第3章 訪問者その2
「迷惑をかけてすまなかったのう」
翌日に訪ねてきたムーの実の爺さん、ケロヴォス・スウィンデルズが謝った。
第2王女は妾腹の子で、自分の立場をよくしようと独断でムーを訪ねてきたらしい。
「王が病気なのは事実じゃが、命に関わるようなものでもないから安心せい」
そういうと、お茶受けに出した木の実を口にいれた。コリコリと音がする。
「変わった味の実じゃな。塩味が効いてなかなかいけるぞ」
うまそうに一皿、あっと言う間に平らげた。
「実にうまい実じゃ。どこで手に入れたんじゃ?」
「あそこ」
オレの指した先いるのは、井戸の脇にうずくまっているガマガエル。体長1メートルほどで、水色の体のあちこちから枝が生えている。
「昨日、ムーが召喚に失敗して呼び出したんだ。あと3日くらいはいると思うから、連れて帰るか?」
枝の先に鈴なりになっている木の実は、スウィンデルズの爺さんに出した実だ。
驚くと思ったのに、爺さんは首を傾げた。
「このモンスター、見たことがあるのう」
「文献に載っている異次元モンスターだとムーは言っていた。実も食用らしい」
「そうじゃないんじゃ。そうではなく…実のことで…」
不安そうなスウィンデルズの爺さん。
「大丈夫だよ、爺さん。昨日オレも食べたが、この通り元気だよ」
もちろん、ムーに騙されてだ。
うまかったから、2皿も食べてしまった。
「食べた…食べ…」
爺さんがグワッと両目を見開いた。苦しそうに両手で喉をかきむしり、床に崩れるようにうずくまった。
「大丈夫か!」
「イ……イ…」
「痛たいのか?」
「イ、イガゲラ」
「いが、げら?胃が…ゲロって、らったった?」
ふざけたつもりはなかったのだが、爺さんはうずくまったまま、固まった。
数秒後、爺さんはふぅーーーと大きな息を吐くと、振り向きざまにオレを怒鳴りつけた。
「そんなことをあるわけないじゃろ!」
今度はオレが硬直した。
怒鳴られたからじゃない。
「じ、爺さん…」
小さくなっていた。
オレと同じぐらいだった身長は、オレの肩までもないだろう。
ローブはだぶだぶで、手先が出ていない。幾重にも巻いた豪華な首飾りは重そうだ。
「しもうた、やっぱ、イガゲラの実じゃったかぁー!」
絶叫した爺さん。
いや、爺さんと呼んでいいのか。
年の頃は10歳前後。白いクセ髪に、大きな目玉。
見慣れていて、できれば永遠に見たくない姿がそこにあった。
「ムーの容姿は爺さんの遺伝子だったんだな」
似ているなんてレベルじゃない。そっくりだ。双子といっても通じるかもしれない。
「ムー、ムーはどこじゃ!」
半分パニクっている状態で、オレにしがみついた。
「ムーなら、あっちで寝ているはずだ」
オレに、スウィンデルズ爺さんが来たら食べさせてやって欲しいと木の実を託したあと、崩落した階段下で毛布に丸まった。
昨日は、ラルレッツの一行が帰った後、研究成果の黄色い粘液を蒸発させたり、オレの目を盗んで2度も召喚を行ったりしたから疲れたのだろう。
失敗したカエルのほうは今も残っているが、成功したスズランの花のような生物には、すぐに帰ってもらった。甘い蜜を垂らしてくれるのだが、揺れる度に大きな鈴の音がしてうるさかった。
「ムーーーー!」
駆けていった爺さんを追って階段下に行くと、起きあがったムーが目をこすっていた。
「どうしたっしゅ…」
「ムー!イガゲラの実を食わせおったな!」
怒鳴り声に、目をパチクリさせたムーは、次の瞬間、爺さんを指さすと爆笑した。
「ムー、なんとかせい!」
爺さんはムーの胸ぐらをつかむとユサユサと揺さぶった。
「無理だしゅ。そんなこと知っているはずだしゅ」
けけけっと笑いながら答えるムー。
「無理でも、なんでも、とにかく、なんとかせい!」
爺さん、半狂乱。
「このままでは魔法も使えず、死ぬまでこの姿のままじゃ!」
爺さんが大変なことになったらしいことはオレにもわかったが、騒いでいる姿がムーなので同情する気がおきない。
「今日中に戻らなければ、それよりも、会議が…ああ、どうしたらいいんじゃ」
とはいえ、放っておくわけにもいかないので、ムーに何が起こったのかを聞いてみた。
「イガゲラの実は若返りの実だしゅ」
「見ればわかる」
「若返るには魔力がいるだしゅ」
「それでオレには効かなかったのか」
魔力ゼロ。
欠点だと思っていたことが、何度も危機を救ってくれることになるとは思ってもみなかった。
「魔力を使って若返りを維持するだしゅ。爺は魔力いっぱいあるだしゅ。若いままだしゅ。イガゲラの実は優先的に魔力を消費するだしゅ」
