老若男女だけではない。山川草木全部が、戦争の渦中に入るのです。しかし、女や子供まで全部が満洲国やシベリア、または南洋に行って戦闘をやるのではありません。このような戦争をやるには二つのことが大事です。


一つは敵を撃つこと―即ち敵に損害を与えること。もう一つは被った損害に対して我慢をすることです。つまり敵に最大の損害を与えつつ、同時に自分の損害については堪え忍ぶということであります。この見地からすると、次の決戦戦争では敵を撃つものは少数の優れた軍隊でありますが、我慢しなければならないのは全国民となるのです。


今日の欧州大戦をみても、空軍による決戦戦争遂行の自信は誰もありませんから、無防禦むぼうぎょの都市は爆撃しないのです。軍事施設を爆撃したとか言っておりますけれども、愈々いよいよ真の決戦戦争の場合には、忠君愛国の精神で死を決心している軍隊などは有利、有効な目標でありません。最も弱い人々、最も大事な国家の施設が主要な攻撃目標となります。工業都市や政治の中心を徹底的にやるのです。でありますから老若男女、山川草木、豚も鶏も同じ様にやられてしまうのです。

かくしてこれは空軍による真に徹底した殲滅せんめつ戦争となります。国民はこの惨状に堪え得る鉄石の意志を鍛錬しなければなりません。また今日の我が国の建造、建築物は危険極まりない状態にあることは周知の事実であります。国民の徹底した自覚を促すとともに、国は遅くも二十年を目途として、主要都市の根本的防空対策を断行すべきことを強く提案する次第なのです。

即ち、官憲の大整理を断交しつつ、都市に於ける中等学校以上を全廃の上教育改革を実施し、工業生産力の地方分散による都市部の人口を再配置し、さらには必要に応じ都市部市街地の大改造を実現することが求められるのであります。


しかし、今日のように陸海軍などが存在しているあいだは、そのような最後の決戦戦争にはならないのです。それ動員だ、やれ輸送だなどと生温いことを叫んでいてはダメであります。軍艦が太平洋を渡るのにのろのろと十日も二十日も掛かっていては問題になりません。かと言って今の空軍ではとてもダメです。また仮に飛行機の発達により、ドイツがロンドンを大空襲して空中戦で戦争の決着をつけ得るとしても、恐らくドイツとロシアの間では困難であります。ロシアと日本の間もまた困難。更に太平洋を隔てたところの日本とアメリカが飛行機で決戦するのはまだまだ遠い先のことでありましょう。


一番遠い太平洋を挟んで空軍による決戦の行なわれる時が、おそらく人類最後の一大決勝戦の時であります。即ち無着陸で世界をぐるぐる廻れるような飛行機ができる時代であります。それから破壊兵器も今度の欧州大戦で使っているようなものでは、まだまだ問題にはなりません。もっと徹底的な、一発あたると何万人もがペチャンコにやられるところの、私どもには想像もつかないような大威力の兵器ができなければなりません。

飛行機は無着陸で世界をぐるぐる廻る。しかも破壊兵器は最新鋭、例えば今日戦争になって次の朝、夜が明けて見ると敵国の首府や主要都市は徹底的に破壊されている。その代り大阪も、東京も、北京も、上海も、同じく廃墟になっておりましょう。すべてが吹き飛んでしまう…。それはかくほどの破壊力のものであろうと思います。


そうなれば戦争は短期間に終るしかない。よって、それ精神総動員だ、やれ総力戦だなどと騒いでいる間にはそんな最終戦争は来ないのであります。そんな生温いのは持久戦争時代のことで、決戦戦争では問題にならない。この次の決戦戦争では「降ると見て笠取る暇もなく」敵をやっつけてしまうのです。このような決戦兵器を創造して、この惨状にどこまでも堪え得る者が最後の優者なのであります。


**************************************


延々と続く最終決戦戦争論の熱弁に聴衆もあれやこれや空想しつつも、上気した顔つきで興奮している。そして、男は最後にダメを押すかのように言い切ったのである。


「兎に角、この次の戦争が最後であります。人類は多大の犠牲を払った後、やがて世界がひとつとなり、憧れの、本当の平和、すなわち八紘一宇はっこういちうの時代がやってくるのです。兵器の圧倒的進歩によって、これ以上は戦争を始めることができなくなるのです。それでもその先に戦争があるとすれば、それは四次元の戦争、或いは人間には分からない霊界とか幽霊の世界で起こる、そういう戦争となるでありましょう」


前年、欧州ではナチスドイツが突如ポーランドに侵攻し、第二次欧州大戦が始まっていた。そして東アジアでは、盧溝橋ろこうきょう事件が導火線となって勃発した日中戦争が既に泥沼化の様相を呈している。

間違いなく時代は閉塞感へいそくかんの中にある。



     やれツブリ 干上がる前に 退避せよ 


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