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(3)

 約束の時刻に聖と七菜が事件現場のマンション前に行くと、既にそこには小町と夏樹の姿があった。やはり小町は不貞腐れた様子で、隣に立つ夏樹を睨み上げている。



「……何かあったら夏樹くんの所為ですからね」


「お好きなだけほざいていてください」



 この二人は仲が良いのか悪いのか分からないな、と聖は胸の内で呟きながら目前のマンションを指差した。



「現場はこのマンションの三○一号室です。両親と一緒に暮らしている五歳の女の子、斐川羽月ちゃんが姿を消しました」


「それが昨日ですか?」


「はい」



 乗り気ではないのかと思ったが、小町も事件を解決しようという気があるらしい。彼女の質問に頷いて、聖はマンションの中へと歩き出す。



「こちらです」



 マンションの中に入ると三○一号室を目指す。三階へ向かうエレベータの中で聖はちらりと小町を振り返った。


 緊張感のない表情で、彼女は点滅する階数表示を眺めている。その表情はやはり咲哉の話を出した時とは違う。眼鏡の奥にある緩められた瞳からは、魔研の皆が話していたような凄味は感じられない。それでも彼女の能力が確かであることを、聖は既にその目で見て知っている。



(確かめよう)



 魔研で今回の事件を解くのは時間が掛かるだろう。それほどまでに少女が姿を消した魔法陣は複雑で、解析に時間を要する。だがそれをもし小町が一瞬で解けてしまうのならば、彼女が特定したという事件の犯人が咲哉であるという答えは正しいのだろう。だが自分が暴いた結果に自信があったのなら、なぜ彼女は魔研を辞めてしまったのだろうか。本当に咲哉の死に責任を感じただけだろうか。



「聖、」



 考えに耽っていると、七菜に小声で呼びかけられた。



「今、よくないことを考えてる?」


「……どうして?」


「すごいここに皺が寄ってる」



 そう言って七菜は自分の眉間を指差す。



「ごめんね。やっぱり小町さんには――」


「大丈夫だよ」



 聖は微笑む。



「もう、吹っ切れてるから」



 それが偽りであることなど、聖自身が最も知っている。だが真実を明らかにしなければ、聖は前に進めないのだ。兄が死んだ、あの事件が本当に咲哉の犯行ではないというのなら、そうだと納得できる確証がほしい。そうでないと、聖だけではない、七菜だってあの事件に捕らわれたままだ。


 三階に到着した聖は三○一号室のチャイムを鳴らす。すると中から現れた斐川夫妻はげっそりと疲労した顔をしていた。当たり前だろう。自分たちの愛娘が突然に姿を消したのだ。


 聖が斐川氏と話している間に、夏樹は夫人と共に羽月の寝室に向かっていた。慌てて聖が後を追うと、既に部屋の中を物色している夏樹の姿があった。



「魔法陣はどこから見つかったんですか?」



 尋ねながら部屋の中を見回している夏樹に比べて、小町は興味なさそうに窓の外を眺めている。それほど高い位置にある部屋でもないのだから、夜景もそれほど見渡せはしないだろう。その彼女の様子から、やはり事件に興味がないのかもしれない、と聖は思う。聖は半ば諦めながら息をつくと、鞄の中から一冊の絵本を取り出した。



「この絵本からです」


「この絵本? 茨姫ですか?」


「そうです」



 夏樹が絵本に手を伸ばそうとする。だがその前に聖の背後から絵本へ向けて伸ばされる手があった。



「え」



 驚いて聖が振り返れば、先ほどまで興味なさそうにしていた小町の顔があった。彼女はどこか真剣な表情で夏樹が触れるよりも先に絵本を手に取った。彼女は閉じたままの絵本を蛍光灯の光に透かすようにして下から眺めている。しばらくそうして絵本をただ見ていたかと思えば、一つ落胆のような吐息を落として彼女は聖たちに告げた。



「ちょっと調べますから、みなさんはリビングに移動していてくださいねえ」



 そう告げたかと思うと、ほらほら、と小町は皆を部屋から追い出そうとする。そんな彼女に首を傾げながら、聖は扉の傍に魔研から持ち出してきたデータの入っているパソコンを置いた。



