(4)
一息に話していた咲哉が口を閉じた。その彼女の横顔を見つめながら、聖は彼女の苦しみや悲しみを思う。
自らの姿に化けた友の死体を前にした時、聖ならどうするだろう。兄の遺体を前にして、聖は何もできなかった。何もせずに、ただ心の中で殺人犯への報復と事件の真相を明らかにすることを誓った。
車中で聖の隣に座っている咲哉の目は真っ直ぐに前に向いている。しかしその瞳に翳る過去は彼女の視界を闇で覆っているようだった。
「私は小町が死んでいるのを確認してから、周りに魔法陣がないかを魔術を使って調べたわ。そうしたら彼女の身体を吊るしている縄を結んだ枝に魔法陣を見付けたの」
淡々と語る咲哉の言葉に三人が反応する。確か、現場には咲哉が発動したとされる魔法陣が残されていたはずだ。それは自分の身体を木に吊るすための魔術だった。
はっとして聖は咲哉を見る。彼女は言った。
「私はイアン解析法でその魔法陣を調べたわ。やっぱり私の陣紋にそっくりだった。だから複合解析法で調べたの」
「それで……?」
聖が話の続きを促せば、咲哉は低い声で答える。
「複合解析法は相手の魔法陣に自らの魔力を流し込むことで、相手の基礎魔法陣を知ることができる。遺伝子と同じで、絶対にカモフラージュなんてできない。……結果から言えば、私の物とは違ったわ。その基礎魔法陣には七ベクトル一コマに傷があった。私のものは 五ベクトル六コマの部分に傷がある」
そう告げた咲哉の目は強い。その恐ろしいまでの迫力は殺気に似ていた。
「私の姿をした小町を殺した犯人は、ただ殺すのではなく、自殺の偽造までしている。しかも私の陣紋を真似ることができていた。つまりあの複合解析した基礎魔法陣を持つ人物が犯人と言うことになるでしょう」
だから、と咲哉は言う。
「私はその人物を探しているの」
「探してどうするの?」
能上が鋭く尋ねると咲哉は不敵に笑った。
「どうすると思う?」
そう返す咲哉は首を傾げている。その仕草すら車内の緊張感を高めるには充分だった。そして咲哉は静かに口を開く。
「小町は知り合いでもない人物を追って山に入るほど馬鹿じゃないわ。つまり小町を殺した犯人は彼女の知り合い。そして、私や小町と同じくらいに魔術に長けた者」
目を細めた咲哉が拳を作る。震えるほどに手を強く握り締めて、彼女は捲し立てるように言った。
「私はあの日、小町として生きると決めたわ。でも知人なら絶対に別人だと気付くように魔法陣の描かれた爪だけに色をつけたの。もしかしたら犯人が気付くんじゃないかって。気付いて襲って来たところを捕まえてやるつもりだった」
「そんな無茶なことを……もし犯人以外に別人だと気付かれたらどうするつもりだったの? 現に私がそうだったわ」
「記憶なんて簡単に消せるわ」
きっぱりと告げた咲哉は無表情だった。とても冗談には聞こえなかった。
「それはつまり、私たちの記憶も消すってこと?」
咲哉なら相手の記憶など簡単に操作できてしまうだろう。そう感じたからこそ聖は生唾を飲み込んだ。
沈黙は肯定のようで、冗談だろうと笑い飛ばしてしまいたいのに顔の筋肉一つ動かない。
「まあ、それは冗談として」
車内の緊張が最高潮になった頃、咲哉が淡々と言った。ほっと息を吐く三人を余所に咲哉は長い足を組み、続ける。
「貴方たちの記憶なんて消す必要もないわ。どうせ誰も私が生きているなんて信じるはずがないもの」
それはとても当たり前であると彼女は話した。そのことに哀しむでも怒るでもない咲哉の様子がむしろ聖の虚しさを誘う。だがそんな同情すら何とも思わない調子で彼女は口を開く。
「それよりも訊きたいことがあるの」
咲哉は聖を見る。強い意志を宿す瞳は聖の心を飲み込むようで、聖は胸を塞がれたような気分になる。それでもどうにか息を吸い込むと問うた。
「訊きたいことって?」
「貴方のお兄さんはあの事件で亡くなったのよね?」
あの事件、とは三年前のことだろう。そう思ったから聖は頷いた。
「はい。三年前に亡くなりました」
「それは本当よね?」
「え?」
聖は彼女の疑問を少し不愉快に感じながら首を傾げる。
「俺が死体を確認しましたから。間違いありません」
「そう……」
咲哉は納得していないようだった。目を細めて下を向いた彼女は何かを思案している。その彼女の横顔を眺めながら、聖は眉間を絞った。
兄は死んだのだ。腕を失ってまで犯人に抵抗し、それでも殺された。兄の遺体と対面した瞬間の悲憤まで疑われているような気がして、聖はわずかに苛立つ。なぜ兄の死が疑われているのか分からず、聖は咲哉に向き直った。
「何か疑問でも……?」
「いえ……それよりも、」
咲哉は顔を上げると聖のズボンのポケットを指差した。
「そこには何が入っているの?」
「ここですか?」
そこには悠花にもらったお守りが入っている。聖はそのお守りを大切に身に付けていた。
「ちょっと見せてくれる?」
「別に良いですけど」
聖がポケットからお守りを取り出すとそれを咲哉に差し出す。彼女はお守りを受け取ると躊躇なく、中を開いた。
「え、ちょっと!」
慌てる聖の前で咲哉がお守りの中から取り出したのは白い紙。そこに何かが描かれている。
「それは……」
魔法陣だ、と聖が気付くのと同時。
その魔法陣が強く発光した。聖は思わず目を細める。
(魔術……!?)
驚く聖の腕が掴まれた。咲哉だった。彼女は聖の腕を掴んだまま足元に視線を落としている。聖もどうにか狭まった視界で彼女の視線の先を追えばそこには魔法陣が広がっていた。その中心には悠花から貰ったお守りの中に入っていた紙が落ちている。
(召喚魔術!)
そう気付いた途端、聖は目映い光に身体を包まれ、聴覚も視覚も奪われた。