第三章 泡沫の希望 (1)
「同じ日を繰り返す町?」
「ああ」
纓田から事件の話を聞いた聖は眉を顰めた。その彼に昼飯のカツ丼を頬張りながら纓田が相変わらずやる気の一切感じられない様子で頷く。
「一週間前からその町では同じ日を繰り返しているらしい」
「それならその町から出れば良いじゃないですか」
「それがちょっと厄介でな」
「厄介?」
纓田や聖と同じように昼飯を食べていた佐脇が纓田の言葉を繰り返す。纓田は再び頷き、続けた。
「その町に住んでる奴らは同じ日を繰り返していることに気付いていないらしい。とりあえず電話は通じるらしく、ここ一週間毎日同じ時間に同じ内容で娘から電話が掛かってくると両親から相談があった。他にも同じような相談が何件もあるんだとよ。その町に住んでいる社員が出社してこないだとか、連絡が取れないだとか」
「実際にその町に行ってみた人はいなかったんですか?」
「行けなかったらしい」
「行けない……?」
聖が目を丸くすると久賀は頷いた。
「何度挑戦してみても町に辿りつけないんだと」
「それで俺たちが派遣されるんですね」
「ああ。たぶん魔術だろうってことでな」
どのような魔術が使用されているのか聖は予想する。もし使用されている魔術が呪術魔術なら犯人である魔術師は限られてくる。
「時間操作でしょうか?」
「わからん」
能上の質問に答えた纓田が険しい表情になる。
呪術魔術は法律で禁止されている。しかしそれ以前に使用できる魔術師はほとんどいないのだ。その上、一週間も発動したままとなると、それはよほど強力な魔術を使える者である可能性が高い。
人の道徳から外れるその魔術は使用すれば罪に価する。そんな魔術を使用する犯人を相手にしなければならないのだ。
「その町に向かってくれ。町に辿りつけたら魔法陣からデータベースで犯人を探してほしい。それから発動魔法陣の解析も頼みたい」
纓田は事件が発生している町の名を口にして、続ける。
「万が一魔術使用許可証を取得してない奴の犯行だった場合は外に残った俺が他の班にも頼んで犯人を捜査する。だからまずはお前ら三人で行ってこい」
「かしこまりました」
頷いた聖の視線の先で、纓田が珍しく険しい目をしていた。何かを思案しているその表情に影を感じて、聖はただ首を傾げる。
聖は佐脇や能上と共に出発の準備に取り掛かっていた。データがインプットされたパソコンを取りに行った能上を待つ間、聖は魔研のロゴが入ったブルゾンを羽織りながら、佐脇と会話をしていた。
「でも同じ日を繰り返す魔術を使って、何か意味があるんですかね?」
「今の段階じゃ何とも言えないね」
佐脇は苦笑してから、記憶を辿るように視線を斜め上へ投げた。
「でもどこかでそんな感じの話を読んだことがある気がするんだよね」
「え?」
「論文だったかな?」
「論文、ですか」
「まあ解析してみれば済む話だからね。呪術魔術だから解析に時間が掛かるかもしれない」
気合い入れないとね、と微笑んだ佐脇に聖も首を縦に振る。
「安道さんならきっと直ぐに解けるんだろうけれど……」
「……」
だがきっと昨日の小町の様子からして絶対に魔研に手を貸してなどくれないだろう。昨晩の佐脇の話が真実なら尚更だ。
聖がそう思っていると佐脇がタブレットを差し出した。
「同じ日を繰り返しているのはごくごく小さな町らしい。住宅街ってところかな。さっき地図のデータが送られてきたよ」
「ますます犯人の意図が分からなくなりますね」
「同感だよ」
佐脇から受け取ったタブレットで地図を確認する。ここから車で三時間程度で到着する場所にあるようだ。ギリギリ聖たちの管轄内と言ったところだろうか。
「準備はできた?」
扉から入って来た能上が聖からタブレットを受け取る。
「行くわよ」
そう告げて先に歩き出す能上に聖と佐脇は続いた。
聖と佐脇、能上は車に乗り込むと目的の町へ向かって走り出した。助手席に座った能上はパソコンを開いている。斐川羽月の事件の報告書を仕上げているのだろう。
