(5)
ニルヴァーナ――『犯罪者には死を』と唱える殺人集団。その集団が、様々な事件の被害者の関係者で構成されていることはニルヴァーナの関係者のみが知る真実だ。そしてその中心にいるのが、先ほど聖が電話で話していた、シュウ、という人物。
聖がシュウに声を掛けられたのは、三年前。兄の葬儀の日だった。突如喪服で現れた痩身の青年は若いように見えたが、雰囲気はとても落ち着いていて年齢不詳の人物だった。彼にニルヴァーナに誘われ、聖はそれを承諾した。聖は兄が死んだ事件の真相を知るためならば、何でも利用してやろうと考えている。――それが例え、犯罪集団の一員になろうとも。
ニルヴァーナは日本各所に拠点を作っている。そのどれもが普通の民家であったり店であったりしている。そしてニルヴァーナの本部は繁華街から少し外れたビルの地下にある小さなバーにあった。
地下へ続く階段を下り、すりガラスの扉を開いたバーの中は仄暗い。バーテンダーの姿はなく、店内にはカウンターに腰掛けてグラスを傾ける一人の青年の姿があるのみだった。その痩身の彼は扉に付けられたベルの音で聖の存在に気付いたらしい。グラスをカウンターに置いた彼は聖へと顔を向けた。
「久しぶりだね、城戸君」
「……お久しぶりです、シュウさん」
全体的に色素の薄い、その青年こそがニルヴァーナのボスであるシュウだった。存在感も全てが希薄であるというのに、どこか強烈な印象を放つ。昔、ニルヴァーナの誰かが彼のことを、亡霊のようだ、と話していたのを聖は聞いたことがあるが、全く以てその通りである、と思ってしまう。
聖は彼の傍に寄ると、隣に腰掛けた。すると店の奥から女性のバーテンダーが現れる。やわらかな目尻をした、やさしい雰囲気の女性だ。年の頃は二十代前半。茶色く染めた髪を後ろで一つに纏めた彼女がこのバーの店長だ。聖に水を出す彼女の姿を頬杖をついて眺めながらシュウは言った。
「お兄さんの事件の調査は進みそうかな」
「……まだ分かりません」
そう答えて、聖は安道小町の存在を思い出す。
「ですが、今日、兄の事件に関わっていた人に会いました」
「それはどんな?」
「安道小町という人物です」
その名前を聞いたシュウは小さく、どこか穏やかに微笑んだ。
「そうか。ついに接触してきたか」
「え?」
「いや」
シュウは首を傾げた聖に穏やかに首を左右に振る。そして再び微笑すると、頬杖をついて聖に訊いた。
「それよりも、どうだった。安道小町の印象は?」
「そうですね、変わった人だと思いました。ぼーっとしておっとりしているのかと思えば……」
「うん」
「……少し、怖い気もしましたよ」
「怖い、か」
小町の探偵事務所で彼女に拒絶された時、聖が彼女に感じたものは確かに恐怖だった。何をしても、されても引くまいと決意していた彼が大人しくあの場所を後にしてのは、彼女から発せられた殺気にも似た空気の所為だ。
それまで見ていた彼女とは別人のような空気を思い出し、聖は目を細める。そんな彼にシュウはおかしそうに笑った。
「そうだね、彼女にはその表現がまさにしっくりしている」
随分と慣れ親しんだ口調で、シュウは続ける。
「彼女とは懇意にしておいた方が良いよ。何かと助けてくれるから」
「シュウさんは安道さんと仲が良いんですか?」
聖のその言葉にシュウは静かに笑顔を作るだけだった。その彼の反応を怪訝に思っている聖にシュウは問いかける。
「やはり城戸君は志賀咲哉が憎いかい?」
「……はい」
聖は志賀咲哉が憎い。三年前の魔術師連続殺人事件。その事件の犯人である志賀咲哉。彼女は兄を殺した犯人であり、また聖と同じように大切な人を奪われて哀しんでいる人々がいることを知っている。彼女は犯人ではないと口にした者がいる。だが全ての証拠が彼女が犯人だと示している限り、聖が恨み憎しむ相手が彼女であることに変わりはなかった。
「俺の兄だけじゃない。兄の恋人の優衣さんも、他にもたくさんの魔術師が殺されました」
「自らの力を誇示するように」
「ええ」
聖は今でもあの事件のニュースを思い出す。それから、兄の死に顔のその全てを。
「俺は絶対に許さない。だから死んで全てを終わらせるなんて納得できない……」
犯人が死亡して事件終了だなんて、聖には納得できないのだ。事件を起こした目的もなぜ兄やその恋人の命が奪われたのかも。その全てを知り、前に進むために聖はあの事件の真実を知りたいと思った。
「悠花さん、新しいものを」
「はい」
シュウの注文に女性バーテンダーの悠花が頷く。彼女もまたニルヴァーナの一員であり、このバーの店長を任されている。
彼女も大切な誰かを奪われたのだろう。ニルヴァーナに加入した彼女の事情は知らないが、聖は以前から彼女のことを気にかけていた。それは彼女が、死んだ兄の恋人である優衣の面影に良く似ている所為かもしれない。
「聖さんも何か召し上がりますか?」
シュウにカクテルを出した悠花の顔が聖に向いた。彼女のやわらかな笑顔に聖も笑う。
「俺は水で大丈夫です」
「かしこまりました」
微笑み、彼女はグラスを磨き始める。その横顔から聖は手許のグラスに目を移し、細めた視界で小町のことを考える。
彼女ならば、志賀咲哉が自殺した理由も事件の動機も知っているかもしれない。何より志賀咲哉の名前を出した時の彼女の反応は不自然だった。あそこまで強く拒絶した彼女の声と瞳の奥で揺れていた哀しみを思い出し、聖はグラスを煽る。