6、カエル・ゼガンウィ
ウーナも馬車に揺られていた。
ローナンと別れた後、父ジュディカエルに連絡を取るとやはり実家のあるアルフォンに戻れと言われたのだ。
荷馬車のような天井のないものに乗ったのだが、幸い空は晴れ渡り、海沿いの道を行くのでアイリッシュ海の潮風が気持ち良い。
途中、デガンウィにも寄るので、ローナンを驚かせよう。
そんなことを考えてクスクスと笑って道中を過ごす。
大荷物を抱えた家族を馬車が追い抜いていった。
マーシアとの戦争の噂はすぐに国中を駆け巡った。ウーナは一家に手を振りながら、彼らは疎開中なのだろうと考えた。
巷では終末論まで持ち出すような輩までいるらしく、人々の白い心の布に不安の雫が落ちて、沁みを広げているように感じた。
騎士になってみんなを守りたい。守らなくてはならない。
彼女はそう覚悟を新たにするのだった。
首都に入ると、人々が忙しそうにしていた。槌の音が響き、男が声を張り上げて何かを呼びかけ、女子供さえも足早に通りを歩いているようだ。
二つ連なった小山の上に立つデガンウィの砦ももうすぐそこだ。
「ここでいいわ」
馬車を降りると街を抜けて、砦の小山の麓に広がる草原に向かった。
麓といっても、2つの小山は高さ100メートルほど。斜面はなだらかで、周りには簡易ながら石の城壁がある。西側の小山に天守があり、石積みの渡り廊下を挟んで円塔が東の山にある。天守の四方にはイーグル塔(物見櫓)、獄舎塔、炊事塔、厩塔が併設されている。
そこから見下ろせる草原が兵士たちの訓練場なのだ。
今日もたくさんの兵達が訓練している。隊長のジュディカエルなら彼らの指導をしているに違いない。
近づくほどに兵達の掛け声や木剣を打ち付ける音が大きくなっていく。
しかし、今は自由な訓練時間らしく、剣の素振りをする者、取っ組み合いをする者、それを眺めて休憩する者、様々だ。
麓の城壁近くに二人の男がけっこうな勢いで話し込んでいた。
一人は背の高くがっしりした偉丈夫、ジュディカエル。
もう一人は背は高いが引き締まった痩身の青年。ウーナの兄のグウィンだ。
ジュディカエルの子供はウーナとグウィンの二人だけ。母は幼い頃に病気で亡くなった。
つまり、ここにいる三人が家族全員なのだ。
「父上! お兄様!」
二人が振り向く。
「「ウーナ!」」
父子そろってウーナの名を呼ぶと、さも嬉しそうに歩み寄ってきた。
「怪我はなかったか? 大変だったろう。しかしよくやった! 敵兵を撃退するなんて、私はお前を誇りに思うぞ!」
ジュデイカエルがウーナを抱きしめる。
「心配おかけしました。でも父上の子ですから、敵の撃退など容易いことです」
抱擁が解かれると、不敵なドヤ顔でウーナは返した。
「ハハハ、そうだな! だが無茶をしてはいけないぞ」
父はウィンクでもしそうなダンディな笑顔で娘の頭を撫でた。
「分かっております」
少し気恥ずかしそうな笑みで彼女は応えた。
ウーナが兄グウィンに目を向けると、まるで放心したようにウーナを見つめていた。
黒髪の眉目秀麗。そんな言葉が似合う美丈夫。しかもウーナが見ない間に騎士としての精悍さが現れ始めている。だが、そんな整った貌の中で、切れ長の目が見開かれている。
「どうかなさいましたか?」
「あ、ああ、いや、無事でよかったと思って」
ウーナは兄の反応に疑問を感じないではなかったが、気にしないことにした。
「ええ、家族がみんな健康なら何よりですね」
そうやって、再会を喜びあった。
「そういえば、先ほどお二人は何を話していらしたのですか? かなりの剣幕にも見えましたが……」
ウーナが尋ねると、二人は呻るような息を吐いて一度顔をそらした。
が、グウィンがすぐに答えた。
「例の広場での演説の件だよ。ベザイの家や司教達が民衆の扇動だって批判してるけど、俺も少し今回は煽りすぎだと思ったんだ」
「確かにファーガスのは扇動だったかもしれない。しかし、奴は熱い男だ。純粋に国を愛する精神でやっている。奴の声も民の声だ」
このやりとりだけで二人は平行線に見えた。
