第6章 地下室その1
少女の声の距離から予想したように、穴は見た目ほど深くはなかった。
穴の入り口まで5メートルほど。
飛び降りるとき、少女と金平糖の落ちた位置を避けたオレは、柔らかい土の上に降り立った。衝撃はほとんどない。
帰りはチェリーに頼めば、上までひっぱりあげてくれるだろう。もちろん、ムーが頼めば、だ。
「ここは、どこじゃい」
ポッと周りが明るくなる。
爺さんの手のひらに、丸い明かりが浮かんでいた。白い光が部屋の隅々まで照らし出す。
ほぼ正方形の部屋は一辺が10メートルほど。天井も壁も床も、切り出された石でできている。
オレの足元にある土は、天井が崩れた時のものだろう。
「あ、あの…」
床に横座りしている少女が困ったような声で、爺さんを見上げた。
「お、これはすまんかったのう」
爺さんがあわてて足が移動させた。少女のローブの裾を踏んでいたらしい。
位置からすると、爺さんはほぼ真上に落ちたのだろう。
床が崩れることになった元凶の金平糖はこの部屋にはいなかった。あったのはヘキサグラム型の穴。
さらに地下深く、沈んでいったらしい。
「あれ、なんだしゅ」
ものすごく不吉な声と台詞が響いた。
「はて、なんじゃろう」
ムーと爺さんが興味を示したのは、オレの真正面にある壁。石造りなのは他の3方と変わらないが、細かい傷が無数に刻まれており、中央にはレモン型の黄色い石がはめ込まれている。
表面が磨かれているから石とわかるが、サイズといい色といい、レモンによく似ている。
「なんだろう、でしゅ」
伸ばしたムーの手を慌ててつかんだ。
「何するんしゅ!」
「怪しすぎるだろう!」
「試してみなければわからないことが魔術の世界には多いのでしゅ」
「触るときは、オレのいない時にしろ」
言い合うオレたちの横をスルリと抜けて、爺さんが壁に近付いた。
「…ムー」
「はいでしゅ」
「ここの傷。わしには文字にみえるんじゃが」
「はい、しゅ?」
所々に苔が生えた、傷だらけの石壁にムーは顔を近づけた。指で苔や汚れを払いながら、真剣に見ている。
そんなムーを見ていたオレの目の端に、黒い影が動いた。
伸ばした手がつかんだのは、少女の腕。黒いナイフのようなものを握りしめている。
「放せ」
押し殺した声で、オレの腕を振り払おうとする。
さすが、本業の暗殺者。先ほどまでの少女っぽい仕草は消え、ムーの命を奪うという意志が怖いくらいに伝わってくる。
殺したいのはわかる。だが。
「ナイフ、下手だな」
「くっ!」
訓練生レベルとララに言われているオレでも、楽勝で止められる。
「呪いが専門だろ。呪いだけにしておけよ」
少女は腕の力はこめたまま、金平糖が消えた穴に目を走らせた。
ひそめられた細い眉。
「もしかして、使える呪いはあれ1つなのか?」
返事はせず、少女は唇をひきしめた。
「オレの経験だと、あの金平糖は3日間くらいで消える。その後、残った呪いをムーに付ければいいだろう」
切りそろえた髪を、少女は大きく横に振った。
「3日も待てない」
「わかった。1時間待ってくれ。そのあとは、ムーをナイフで狙ってもオレは邪魔をしない」
オレの提案に、少女は胡乱な眼差しを寄越した。
「逃げる気?」
「逃げる。おっ、その手があったんだ」
考えもしなかった手を指摘され、オレはちょっと感動した。
だが、今は無理だ。脱出に必要なチェリーは、ムーでなければ動かない。
「やはり、逃げる気なのね」
「違う、違う。オレが1時間をくれと言ったのは、今から1時間後、この平穏な状況が続いているはずがないからなんだ」
少女の目に戸惑いがよぎる。
説明しにくいことを、説明しようとするのは難しい。
「オレとムーが一緒にいると、なぜか異常な事態がおきるんだ」
怪訝そうな少女に、必死に説明しているオレ。
そのオレをあざ笑うかのように、ムーのいる壁の辺りが、急に明るくなった。
