25、繋囚
デガンウィのはずれに小さな水車小屋がある。
ログハウスのような丸太を重ねて組まれた壁に藁葺きの屋根。水車小屋と言っても相当古いもので、水車は回ることなく苔むすままになっている。
ローナンは屋根裏部屋へ続く階段に腰掛け、床に跪くベザイ家の間諜から個人的な報告を聞いていた。
「では、ジュディカエルの娘はハイレーンズを焼いたのだな」
「ハッ、そのようです」
この間諜はローナンの部下だ。
特徴のない顔立ちの黒髪の男。身につけている服装もそこらの町人と変わらない。
ローナンはウーナに顔を見られた。
なのでベザイ家に戻らず、郊外に近いこの小屋で少しの間、鳴りを潜めることにしたのだ。
といっても、ベザイ家には顔を見られたことは報告しなかった。
そんなことをすればウーナに暗殺の手が及ぶ。
ベザイの人間にはまたもファーガスを暗殺し損ねたことで、自分から謹慎するなどと適当なことを言ってここに来ている。
「禁忌の術とやらはどのようなものなのだ?」
ベザイの中でローナンは序列が高い。下の者にはこのような言い方をするよう教育されている。
「魂を消費しながら、その魂内に術式の陣を自己投射し、複製していく類のもののようです。サイソンに伝わる高度なアーティファクトの魔術の可能性があります」
ローナンは額に手をやって考えた。
この間諜にはローナンを退けた元団長の娘の動向を探れ、という体裁でウーナのことを調べさせていた。
ウーナのことを思うと、ローナンは鬱になる思いだ。
ハイレーンズはウーナの愛した村。
それをウーナ自身の手で焼き払わなくてはいけなくなったのだ。
その前には父親が殺されて……。
あははは!
ローナンは自虐的な笑いが起こった。
なんせローナンがその父親を殺しておきながら、そのことを哀れんでいるというのだから。
間諜はローナンの笑いをどう受け取ったか分からないが、表情を変えずにローナンの次の指示を待っていた。
「引き続きその娘を調べろ。何かあったら報告を怠るな」
「ハッ。それと、デガンウィの砦で騎士達に動きがあるようです。禁忌術式の流れてきたポウィスへ遠征かと思われます」
ローナンは頷くと、間諜を労って、
「ご苦労」
と呟いた。
騎士団がどこぞのカルト教団に遅れをとるとは思えない。ウーナの実力を鑑みても彼女を傷つけられるとは思えないが……。
周囲をさりげなく確認しながら小屋を出て行く間諜の背中を見ながら、東のポウィスへ向かうであろう少女を想った。
**********
ハイレーンズに来ていたウーナ達騎士団の面々は、村の近くの草原に円形のテントを張っていた。
ポウィスにある清浄派の本拠地を叩けという勅命が出ていた。
デガンウィへ遠征する本隊との合流を待ち、今夜はここで野営するのだ。
ウーナには小さめのテント一つを丸々貸し与えられた。
誰が見ても、少女の精神的消耗は明らかだった。
「ウーナ、いいか?」
グウィンがテントの入口の垂れ幕をくぐって入ってきた。
「お兄さま」
ウーナは窶れた笑みで兄を迎えた。
「一緒に飲まないか?」
彼はお酒を持ってきたようだ。
「……いただきましょう」
グウィンが一緒に持っていた酒器二つに、彼が葡萄酒を注いでいく。
しばらくお互い何も喋らない時間が続いた。
二本の蝋燭が明るく感じる。
二人が一杯目を空にして、今度はウーナが酒を注ぐ時にグウィンが出し抜けに言った。
「女性がこんな遅い時間に男を迎え入れていいのか?」
ウーナがクスッと笑う。
「お兄さまったら、もう酔ってしまわれたのですか?」
グウィンはウーナに合わせて小さな笑みを返したが、その後無表情になって続けた。
「もし俺が……ウーナと異母兄妹だったら?」
「え?」
ウーナは純粋な驚きの表情で顔を上げた。
「それは一体……」
「いや、なんでもない。忘れてくれ」
グウィンの顔が赤いのは照れているからなのか、酒のせいなのか良く分からない。
「変なお兄さま……いつも変だけど」
何!? とグウィンが食いついて来たのをウーナはからかい続けた。
明日に向けて今日は早く寝ようと考えていたウーナだったが、グウィンと夜遅くまで中身のない話で酒を飲み続けた。
ウーナがうとうとして眠ってしまったので、グウィンは妹を横たえさせて毛布をかけた。
自分も戻ろうとして、ウーナの酒器にまだ酒が残ってるのが見えた。
それに手を伸ばして口元に近づける。
グウィンはトクンと心臓が脈打ったのを感じた。
その芳しい液体は、グウィンの心に薄い影を落としながらも期待のようなふわふわした気持ちを与えた。
ウーナの酒器を一気に呷った。
