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未來からのハッコウイチウ  作者: 檀D九郎
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第2章 犬と鼠  第5話 「遷移」

誰かが嘆いた。

「麻雀がめちゃくちゃ強い人って、あれなんだろうね。数学的な、要は確率っていう人もいるけど、それだけじゃぁ説明つかないよ。とんでもないマチで、ラス牌で跳満とか自模る奴。それで何度やってもトップで上がる。いや負けない。俺が同じことやろうとすると、必ずその前に満貫とか振り込む。欲張りの度合いは同じはずなのに、やってらんねーよ」

すると誰かが言った。

「それは君、シンクロニシティってやつだ。望めよ、さらば与えられん。君の望みの強さの度合いが足らないということだ。昔からよく言う。犬も歩けば棒に当たるってね」

「シンクロ? いや、それはちょっと違う気がするがなぁ。それに犬じゃあギャンブルには勝てない」

「ていうか、虎屋のよーかん食いてーって思っていたら、誰かがお土産によーかん持ってきたとかさ、あるでしょ。それと同じこと。来ないと思えば絶対来ない」

「それだけでは麻雀、勝てないだろ」

「これ、まともな心理学者が真面目に研究した話だぜ。シンクロニシティっていうのは、意味ある偶然の一致とも言うんだが、心の中で望んだことが、なんの因果関係もない外界がこれに対応して符合するっていう現象だ。つまり、虫の知らせとか、予知夢も同じ類な。これのすごいヤツを体験すると、悟りを啓くという説もある。まぁお前が悟りを啓くには百年早いがな」

「いやー、多分悟りは無理だわ。別の意味では悟ってる感はあるけどね」


二〇一二年十一月某日の昼下がり。智明と龍一は永田町の官邸にいた。外の銀杏の並木は少し色づきはじめている。が、霜月と言うには汗ばむような陽気である。瀬上智明は、半年前武内が首班指名を受け内閣総理大臣に就任した時以来、官界OB・財界人からなるアジア経済政策研究会という首相の私設諮問委員会の座長を務めている。今日は表向きにはオブザーバーである龍一を伴い、ここを訪れた。官邸は五階建てのアールデコ調の瀟洒な建物だ。上空から見ると八角形に見えることから警備関係者やマスコミからは夢殿とも呼ばれている。前庭に当たる部分は池となっているが、緊急時には水が抜かれてヘリポートとなる。さすがにサンダーバードは飛び出ない。

邸内は官邸警備隊によって常時警備され、私人が気ままに訪れることはない。二人は十分ほど前に三ケ所あるセキュリティゲートを通り抜けて、ようやく五階にある総理会議室に通されていた。それから三十分ほど待ったであろうか。武内が「いやぁ、すみません」と言いながら秘書官を伴い早足に部屋へと入って来た。

「どうも、お待たせしました」そう言いながら武内は後頭部を手で軽く叩いた。

「お忙しそうで何よりです」智明も同じように恐縮した。

「いや、ヴェトナムのダナン産業商工会のご一行さんが昨日から見えられていまして、経済協力要請の話がちょっと長引きました。申し訳ない」

「いやいや、お気になさらず。こっちはいくらでも大丈夫です」

「葛城さん、今日はようこそおいでくださいました」

武内は智明の隣に座っている龍一に向き直ると手を差し伸べた。龍一も物おじせず「どうも」とだけ挨拶すると二人は軽く手を握りあった。五年ほど前だったろうか、まだ武内が野党の幹事長だった時、智明の紹介で人形町の料亭で二度ほど会っている。龍一も武内のざっくばらんな性格はその時からわかっていた。以来、お互い交信はなくとも同じ目標へと向かって突き進んでいる実感を共有している。武内は単刀直入に切り出した。今日はその話なのだ。

「瀬上さん、いいお知らせです。日本政府としては日満朝を中心とした東アジア統合を外交政策の基本方針にするということで、来月中には閣議決定するという方向で固まりました。今日はそのことを申し上げたくて、朝からうずうずしていたんですよ。問題は中国がこの連合に加盟するか否かですが、そこだけです。王大使には、もう二ヶ月ほど前に、もしそう言うことになったら加盟の意向はあるのかどうかという打診をしてあります。まだその後何も言ってきていませんから、どうなるかは不透明ですが、向こうもこういう話は簡単には返答できないでしょう」