「なるなる、なるるでしゅ」
「ムー、わかるのか?」
「はいでしゅ。爺の言うとおり文字でしゅ。ボクしゃん、これのこと読みましゅた」
短くて丸い指が、ビシッと指したのはレモンのような石。先ほどまでは、ただの黄色い石だったが、今では透き通って輝いていた。
「何語なんじゃ」
「新しい言語でしゅ。でも、神聖文字と古代文字とか古い時代の文字に部分的にルールが似ているので、読みながら解読しましゅた」
「新しい、言語、とな」
「大丈夫だしゅ。爺も10年くらいお勉強すれば、読めるようになりましゅ」
爺さん、ムーの「10年くらい」に顔をひきつらせながら、それでも、質問は続けた。
「それで、その石はなんなんじゃ」
「これは召喚装置でしゅ」
「召喚装置?」
「はいでしゅ。遠い昔、誰かが作った召喚装置でしゅ。これは、こうして使うだしゅ」
ムーの手がレモン石に触れた。
一瞬のことで、オレも爺さんも止められなかった。
「ミュー」
石に触れた瞬間、可愛い声が響いた。
「ポチ~」
天井の辺りに出現したそれは、ムーが差し伸べた手に降り立った。
「元気でしゅたか、ポチ?」
「ミュー」
ムーの腕にすっぽりと収まった、それを少女は呆然と見ている。
「あ、あれな、ゴールデンドラゴンの赤ん坊」
「ゴールデン、ドラゴン」
全身金色だから、説明しなくてもわかるだろうが、人知を越える崇高な存在がいきなり目の前に出現したら、受け入れる方が難しいだろう。
「ムー、そのドラゴンは」
爺さんの顔色は海よりも青い。
「ポチをお家から、呼んだんだしゅ」
「ゴールデンドラゴンの誘拐」
爺さん、ふらりと壁に寄りかかった。
「どうなるんじゃ…」
前に会ったゴールデンドラゴンは人間界を殲滅させるとか言っていたような気がする。
「人類の終わりじゃ」
力のない声でつぶやいている爺さん。
目が遠くに行っている。
「ムー」
「なんでしゅか、ウィルしゃん」
「そのドラゴン、戻せないのか?」
「無理しゅ。こっちへの一方通行でしゅ」
ドラゴンを左腕に抱え込んだムーは、右手でレモン石に触れた。
「こんなこともできるんでしゅ」
言葉が終わる前に空中に出現したのは、モップ。柄が木でできた掃除用品のモップだった。
「これはなんだ?」
「ボクしゃんの記憶の深層部で顕在化していないものを、この石に検索させて、呼び出したものだしゅ」
「なぜ、モップなんだ」
「わからないでしゅ」
モップは宙にとどまっている。
宙に浮いているという超自然的な部分を差し引けば、汚れた古いモップだった。柄は手油で黒ずんで、拭く部分は灰色より黒に近い。
オレは冷静になるために、現状を整理した。
その前に、ムーに釘を差しておく。
「召喚を今はするな」
「でも、でしゅ」
「す・る・な」
「わかったしゅ」
いま、この地下室にいるのは、4人と2匹。
オレ、問題なし。
ムー、元気。
爺さん、ふぬけ。
少女、脳内混乱中。
ポチ、元気、
チェリー、たぶん、いるはず。
この状態でできること。
「爺さん、とにかく、この地下室を出よう。チェリーに頼めば、上まで引き上げてくれるだろう」
「…そうじゃな」
重病人のような弱々しい声だ。
「ムー、聞こえたか」
「わかったしゅ」
いかにも渋々と抜けた天井の場所に移動する。
「チェリー、いるだしゅか?こっちにくるだしゅ」
ムーの言った「こっち」の意味を理解したオレは、慌てて止めた。
「呼ぶな!」
遅かった。
真ん丸のチェリーが、天井の穴から落ちてくる。
オレは勘違いをしていた。チェリーはムーの側にいると思っていた。
次の展開を予想できたオレは、ムーをひっつかみ壁際に避難した。
上からドオンという音が響いてきた。続いて、無数の足音。
「どこにいやがる!」
「出てこい!」
