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(6)

 聖たちはバーのカウンター席に腰掛けた。扉に近い席から咲哉、徹、シュウと並び、一番奥に聖は座る。あえて兄の隣を避けたのは自分の頭を整理するためでもあったし、距離を取った方が彼の話を冷静に聞けるのではないかと考えたからだ。



「三年前、俺は確かにあの事件の犯人に襲われたんだと思う」



 徹が静かに語り出す、その横顔を聖は見ていた。伏し目がちな横顔とは裏腹に淡々とした声で徹は続ける。



「突如背後から大量のナイフが降ってきた。ナイフで身体を何十ヶ所も刺された俺は瀕死の状態だった。そこに現れたのがシュウさんだった。シュウさんに『生きたいか』と訊かれて頷いたが、直ぐに俺は意識を失った。だが次に目を覚ますとベッドの上で、身体にあったはずの傷は消えていた。俺はニルヴァーナに助けられたんだ」


「だから、生きている?」


「ああ」



 聖の問いかけに頷いて、彼は言った。



「シュウさんが俺の倒れていたところにダミーの死体を置いて来たと言った。はじめは聖に俺が生きていることを報せようと思ったんだが……」


「生きていると知ったらまた殺そうと犯人が来るかもしれない。それなら犯人を見付ける方を優先させようと考えたわけね」



 口籠った徹の言葉の先を咲哉が告げた。



「犯人の姿は見なかったの?」


「ああ。だが倒れた時に相手の靴は見た」


「靴?」


「ああ。……男物だった」



 徹は思い出すように目を細める。



「男物のスニーカーだ。靴も、そしてズボンも黒い色をしていた」


「その現場で見つかった魔法陣は私のものだとされたのよね?」



 咲哉のその質問は聖に向けられていた。どうやら過去の事件のデータベースを覗き見ていたことなどお見通しだったらしい。聖は戸惑いながらも首を縦に振る。



「はい。魔研が解析した限りでは志賀さんの陣紋と一致していました」


「そう」



 つまり徹の記憶を信じるのなら、あの事件の犯人は男と言うことになる。


 兄はずっとこの三年の間、犯人を捜し続けていたのだろう。自分が死んだことにしてまで自分の恋人を殺害し、そして自分を死の淵に追いやった犯人を捜し続けていたのだ。その兄の覚悟を知り、聖は胸の奥が重く息苦しく痛んだ。


 徹は咲哉に顔を向けると問うた。



「お前は犯人の目星はついているのか?」


「シュウの話を信じるなら小町の知り合いだろうと考えて調べてはいるけど……まだ犯人に辿りついていないわ」



 咲哉もまた唯一の友を失い、自分の存在を隠しながら生きていた。


 聖はぎゅっと拳を握りしめる。あの事件はあまりに残酷なものだと思った。あまりにもたくさんの人を苦しめ、大勢の人生を狂わせている。その真実を改めて知り、怒りが腹を焼いた。



「貴方は? 犯人を捜していたでしょう?」



 咲哉は徹に問いかけ、彼の目を見据える。何一つ見逃さないようにとする彼女に応えるように徹も真剣な表情で告げた。



「まず俺は被害者がどんな人物であるかを調べた」


「被害者を?」


「ああ」


「魔術師でしょう」


「それだけじゃなかった」



 咲哉は怪訝そうな顔をする。



「私も調べたわ。でも他に共通点なんて――」


「ニルヴァーナだからこそ調べられた」



 咲哉の声を遮り、徹は言った。その台詞に彼女はあからさまに不快そうに顔を歪める。



「……被害者の遺族をニルヴァーナに引き込んだわね」


「引き込んでいないよ」



 その声はシュウのもの。それまで黙っていた彼は涼やかに笑う。



「自分から依頼してきたんだ。犯人を捜してほしいってね」


「……」



 咲哉はシュウから視線を逸らすとため息を落とす。



「それで、他の共通点って何?」


「俺とお前にもある」


「……謎解きなんてしたくないわ」



 苛立つ咲哉の目が鋭くなる。そんな彼女に苦く笑って徹は告げた。



「魔研への入社を断ったことだよ」



 徹は魔研からのスカウトを断って刑事になる道を選んだ。かつて咲哉もまた魔研への入社を拒んだと聖は聞いている。



「でもそんなことで……」



 咲哉はそこまで口にして息を飲んだ。



「魔研が関わっているってこと?」



 魔研は魔研にスカウトされた魔術師しか入社が許されない特殊な採用方法を取っている。もちろん声がかかったからと言って魔研に入社しなくてはならないという強制力もない。だからスカウトされた全ての魔術師が魔研に入社するわけではなかった。そして魔研が誰をスカウトしたかという情報は決して外部に漏らされることはない。


 だが三年前に殺害された魔術師は全員魔研からのスカウトを断っていると言う。つまり犯人は魔研が誰に声をかけて、誰がそれを断ったのかという情報を知ることができた人物だ。



