表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/24

(2)

 早朝の魔研は眠そうな徹夜組が数人いるだけで、随分と静かだった。聖が纓田班の部屋に向かって歩いていると、後ろから肩を叩かれた。



「おはよう」


「あ、おはようございます」



 能上だった。夜通し魔研に籠っていたのだろう、瞼が重そうだった。



「昨日はどこにいたの?」


「えっと、あのまま……」


「小町のところにいたのね」



 ずばり能上に言い当てられて聖はぐうの音も出ない。



「小町は元気だった?」



 彼女が小町と呼ぶ相手は咲哉だ。昨日の会話から彼女が咲哉と小町の友人だと知って、聖は彼女の複雑な心境を思う。


 連続殺人犯が友人だと言われて、その上でただ一人だけそれを否定していた人物もまた彼女の友人だったのだ。その時、犯人を特定した側にいるのが能上だったのだから、彼女の苦悩はきっと聖の想像よりも酷だろう。



「元気でしたよ。飲み明かしました」


「あら。あの子いつの間にか飲めるようになったのね」


「え?」


「昔は下戸だったから」



 笑いながら告げた能上が歩き出し、その背を聖は追う。



「でも今朝は平然としてましたけど……」


「平気になったんじゃない?」



 能上は欠伸をしながら纓田班の部屋へと入っていく。その彼女に聖は尋ねる。



「あの、昨日のことは……」


「まだ報告書上げてないのよ」


「え?」



 真面目な能上には珍しい。いつもどんなことでも冷静に判断して、機械のように行動する人だと思っていた。


 あからさまに目を剥いて驚いている聖に能上は苦笑する。



「あれから佐脇とも話し合ったんだけど……どう報告していいか分からないのよね」


「どうって……」


「本当のことはとても言えないじゃない」



 咲哉が生きていた、なんて。


 その言葉は声にされなくても聖には聞こえた。



「彼女の話を信じるのなら、彼女はあの事件の犯人じゃない……」



 部屋にはまだ誰も来ていなかった。窓から差し込む日差しだけで充分に部屋は明るかった。それでも部屋の隅の薄暗さは春の寒さを漂わせているようで、もう桜の時期も過ぎたというのに部屋は肌寒かった。


 能上のデスクだけが資料に埋もれて散らかっている。彼女はそこで一晩中咲哉の言葉の真相を調べるために働いていたのだろう。そのデスクに近付きながら、彼女は続けた。



「様々な可能性を考えたわ。彼女の話は嘘で、あの子を殺したのは彼女じゃないかって。そうすれば別に話は合うもの」


「ですが――」


「そう、彼女はそんな人じゃない」



 聖の言葉を遮る能上の声は強かった。自信にも似た強さで否定して、彼女は告げる。



「彼女はあの子を殺せないわ。どんな理由があったって……それはあの二人を知っていれば分かる」



 小町にとって咲哉が唯一無二の友であったように、咲哉にしてもそれは同じだろう。友人関係よりも遥かに強い絆で繋がれていたからこそ、咲哉は生きている自分を捨ててまで小町の死の真相を追うことができるのだ。



「彼女は、何か言っていた?」


「『彼女が死ななければならなかった理由を知るためなら何だってできる』って……」


「……そう」



 相槌を打った能上は目を細める。



「自分の無実を証明するため、とは言わないのね」


「え……」



 能上の台詞を聞いて初めて、聖は気付いた。


 確かに咲哉は一度も『自分の無実を証明するため』とは口にしていなかった。どれほど上辺を繕っていても、少しでもその考えがあれば口からぽろりと零れてしまいそうなものだ。だが彼女は一度もそんなことは言わなかった。



「怖いわね……」



 能上の声に聖は首を傾げる。



「怖い?」


「自分の身を顧みないってことでしょう」



 自暴自棄、とまでは言わない。だが咲哉の見せた瞳の悲愴を思い出して、聖はぞっとした。



「自分の身を何とも思えないなら、何をしたって不思議じゃないわ」


「何って」


「復讐とか」


「まさか」


「城戸君も思ったことくらいあるでしょう?」



 それは事実であるからこそ、聖は言葉に詰まる。そして能上の声はちっとも責める様子はなく、それが当前のことのような口ぶりだった。


 聖は翳る咲哉の顔を思い出して眉を顰めた。もし本当に彼女が復讐を考えていたとして。彼女が真犯人を殺すことなんて、魔術を使えば他愛もないだろう。そして彼女の哀しみと苦しみを思えば、やりかねない、とも思えてしまう。