これまで味わったどんな酒よりグウィンを酔わせた気がした。
スースーと寝息を立てる妹に視線が移る。
息が次第に苦しくなるような感じがした。
ウーナは鎧を脱いで、ラフな半ズボンに大きめのシャツという格好だ。
「ん……ぁ……」
蝋燭の光から逃げるように、ウーナがグウィンとは反対側に寝返った。
片腕で光を遮りたかったのかもしれないが、手は頭の上にパタンと伸びた。
グウィンの目に健康的なワキが見えた。
そして対象は衣服や毛布の覆っていないウーナの乳色の肌へ移っていった。グウィンには、それが男が持たないものに感じた。男を引き寄せる魔法がかかっている。
ウーナに手を伸ばす。
呼吸が少しずつ早くなる。
いいじゃないか。
異母兄妹なら、キリストがブリテンに訪れるずっと昔は普通に……。
「ローナン……」
ウーナの微かな寝言にグウィンは冷水を差された。
そして、嫉妬の範疇を超えて憎しみのような黒い気持ちが心に渦巻き始める。
別邸に来ていたヤツか。
酒瓶を見るともう空だった。
グウィンは蝋燭の火を消して立ち上がった。
起きるかもしれないウーナに顔を見られたくなかった。
グウィンの目は青白くなった無表情の中で、憎悪に近い光を放っていた。
**********
目的地は国の北東端のディー河の河口から、南に五十キロメートルほどの位置にある清浄派教団の本拠地だ。
ハイレーンズから南下して目的地まで半分というところで、騎士団の面々は昼食も兼ねて休憩を取っていた。サッカーグラウンドの芝生のような広い場所で座りこみ、昼食のパンやハムなどをつまんでいる。
コーンウォール戦に参加した百人のほとんどが集まっていた。
まさに戦争に行くようだ。
一組織を潰すにしては過剰な戦力かもしれないが、相手は禁忌を破ることを厭わない頭の狂った連中だ。
備えるに越したことはない。
ウーナは南の目的地を遠見しながら、ハムとチーズを挟んだパンを頬張っていた。
まだ見えない敵本拠地は、遠く灰色の山々の向こうだろう。右手は広大な森とその向こうに茶色い肌の山が見える。
「なあ、ジュディカエルさんの葬式はどうすんだ?」
自分の昼食分を抱えたガルバーンが向かいに腰を下ろし、ウーナの隣のグウィンに聞いた。
ウーナの顔色が悪くなる。
その声色には、早く葬式をしないことに対する非難があるようにウーナは思えた。しかし、そう思ったのはウーナに父を待たせているという負い目を感じているからで、ガルバーン自身は特に責めているつもりはなかったのかもしれない
実際、もうジュディカエルが死んでから二晩越している。デガンウィの司教に頼んで、父には冷たい安置所で待っていてもらっているが、そろそろ弔ってあげないと可哀想だ。
「分かっている」
グウィンもこのことは責められたら旗色が悪い。
しかし、様々な事案が重なっていたこともガルバーンは分かっているだろう。
「早く帰って立派な葬式あげような」
と励ますように声をかけるに止めた。
「ウーナさんですか?」
昼食を終えて、一人でぶらぶらしていると後ろから声をかけられた。
ウーナが振り返ると、一人の騎士がにこやかに立っている。
ウーナの知らない騎士だった。
細めの盾にグウィネッズの赤獅子の柄がある。騎士団のメンバーだとウーナは疑わなかった。
「何か?」
「ちょっとこちらに来てもらえませんか?」
見知らぬ騎士は人気のない森の方にウーナを誘った。
ウーナはなんら怪しむことなく彼について森に入った。
「ここです」
しばらく行くと騎士は何の変哲もないような森の中で立ち止まった。
鳥や動物たちの気配がない。
ウーナの中で疑念が高まる。
「一体ここに何があるのですか?」
その時木々の向こうから修道士のような黒地に大きな布を巻いた、清浄派の一団が現れた。たくさんの子供たちを連れている。
「貴様らは!」
ウーナが清浄派の者達に叫ぶ。
いつの間にかここへ連れてきた騎士は、ウーナの背後についていた。
「こんにちは。ウーナさん。いやいや。こうして直に会ってみるとますます私の中で確信が起こりますよ。ええ。はい」
無機的な笑顔の男が、奇妙に区切る話し方で一団の中央から出てきた。
「私に何の用だ」
声を低くして男に聞く。連れている子供達を利用しようとしているに違いない。
「コワイ! あんまり怖い声を出さないでください? ここには子供達もいるのですよ?」
そして、子供の一人が震える声で呼びかけた。
「ウーナ姉ちゃん」
ウーナは目を見開いた。
その子達はハイレーンズ村の子供達だった。
「なんで、ここに」