召喚失敗の水玉模様のサザエを外に放り投げた。あの時、外は灼熱地獄だったはずなのに塔は無傷だった。すでにチェリーは外にでて、この塔を守っていたのだ。
怒り狂った外の奴らが塔に侵入してこなかったのも、チェリーが扉を塞いでくれていたからだろう。
「あそこに穴が」
「くそぉ、地下があったのかよ」
「楽勝な高さだぜ」
屈強な男たちが穴から次々と飛び降りてくる。巨大な斧や剣を軽々と扱う様子から見て、プロ中のプロ。オレの腕では、1人倒すことすら厳しそうだ。
ゴールデンドラゴンのポチが召喚できたということは、レモン色の石は現世召喚可能だと考えられる。成功率も悪くなさそうだ。
「ムー、賢者ダップを呼べ」
「はいでしゅ?」
「レモン石で呼ぶんだ!」
次の瞬間、空中に現れた賢者ダップは豊満な体にタオルを巻き付けただけだった。髪が濡れているところを見ると、風呂上がりだったらしい。
いきなりの召喚で驚愕しただろうに、着地は見事に足から降り立った。
「てめー、なにしやがる!」
大股でムーに駆け寄ってくる。
犯人は聞かずともわかる状況だ。
「ウィルしゃんが呼べ、言いました」
「すみません、後ろ方々をお願いします」
「なんだと」
振り返ったダップの先には、武装した傭兵の群。
「今度は何をやらかしたんだ」
「長くなりますが、聞きますか?」
ダップは舌打ちした。
「やめとくわ。考えてみれば、お前らを助ける義理はないしな」
そう言われることは予想済み。
「報酬はこいつで」
ポケットから取り出したのは、チェリーが爺さんの魔力から作った、麦粒ほどのブラッディ・ストーン。
「よっしゃ、こいつらを全滅させればいいんだな」
気合い全開になったダップが、両手を前につきだした。
「天駆ける銀の…」
振り降ろされた斧を、ダップは紙一重で避けた。
「おい、詠唱が終わるまで、足止めしろ」
「無理です。できたら、あなたを呼びません」
「この格好で白兵戦かよ。勘弁してくれ」
口では怒っていたが、喜々として戦う姿は、どうみても嫌がっているようには見えない。4本の手足がすべて鍛え上げられた武器のように、敵を傷つけていく。
「このダップ様に刃を向けるなんぞ、100万年早いんだよぉ」
裏拳を顔面にたたき込まれた傭兵が、壁際に吹っ飛んでいった。
「あっ、でしゅ」
傭兵の背中がレモン石に直撃する。
次の瞬間、空中に現れたのは、30歳くらいの女性。ブラウスと長いスカートの上に、エプロンをしている。手にはスープの入ったお玉。
「ぎゃあ」
悲鳴をあげながら、下にいた傭兵の背中に落下した。
「お、おまえ」
驚きの声を上げたのは、レモン石にぶつかった傭兵。
「あんた」
現れた女性は、傭兵の所に駆け寄ると、持っていたお玉で頭を殴った。
「あんた、いったい、いつになったら帰ってくるのよ。この唐変木」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。いま、戦いの最中なんだ」
「戦いって」
女性の出現で、戦闘は一時中断していた。戦闘スタイルの傭兵達と、タオルを巻き付けただけのダップ。目立っているのは凶暴女賢者ダップ様。
「あの女は誰よ!」
「敵だ、敵」
「嘘をおっしゃい」
痴話喧嘩に気を取られた傭兵達を、ダップは長い足でなぎ倒した。
「ほら、な、な?」
釈明している男に、ダップが蹴った男の1人が激突した。その男の手が壁のレモン石に触れた。
でてきたのは50歳代の女性。
でっぷりと太った体。持っているのは、かじりかけのパンのようだ。
「母ちゃん!」
下に誰もいなかったせいで、尻から落ちた。痛かったようで顔をしかめたが、怪我はなさそうだ。
レモン石に触れた男が、駆け寄っていく。
「おや、エミル。ここは、どこだい?」
「深緑の塔という場所だよ」
「聞いたことない場所だねえ。家からどのくらいだい?」
「そうだな。歩いて1ヶ月くらいかな」