「データの入ったパソコンはこちらに置いておきますね」


「はーい」



 聖に返事をしながらも小町はパソコンを一瞥することもなかった。既に絵本をぱらぱらと捲り始めた彼女から目を離し、聖は夏樹と共に部屋を出る。


 リビングに行くと、夫人の入れてくれた紅茶が出された。七菜と共にソファーに腰掛けた聖は向かいに座る夏樹に目を向ける。



「あの……」


「何ですか」



 夏樹は淡泊に返してくるが、決して不機嫌ではないようだ。それを確かめて、聖はずっと気になっていたことを尋ねることにした。



「安道さんと志賀咲哉の関係が知りたいんですけど……夏樹さんは何かご存知ですか?」


「……ああ、」



 夏樹は聖に頷く。



「君はあの事件の被害者遺族だと話していましたね」


「はい」



 聖が首肯すれば、夏樹はもう一度小さく頷いた。彼は部屋の奥にある羽月の自室を一瞥する。その部屋から小町が出てくる様子がないことを確かめて、彼は口を開いた。



「小町さんは基本的にのんびりとした性格をしていて、そのくせ頭はよく冴えている。その上、嘘がつけない性格だったものだから幼い頃から良く虐めの対象にされていたと聞きました」



 小町の性格が咲哉との話にどう結び付くのか、聖にはちっとも連想できない。そんな彼に夏樹は話を続ける。



「今時珍しく、高校でも虐めがあったらしいですよ」


「高校で?」


「ええ。そこでもぼーっとして気の弱い小町さんは高校でも虐めの対象だった」



 確かに小町は気の抜けている人物だろう。決して人に合わせることのない彼女は集団行動を好む高校生活で標的にされてもおかしくはない。



「でも、そこで小町さんは志賀咲哉に出会う」



 突然発せられた咲哉の名に聖が反応する。無言で先を促せば、夏樹は言った。



「咲哉は小町さんの虐めに加わることも彼女を助けることもなかったと聞いています。咲哉も集団行動が嫌いでしたが、虐められる対象ではなかったようです。……まあ、彼女を虐めればその何倍にもなって仕返しされてるでしょうからね。恐ろしくて、誰も話しかけることすらできなかったのでしょう」



 夏樹はくすくすと小さく笑う。



「咲哉は授業をサボっては図書館で本を読んでいたらしいです。ある日そこに泣きながら小町さんがやってきた、と聞いています」


「それが、二人の出会い?」


「はい」



 そこまでの夏樹の話で既に小町と咲哉の性格が真逆であることが分かる。その二人がなぜ友人になれたのか、聖が眉を寄せる。目前の紅茶に視線を移した夏樹が、その過去を思い出すように表情を緩めた。



「咲哉は自分の空間を邪魔されるのが嫌いですから。目の前で泣き止む様子のない小町さんを見兼ねて彼女の周りに大量の花を出現させて泣き止ましたと言います」


「慰めたってことですか?」


「ええ。『うるさい』と言葉を添えて」


「……」


「それで友人になったと聞きました」


「え、それでどうやって?」


「天才の思考は凡人には理解できませんよ」



 夏樹はそう答えてティーカップを手にする。その彼がカップに口をつけたところで、それまで黙っていた七菜が静かに口を開いた。



「あの……」


「何ですか?」



 なぜかそこで七菜が聖の顔を窺う。七菜は困ったような表情をしている。その表情の意味が分からず首を傾げる聖から目を逸らして、彼女はおずおずと夏樹に問いかけた。



「夏樹さんは志賀さんの知り合いなんですか?」


「……どうしてそう思うんですか?」


「志賀さんだけ呼び捨てだったので」



 七菜の台詞に、聖は呼吸を忘れる。


 夏樹は自然に咲哉の名を口にしていた。あまりにも口に馴染んでいて違和感がなかった。


 聖の様子に夏樹は曖昧に微笑む。その表情の意味が分からず、聖が問い掛けようと口を開いた、その時。



「お待たせしましたー」



 間の抜けた声と共に小町がリビングに現れた。彼女は用意されていた自分の分の紅茶を一口飲んで告げる。



「あれは空間越えの魔術ですねえ」


「空間越え?」


「つまり、違う時空や世界に飛んだりする魔術ですよぅ」



 噂では聞いたことがある。魔法陣さえ自由自在に操ることができれば、決して不可能ではない魔術である、と。物や人を違う場所に移動させる召喚魔術があるのだ。そんなものは存在しないと断言することはできないだろう。