頭の中で整理して聞き返した。
「爺さんの魔力は、イガゲラの実が若さを維持するために全部使ってしまう。だから、爺さんは若いままで魔力が使えない。で、いいのか?」
「そうだしゅ」
けけけっと笑うムー。
同じ容姿の爺さんは、隣で混乱状態だ。
「帰らなければ、今日中に帰らなければ…」
ふらふらと歩きだした爺さんは、扉に向かった。オレは慌てて腕をつかんで引き留めた。
「出るな!」
「放すんじゃ!」
振り払おうとする爺さんを、オレはずるずると奥まで引きずった。
ムーサイズに縮んでいるから楽勝だ。
「帰るんじゃ!」
じたばたと暴れる爺さんを壊れた階段に座らせた。
「あのな、爺さん、今の自分の姿わかっているか?ムーにそっくりなんだぞ」
「わかっておるわい!」
「ムーとオレは、この塔から出たら処刑されることになっているんだぞ」
ピキッと固まった爺さん、置かれている現状を理解したらしい。
「まもなく、ペトリの爺さんが帰ってくる。爺さんは塔の出入り自由だから、ラルレッツに連絡する方法もあると思う。もう少しだけ待ってくれ」
爺さんは、はぁと大きくため息をつくと、床にペタリと座り込んだ。
「今日中に帰らないといけないんじゃ」
うつむきながら、ポツリポツリと言葉を続ける。
「夕方、シェフォビス共和国の魔術協会とルギスからの不法入国者の越境対策についての会合を行う予定になっておるんじゃ」
「そうなのか」
「このところ、急に増えておってなあ。ルギスは政治的には安定しておるから、暴動やクーデターの兆候はみられないしのう、なぜ、増えたのかがわからんのじゃよ」
「連絡すれば、誰か代わりに出てくれるだろ」
「そこが問題なんじゃよ」
ラルレッツ王国の貴族に該当するのは、伝統ある魔術師の家柄で、優秀な魔術師が現存している家らしい。
スウィンデルズ家もラルレッツ王国の古い家柄で優秀な魔術師を多く排出しているらしい。現在は賢者とまで呼ばれる爺さんが当主として一族を仕切っている。もちろん、他国でいう貴族の特権を多く有しており、王室に対する発言力や政治的な力もある。
「わしが欠席となれば、スウィンデルズ家の次期当主が出るのが慣例なんじゃが、スウィンデルズ家を継ぐ者は決まっておらんのじゃ」
爺さんの5人の子供の中で、ムーの父親であるバリーは、きわめて優秀だったらしい。他の4人分の能力を独り占めしたと言われるほど、莫大な魔力を持ち、膨大な知識を有し、判断力、決断力などだけでなく、人望まである、申し分ない人物だったらしい。
「優しすぎるのが玉にキズだったがのう」
ルゴモ村の人々を見捨てれば、助かったかもしれない。
優秀な息子を失った爺さんからすれば、悔やみきれない事件だっただろう。
このあと、バリーがいかに優秀だったかとか、その他の子供達から誰を後継者するか絞りきれない理由だとか、ラルレッツ王国におけるスウィンデルズ家の地位と役割とか、色々なことを延々と話していた。
オレは「うん」「そうなのか」と相づちは打ったが、内容は10分の1も聞いていなかった。
ただ、ムーがスウィンデルズ家に行くのを嫌がる理由は何となくわかった。爺さんが欲しいのは、ムーではなく、優秀な魔術師の後継者、らしい。
塔に来てから、毎日ペトリの爺さんとムーのやりとりを見ているが、ペトリの爺さんはムーを可愛い孫のムーとして接している。
ペトリの爺さんにとって、ムーが召喚魔術を使えるというのは、ムーを構成する一部であるが、使えなくなっても可愛いムーであることには変わりがないだろう。
血は繋がっていないはずだが、甘過ぎるくらい甘い。爺さんの甘やかしっぷりを見ていると、ムーの性格形成に問題を作った原因は爺さんのような気すらしてしまう。
まだ、ぶちぶちと愚痴をこぼしているスウィンデルズの爺さんに、さりげなく聞いてみた。
「ムーの父親が行方不明になった時点で、新しい後継者を決めなければならないことはわかっていただろ?残りの4人の子供が難しいとわかっていたなら、なぜ、ムーをペトリの家に出したんだ?」
爺さんはムーの顔で困ったような表情をした。そして、予想もつかないことを口にした。
「ムーには、魔力がなかったんじゃ」
「えっ」
「2歳のムーには、魔力がまったくなかったんじゃ。魔力がない者がラルレッツ王国で暮らしていくのは辛いことが多い。だから、魔力がなくても問題がないエンドリアのペトリの家に預けたのじゃ」
本当に預けたか?あげたのじゃなくて?
