7、騎士願望/ベザイ家
ウーナとグウィンは近況を話し合いながらブラブラと街を見て回り、正午過ぎに砦に戻ってきた。
グウィンの口数は多くはなかったが、ウーナは久しぶりの兄との時間に満足していた。そして、そんな時間を過ごしながらも、砦に戻ったらジュディカエルに自らの覚悟をもう一度ぶつけてみようと決心していた。
「おかえり、我が愛しの子共たち。デガンウィはどうだ?」
砦の内に入ると早速ジュディカエルに出くわした。砦の者と何かを話していたようだが、ちょうどいい区切りだったのか、兄妹に呼びかけたのだろう。後ろの問いはウーナへ尋ねたのか。
「やはり活気がありますね。のんびりできました」
今いるのは西山の上にある天守の方だ。高い天井で円形の内部にはローマのタペストリーや赤獅子の旗、槍立てなどがある。
「それは良かった。旅の疲れを取るといい」
ジュディカエルがそこで場を離れようとしたので、ウーナは引き止めた。
「お父様。お話があります。お時間いただけますか?」
ジュディカエルはウーナの瞳に何かしらを見て取り、隣のグウィンと一度視線を交わすと、
「分かった、この後二階の執務室に来なさい」
と残して場を去った。
騎士団長の執務室は無駄な物のない質素な部屋だった。だが、北向きの窓の奥に砂浜とアイリッシュ海が美しくきらめくのが見える。
グウィンも同席するつもりなのか入り口近くに寄りかかっている。
ウーナが部屋の中央で待っていると、しばらくしてジュディカエルが入ってきた。団長の楯持ちであるギルロイが戸の外で待機に入ったのが見えた。ギルロイと目が合うと、彼は小さく手を振ってニコリと笑顔を見せた。
話す事柄に見当がついているのか、ジュディカエルの表情は固い。
「話とは?」
父親は窓を背にして机に着くとウーナをうながした。
「私の将来についてです」
成人をとうに終えているウーナがハイレーンズの村から離れなかったのは、騎士にしてくれない家族へのささやかな抵抗だったのだ。
「私は騎士になります。ハイレーンズではその実力があることを示すことができたと思っています」
ジュディカエルはフゥ、ともムゥ、ともつかないため息をつく。
「だがお前は女だ」
「すでに隊にも女性がいるはずです」
「数人な」
「私がそこに入っても構わないでしょう」
「だめだ」
「なぜです」
言い訳する子供のように、視線を脇に向けてジュディカエルは答えた。
「神は人を男と女に分けて作られた。それぞれに意味があり、それぞれに役割がある。男が戦い、女は生をつなぐ。男が子を産むことはできないんだから」
「では今隊にいる女性騎士はどうなんです?」
「……」
ウーナはジュディカエルが間違っている自覚があって、それでもなお説得を試みていると感じていた。
そこに愛情も感じていた。
娘を戦場に行かせたくないのだろう。
王の騎士団長であっても人の親なのだ。
「実力が示せたと言ったな、だが私はこの目で見たわけではない。簡単に認めるわけにはいかないな」
娘の父が最後の抵抗を試みている。
突然戸が開かれ男が入ってきた。
待機していたギルロイは男を素で通したようだ。
深い茶色がベースの地味な色合いの服を身につけてはいるが、見るものが見たらその服が非常に高価で、仕立てのいい衣服だと分かっただろう。
禿頭に活力みなぎる表情をした男はジュディカエルやウーナを見ながら開口一番言い放った。
「話は聞かせてもらった」
ジュディカエルが席を立って闖入者を出迎えた。
「王よ」
そう、彼はグウィネッヅ王、禿頭と灰色のロドリ王。ジュディカエルを通り過ぎ、窓辺まで行くと振り返った。
「マーシア兵4騎を退けたという実力、私も見てみたい。ウーナといったな」
「ハッ」
ウーナは視線を受けて跪いた。
「そなたに力を示す場を与えよう」
どこか面白がるように王は言葉をかけた。
「王よ」
ジュディカエルは再び彼の主君に呼びかけた。