「団長、俺たちは騎士だ。敵の戦力も見て判断しなければいけないだろう。マーシアは強い。争えば犠牲は大きい」
「そうは言っても我々が仕掛けるのではないのだ。あちらさんが仕掛けてくる以上、今から覚悟を決める必要がある」
「まだ対話の余地はある!」
「お前はいつから政治家にになった? 『俺たちは騎士』なんだろ?」
グウィンがジュディカエルを睨む。
ジュディカエルはまっすぐ視線を受け止めている。
しかし、やめだやめだ、と面倒くさそうなジェスチャーで手を振ると、ジュディカエルは砦の坂を登り始めた。
「父さん!」
「どちらにしろ、王が決めること。俺たちが喧嘩して何になる」
ウーナにここらを案内してやれ~、と最後に言葉を残して砦に入っていった。
憤懣遣る方無し! といった風情の兄を見て、
「まあ、そのことは後にしましょう、案内してくれますか?」
とウーナが声をかけた。
妹に気を使わせたと感じたのか、彼は少し表情を緩めた。
「そうだな」
「親子ゲンカは終わったか~?」
訓練していた兵達の中から近づいてきた赤髪の男が、からかうような言葉をグウィンにかけた。彼の後ろに茶髪の少年もついてきている。
「親子ゲンカじゃない」
赤髪が馴れ馴れしそうにグウィンの肩に腕をかけた。グウィンも長身だが彼はそれより背が高い。勝気な顔立ちで、ニッとした晴れやかな笑顔がよく似合う。首元の鎖で垂らしたロザリオがチャリっと音を立てて光った。
「はぁ、紹介しよう。こいつはガルバーン。俺の下僕だ」
わざとらしいため息を入れたが、グウィンに嫌がる様子はない。
「さらっと嘘こいてんじゃねーよ、ジュディカエルさんの部下だっ」
ガルバーンが笑いながらつっこみを入れる。
ウーナが自己紹介を返そうとしたところで、茶髪の少年が口を挟んだ。
「で? この女の子はグウィンさんの女?」
「ちが「なにィ!? グウィンのオンナァー!?」
グウィンの言葉にかぶせてガルバーンが叫んだ。他の兵達にも聞こえるような声で。
お~! とか、ヒュ~! とか囃し立てる声が草原に流れる。
「俺の妹だっ!」
ウーナはグウィンと兵達の和気藹々とした空気に微笑みながら挨拶した。
「妹のウーナです。宜しくお願いします」
そこで茶髪の少年が前に出てきた。
「グウィンさんの妹! つまりジュディカエルさんの娘! 俺はギルロイと申します。彼女はいません!」
ギルロイはやんちゃそうな顔立ちだが、首から下げた紫の宝石や手首に付けた金の柄の短剣がどことなく生まれの良さを感じさせる。
「おお? 兄貴! 楯持ちごときが姫に逆玉の輿狙ってますぜ!」
ガルバーンがグウィンを肘で小突く。
「キサマごときにウーナはやれんな」
ギルロイの茶髪を持ち上げるように引っ張る。
「ああ~! 抜ける抜ける! グウィンさん目がマジ過ぎ!」
ふふふっ。ウーナが堪えきれずに笑いを漏らした。
周りに白百合の花でもあしらったかのような笑みに3人は釘づけになった。
その中で、さっとウーナの前に膝を折ったガルバーンがウーナの手を恭しくとる。
「お嬢さん、俺も彼女はいません。俺ならあなたを幸せにできます」
「確かに彼女はいないな、嫁はいるがッ!」
グウィンが赤髪を蹴り飛ばした。
「これはお嫁さんに報告しないと」
ギルロイがガルバーンに悪そうな笑みを送る。
「あ~! 悪かったって、あいつには黙ってて!」
ははは、と笑いながらガルバーンがお手上げのポーズで降参した。
「でも、ホントにきれいな妹さんですね」
ギルロイがグウィンにきいた。純粋に思ったことを口にしただけで、他意はないのだろう。
ガルバーンと言葉を交わして無邪気に笑うウーナを見ながらグウィンは答えた。
「ああ……本当に……」
グウィンは自分の目が、可憐に育った実の妹から離せなくなるような感覚を感じていた。
次回、10月8日です。
11月8日
「ジュディカエルの子供はウーナとグウィンの二人だけ。母は幼い頃に病気で亡くなった。
つまり、ここにいる三人が家族全員なのだ。」
という部分を加筆しました。