「お前に一つ頼みがある」



 徹は咲哉に向き直った。真っ直ぐに咲哉を見つめる、その目の奥には強い意志を宿していた。その彼を見上げる咲哉の瞳はあくまで静かで、それが少し恐ろしくもある。だが徹は目を逸らさずに言った。



「複合解析で犯人捜索を手伝ってほしい」


「……それを頼むためだけに自分の弟に『お守り』を持たせたの?」



 咲哉の様子からして彼女はニルヴァーナを快く思っていない。つまり強制的にここに連れて来なくては話もできないのだろう。その彼女を連れてくる役目を聖はやらされたのだ。



「本気で言っているの?」


「ああ」


「魔研に関係する人間が何人いると思っているの? 全員に魔術を使わせて、その上全員分の魔法陣を解析するなんて不可能だわ」


「それでも、もうそれしか方法がないんだ」



 徹は断言した。その切迫した声と表情から彼がどれほど苦悩しながらこの三年間に犯人を捜し続けたのか感じ取れた。だからこそ聖も願うように咲哉の顔を見た。


 犯人は自らの基礎魔法陣を咲哉のそれに変えてしまった。データ上では既に犯人は咲哉とされ、真犯人を探し出すための情報は何一つ残っていない。そんな中で複合解析を使えるのは聖の知る限り咲哉一人だ。彼女を信じ、彼女に力を貸してもらうことしか、もう犯人を見付ける手立てはない。



「……私が嘘を吐くかもしれない」


「俺が知っている限り、お前は人を殺めるような奴じゃない。そして俺があの日見た犯人はお前じゃなかった……だから俺はお前を信じるしかないんだ」



 信じるしかない。その一言はとても重く、聖の身体に圧し掛かる。



「俺は真実が知りたい。優衣を殺した犯人が見付かるなら何だってすると、決めたんだ」



 咲哉の容疑が晴れたわけじゃない。聖だって心の片隅では今も咲哉が犯人ではないかと疑っている。それでも友の死に苦しむ彼女の目を見た瞬間に感じた自分の心を信じると聖は決めた。


 言葉は偽れるかもしれない。


 それでも子供を助けるために危険を冒した彼女の優しさや正義感を聖は信じる。



「分かったわ」



 やがて折れたように咲哉が息をついた。



「手伝ってあげる。でも無駄足だけはごめんよ。やるなら少しでも可能性が高い方法を考えて」


「ああ」



 頷く徹はほっとしたように微笑んだ。



「連絡手段はどうする?」


「貴方から連絡がある時は探偵事務所に来て。私からある時はここに夏樹を使わせるわ」



 徹に応えながら咲哉は立ち上がる。するとそのタイミングを待っていたかのようにバーの扉が開いた。夏樹だった。


 聖は彼がどうやって咲哉がここにいるのか知ったのか困惑するが、咲哉は彼が現れることを予め知っていたかのように彼を一瞥することすらなかった。彼女は呆然と佇んでいる聖に声をかける。



「貴方は?」


「え?」


「帰らないの?」



 そこまで言われて一緒に帰ろうと言われているのだと気付いた。



「あ、でも……」



 聖は言葉を濁しながら兄を見る。徹は聖と目が合うとかすかに笑顔を見せた。



「今度ゆっくり話をしよう」


「……」


「今日は疲れているだろうから。もう帰った方が良い」



 確かに聖は頭が上手く回らないほど疲労していた。今日一日だけで色々なことが起こっている所為だ。



「俺はいつでもここにいるから」


「……本当だよな?」


「ああ」



 鮮明な声で徹は首肯する。



「またいつでも会いに来ればいい」



 聖は兄の目の奥を見つめる。そこに嘘が見えないことを確認して聖は頷いた。



「また来る」


「ああ」



 聖は既に扉の傍に立つ咲哉に近付く。咲哉は聖が来たことを確認するとバーを出た。バーの前にある階段を上っていく途中で、聖の前を行く咲哉が魔術を使う。そうして地上に出る頃には彼女の姿は小町に変わっていた。



「その姿に戻るんですね」


「志賀咲哉は死んだことになっていますから」



 彼女は小町の顔で、いつもの小町のように笑って告げた。



「貴方も今まで通りにしてくださいね」


「はい」



 咲哉は聖の返事を確認して歩き始める。聖も彼女の後を追って表通りに出た。二人の後ろには夏樹も続いている。


 夜も遅いというのに表通りにはたくさんの人がいた。その中を進む咲哉の背は凛と伸びていて、そんな彼女の姿を見た聖は思う。



(この人は、人を殺したりしない)



