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エピローグ 繋ぐ手は強く

 聖は安道探偵事務所への道を歩いていた。久しぶりの休暇だった。疲れた頭を休ませるには充分なほどの睡眠を貪り、昼時になって安道魔術探偵事務所に向かっていたのだ。


 三年前の魔術師連続殺人事件はようやく真犯人を纓田慧として解決した。再び解析し直した現場に残された魔法陣の陣紋は、纓田のものと一致したのだ。そして志賀咲哉の遺体は小町のDNAと一致。そのことから咲哉が小町の姿に化ける呪術魔術を使っていたことも公となったが、彼女には情状酌量する余地があるとして、罰せられないこととされた。



(……兄さんは、どうしてるんだろう)



 纓田を殺した徹にはあれ以来一度も会っていなかった。ニルヴァーナの本部にも顔を出してみたが、既にそこには誰の姿もなく、ドアノブに『CLOSED』と書かれた看板だけが淋しくかけられていた。


 兄が生きていたことを聖は警察にも魔研にも報告していない。だから兄は今も死んだ人間ということになっている。


 兄が生きていた、と伝える勇気が聖にはなかった。


 生きていたことを伝えれば自然と彼が纓田を殺したことも話さなくてはならない。聖の中では今も徹は正義を重んじる人だ。そんな兄が人殺しをしたなんて事実を、きっと聖は口が裂けても声にしたくなかった。兄は聖の憧れだ。それはきっと、今も変わらないのだから。


 ビルの階段を上り、安道魔術探偵事務所の扉の前に立った。数度のノックをすると中から声が返ってきた。それを確認して聖は扉を開ける。


 中にはソファーに腰掛けて珈琲を飲む夏樹の姿があった。その手に持つ文庫本に目を落としていた彼が顔を上げる。



「城戸さんですか。久しぶりですね」


「お久しぶりです」



 夏樹に返しながら聖は扉を閉める。その彼に本を閉じた夏樹が尋ねた。



「お仕事はお休みですか?」


「はい。やっと事件も解決しましたので」



 聖は部屋の中を見回す。だがどこにも目的の人物の姿はなかった。



「咲哉さんは?」


「咲哉ならもう直ぐ来ると思いますよ」



 夏樹が本をテーブルに置いて立ち上がる。



「いつもは十一時には起きてましたから。もう少しで来ると思いますよ」



 来る、という言葉を聞いて聖はハッとする。



「家に帰れたんですか?」


「はい。朝起こしても起きませんでした」


「起こしても……?」


「ええ。ベッドで眠ると寝起きが悪くて困りますね」



 まるで帰る家がないと話していた彼女が自宅に帰ることができたのはとても喜ばしいことだ。もしかしたら長らく会えていなかった叔父夫婦とも顔を合わせたのかもしれない。


 だが。


 なぜ夏樹が彼女を起こす必要があるのだろう。そういえば夏樹と咲哉の関係を聞きそびれていたことを思い出して、聖は呆れ顔の夏樹に訊くことにした。



「あの、夏樹さんと咲哉さんの関係って……?」



 恐る恐ると声をかけると、夏樹が不思議そうに目を瞬かせる。



「咲哉から聞いていないんですか?」


「は、はい」



 以前にはぐらかされたことがあったが、それ以来訊いていなかった。


 聖はなぜか緊張している自分に気付いた。二人の関係を想像して、聖の緊張感が高まっていく。だがそんな聖に構わず、夏樹はすんなりと告げる。



「簡単に言うと兄弟ですね」


「兄弟?」



 兄弟、と言われて聖は夏樹の苗字を知らないことを思い出した。それ以前に、本当に彼の名前が、夏樹、であるかさえ知らない。もしかしたら綽名ではないだろうか。



「ちょっと待ってください。夏樹さんの名前は、夏樹、で良いんですよね?」



 聖がそこまで言って、ああ、と夏樹は思い出したように口を開いた。



「俺の名前は烏山諒太です」


「えっ……」



 烏山諒太。それは咲哉が世話になっていた叔父夫婦の一人息子の名前だ。どれほど聖が探しても見付けることができなかった咲哉の血縁者が目の前にいたとは露ほども知らなかった。