「中国については、こちらでも手を尽くしていますので、そんなひどいことにはならないと思います。政府が腹をくくってくれれば、後はいかようにも。総理には感謝このうえないです。あー、でもよかった。愈々ですね。葛城君がひのき舞台に立つ日も遠くない」

「全くです。日本政府としては、連邦体制を全面的に支えてゆくつもりですし、国民のコンセンサスは得られていますから。満洲政府も勿論異存はないと理解しています」

「満洲の日系人の人口比率は十七、八%程ですが、日本と満洲は、産業経済分野、社会文化においては一衣帯水の深い関係があります」龍一が付け加える。

「FEORの活動も大いに助けになっています。ただ、気をつけていただきたいのは、ロシアの支援を受けた満洲国内のテロ組織が、アジアのブロック経済化や反露・反欧的な脅威が顕在化した場合、これに断固対抗するという声明を出していますから、なんらかの妨害行動をとるのではないかという懸念も上がってきています。特にロシアは、右派が政権の中枢で力を得つつあるので、厄介です。満洲国境と南樺太では反政府ゲリラの追討という出鱈目な名目で正規軍の越境行為が最近目についてきています」

「わかりました。慎重に事を運ぶ必要があります」智明も応じた。

「それからお二人とも、身辺には気をつけていただきたい。政府内あるいは議会にもそうした勢力が浸透してきている可能性もある。信頼できるコネクション以外はそれこそ信用しないことです」

「わかりました。こちらもそのつもりです」もう一度智明が応じた。

「じゃぁこれからブラジルの農業大臣との会見があるので、ちょっと失礼します」

ニコニコしながら武内は二人と固い握手を交わすと、そそくさと会議室を後にした。これで充分だ。智明も龍一も満足した。


官邸を後にした二人はタクシーを拾おうと、外堀通りに出た。すると、待っていたかのように一台のSUVが目の前に停まった。

ナオミだった。ネズミの件からすでに三年半が経っている。相変わらず登場は突然だ。尤も彼女からすれば、三年前のことも昨日か一昨日のことなのだろう。が、こっちからすれば、イヌの件がどうなったのか、それすら確認できていない。そのナオミが今運転席から二人を見ている。

「乗って」というサインだ。何があったのだろう。或いはこれから何が起ころうとしているのか。智明が助手席に、龍一が後部座席へと乗り込んだ。

「おやおや、お迎えとは嬉しい限りだ。三年ぶりだね。何かありましたか?」

智明が茶化しながらナオミに訊いた。

「イヌの件です。ハルビンで保管していたのですが、それが行方不明になりました。想定外の妨害が入ったようです。このままいくと別の世界線へと遷移する」

ナオミは単刀直入に、何が起こったのかを言った。遷移と言ったって、有り体に言えば状況が変わったということだろう。そうは思ったが智明が調子を合わせた。

「なんと、それはまずいな」

「それってどういうこと? 確保したはずのイヌがどうしたんですか」

「国柱会の保安倉庫が襲われました。そしてイヌが持ち去られた」

一度は確保に成功したイヌが何者かによって奪われた…。

「それはいつのことですか?」龍一が訊いた。

「一九三二年十月。内モンゴルの東北民衆救国軍という、満洲からの独立を宣言した反乱部隊の別働隊を名乗る十人ほどの煙匪に襲撃されました」

「エンピ?」

「馬賊のようなものです」

「なんと。馬賊が国柱会を狙い撃ちし、しかもイヌを持ち去ったというのか」

智明は驚いた。見えない敵が明らかに存在する。

国柱会とは大正時代に宗教家の田中智学が創設した宗教思想団体のことであり、ハルピンには支局があった。国家主義的な側面を有する「日蓮主義」を標榜する政治結社的色合いがある。石原もそこの会員である。

ナオミは続ける。

「そうです。しかも、続きがあります。イヌは石原さん、即ち陸軍からの預かりものだったので、慌てた国柱会の自警団メンバーが盗賊の後を追ったのですが、翌日チチハルへと続く幹線道路上で彼らの射殺死体が発見されたということなのです。持ち出されたイヌは消息を絶った」

せっかくの石原の仕事が水泡に帰した。そういうことなのか、それとも、いや、最初からそういう運命だったのか。これをどのように解釈すべきなのか、智明にも龍一にもわからない。

「困りましたな」智明は、で、どうするつもり?という視線をナオミに投げかけた。

「一九三二年でこれを解決するしかない」

それはそうだろう。が、だったらナオミは何を言いに来たのか?