「ジュディ、娘を戦いに出したくないという思いはよく分かる。だが子が自らのなすべきことを見つけた時。そこからはその子の人生だ。たとえ親であっても、子の意思が固ければ、それを覆すことはできまい」
「……仰せの通りです」
まだジュディカエルの目の中に割り切れない思いを見て取ると、
「まあ、その子の力を見てみようではないか」
そう締めくくった。
ここまで口を挟まなかった(挟めなかった)グウィンはこの成り行きに、気取られぬよう歯噛みした。
**********
旅の疲れや先の心配からかローナンはドサッと窓辺の椅子に腰を下ろした。
ここはデガンウィの東にあるベザイ家の別邸。
そのローナンに当てられた部屋だ。
「お疲れですか?」
グェンエイラが壁際で荷物を解きながら、ローナンに聞いた。
「ああ」
2階に位置するこの部屋からはスランロースの街がよく見渡せる。
「ウーナ様とお別れになってしまいましたものね」
揶揄うような言い方にグェンエイラに不快な視線を送る。
「すぐに会えるようになる」
「戦争が始まったら会えません。そうでしょう? ひょっとしたら前線に駆り出されてそれっきりなんて……」
ローナンは威圧するように詰め寄っていた。
「そんなことにはならない!」
「お寂しいんですか?」
なおも反抗的なメイドの腕をひねり上げて、ドンッと壁に押し付けた。
腕が頭の上に捻られてるせいか、彼女は胸をそらすようにしてローナンを見つめている。
艶のある黒髪、白い肌、緑の瞳。
ローナンは彼女を見ていると、醜い自分を見せられているような気分にいつもさせられるのだ。
「私をお使いください」
挑発的な目でグェンエイラは囁いた。
蠱惑的な笑み。
そしてその口からは男を誘う言葉が出るのだ。
「寂しい気持ちは私の身体にぶつければいいんです」
彼女は自由な方の手で自らの首元のリボンを解いて胸元を晒した。
ローナンの目に霞が架かり、心の中が散り散りに乱れる。
彼は何かを振り払いたい一心で彼女を求めたのだった。
**********
ウーナたちは再び外の草原に出ていた。
少し雲も出て涼しくなってきている。体を動かすには丁度よさそうだ。
「イセル! 前へ」
ロドリ王が兵の一人に声をかけると大柄の男がウーナの前に出てきた。
ウーナと向かい合った男、イセルは熊を思わせる巨体で頰には縦に走る傷跡があった。
並みの女子ならビビって動けなくなってもおかしくない強面だが、ウーナは冷静に、いやむしろワクワクするかのように口元に笑みを浮かべた。
ギャラリーは半円を描いて離れて見ている。
中央に木剣が放られた。
二人は歩み寄って木剣を手に取る。
「よろしくお願いします」
ウーナが構える。
「ウス」
彼は寡黙なタイプなのだろう。言葉少なに返事をすると彼も構えをとった。
緊張を高めながら歩み寄る。一合、カンッと木剣を打ち合わせて互いにバックステップで距離を取ると、試合が始まった。
イセルは様子見の態で仕掛けてこない。
ウーナは彼の胸を借りるつもりで踏み込んだ。
「行きます!」
イセルは巨体を丸めるように低い姿勢で剣を中央に構えている。ドッシリとした構えに、冷静な目、それらに反して強い魔力の闘気が空気を震わしている。
全く隙は見当たらない。
ウーナは足で相手を崩すことにした。
集中しろ!
自らに言い聞かせて突っ込むように向かっていく。相手の間合いのギリギリで細かいステップを踏んでペースを落とす。剣は下ろしたままだ。
イセルが反応して剣を突き出す。
極限の集中と共に、ウーナの体をクリアブルーの炎が包み込む。
魔力を爆発させるように地面を蹴ると、すんでのところで剣を躱し、イセルの後方に抜けた。
スピードに緩急をつけて相手の剣を誘ったのだ。
すぐさま振り向いて木剣を相手の背中に叩き込む。
しかし、イセルは体に似合わないものすごい旋回でウーナの剣に合わせて見せた。
ただ、無理な体勢で受けたので体幹が大きく傾いている。
好機!
そう捉えたウーナはすかさず深く踏み込んでイセルを攻め立てた。
ゴッ! ガッ! ゴッッ!!