という、突っ込みはしないでおく。
「ムーに魔力が現れたのは8歳の誕生日じゃった。正しくは、現れたではなく、戻った、わけなんじゃが」
「戻った……誰かがムーの魔力を取っていたのか?」
「うまく説明でないんじゃが、別の場所に能力ごと移動させていた、とでも言えばいいんじゃろうかのう。やった本人が死んでしもうたので、よくわかんのじゃが」
「誰がやったんだ?」
「ムーの父親のバリーじゃ。生まれたムーの魔力があまりにも強大なので、そのまま育てるのはムーの命に関わると判断したんじゃろうな。赤子の頃は魔力の制御は不可能じゃ。暴発でもしたら身体ごと吹っ飛んでしまうからのう」
「だったら、8歳で魔力が戻ったときに、すぐ迎えにいかなかったんだ?召喚魔術しか使えないのは、父親の封印が原因なのか?」
「魔力の大きさが、魔術師としての優秀と同じというわけではないからのう。ムーのことは気になって、ペトリの家には何度か訪ねたが、いつも畑で泥だらけになって遊んでいたんじゃ。8歳になれば暴発はまず起きはせん。ペトリの家の子として畑を耕しながら幸せに暮らすのもひとつの生き方だと思ったんじゃ。泥だらけで畑に転がっているムーからは、魔術師としての才能があるとは想像できんかった。
ムーが召喚魔法しか使えない理由は、わしにはわからん。バリーかもしれんが、違うかもしれん。ムーの魔力をバリーが別次元に転移していたことまでは魔力の戻り方から推論がたてられたが、移動させた方法も理論もわかっておらんのじゃ」
遠い目をして「バリーは優秀だったからのう」と、つぶやいた。
「畑で泥だらけか。ま、そっちの方がムーらしいけどな」
階段下のムーを見ると、また、毛布にくるまって気持ちよさそうに寝ている。
爺さんが自分のせいで若返ったことなど、針の先ほども気にもしてないようだ。
「そう思うじゃろ。それなのに、戯れに教えた神聖文字や古代文字をアッと言う間に覚えおった。わしらが何年もかけて地道に勉強したことを、それこそ、読みながら覚えていくんじゃ。我が孫ながら背筋が凍るったわい」
今度は延々と、ムー自慢、というより、我が孫自慢が始まった。当然のことだが、オレは95パーセント以上聞き流した。
ムーが優秀なことは身を持って知っている。
塔で手に入れられるわずかな品物でオリジナルの魔法生物を次々と作りだしている。多量の魔力を必要とする異次元召喚を日に何度も行う。
敵にしたら恐ろしい魔術師だ。
味方にしたら、もっと恐ろしいが。
「…もし、ムーが魔術を使えるとしたら、わしと同じで白魔法だと思うじゃよ。ムーの母親も白魔法を得意としておったからのう。おお、数代前じゃがスウィンデルズ家の当主で精霊魔術が使えるのがおった」
長い話はまだ続きそうだと思ったオレは、階段の残骸に寄りかかった。
そのとき、塔の扉が開いた。
「帰ったぞ」
ペトリの爺さんが、リュックを背負い、両手に荷物を持って塔に入ってきた。
重そうだが、爺さんが荷物を持つのは塔の目の前にある国境からだ。距離にして数メートル。国境までは、買い物をした村の人が馬とロバに、爺さんと荷物を乗せて運んでくれる。
金持ちならではの裏技だ。
「ムー、どうしたんじゃ。そんな長いローブを着て」
スウィンデルズの爺さんは、困ったように眉を下げてオレを見た。
「これ、ムーじゃないんだ」
「何を言ってるんじゃ」
「スウィンデルズの爺さん。ムーのイタズラで若返っているんだ」
ペトリの爺さんは、目を数回しばたたせたあと「本当にスウィンデルズ殿か?」と聞いた。
スウィンデルズの爺さんが、恥ずかしそうにうなずくと、ペトリの爺さんはうつむいて、うずくまった。
オレは心配になった。
「おい、爺さん。どうしたんだ。具合でも悪いのか?」
数秒後、ペトリの爺さんは爆笑した。腹を抱えて笑い転げた。
「あの、爺が、爺が!」
げひひっ、と笑う姿に、オレはムーの育てたのはこの爺さんだと確信した。