「どうするかは、彼女次第だけど」



 言い捨てるようにそう零した能上が自分の椅子へ腰掛ける。彼女が広げたままの資料を手にしたのを見て、聖は声をかける。



「そういえば、調べていたって何を調べていたんですか?」


「あの事件の捜査資料を警察から借りて、もう一度確認していたのよ」


「三年前の、ですか?」


「ええ」



 咲哉が生きていたことを知り、彼女の話を聞いて、あの事件のことを洗い直していたのだろう。聖も資料を見せてもらおうと能上に近付こうとしたところで、彼女が言った。



「それで気付いたんだけど、あの事件の共通点って被害者が魔術師ってことと、あとは現場に残されていた魔法陣くらいなのよね」


「魔法陣……」



 資料に目を落としたままの能上が疲労の吐息を落とす。彼女の眠気はピークのようで白目が少し赤を帯びている。



「何か新しいことが見付かれば、って思ったんだけど……難しいわね」


「あの……」


「なに?」


「これは聞いた話なんですけど……」



 顔を上げた能上と目が合うと、聖は躊躇う。これは言って良いものか悩んだが、寝る間も惜しんで努力を重ねる彼女を見ていると黙っていることも憚れた。



「なんでも被害者は全員魔研からスカウトされていたらしいです」


「スカウト?」


「ええ。でもそのスカウトを断って別の仕事に就いている。それが被害者の共通点です」



 教えられた能上は渋い顔をすると資料を忙しなく捲り始める。



「……おかしいわね」


「え?」


「この事件は魔研が関わっていたのよ」


「それは知ってますけど……」



 怪訝な顔をする聖に能上は険しい顔を向けた。



「資料にはどこにもそんな情報ないわ。その上、当時私たちまでその情報は落ちてきていなかったはず……」



 そこで口籠った能上は資料を指差ししながら確認している。その彼女の姿を眺めていると、聖の頭が違和感を覚えた。



(あれ……?)



 その違和感、が何なのか知ってはならない気がする。


 だがずっと求めてきた疑問なだけに、彼の思考はその違和感に向かって動き出す。首の後ろを虫が這うような不快感。それを拭い去るために、聖は渇いた口で言葉を紡ぐ。



「あの、能上さん」


「なに?」


「一つだけ、確認したいんですけど」



 今さら確認する必要などなかった。だが馬鹿なことだと分かっていても、聖は聞かざるを得なかった。



「当時、あの事件を担当していたのって、魔研だとどの班でしたっけ」


「うちの班よ」



 答えた能上は訝しげに眉を寄せる。



「前にも言ったでしょう?」


「そうでしたっけ?」


「言わなかったかしら? 小町がいたのも私たちの班だったし」



 言ったものだと思っていたわ、と続けた能上の声を聖は上手く聞き取ることができなかった。


 つまり、と聖は思った。


 能上は被害者の共通点を知らなかったと言う。捜査中にもその情報は落ちてこなかったと言う。そこまで考えて、聖は自分の記憶を辿る。



(えっと、魔研は一度所属した班を、希望を出さない限り、移動、させられることは、ない、から)



 つまり、この班にいた人は聖を除いて三年前から変わっていないのだろう。



(班は、四人で構成される、から)



 聖は自分の手が冷たく硬くなっていくのを感じていた。それとは裏腹に彼の脳は事件の真相に向かって想像力を加速させる。



「――能上さん、」



 ここにはいられない。


 そう思いながら触れたポケットの中から、クシャッとかすかな音を聞いた。その中に入っているものを思い出して、聖は廊下に視線を投げる。



「俺、ちょっと、用事を」



 思い出したんで、と口にする時には既に聖は走り出していた。背後から能上の呼び止める声が聞こえたが振り返ることはなかった。魔研を出る直前に瞠目した佐脇と擦れ違ったが、挨拶をする余裕もなかった。


 出勤する人々に逆らって聖は駅へ走る。靴の底から感じるアスファルトの硬さが、足の裏に痛かった。



(分かった)



 分かりたくもなかったけれど。


 聖は気付いた。



(あの事件が)



 解決されなかった理由を。


 小町の訴えを誰も信じなかった理由を。


 もしあの事件の被害者の共通点が、あの時、捜査の中に組み込まれていたのなら。



(きっと結果は違っていた)



 否、もしかしたら変わらなかったかもしれない。それでも小町の意見に耳を傾ける者も少しはいたかもしれない。


 それがなかったのは、あの事件の犯人が咲哉であると誰も疑わなかった所為だ。


 そうなってしまった理由を、聖は考える。考えて、辿り着いた答えが真実なのだとしたら。



(咲哉さん、)



 彼女の哀しみに揺れる瞳を思い出す。初めて出会った頃から何一つ変わらない、その瞳の強さと弱さを思い出して、聖は胸が裂けてしまいそうだった。


 聖は乱れた息を整える時間すら作らずに、ポケットからメモを取り出す。携帯電話にその電話番号を打ち込んで、冷たいディスプレイを耳に当てた。


 電子音は数秒。


 直ぐにそれは途切れ、相手の吐息を聞いた。



『どちらさまですかー?』


「咲哉さん」



 切羽詰まった声は受話器越しでも分かったのだろう。


 聖の声を聞いた咲哉は口を閉じた。


 今は咲哉が化けた小町の声を聞くだけでも息苦しい。その痛みに堪えるために聖は強く瞼を閉じる。兄の姿をその眼球の裏に浮かべて、血を吐くように聖は言った。



「俺、分かりました」


『……何が?』


「誰が殺したのか」



 彼女の友を。兄の恋人を。彼らの心を。


 殺したのは、きっとあの人だ。



「今から、会えませんか?」



 彼女の吐く息は震えていた。


 泣いているのかもしれない。怒っているのかもしれない。


 今の聖には確かめる術はなかったけれど、ただ彼女の胸の傷がさらに抉られないことを祈った。



『分かったわ』



 それは咲哉の声だった。


 彼女の声で、彼女の喋り方で、彼女は答える。



『もう直ぐで事務所に戻るから。そこで会いましょう』



 電話を切る直前、彼女が友を呼ぶ声を、聞いた気がした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