ウーナが剛の剣で押し込むように切り上げるたび、イセルは少しづつ崩れ、ついにはその巨体が宙に浮いた。
イセルが最後に振り下ろしてきた剣をかいくぐり、ホームランでも打つかのように大男の腹を打ち抜いた。
ボッッッッ‼︎!
イセルは吹っ飛んで地を転げていった。
ギャラリーは大きな歓声を上げて口々に少女を称賛した。
イセルはうごぉぉぉ! と腹を抑えてうずくまったが、少しして気丈にも立ち上がった。
歓声が止む。
「天晴れ! さすが……」
そこで彼はうぷっと口元を押さえた。込み上げる吐き気を我慢しているようだ。
彼を見る皆が心の中で彼を励まし応援した。
しかし、漢イセル。
顎に青筋を立てて吐き気をかみ殺すと、先ほどの台詞の続きを言い切った。
「流石敵兵4騎を打ち取っただけある! 見事だった!」
おおおお!
再びギャラリーが湧いて、草原に再び、そしてよりいっそうの大きな歓声が響いた。
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同じ頃。
ローナンは屋敷の地下にある薄暗い闘技場にいた。
一面冷たい石畳。4隅に炎が焚かれているが、がらんとした広さが地下の暗さを引き立てている。闘技場というが、ベザイの家はもっぱら私兵を訓練するのに用いている。
「お久しぶりです、坊っちゃま」
嗄れた声がローナンを振り向かせた。
「お久しぶりです、ファードルハ翁」
闘技場の入り口に醜い顔の老人がドルナムと共に入ってきた。
老人は黒いフードを被っているが、その内に覗く残忍を積み重ねたような皺が彼の魂を物語っている。髪はなく、盲で白目を向いている。
瘤のある樫の杖を支えにローナンに歩み寄った。
「ご様子を見るにハイレーンズの方でも欠かさず研鑽を積まれたようですな。坊っちゃまが世に存在を知らしめる時が来ようとしておる様子。ベザイの最高傑作のお力をお見せ下さい」
「はい」
老人の口の薬臭さを顔に出さないようにしながらローナンは答えた。
「始めろ」
ドルナムが合図すると四方に人影が現れた。
ここでは一本のナイフしか装備はゆるされない。
ローナンも、今ローナンの相手となっているベザイ家の私兵たちもだ。
左手から突き出されたナイフを上半身だけで避けると、体のひねりだけで相手の顎を膝蹴りで砕いた。両手はフリーにしたまま次に備えている。
この場に一切の容赦はない。
他三人の私兵はタイミングを計っていたようだ。
ローナンは左目の魔力を解放し、黒い鱗のような炎を纏う。
背後の一人が動くと連携して右手と前の者たちも襲い掛かってくる。
ローナンの輪郭がブレた。
背後の攻撃は黒い炎を貫くも、肉はきれず、眉間に肘打ちを当てられて膝をつく。
時間差で来る横と前の攻撃もゆらゆら揺れる影に空を切ると、カウンターに掌底や肩の当て身を食らって吹っ飛ばされた。
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イセルの後もウーナとの手合わせは続いていた。
手合わせしたい者が名乗りを上げてウーナと木剣をぶつけている。
しかし、今や一対四で彼女は戦っていた。
カイヤナイトは彼女の闘志に呼応し強く輝いている。
「いやはや、これ程とは」
ジュディカエルの隣のロドリ王がつぶやいた。
ごうごうと巻き上がる青い闘気は間違いなくウーナから発せられるものだ。
「剣はなってませんが、覇気は凄まじいですな」
それは騎士団長であるジュディカエルですら認めざるを得ないほど。
「騎士の精鋭たちが揃って足元を取られているぞ」
魔力によって爆発的な脚力を持つ戦士たちは、魔力を地に流して足元を固める。そうしないと砂浜を走るように足が地面に沈んでしまうのだ。しかし、ウーナの強力な魔力が騎士たちのそれを上書きしているのだ。
グウィネッズ王はこの力に心躍らせているようだ。
「そして、なお上がり続けるこの魔力」
すでに尋常ならざる魔力が放たれているが、その質、量共に未だ底を見せない。
対する四人はウーナ一人に対して陣を組んで戦っている。
しかし、ウーナの動きに最早ついていけてないようだ。
現にジュディカエルの横に一人が吹っ飛ばされてきた。
「空を圧し、地を取って。これでは誰も動けまい」