羽月の事件を解決したのは安道小町であること、そしてそれを彼女に依頼したのが聖だと知っても能上はただ短く返事をするだけで、怒った様子も驚いた様子もなかった。その様子があまりにもすんなりと受け入れていたものだから、聖はそれ以上何も言えなくなってしまった。
もっと責められるものだと思っていた。
安道小町の話をする時の能上の様子からして、部外者に、それも小町に頼ったことを叱責されるものだと聖は思っていた。だが聖に失望した様子でも哀しんだ様子でもない彼女に聖はただ困惑するばかりだった。
昨晩事件を解決した手際の良さからしても、安道小町は魔術師として特別な存在であることは聖にも痛いほどに理解できた。それと同時に考えてしまうのは、彼女が最後まで主張していたと言う、志賀咲哉の無実についてだ。
誰も小町がやってみせた解析魔術を使用できなかった。だがもし当時の魔研のレベルが高かったのなら、事件は違う方へ向かっていたのだろうか。そして小町の主張した通り咲哉が無実だと証明できたのなら、彼女は今も生きていたのかもしれないのだ。
「難しい顔をしているわね」
耳を打ったその声に顔を上げると、バックミラー越しに能上と目が合った。
「え、そうですか?」
「ええ。納得がいかない、って顔をしているわ」
「……」
「どうせ佐脇が余計なことを言ったのでしょう」
能上の台詞を聞いた佐脇がハンドルを強く握って苦笑いをした。
「能上さんは鋭いなあ……」
「安道小町に会った所為で昔のことを思い出したってところでしょう」
以前から鋭い人だとは思っていたが、聖の様子だけでそこまで見抜けるものだろうか。そう考えている聖から目を離して、能上はキーボードを叩きながら告げた。
「悪いけど城戸君のことを調べさせてもらったの」
「え?」
「前に志賀咲哉の事件を話した時の反応が気になったから」
聖が思わず黙り込めば、能上は相変わらず淡々とした口調で続ける。
「あの事件で亡くなった城戸刑事の弟さんなのね」
「……ええ」
「あの事件のことを知るために魔研に来たの?」
「……はい」
能上の声は聖を責めるものではなかった。入社理由を能上や佐脇に誤魔化す必要はないと聖は判断する。
「事件は志賀咲哉の犯行と言うことで解決しましたが、犯行理由も動機も分かりませんでしたから……俺としては納得できませんでした。自殺してしまったことも」
「……そうね」
能上の目は既に聖には向いていない。パソコンの液晶画面を見つめたまま、彼女は言う。
「正直、私も納得できていないわ。あの事件に関わった人々は皆そうでしょうね。……魔研にいた私としては、今でも考えるの。『もし志賀咲哉が犯人ではなかったのなら?』『私たちの判断は正しかったのかしら』って」
バックミラーにはパソコンに視線を落としたままの能上の顔が映っている。助手席に腰掛けている彼女の顔は聖の位置から右半分しか見えない。その右目の目尻が、わずかに切なく歪んだことに聖は気付いてしまう。同じようにミラー越しでそれを知ったのだろう、佐脇の目も切なく細められた。
「俺……、」
聖はそんな二人の様子を見て、自然と胸の内をぽつりと口から零していく。
「昨日、佐脇さんから安道さんが新たな解析法を見付けていたと言う話を聞いて……志賀咲哉が犯人ではない可能性を考えてしまうんです。だって俺の調べた、俺の聞いた志賀咲哉は自分の力を誇示するように魔術を使う人物じゃなかったから」
「……そうね」
もしかしたら能上も志賀咲哉に会ったことがあるのかもしれない。彼女の声音からは懐かしさと同じくらいの切なさが滲んでいた。
聖は自分の手許に視線を落とす。絡め合わせた指先の冷たさに、胸が痛んだ。
「――もし、」
戸惑うような時間をほんの少し挟んで、聖は二人に問いかけた。
「もし安道さんが志賀咲哉と親しい関係じゃなかったら、もっと安道さんが見付けた解析法を上は真剣に取り扱ってくれたのでしょうか?」
「……分からないわ」
返ってきた能上の声は、いつもの淡々とした調子だった。表情もいつもの強いものに戻っている。だが、どことなく漂う哀しさは静寂となって車内に溢れていた。