「アッハハハ。なんで? この子達のことですか? いや。拾ったんですよ。道でね」
ウーナは村長とエドゥが話しているのをかすかに思い出した。
『早々に子供たちは村から集団で避難させたのです』
まさか。
「まさか、避難していた子供達を攫ったのか!?」
ウーナが声を荒げる。
清浄派の団員達はみなニヤニヤしながらウーナを見ていた。
「下衆が……子供達を解放しろ!」
「嫌だなぁ。この子達ももう我らが団員ですよ? ねえ。みんな?」
男の問いかけに子供達は身体を震わせるだけで答えなかった。
男は気を悪くした様子はなかったが、
「アッハハ。返事は大事だぞ。帰ったら教育だな」
と隣の団員に目線を送った。
「もう一度言おう、子供達を解放しろ!」
ウーナが腰から剣を抜く。
男は顔に張り付いた笑いを消してウーナを目を細くして見据える。
「信仰は誰にも止めることは出来ないんですけどね。でも。いいでしょう。そこまで言うなら。この子達は解放してもいいですよ? ただ代わりに」
男は裂けそうなくらい口元を広げて、見るものが嫌悪するような笑みをウーナに向けた。
「あなたに、清浄派に入ってもらいます」
**********
そろそろ休憩が終わろうかという頃にグウィンが気づいた。
「いない。……ウーナはどこだ!?」
撒き散らすように誰へともなく叫んだ。
周りの者たちもあたりを見回し始める。
「どうした?」
ガルバーンが様子を察してグウィンの元にやってきた。
「ウーナがいない!」
グウィンはガルバーンに突っ掛かりそうな勢いで詰め寄り、そしてすぐに離れると妹を探しに走って行った。
「班ごとに全員揃ってるか点呼取れ! ウーナを最後に見たともうやつは俺のところに来い!」
ガルバーンは全体に指示を出して、グウィンを落ち着かせようと後を追った。
消えたのはウーナだけだった。
騎士たちの証言を合わせて、彼女は見知らぬ騎士と森に入っていったとうことまでは判明した。
「俺はウーナを探す。悪いが皆は先に行っていてくれ」
グウィンは焦りで汗をかきながらグウィンを始め騎士たちに告げた。荷物を積んだ馬車の荷台に、下を見ながら座っている。
その周りに小隊のリーダーや主要な指示役が集まっている。
「何言ってんだよ、グウィン」
グウィンがガルバーンを見上げた。
「おい、お前らぁ! ジュディカエル団長の娘であり、且つ俺たちの仲間のウーナを! いなくなったまま放っておけなんて言う奴ァいねぇよなぁ!?」
ガルバーンが全体に向けて叫ぶ。
「あったりめぇよ!」「んなことほざく奴はオレが掘ってやるよ!」
皆それぞれ威勢良く賛同した。
「お前ら……王命はどうするんだ」
そう言うが、グウィンにはもう焦りの色はなく、かすかに笑みさえ浮かんでいた。
「当然王命も果たすさ。俺たちはカムリの守護者だぜ? 女の子の迷子くらい片手間で見つけられるさ」
「それも美少女がどこかで寂しい思いをしてるっていうなら尚更ね」
ガルバーンに続けてギルロイも嘯いた。
「ああ、そうだったな」
その時一人の騎士が近づいて来た。
「隊長。奇妙な子供たちを発見しました。森の中から出てきたようです」
伝令に来た騎士の後ろでは、他の騎士たちが子供たちに簡単な飲物を与えていた。
ガルバーンが近づいて一人の少年に聞く。
「おう、坊主、どうしてこんな森から出てきたんだ?」
少年は泣き出しそうに顔を歪めた。
「ウーナ姉ちゃんが助けてくれたんだ。でもウーナ姉ちゃんは……」
「ウーナのことを知っているのか!?」
グウィンが少年に詰め寄った。
「ウーナ姉ちゃんはボクたちをかばって代わりに連れてかれちゃったんだ!」
「どんな奴らが連れて行ったか分かるかい?」
ギルロイが膝を曲げて目線の高さを合わせると優しく尋ねる。
「ウーナ姉ちゃんのことを光の乙女とかなんとか言ってるアタマおかしい奴らだよ。確か……」
少年は記憶を探るように眉を寄せた。
「清浄派、とかウーナ姉ちゃんが言ってた」
騎士たちのボルテージは最高まで跳ね上がった。
「……舐めた真似してくれるじゃねえか。おかげで殺る気マンマンになっちまったぜ」
ガルバーンは額に青筋を立てながら獰猛な笑みを浮かべた。
「魂の禁術に、子供の誘拐・人質に、女の子の誘拐とは。ハハッ。ゲスには底がないんでしょうね」
ギルロイは全く面白くなさそうに笑った。
「出発するぞ! 我ら騎士の敵だ! 士気を上げろ!」
グウィンが掛け声を叫ぶと瞬く間に隊列が揃った。
カムリの騎士の愚弄。
必ずツケを払わせる。
騎士たちの闘志で、草原は燃えるように揺らめいた。
次回、11月15日です。