陣は崩れ、また一人、一人と吹っ飛ばされていく。
「最高の才能ではないか? いずれ円卓に連ねる程の騎士になるだろう」
最後の一人も下すと、彼女はジュディカエルに褒めて欲しいような笑顔を見せた。
父親はわずかな諦念と共に微笑みを返した。
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新たな相手が同じように四方に現れた。
ローナンが広いスペースに素早く陣取ると、再び拳打の音が響き始める。
ドルナムとファードルハは満足そうにそれを眺めていた。もっとも、盲目のファードルハは魔力で状況を感じているのだが。
「素晴らしい出来ですな」
翁がベザイ当主に囁く。
闇の中でローナンの左目に灯る緑の光が縦横無尽に飛び回り、瞬く。相手がそれを追うように倒れる。
「騎士どものように無駄にだだ漏れさせることなく纏う魔力」
ローナンのナイフがキラリと光る。相手は裂かれて紅血が散る。
「闇を知覚し、自らのものとする技量」
翻ると姿が消える。次の瞬間には相手の背後を取っている。
「これぞ理想の暗殺者。影に生きる者の到達点」
ドサッと、闘技場に最後のひとりが沈む音が響いた。
中央に佇むローナンは、スッと息を吸っただけで呼吸を整えたようだ。
周りには呻き声を上げる男たちが地に転がっていた。
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デガンウィ砦の東山に建つ円塔。
その一階は広間であり、簡易的なチャペルでもあった。
壇上にはロドリ王、その前に跪いたウーナがいた。
昼でもやや薄暗い場所だ。しかし、ウーナを祝福するように高窓から光が差し込み、彼女と王を照らしている。
少女は神聖な雰囲気に体が震えるような感覚を持ちながらも、期待に胸が高鳴る感覚を憶えていた。
ジュディカエルが壇上に上がり、ロドリ王に聖別された儀礼用の剣を手渡す。
「顔を上げよ」
ウーナが顔を上げる。
ここには高窓の日の光とともに、栄光そのものが差し込んでいるようにウーナには思えた。
「まさに騎士になろうとする者に。真理を守るべし。教会、孤児、寡婦、祈りかつ働く人々すべてを守護すべし」
脇ではガルバーンやギルロイ。先ほど手合わせした者たち、手合わせしなかった者たちまで、朗らかに笑顔を向けてきてくれている。
王が剣でウーナの肩を軽く叩いた。
「主の名において、われ汝を騎士とす。勇ましく、礼儀正しく、忠誠たれ」
「我が魂にかけて」
これは騎士叙勲の儀。
念願が叶ったのだ。
ウーナは小さい頃から、いや、もしかしたら生まれる前から、自らの命を意義深いこと、崇高なこと、大きな価値のあることに費やしたいと思ってきたのだ。
そして、それは騎士の役目にあるとも思っていたのだ。
覚悟を新たにしよう。
この力、この命、全てを大切な人のために、守るべき者のために捧げよう。
少女は小さな胸にそう誓った。
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薄暗い地下での格闘を終えたローナンが地上に戻って一息つくと、ドルナムから彼の書斎に呼び出された。
この部屋は積み重なった書類や書籍で、入った者には重厚感を感じる場所だ。昼間でも手元を照らしたいのか蝋燭が灯されている。その光が部屋に暖色を与えているのが救いか。
黒檀の上等なデスクについたベザイ家当主は、強い眼光で入室したローナンを迎えた。
フードを目深にかぶったファードルハ翁も隅に控えている。
「戦争をするか否かはあくまで王が決めること。それを勝手に民衆を煽って、王の選択を無理に決めさせるようなことはありえんことだ」
ローナンは黙して言葉を挟まなかった。
「強引な手を用いる者には、こちらも強引な手を使うしかあるまい。目には目を、歯には歯を」
ファードルハが黄色い歯を見せてニヤつきながら同調した。
「ローナンよ、ベザイの当主として命令する」
ドルナムは不動の眼差しでローナンを見据えて言った。
「ファーガスを暗殺せよ」
二人の運命はすでに分かたれていたのかもしれない。
それは一度離れても再び交差する組み紐模様のように、複雑に絡み合い、ぶつかり合うのだ。
次回、10月10日です。