 だが。



「本当に五歳の子供にそんなことが?」


「わたしにはできましたもの。できないとは限りませんよ」


「できたって……」


「わたしは三歳でできたので、不可能ではないと思います」



 驚愕する聖に小町はさらりと返して、顎に手を添える。



「自分で入って戻れなくなったのか……それとも戻って来たくないのかは分かりませんけど」


「助ける方法は?」


「ありますよ」



 小町は紅茶をテーブルに戻すと眼鏡を押し上げる。その奥にある瞳が笑み、彼女は言った。



「わたしが迎えに行ってきますね」


「は?」



 目を見開く聖に構わず、小町は左脇に挟んでいた絵本を開く。ぺらぺらとページを捲る彼女の表情はいつもの穏やかさを保っているが、彼女は本気で羽月を迎えに行くのだろう。それが分かったからこそ、聖は眉間を絞った。



「どうしてそうなるんですか?」


「依頼されたのはわたしですから」


「ですが……」



 言いよどむ聖の前で絵本のとあるページを開いた小町はそれをテーブルの上に置く。そのページはベッドの中で眠る茨姫の姿が描かれている。そのページを茫然と眺める聖の傍で彼女は夏樹を見遣った。



「夏樹くん、お留守番を頼みますねー」


「はい」


「召喚魔術で戻りますから。何か紙を用意してくださいな」


「わかりました」



 頷いた夏樹は斐川夫妻に用紙がないか尋ねている。


 召喚魔術は移動させる場所とさせる以前の場所に同じ魔法陣がなければならない。元々ある物から別の物に変換させる科学魔術と同様に初心者でも使用できる魔術だが、二点に置かれる発動魔法陣に一ミリの違いも許されない。全く同じ魔法陣を描く正確性が求められる繊細な魔術だ。


