第二章 彼女の面影 (1)
取調室内には、幼い顔立ちの少年がいる。その向かいに腰掛ける纓田が先ほどからその少年の取り調べを行っていた。その様子を隣の部屋からマジックミラー越しに聖は眺めている。
中にいる少年は一週間前に、路上で女性の財布を盗んだ犯人だった。聖の初出勤日に遭遇した魔術を使ったその事件の犯人が、ようやく今日になって逮捕されたのだ。
その様子を眺めていると部屋の扉が開き、能上が部屋に入って来た。彼女はバインダーに挟んだ調査書を見下ろしながら聖の隣に並んだ。
「あの子、魔術使用許可証を取得してないらしいわ」
「取得してないのに使用してたんですか」
「ええ。その時点で禁固十年は確定ね」
魔術使用許可証とは、魔術の使用をするために必要なものだ。運転免許証と同じように一定期間座学と実技の授業を受け、試験を受ける。それを突破することで、日常生活で魔術を使用することが許可されるというものだった。受験資格は三歳からある。許可証を未取得で魔術を使用した場合、三歳以上であれば禁固十年に処される。つまり自らの子供が魔術を使用できると分かった時点で取得させるのが親の義務であるとされているのだ。
だがこの少年は魔術使用許可証を持っていない。
「ご両親には?」
「既に連絡してあるわ」
能上は調査書から顔を上げると、少年を見遣る。少年は先ほどから淡々と纓田に説教されていた。今から十年となれば、彼が牢から出て来られるのは二十五歳になった時だ。痛ましい気持ちで胸が潰れそうになる。それは能上も同じようで、彼女は深い吐息を落とした。
「でも安道小町が犯人を見掛けてくれていて良かったわ」
「はい」
魔術使用許可証を取得すると同時に、全ての魔術師は基礎魔法陣――つまり陣紋をデータベースに登録される。万が一、犯罪に魔術を使用した場合でも直ぐに特定できるようにされているのだ。
データベースから魔術師を特定できなかったため、安道小町の目撃証言と彼女の解析を基に犯人を逮捕した。あの時、小町が解析しなければ犯人逮捕までもっと時間が掛かっていたに違いない。
「皮肉なことね。結局私たちは今でも彼女に助けられているってわけ」
憎々しげに告げた能上は唇を噛み締めている。その目が悔しさに細められているのを見て、聖は頭の中に小町を思い出していた。
一週間前に彼女の事務所を訪ねた一件以来、一度も彼女とは顔を合わせていない。三年前の事件を調べるためにも彼女に手を貸してもらう必要があるのだが、最後に会った時の彼女の様子からして助けてくれる可能性は極めて低い。仕方なく、一人で調査することにした聖は何度か暇を見付けては魔研のデータベースに目を通している。そこから、やはり志賀咲哉と犯人の陣紋が一致していることを知った。改めて解析して、調べてみたが間違いではなかった。やはり、あの事件の犯人は咲哉なのだろうか。
そう考えていると、部屋の扉が開いた。そこに佐脇が立っていた。彼は聖を見ると、にっこりと微笑む。
「ああ、ここにいたんだね」
「佐脇さん、どうしたんですか?」
「お昼ごはん、買ってきてもらおうと思って」
そう言って佐脇は財布を取り出す。
「弁当はすぐそこにある『オギノヤ』ってスーパーが安いから。あ、領収書は『纓田慧』で忘れずにね」
「はい」
首肯した聖の手に佐脇が財布を置いた。
昼時のスーパーはわりと込んでいて、こんな時間だと言うのに既に始まっているタイムセールには主婦が群がっていた。聖はそれを避けるように、弁当売り場に辿り着いた。そこで頼まれた弁当を物色し始めていると。
「聖?」
「……七菜?」
背後からの呼びかけに振り返ると、不思議そうに目をぱちくりとさせる七菜の姿があった。
「何してんの? 学校は?」
「学校はまだ半日だから」
なるほど、と頷いている聖に七菜も首を傾げていた。
「仕事はどうしたの?」
「昼食の買い出し」
「そうなんだ」