「そんなにかかるのかい。父ちゃん、鶏達の餌、忘れずにやってくれるかねえ」
アットホームな会話だが、その間も賢者ダップは暴れ回っているし、傭兵達は剣や斧を振り回している。
レモン石を何とかしなければいけないと思うのだが、ふぬけた爺さんとポチを抱えたムーを守るのが精一杯で手が回らない。
<首なし烏>の少女は金平糖が消えた穴の縁で、穴を見下ろしている。少女はオレ達の仲間でないとわかっているらしく、攻撃の対象にはなっていない。
続いて現れたのは、返り血を浴びた巨漢の戦士。戦闘中だったらしく、興奮マックス状態で落下。雄叫びをあげると、血塗れのハンニバルを振り回す。
さらに、3歳くらいの子供が宙に出現。
「ふぇ?」
「ケイン!」
父親らしい傭兵が、ジャンピングキャッチで、受け止めた。泣き出した子供をなだめるのに必死だ。
その後も次々と現れる。
ダップもレモン石が原因とわかっているらしく、傭兵を石に近づけないように気を付けてはくれているようだが、多勢に無勢。限界がある。
逆に傭兵の奴らは、レモン石が召喚の原因とわかると、次々と触った。
ダップと傭兵達、プラス、傭兵達が呼び出した近親者や知人やペットなどなど。狭い地下室に人や動物がどんどん増えていき、それにしたがってレモン石に知らずに触れる人も増え、さらに増えるという悪循環。
10分も立たないうちに、地下室は混乱の極みとなっていた。
「死ね!」
「どりゃあ!」
オレは壁際の爺さんとムーと背後にかばい、繰り出される攻撃を必死にしのいでいたが、押し寄せる人波に傭兵達との距離が近くなった。
剣士ならば刃を刃で受け止められるが、肉体のみが攻撃対象の初級レベルの格闘家。距離が近ければ、肉体を攻撃する時間的な余裕はない。せいぜい、切りつけてくる刃を横からたたいて、軌道を変えくらいしかできない。
「くそぉ」
「粘るじゃねえか、ウィル」
「うるせぇ!」
人は増え、傭兵達の輪はさらに狭まっていく。
「おっ、生きていたか」
密集する人々の頭や肩を踏みつけて渡ってきたダップが、オレの横にストンと降り立った。
「ほれ、報酬をよこせ」
「まだ、終わっていません」
「終わるとは思えねーんだけどな、これ」
バスタード・ソード、フォールション、ポールアックス、フレイル、ツヴァイハンダー。
向けられる多数の鋼と殺意。
オレたちは完全に囲まれていた。
「よう、ウィル、最後のお祈りはすんだか」
鈍い輝きを刃が、頭上に振りかざされる。
やられると思ったとき、その声は聞こえた。
-- 静まれ --
荘厳な声色だった。
オレは神様の声を聞いたことはない。だが、もし神様に声があるのなら、こんな音色をしているのではないかと思わせる、威厳に満ちていながら包み込むような暖かさを持った声が、頭の中に直接響いた。
-- 静まれ --
2度目の声が響いたときには、あの騒々しかった地下室は、落ちた針の音が聞こえるほどに静まり返っていた。
-- 戻れ --
ムーに抱かれていたポチが消えた。
影が薄くなるとか、光に包まれるとか、劇的な演出は一切なし。
瞬きする暇もなく、消えた。
次に賢者ダップが消えた。
召喚された順番に消えているらしく、歯が抜けるように徐々に空間が空いていく。
「何が、起こっているんだ」
傭兵の1人が呟いたが、答えはどこからも返らない。
召喚された最後の者が消えると、レモン石は強烈な光を放ち始めた。
刺すような鋭い明かりに、傭兵達は剣や斧を構えた。
「やはり、この石が元凶か!」
「壊してしまえ!」
「待て、どんなことが起きるかわからんぞ」
「くそったれ!」
「しかし、このままにしては」
石に警戒しながらも、議論を続ける傭兵達。
その彼らをあざ笑うかのように、光を増したレモン石。
「どうするんだー!」
不安にかられた傭兵の一人が叫んだ。
そして。
パキリ。
石が割れた。