 小町は夏樹を眺めている。その彼女の傍に寄って、七菜が彼女に声をかけた。



「安道さんはどんな魔術でも使えるんですか?」


「使えますよぅ。それに解析法なんて使わなくても、大体魔法陣見ればどんな魔術か分かります」


「すごいですね……」


「魔法陣には『気の流れ』みたいのがあって、それの読み方さえ分かれば簡単ですよぅ」


「気の流れ、ですか」


「はい。簡単に言えば魔力ですが。人によっては魔力だけで物を動かしたり浮かしたりくらいはできる人もいますね」


「すごいですね、魔術師って」


「魔術師ですから」



 そう言って、小町は笑う。その笑顔が無邪気な子供のようだった。


 やがて夏樹が夫妻から貰った用紙を持ってきた。



「これで良いですか?」


「ありがとうございまーす」



 油性ペンを借りた小町はすらすらと発動魔法陣を描いていく。その手に迷いはなく、使用する魔法陣を彼女が充分に理解していることがわかる。



「空間越えで帰って来るのでちょっと複雑ですねぇ」


「これで帰って来られなかったら、どうするんですか?」


「そしたら違う方法を考えます」



 聖にさらりと返して、小町は線を描いていく。その彼女に七菜が不安そうな表情をする。



「初めからもっと確実な方法はないんですか?」


「違う人の魔術が支配している空間で魔術を使うのは、意外と危険なんですよ。洗剤に違う洗剤を混ぜるみたいな。混ぜると危険、みたいな」


「そ、そうなんですね」


「だからできるだけ使用されている魔術と近い魔術を使いたいんですよねえ」


「空間越えの魔術と召喚魔術は近いんですか?」


「原理的には。場所を移動する、と言う意味では近いですね。わたしの場合、召喚魔術で時空越えも出来ます」


「え……」


「でもそれは呪術になっちゃいますから。逮捕されちゃいますよねえ」



 時空越えは呪術魔術の一つとされている。過去と未来に移動することは禁忌なのだ。人の手によるどれほど小さな歴史の改善も禁止されている。



「今回の羽月ちゃんの場合は、絵本の世界に入ったので。逮捕はされませんが、厳重注意と魔術使用許可証の再取得が必要になるかもしれません」


「再試ってことですか?」


「再試と言うよりも二種か一種を受けるように勧められますね、きっと」



 魔術使用許可証は、ただ単に許可を出すためのものではない。魔研のデータベースに基礎魔法陣の登録と、どれほど強い魔術を使用できる人物が世の中に存在しているかを、世界が把握することが主な目的だとされている。つまり魔術使用許可証一種を持つ者は、その分危険視されているのだ。小町も、そして聖も、この近くで魔術が関わった何か大きな事件が起これば、真っ先に疑われるだろう。


 小町は発動魔法陣を描き終わると立ち上がった。



「さて、と。それじゃあ行ってきます」


「ええ、お気を付けて」



 すんなりと送り出す夏樹に頷きながら小町は準備体操を始める。彼女の隣で七菜も静かに見送ろうとしていた。しかし聖はそうしなかった。


 一歩小町へと近付いた聖ははっきりと告げる。



「俺も行きます」


「えー」



 小町はあからさまに嫌そうな顔をした。



「下手したら帰ってこれませんよ」


「それなら尚更」


「頑固ですね」


「俺が依頼したんですから。貴女に何かあったら困ります」


「……分かりましたよ。後悔しても知らないですからね」



 小町は深く嘆息すると、夏樹に目を向ける。



「じゃあ夏樹くん、あとは頼みます。魔法陣、ちゃんと見張っていてくださいねー」


「はい」



 こくりと頷いた夏樹は無表情だったが、それを不安に思うことはない。不思議と信頼感を抱ける人物だった。


 リビングの隅では斐川夫妻が不安そうに事の行方を見守っている。自分の娘が戻って来るかが懸かっているのだ。その反応は仕方がないだろう。そんな二人に小町は目を向ける。



「すみませんけど、」



 彼女にしては冷たい物言いで、夫妻に向けて淡々と言い放った。



「安心してください、とは言いませんよ。わたし、約束は嫌いなので」



 それに、と小町は目の前の絵本に視線を落とす。



「迷い込んだ絵本は『茨姫』ですって。独りぼっちで何をしたいんでしょうね」


「……私が、いけなかったんです」



 ぽつり、と夫人が言葉を落とす。その声は震え、哀しみと苦しみに歪んでいた。



「私がいけなかったんです……あの子と、ちゃんと向き合わなかったから」


「……」


「私たち夫婦は普通の人間です。でもあの子は魔術を使える。そんなあの子を恐れそうになっている私が怖かった……大事に、大事に育ててきて、大好きで、大切で堪らないはずなのにっ……嫌ってしまいそうで、恐れてしまいそうで……」


「……うちの両親もそうでしたよ」



 小町の声は相変わらず間延びしている。そうだというのに、どこか労わりを帯びているように、聖には感じた。小町は羽月が消えた絵本を見つめたまま言う。



「わたしは生まれた時から魔術が使えました。生まれて間もなく、わたしは魔術を使って自分でミルクを作って飲んでいたそうです」


「……貴女のご両親はどうなさったんですか?」



 小町はそれに答えなかった。ただ曖昧に笑って、左手の人差し指を前へ出した。その指に塗られた赤がすらすらと空中に線を描き出す。



「連れ戻して来たらちゃんと向き合ってくださいねー」



 そう告げた小町の前。その空中には彼女の指先によって描かれた魔法陣がある。一つ一つの線が絡み合った複雑な模様だというのに、幻想的で美しい。



「行きますよぅ」



 その声と共に聖は小町に手を掴まれる。聖がその手を握り返すよりも早く、小町が発動した真っ赤な光へ飲み込まれた。

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