「イヌは今でも世界のどこかに存在するはずですよね」

前にも話したことだ。龍一は少し視点を変えることを暗に提案した。

「なんの手がかりもないまま、それを探し出すのは至難。やはり何らかの情報が必要です」

必要な時に必要な場所でイヌが出現すれば問題ない。そうか、その為の仕掛けが必要ということなのか。ナオミはなんらかの手がかりを探している。龍一はあることを思い出した。

「そういえば、森泰蔵君が言っていたことがあります。川島芳子という満洲族の姫様がイヌの消息についてなにか知っているはずとか」

「そうそう、そんな話、言っていたね」

智明も龍一から以前聞いた話を思い出す。但しこの期に及んでそれが有用な情報なのかはわからない。

「川島芳子ですか。面倒ですね」ナオミがしばらく考えてから言った。

「面倒って、どういうこと?」龍一が訊いた。

「彼女の歴史関与係数が大きすぎます」

「関与係数?」初めてナオミが口にする言葉だった。

「そうです、つまり大局的な歴史の流れへの関与度が高く、こういう人物を巻き込むと予測不能の結果を招く、そういう危険度を数値化したものです。同時代では、石原さんと同格です」

「へぇ、石原さんは危ない人だったんですね」龍一が冗談めかした。

「その意味では両者とも当時の日本の一等人物です」

「だから仲間に引き入れたってわけか。とすると俺たちのそのなんとか係数も高いということか」

ナオミはそんなことを言う龍一から視線を逸らしたまま黙っている。

「その姫様の菩提寺が松本にあって、森君の調べでは、手掛りなしと言っていたけど、その時と今が違う状況なら、もう一度行って確かめる必要があると思う」龍一が話を戻した。

「そうですね、あなた自身が一度訪ねてみるのがいいでしょう」

ナオミはそう言うと何かを決心したようだった。そしてさらに付け加えた。

「イヌの消息不明が、この世界に変化を与えるのは間違いありません。この先さらに不測の事態を呼び込むことが考えられる。騙されないように」

「…」

「騙されないように」とはどういうことなのか。


森泰蔵は例の事件以来、ここしばらくは龍一との距離を置いていた。というより、龍一が彼を遠ざけたといったほうがいいかもしれない。責任は自分にあったのだ。軽率な行動で彼に怪我を負わせたという負い目と、もうこれ以上は巻き込めないという思いがあった。それでも時折この件には関係のない部分で連絡は取り合っている。早速泰蔵に電話して川島の墓がある寺の場所を確認することにした。

泰蔵はいつもの調子で電話に出た。まだそれやっているんだねと言いながら、それなら松本市内の正麟寺だと言って、住職を訪ねていけばいいと教えてくれた。泰蔵は、あの時のことは気にしていない、何かあったらいつでも協力するぞと最後に付け加えた。龍一も正直に、うんその時は頼むよと言って電話を切った。


一週間後の早朝、龍一は松本へと車を走らせた。あの経験以来、走るのをなるべく避けていた中央道だったが、この時ばかりはやむを得なかった。相模湖から談合坂までの間、季節外れの激しい雷雨に見舞われたが、小淵沢を過ぎたあたりから空は嘘のように晴れあがった。

曹洞宗正麟寺は桃山時代の創建と言われる。松本城の北西、城山公園の東にあった。どこにでもある市井の禅寺である。

この日、住職は不在であった。龍一は確認してから来ればよかったと後悔したがあとの祭りだった。仕方なく、川島家の墓所を訪ねることにした。墓地は寺の裏手の雑木林の中にあった。その先には近代的な葬儀場の建物が見える。川島家の墓は記念碑のような墓石ですぐに見つかった。が、どこを探しても芳子の墓は、見つからなかった。おかしい、なにか話が違うじゃないかと思いながら、龍一は仕方なく養父の川島浪速とその妻の墓石に水を掛け清めると、途中で買ってきたバラの花を供え、静かに手を合わせた。