「でも、咲哉さんは夏樹って」


「あの事件の後に名前を変えました。色々と面倒だったので」



 言われれば、夏樹と咲哉の目元はそっくりだった。


 意志の強そうな、触れたら切れそうな瞳が二人とも似ている。



「昨日は久しぶりに家に帰ってきましたので。泥のように眠っていましたよ」


「そうでしたか……」



 事件が解決して、緊張の糸が切れたのだろうか。


 聖は先日泣いていた咲哉の姿を思い出して思う。やっとぐっすりと眠れたのなら、今日は事務所に現れないかもしれない。


 そんなことを考えていた時だった。何の前触れもなく、扉が開かれた。



「おはよう」



 咲哉だった。彼女がいつもと変わらない様子で部屋に入って来たと思えば、夏樹が不服そうに口を開く。



「もうお昼すぎてます」


「あら、そうだったかしら?」



 にこにこと笑いながら彼女が時計を見る。既に十四時を過ぎようとしていた。その時計から彼女の視線が聖に移った。



「来ていたのね。お仕事はいいの?」


「はい。今日は休みです」


「せっかくのお休みにまでここに来てくれたの?」


「俺の口から報告したかったので」



 咲哉は自分の姿で部屋に入って来た。つまり彼女は既に警察からあの事件の解決を聞かされているのだろう。そんなことは聖だって知っている。それでも自分の口から彼女に伝えたいと思ってここまで来たのだ。


 夏樹が珈琲を用意するために台所に姿を消す。残された聖は咲哉に勧められるまま、ソファーに腰を下ろした。その向かいのソファーに彼女が座り、向き合う。そうして彼女の目を真っ直ぐに見て、聖は言った。



「事件は纓田慧が犯人と発表されました。それから小町さんの死も……咲哉さんは無実です。呪術魔術を使ったことも罪には問われないそうです」


「……そう」



 頷く声は深い吐息と共に零された。


 聖から足元へ視線を落とした咲哉が微笑んだ。



「もうこの姿で生活できるのよね」



 その声はどこか寂しさを漂わせていて、聖は咄嗟に口を開いた。



「咲哉さん」



 呼びかければ、咲哉が顔を上げる。その彼女の目を聖は見つめる。



「何かやりたいことはありませんか?」


「やりたいこと?」


「はい。もうその姿で、自由に魔術を使えるわけですし」



 小町の死の真相ばかりを追っていた彼女が喪失感を抱くのではないかと思ったら、聖はそんなことを口走っていた。何か、彼女に生きる目的を持ってほしかった。彼女だけ前に進めないのはあんまりだと思う。



「何でも手伝いますから。やりたいこと、ありませんか?」


「……それなら、」



 咲哉が口元ににやりと笑みを浮かべる。


 その笑顔に見覚えがある、と聖が察するより早く咲哉が告げた。



「私とデートでもする?」



 茶化されているのだと気付いたが、あまりに予想外の台詞に聖は上手く反応できない。



「デ、デート、ですか」


「ええ。もうこの姿で外を歩き回れるもの」



 咲哉は嬉しそうに笑う。その表情や言葉が嘘なのか本当なのか聖には見分けられない。戸惑う聖の隣に移動して、咲哉は首を傾げた。



「どこに行く? 水族館? 動物園? テーマパークでもいいわ」


「そ、そんな冗談には付き合いませんよ!」



 慌てた聖が強い口調で言い返すと咲哉はつまらなそうに息を吐く。



「そう残念」



 あっさり引き下がった咲哉が向かいに戻る。その時を見計らったように夏樹が戻ってきて、聖と咲哉の前に珈琲を出した。そのカップに口をつけながら、咲哉が呟く。



「冗談じゃないのに……」


「え?」



 聞き違いかと顔を上げると、斜め下に視線を落とす咲哉がいた。



「本当はテーマパークに行きたいのよ」


「そういえば前にそんなことを言ってましたね」



 台所へ戻ろうとしていた夏樹が咲哉の声に反応して立ち止った。その彼に咲哉がこくんと首肯しているのが見えた。どうやら咲哉はずっとテーマパークに行きたかったらしい。そんな咲哉から聖に目を向けた夏樹が、そういうことで、と続ける。