聖は再び昼食を選び始める。
「えっと、纓田さんがカツ丼で、能上さんがパスタ、それで佐脇さんが……」
「……仕事大変?」
「ん?」
唐突の問い掛けに振り向くと、どこか不安そうな表情をした七菜がいた。彼女はきっと聖が今も兄が死んだ事件に固執していることを気にしているのだろう。だが聖はそれに気付かないふりをして、笑顔を作った。
「大丈夫。それに遣り甲斐ある仕事だと思うよ。今は滅多に魔研の仕事は来ないから、いつも警察の雑用ばかりしてるけど」
「雑用?」
「資料集めとか聞き取りとか」
「そういえば、魔研って公務員試験受けるんだもんね」
「そうそう」
窃盗少年の捜索は纓田と能上が中心に行っていたので、ここ数日は佐脇と共に刑事の手伝いばかりだった。だがそのおかげもあって、三年前の事件を調べられていたわけだけれど。
「あ」
不意に後ろからそんな声が聞こえた。その声に聞き覚えのある気がして、聖は振り向く。
「……安道さん」
そこには買い物かごを片手に聖を見て固まっている安道小町の姿があった。だが彼女は直ぐに先日の会話などなかったように、無遠慮に聖に近付くと彼のかごの中を覗きこんだ。
「何してるんですか? お昼ごはん?」
「ええ。買い出しです。安道さんは?」
「夕飯のおかずを買いに」
そう言った彼女のかごの中にはニンニクや生姜、ニラ、ひき肉のパックなどが入っている。
「それって夏樹さんの役目じゃないんですね」
「夏樹くん、今日いなかったんですよぅ」
それで彼女が買い物に来ているのか。
納得している聖の隣で小町は弁当を物色している。その彼女の後姿を眺めながら七菜が声を潜めて尋ねてくる。
「知り合い?」
「ああ。彼女は安道小町さん。昔、魔研にいたんだ」
まさか兄の事件の調査をしていた人物であると教えられるはずもなく、聖は簡潔に小町について答えた。それを聞いた七菜は小町と簡単な挨拶をしていた。
三人揃ってレジに並んでいると、前に並んでいた小町が振り返って聖に問いかける。
「魔研のお仕事大変ですか?」
「いいえ。まだ本格的に魔研の仕事をしていないので」
「そうなんですねえ」
相変わらずおっとりとした喋り方だ。あの夜の彼女の声調を思い出して、同一人物であることが嘘のようだと聖は思ってしまう。一方で上機嫌らしい小町は鼻歌を歌っている。その彼女を眺めていた、その時だった。
「小町さん、やっと見付けましたよ。ここにいましたね」
「夏樹くん?」
いつかと同じ台詞と共に夏樹が現れた。相変わらず表情の変化の疎い彼が何を考えているのか聖には分かりにくいが、今日はどうやら不機嫌らしい。目付きが少し先日よりも鋭い。その彼に小町はこてんと首を傾げた。
「どうしたんですか、夏樹くん」
「『どうしたんですか』じゃありません」
夏樹は近付いてくると、小町の持つ買い物かごの中を見て深いため息をついた。
「また餃子の材料を買って」
「だって今晩は餃子が良いんですよぅ」
「一昨日も餃子でしたよ」
「間に一日空いてます」
「ふざけないでください」
さすがに苛立った様子の夏樹は腕を組む。
「そんなに餃子ばかり食べていると体臭が餃子になりますよ」
「じゃあカレーばっかり作る夏樹くんはカレー臭なんですね」
「違います」
簡単に言い負かされたらしい小町はぐっと言葉に詰まってから、首を左右にぶんぶんと振った。
「嫌です! 今晩は餃子です!」
「今晩はオムライスです。決定ですから」
「嫌です! どうせ包むなら餃子の具でもお米でも一緒です!」
「違います」
ぴしゃりと言い付けて夏樹は小町を睥睨した。
「いい加減にしないと、怒りますよ」
「う、うー……」
それ以上何も言えなくなってしまった小町は唇を尖らせている。
「全く、目を離した隙に……」
その小町の様子にぶつぶつと文句を零しながら、夏樹は彼女から買い物かごを奪い取る。その彼をキッと睨み上げてから、小町はぷんっと彼から視線を外した。