寺にふらっと来たくらいで、なにかが急転直下に決まったり、それまでわからなかったことが明々白々になったりするとは端から思ってはいない。が、現場に来てみて初めてわかることもある。そういう期待だった。そうして見ず知らずの他人の墓に参って、願い事をした。イヌの行方に導き給えと。意味なんかない。

その時、背後に人の気配がした。立ち上がって振り向くと、一人の老人が龍一を見ている。手に花と水桶を持っている。すれ違いざま、ゆっくり会釈を交わした。訊けば何かわかるかもしれない。すると老人の方が先に声をかけた。

「どうもどうも、ありがたいことです」

「失礼します」龍一も一礼した。すると老人が訊いた。

「あまりお見かけしませんが、どちらからおいでいただきましたか」

「はい、神奈川から参りました」龍一は立ち止まった。

「ほう、それはそれは、ご苦労さんです。失礼だけど、川島家とはどのようなご縁の方ですかな」

丁度いい。それはこっちも訊きたい。

「いいぇ、ご縁はありません…ただ…」

「ほほう、それは、ありがたいことです」

老人はもう一度頭を下げながら、龍一のつま先から頭のてっぺんまでをスキャンするかのように、この若い男の品定めをした。龍一は言いかけた言葉の続きを言った。

「ただ、川島芳子という女性のことを知りたくて、何かわかるかなと思って伺った次第です」

すると老人は「ん?」という表情を見せた。

「川島芳子さん、うんうん、浪速さんの養女の芳子さんのことですな」老人の言葉が少し砕けた。

「そうです、その女性のことというか、どんなことをした人か、そんな色々知りたいことがありまして…」

「ちょっと、待ってもらえるかい」

そう言いながら墓前に参ると、老人は墓石の頭を柄杓の水で清め直し、薔薇のわきに菊の花を供え、線香に火をつけ合掌した。立ち上がり際に雑草を何本か抜き、それをあらぬ方へ放り投げるとようやく龍一に向き直った。

「そうですかぃ。川島芳子、ね。芳子さんっていうのは元々清朝の王家の出で、金璧輝という中国名ももっていたが、一九四八年だったかな、中華民国政府によって政治犯として捕えられて、その後処刑された。色々危ない情報を持っていたらしいからなあ」

老人は、そのくらい知らんのかといった顔をした。龍一は驚いた。別人か? いやそれはない。泰蔵の話とも大きく違う。思わず訊き返した。

「あの、満洲国の外交官として六〇年代まで活躍していた川島芳子さんのことなんですが」

老人は龍一の顔をまじまじと見つめると、妙なことを言う奴だと訝ったようだ。

「川島芳子と言えば、川島芳子だ。墓らしきものは黒姫山の雲龍寺というところにあるが、いやぁ墓というよりは追悼碑のようなものがあるだけだ。それに満洲といったって、そんなことは戦前の話でしょう」

「は? 戦前とおっしゃいますと?」

「大東亜戦争でしょ」

龍一は言葉がでなかった。というより落胆した。簡単な話だ。この老人はボケている。そう思った。この人ではダメだ。ここは調子を合わせるしかない。何でもいい、何か手がかりはないのか。

「なるほど、そうですね。失礼ですが、川島芳子さんのことはお詳しいようですが、どのようなお知り合いだったのでしょうか」

何をわかりきったようなことを、といったふうな表情を見せると老人は言った。

「ワシのオヤジがね、浪速さんに世話になった。松沢と申す。芳子さんとは子供の時何度かあったことがあると聞かされたもんだが、記憶にはない。それで、おたくさんは、どんなことが知りたいんだい」

「葛城龍一といいます。実は私は川島芳子の遠い親戚にあたるんですが、今度本を書こうとしていまして」

適当なことを言い始めた。さっきは縁も所縁もないと言ったくせに。ボケ老人だからと言って舐めているのか。老人も突っ込まない。

「…それで、芳子の事績を調べているんですが、どうしてもわからないことがあります。満洲で清朝の財宝を馬賊に奪われた時にそれを取り戻すという活躍をしたのですが、その財宝の行方がさっぱりなのです。そこのミステリーを追っているんです」