 聖が咲哉と同じだけのものを背負わされたら、その重さに耐えられずにきっと崩れてしまう。だが彼女は友の姿をして、それでもこんなにしゃんと背筋を伸ばしている。



「咲哉さん、」



 呼びかける聖の声は穏やかで、そうだというのに雑踏に消されることなく咲哉まで届いたようだ。足を止めた聖を振り返った彼女は立ち止った。



「何ですか?」



 小町の顔で、小町の声で、咲哉は首を傾げる。その彼女に向けて聖は真剣な表情で言った。



「俺も、兄と同じように貴女を信じていたいと思うんです」


「私のことなんて信じない方が良いわ」



 聖の台詞を切り捨てたその声調は咲哉のものだった。そう否定する彼女の心情を思って、聖は切なくなる。


 大切な友を失った彼女は確かに深く傷付いたのだ。胸が抉られるほどに傷付き、人に助けを求めることなく友の死に報いようとしている。もしかしたらそれは聖の思い込みかもしれない。



「それでも、」



 咲哉は傷付いた野良猫のように聖の言葉の続きを警戒している。そんな彼女に聖は告げた。



「俺は貴女を信じます」



 だから、と聖は思う。



「俺に貴女の知っていることを全て教えてください」


「……知っていること?」


「はい」



 咲哉は疑うように目を細める。



「どういう意味?」


「犯人の特徴とか、貴女がこの三年間どうしていたとか……安道小町さんが貴女にとってどんな存在だったか」


「そんなこと知ってどうするの?」


「俺はこの三年間、何もしていなかった。していたつもりだったけど、兄や貴女のように、広い視野で調べなかったから」


「それは仕方ないでしょう。徹や私とは違って志賀咲哉が犯人だと信じていたんだから」



 咲哉は呆れたようにため息をつき、聖の後ろにいる夏樹を視線で示した。



「貴方が私のことを調べていることなんて、夏樹から聞いていたわ」


「夏樹さんから?」


「夏樹は他人を調べるのが趣味なのよ。悪趣味でしょう?」


「失礼な」



 不服そうな夏樹の声を無視して咲哉は言う。



「私のことを調べている人がいるのは知っていたわ。それが徹の弟であるってことも」


「……兄とは以前から知り合いで?」


「ええ」



 頷く声からはかすかな拒絶を感じた。その響きが深いから、聖はそれ以上訊けなくなる。代わりに話を元に戻す。



「ずっと不思議だったんです」


「……」


「貴女のことを調べるうちに……貴女が犯人だって確定しているはずなのに、貴女を知っている人はみんな『彼女は犯人じゃない』って言うから」



 それがずっと不思議だった。


 全ての証拠が、志賀咲哉が犯人だ、と示しているというのに誰もがそれは間違いだと口にしていた。だからもし彼女が犯人ではないという可能性が少しでもあるのなら、聖はそれを信じることができると思うのだ。


 咲哉は一つ深い息をついた。それは嘆息にも似ていた。


 彼女は聖から視線を外し、空を仰いだ。そして街灯の明るさで星すら見えない空を見上げて、彼女は呟くように言った。



「私はね、小町の友達だけど、彼女の全てを知っているわけじゃないのよ」


「え……?」


「知りたいんでしょう? 私が三年間していたこと」



 驚く聖にさらりと告げて、彼女は聖を一瞥する。



「ここから事務所が近いから。夕飯でも食べていけばいいわ」






 探偵事務所に入ると夏樹は真っ直ぐに夕飯を作りにすりガラスの衝立の奥へと消えた。夕飯はハンバーグだという。聖は咲哉と共にソファーに腰掛けると、咲哉は静かに口を開いた。



「私は小町の姿を借りたけど利き手を左だと晒したのは、そうすることで小町の知り合いが気付くことを期待したからよ」


「期待、ですか?」


「私は小町の友達だけど、彼女の知り合いを全て把握しているわけじゃないから」



 この三年間何をしていたのか、という聖の問いかけに咲哉の姿に戻った彼女が答える。



「そうして私が小町じゃないと気付いた人の魔法陣を片っ端から調べていたわ。調べた後は記憶を改善して……あら、捕まるかしら?」



 記憶の改善は呪術魔法だ。


 聖は曖昧に笑うことしかできない。



「えっと……探偵事務所はどうして?」


「探偵事務所を構えていれば魔術関連の事件も舞い込んでくる。そうして犯人を捜していたわ」


「それで犯人は……?」


「まだ見つからないわ。私は死んだことになっている以上、自分から派手な行動を起こせない。慎重に調べている間に、もう、三年も経ったのね」



 過去を思うように咲哉は小さく笑う。その表情はどこか過ぎた時を憐れむようだった。彼女の弱さを垣間見た気がして、聖は罪悪感を覚える。



「小町さんは……大切、でした、よね?」


「ええ」



 咲哉は迷うことなく頷いた。



「血が繋がっているわけでもないのに、無視しても無視しても離れていかないの。鈍臭いから放っておけなくなって。気がついたら一緒にいることが当たり前になっていたわ」



 だから、と咲哉は言う。



「彼女が死ななければならなかった理由を知るためなら、私は何だってできる」



 台所の方から肉を焼く音がする。油の跳ねるその音は心地好くて、そういえば誰かと一緒に夕飯を食べるのは随分と久しぶりだ、と聖はそんなことを思った。


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