「城戸さん、よろしくお願いします」


「何がよろしくお願いしますですか!?」



 夏樹は張り上げた聖の声を無視して、台所へと戻っていってしまう。そんな彼の背中を茫然と見送っていると、向かいにいる咲哉が上機嫌に聖を見ていた。



「決定ね」


「決定って……本当に行くんですか?」


「もちろん」



 首を縦に振った咲哉が聖の隣に移ってくる。そんな彼女に戸惑いながら聖は取り出した手帳を開く。そうして予定を確かめる聖の隣で咲哉が笑顔を浮かべていた。



「来週はいつがお休みなの? 私は毎日お休みよ」


「それは問題ですよ……」



 うきうきとした様子で咲哉が目を輝かせて、聖が開く手帳を覗き込む。その様子は女性というよりも少女のようで、なんだか聖は彼女に親近感が沸いてしまう。こんなに素直に感情を出せる人が、友を殺した犯人を前にしてかけた言葉を思い出して、聖は秘かに胸が熱く痛んだ。



 ――友だちを失う、その哀しみくらいは分かるわ。



 その一言で、彼女がどれほど苦しんできたのか分かってしまうから。


 そんな哀しみの上で、彼女はこうして笑っているのだろう。きっと痛む胸はある。それでも強くいようとする彼女の力になりたい、と聖は思う。


 最後まで纓田を殺そうとしなかった、その彼女の強さを思う一方で、彼を殺した兄のことが頭を掠めた。


 最後にニルヴァーナの本部で会った徹はいつでも会えると言っていた。けれど、もしあの時既に犯人を殺すことだけを考えていたのなら、彼はそうすることでもう二度と聖と会えなくなることを知っていたのではないだろうか。


 兄を失ったと思って痛んだ時とは違う、もっと強く残酷な痛みで胸が抉れてしまいそうだった。胸がずきずきと痛み、思わず手帳を掴む手に力が入る。



「大丈夫よ」



 その手にそっと触れたのは咲哉だった。あたたかい両手で聖の手を包み込んで、咲哉は聖の顔を覗き込む。



「貴方は、独りじゃないんだから」



 だから大丈夫だと、彼女は言う。


 励ますほど強くはない、労わるような声に聖は静かに瞼を伏せる。



「兄さんは、大丈夫でしょうか」


「シュウの傍にいれば平気よ」



 目を開けて咲哉を見ると、彼女は少し不服そうな顔をしていた。



「それだけは保証できるわ。気に食わないけれど」


「……そうですね」



 答えながら聖は笑ってしまう。この前まで憎んでいた相手だというのに、彼女の言動一つで暗かった気持ちが薄れてしまうのだから、不思議なものだと思う。それは彼女の強さも弱さも見てきた所為だろうか。そんなふうに強くいようとする彼女の声は聖の心に強く作用するのかもしれない。


 聖に笑い返して、咲哉が立ち上がる。



「やっぱり今から行きましょう」


「今からですか?」



 目を丸くする聖に笑いかけて、咲哉が繋いだままの聖の手を引いた。



「ほら、早く」



 急かす咲哉に言われるまま聖は腰をあげる。その間に咲哉は夏樹に今から出掛けてくると告げていた。どうやら本気のようだ。



「行きましょう」



 繋ぐ手を引かれた。上手く頭がついていかないが、それでも聖は引かれる手を強く握り返す。



「本当に?」


「本当よ、ほら」



 聖の手を咲哉は引く。


 その手を見下ろしながら、聖は迷う。明日からまた仕事は山のようにあるだろう。そのことを考えれば、彼女と共に出掛けることはきっと良い選択ではない。大人しくここで彼女と話しているくらいが丁度良いに違いない。けれど。



「大丈夫」



 彼女の声が聖の背を押す。



「きっと楽しいわ」



 手を繋ぐ、その先に楽しそうに笑う咲哉の姿を見て、そんなことで迷うなんて意味がないと思ってしまう。


 そうして聖は咲哉に笑い返すと、彼女の許へと足を踏み出した。







 了

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