5、民族意識の発露
ローナンはグウィネッズの首都デガンウィに向かう有蓋馬車に揺られていた。
デガンウィはモン島を除いた、国の最北端と言っていい場所にある。グウィネッズの中央に位置し、アイリッシュ海に突き出した場所にある。
当然漁業は盛んで、馬車から見える市場でも活きの良さそうな魚が並んでいる。もちろん首都であるからして、様々なものがここには集まってくる。人々はそういった種々のものを買い求めているのだ。
そんな街の風景を流し見ながら、ローナンの心は物思いに別の場所をさまよっていた。
マーシアとは本格的に戦争になるかもしれない。
そうなれば当分ウーナには会えなくなるだろう。それどころか、当然、彼女が戦火にされされる危険もあるのだ。
しかし、ローナンの実家であるベザイ家はマーシアとの宥和派だ。戦争を止める方向に動くはず。
彼には今、戦争にならないことを祈るしかできない。
隣に座るグェンエイラがローナンに凭れかかってきた。
「砦が見えてきましたね」
ローナン側の窓の向こうを見ていたようだ。
離れろ、とすげなく押しのけると、ローナンも小山の上の頑健そうな砦の威容を見た。
年に一度は帰る場所なので見飽きてさえいるが、百年の歳月を経ても劣化することなくそびえ立つ砦は、王都の権威そのものだろう。
もともと砦は海からの襲撃と、コンウィ河からの敵の流入に備えるためのもので、アイリッシュ海に面した、大河コンウィの河口に建てられている。
もっとも、近年は守りの硬さが海賊や敵国にも知れ渡ったのか、デガンウィで襲撃を受けることは100年ぐらいない。
馬車の旅の疲れもあってぼんやりしてると、市場を抜けて街に入った。
煉瓦造りの丸い家々の合間に、遠くアイリッシュ海が見える。
「何でしょう」
グェンエイラが先にある街の広場の人だかりを見つけたようだ。ずいぶんと人が集まっている。
広場は横に長い楕円に似た形で、上の方に壇が設けられている。
馬車が広場のアーチをくぐると、人々を集めた中心人物が壇上に現れた。
小太りで赤ら顔の上院議員。ファーガスだ。
「止めろ」
ローナンは嫌な予感がして馬車を止めて飛び降りた。
「かつて!」
同時に、議員の演説が始まってしまったようだ。
「我々こそが大ブリテンの支配者だった!」
彼が大きく手を広げて声を張り上げる。上等そうな上着の赤色は、彼の闘志を表すとともに人々を煽っているようだ。
「野蛮なサイス共はこぞって肥沃なブリテンの大地に押し寄せ、荒らし、燃やし、奪っていった! 我々は西の端に追いやられ、奴らはこの地の恵みを我が物顔で貪っている!」
ローナンは民衆の熱がぐっと上がったのを感じた。
「しかし! それだけに飽き足らず、奴らは尚も我々に攻撃を加えてきたのだ! 皆の知っての通りハイレーンズが襲撃された! 卑怯なことになんの警告もなしに騎士を送り込み、武器も持たない人々を斬り殺したのだ!」
野蛮人め! サイソンに呪いあれ!
憤りの声が聞こえ始める。
中にはサクラのような者もいるかもしれないが、国の民はもともと熱しやすい性格だ。純粋に怒りを覚えている者も少なくないだろう。
「これでいいのか!? 奪われ続けていいのか!? カムリの民の魂は踏みにじられているぞ! そうだろう!?」
そうだ!!! ブリテンはブリトン人のものだ!
人々の声も大きくなっている。
「我々は決してサイソン共に屈してはならない! 反撃するのだ! ブリトン人の誇りを見せてやれ!」
おお!!
人々が叫び返す。
ファーガスが目配せすると後ろに控えていた偉丈夫が壇上に登った。
すると広場の叫び、ざわつきが治まった。
魔力を持たない者でも感じるだろう威圧感。エメラルドの眼に宿る力強さが場を制している。
彼の髪はウーナと同じ金色。
アルフォンの私生児。大熊アルスルの再来。
グウィネッズの騎士団長にしてウーナの父親。
ジュディカエル・アプ・グウィディオン。
「今回のハイレーンズ襲撃は威力偵察が目的と思われる。しかし、死傷者が出なくても各地でこちらの戦力を探る動きが出ている。マーシアが戦争を仕掛けてくることは容易に予想される状況だ」
腹に響くようなアルトの声を聴衆は聞き入っている。
「我々は戦える。騎士団はいつでも戦う意思のある者を歓迎する」
一旦言葉を切ると力強く呼びかけた。
「カムリの民よ! ログレスの火を心に灯せッ!」
うおおおおお!!!
一段と大きな叫びが広場を揺らした。
ローナンは高揚する人々とは反対に体が冷えていくように感じていた。
ジュディカエルさんがウーナの活躍を知らないとは思えない。ウーナが本当にマーシアの騎士4人を相手取れるとしたら、実の娘も戦力として見做すのだろうか。
広場の反対側からベザイ家の馬車が見えた。
ローナンは父親だとすぐに分かった。
その馬車の戸が開かれると、苦々しげな表情のベザイ家当主ドルナムが飛び降りた。
ローナンは人の波をかき分けドルナムの進む方向、ファーガスとジュディカエルの方へ進んでいった。
ロマンスグレーの紳士然としたドルナムを見つけるとファーガスが口を開いた。
「遅かったではないかドルナム殿。演説はとっくに終わったぞ」
ローナンが辿り着いてもドルナムは気づかなかった。
「誰かが私にこの集会のことを知られないように手を回していたみたいでね」
ドルナムは赤ら顔のファーガスを刺すように睨みつけた。
「ふんッ、長い糞でも垂れていたんじゃないか? 次からは遅刻しないよう気をつけておけ」
そう言いながら肩で風を切って、ドルナムの横を抜けて行く。
「強引すぎるぞ! こんな風に民衆を煽って!」
ファーガスの背中に叫んだが、彼は振り返りもせず立ち去っていった。
次にドルナムとジュディカエルが、戦わせるように目線を合わせた。しかし、どちらも黙して話そうとはせず、ジュディカエルから視線を外して場を離れた。
「父上」
呼びかけるとやっとローナンの存在に気付いたようだ。
「ローナンか。よく戻った」
父はもう一度ファーガスとジュディカエルの去った方をいまいましげに見た。
「これから忙しくなる。お前にも大きな仕事を託すことになるだろう」
ローナンに、正確には彼の眼帯に目を向ける。
「まずは屋敷に帰ってお前の成長が見たい。……修練は怠ってないな?」
「はい、……左目も良好です」
ドルナムは一つ頷くと乗ってきた馬車に戻っていった。
興奮の名残を残しながら、人の散った広場を眺めると、ローナンもこれからのことを思って覚悟を決めた。
「スランロースのお屋敷ですね」
いつの間にか側にいたグェンエイラがそう尋ねた。
「ああ、いこう」
『古い人々』の技を受け継ぐベザイの屋敷へ。
次回10月6日
ファーガスの役職が上院議員となっておりますが、これはかつてのローマの支配の名残です。
カムリとは今でいうウェールズのこと。
ブリトン人の国家群(グウィネッズ、ポウィス、ダヴェド、グウェント・モルガンヌグなど)ことだと思ってください。