「ああ、そうですかぃ。で、それはいつ頃の話ですか」

聞いてどうするんだとは言い返さない。

「一九三二年のことと言われています」

「じゃぁ関東軍が溥儀を担ぎ出して、満洲帝国を建てた年でしょうな」

「詳しくご存知ですね」

老人はそりゃそうだよと言った顔をした。

「でも、ここには何もないなぁ」

「ええ、そうなんです。そこはわかった上で来てみたんです。寺に何か逸話とか遺品とかないかとか、そんな淡い期待をしていたんですけど」

「さっきも言ったが、金璧輝は北京で銃殺刑にされているから、このあたりでは、遺品のようなものは何も残ってないな。あっそうだ、何かあるとすれば、雲龍寺だな。まぁ無理か、期待はしなさんな」

それはさっきも聞いた。やっぱり、かみ合わない。仕方なく、その場を辞することにした。ただ、なにか思い出したり気がついたりしたら是非連絡くださいと言って、名刺を差し出した。ダメもとだ。

「そうか、では名刺はいただいておきましょう。芳子さんのご親類ということは、世が世なれば、ですな」

「あ、いえ、恐縮です。では、これにて」

失礼しますと斜めに頭を下げると、それ以上は見向きもせず歩き出した。別の人を探そう。そう思った矢先、ケータイが鳴った。

「はい、葛城です」智明だった。

「龍一君、今どこ? たしか今日は松本だったよね。どう何か判った?」

「はい、松本ですが、それが、川島芳子の菩提寺に来ているんですが、これといった収穫は今のところありません…」

「そうか、まあ仕方ないな。それより実は気になることがある。いや、というより何かがおかしいぞ」

「えっ?」智明の様子に、龍一は嫌な予感がする。

「この間、ナオミ君からイヌが行方不明って話聞いただろ。それで世界線が遷移するって。どうもあれからおかしくなってきているようだ。さっき、マシピンの王さんから電話が来たんだが、訳がわからんことを言い出した。中国吉林省への投資案件について相談があるから乗ってほしいって言うんだけど、は?何ですかそれ?って言ったら怒っちゃってね。電話切られちゃって、掛け直したら、こちら中国吉林省共産党本部外資招聘委員会ですっていうんだよ。そんな組織、聞いたことがない。秘書にもう一度電話を掛けさせたら、同じことを言われたそうだ。メールもエラーで返ってくる。すべてがすべてそうじゃないんだが、どうもおかしいことになっている。ちょっとこっちへ戻ってくれないか」

時々「えっ」と発声する以外は黙って聞いていた龍一も一言添えた。

「そういえば自分もなんかおかしいと思ったことがありました。今そこであった老人が、満洲という国はとっくの昔になくなっているみたいなことを言ったんです。何を馬鹿なと、まあボケ老人だとは思うんですけど…」

「それも気になる話だ。とにかく、善後策を考えないと…というか、ナオミ君とコンタクトとらないと。対処できるのは彼女だけだ。今は無駄な動きはしないほうがいい」

「わかりました、すぐ戻ります」

龍一は、この世界の成り立ちの危うさ、壊れやすさというものを想像した。いや、もしかすると、これこそがその真の姿なのだろうか。或いは川島には近づくなという過去からのメッセージなのか。


その日の夕方、東京に戻った龍一が慌てて智明に会いに行くと、彼は龍一を見て意外なことを言った。

「あれ、今日は松本じゃなかったのか?」

「いや、智明さんから電話もらったから、松本からすっ飛んで帰ってきたんですけど、用件は何ですか?」

「おおそうだった、すまんすまん、そんな慌てなくてもよかったんだが、これから東大医科学研究所のウィルスを専門に研究しているドクターと銀座で会食をするんだが、君も一緒にどうかと思ってね。川倉さんていう人だが、我々にとっては重要な人物だ」

「成程、そういうことでしたら、喜んでお供します。松本は今度またじっくり出かけますから」

普段通りの二人の会話にはどこか安心感がある。それ以上でも、それ以下でもない。


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