「ふん。夏樹くんなんて大っ嫌いですからあ」
「それじゃあ今晩はご飯抜きですね」
「ごめんなさいごめんなさい」
すごい勢いで謝り始めた小町は夏樹の服に縋りついている。それを無視して、夏樹は買い物かごの中身を元の場所に戻しに行こうとしていた。
その二人の様子を眺めていた七菜は苦笑して言う。
「仲良いんですね。兄妹みたいです」
「それじゃあ、わたしがお姉ちゃんですね」
「え」
小町の台詞に聖と七菜は思わず固まった。どこからどう見ても、夏樹の方が年上に見えてしまう。その二人の思考を読んだように不服そうな表情をしている小町に何かフォローを入れようと考えていると、聖の携帯電話が震えた。
「ああ、電話」
携帯電話を見ると、着信は魔研からだった。聖は電話に出る。
「はい、城戸です」
『纓田だ。悪いな、買い出し中に』
「いえ」
商品がレジに通されていく。それを眺めていると纓田に告げられた。
『事件発生だ』
「また雑用ですか?」
『違う。今回は魔研担当だ』
つまり魔術関連の事件が起こったということだ。
『早く帰ってこい。戻り次第、事件の内容を説明する』
「はい!」
金を払った聖は素早く袋に昼飯を詰め込むと、その場にいた七菜に声を掛けて、スーパーを後にした。
「五歳の少女が消えた?」
今回の事件の概要を聞いた聖は眉を顰めた。その彼に纓田は頷く。
「ああ。第三種魔術使用許可証を持っていた子供だ」
魔術使用許可証には三種類ある。第三種というのは最も取得しやすい資格だ。召喚魔術か科学魔術が使用できれば取得できる。第二種は創造魔術を使用できる者。第一種になるとその全てを使用できる上で混合魔術を使用できる者が取得できる。
そして今回の少女は、第三種を取得していた。
「現場にあった魔法陣をコンピュータに取り込んだところ、データベースに登録されていた少女と陣紋が一致した。使用された魔術の種類については先に派遣した能上と佐脇が調べている」
聖は今、纓田の運転する車で現場に向かっている。現場は少女の自宅だ。
少女は母親が少し目を離した隙に消えたと言う。その直前までリビングで絵本を読んでいたそうだ。だが母親がキッチンにジュースを取りに行った、その数十秒で少女は姿を消した。
「なに、子供が事件を起こすことは珍しくない。大人は魔術を使って犯した罪の重さを知っている。子供にはその感覚が薄いんだろうよ」
「でも、子供も同じ重さの罰を与えられますよ」
「それは世界が決めたルールだからな。俺たちは逆らえない」
魔術に関する法律は国ごとではなく全世界で統一されて定められている。だからこそ、年齢における区別なく法が下されるのだ。
「だが今回、消えたのは子供自身だからな。罪には問われないはずだ」
呪術魔術に関しなければ、他人に危害を加えない限り罪には問われない。聖は今回の事件がそうであることを願った。子供が事件を起こすのは、もう懲り懲りだった。
纓田がゆるやかにブレーキを掛ける。見た目と違って、随分と安全運転をする男だ。
「何だ、その顔は?」
その考えは表情に出ていたらしい。聖の言いたいことを察したらしい纓田が不服そうな顔で聖を見ていた。
「いえ、もっと男らしい運転をしそうに見えたので」
「よく言われる」
纓田はため息を吐くと、どこか呆れた様子で言った。
「昔は荒かったんだがな、ダチがな、安全運転しろって煩かったんだ」
「友だち、ですか」
「ああ。もう二十年くらい前だけどな。今でも癖になってる……さて着いたぞ」
二十階はあるマンションの前で車は停められていた。纓田はエンジンを止めるとシートベルトを外しながら言う。
「子供の名前は、斐川羽月。さっさと探し出して、事件解決するぞ」
「はい」
纓田に続き、聖も車を降りる。
黄色いテープの先。
現場の部屋で見たのは、一冊の絵本の前で泣き崩れている女性の姿だった。