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旧約 ヨブ 1:21  作者: 享庵
第一編
18/29

18、ダートムーアの戦い


 結局、海の上では眠るどころの話ではなかった。

 ザーザーと滝のような雨が降り注ぐ中、雷に怯えながら全員でオールを漕ぐこととなった。

 そもそもこの時代の船に屋根などない。ハンモックもまだない。

 吹き荒れる嵐の中を進むのは、いつ終わるともしれない苦行に思えた。

 縦帆のラテンセイルは強い風に吹かれ、船体が転覆するんじゃないかと思うほど傾きながら、ジグザグに進んだ。

 波は大時化(しけ)

 嵐に船出するとか馬鹿だったんじゃないだろうか。

 そう思い始めた頃に対岸が見えた。

 ブリストル海峡は所詮海峡。

 イストラド・ティウィの南端から行けば大した距離ではないのだ。

 暗雲と目も開けられないほどの大雨でぼんやり霞んでいた対岸が、ヌッと現れた。

 切り立った崖が何キロにも渡って伸びている海岸線だった。

 大型の帆船が泊まれる場所までひたすら船を進め続けた。



 「着いたぁ!」

 「やっと着いたぁ!」


 ギルロイとガルバーンが二人並んで両手を天に上げながら叫んでいる。

 海上では波だか雨だか分からないような土砂降りだったが、陸地に着く頃には小雨に変わっていた。

 海岸線を進んでようやく入江を見つけ、すべての帆船を浜に乗せ終えたところだ。崖と崖の間にぽっかり空いたビーチ。崖が続くことからも分かるように、この土地は海抜が高い地域のようだ。

 ビーチの周りも急な傾斜の坂になっている。

 険しい山道よりも、慣れない船旅の方がこたえる者たちも多かったようだ。浜辺に手をついて船酔いの嘔吐をする者もちらほらいる。


 ウーナは酔いはしなかったが、冷たい雨風に晒され続けた。今は屋根の下、暖炉で暖まりながら温かいスープでも飲みたい気分だった。 

 しかし、急な坂を登ってあたりを見てきた騎士が言うには、このあたりに人里はあまりないそうだ。


 「しばし、休憩したのち、ダンスターの砦を目指す!」


 ジュディカエルも一部疲労した兵を見て休息を入れた。

 ウーナがグウィンを見ると顔が青かった。船酔いか寒さかわからないが心配して声をかけた。


 「大丈夫ですか、お兄さま?」

 「心配ない。酔ってない」


 船酔いの方だったようだ。


 「背中、さすりましょうか?」

 「大丈夫……」


 ウッと口元に手を当てた。

 しかし、何ごともなかったかのように手を下ろし、背をシャキッと伸ばした。


 「船酔いではない」

 「……」


 グウィンが意地を張っているのを見て、笑いそうになるのを堪えなければならなかった。

 


 「兵が来ます! 三騎!」



 坂の上の見張りがこちらに叫んだ。


 「総員警戒しろ!」


 雨でクネって張り付いた金髪で、ジュディカエルが叫びを飛ばす。

 関係ないが、雨に濡れるジュディカエルはオジサマ的セクシーさが増す。

 ウーナは剣の柄に手をかけたまま、坂の上を見据えた。

 ただ、


 「盾にコーンウォールの黒十字が見えました! 伝令のようです!」


 見張りの報告で騎士達は肩の力を抜いた。




 「コーンウォール王ゲレイントより伝令を言付(ことづ)かっております!」


 浜まで降りてきたコーンウォールの騎士は、まっすぐジュディカエルの前に来て跪いてからそう大きな声で言った。


 「聞こう!」

 「我らカムリの守護者の援軍を信じ、オークハンプトンの砦に陣を敷く。敵南部より攻勢をかける。ダートムーアの湿地にて待つ! そうゲライント王はおっしゃられましてございます!」

 「承知した! すぐに参ろう! 貴殿も言伝ご苦労だった」

 「は! 海を隔てた援軍がこれほど早く来ようとは、コーンウォールの民を代表して感謝します」


 北と南のブリトン人の戦士達は頷きあった。

 ジュディカエルが周りを見回す。


 「もう船酔いで膝をつくものはいないな!? 出発するぞ! オークハンプトンの砦へ!」


 おお!

 掛け声の響きが終わるやいなや、隊の整列が始まり、それも終わると再び行軍が始まった。

 まずは南西。オークハンプトンの砦へ。




       **********




 ウーナ達騎士団がついた入江はコーンウォールの北、エクスムーアの高地だったようだ。

 先ほどの伝令の騎士が先頭で砦までの案内をする。

 エクセターはカムリと同じく豊富な自然で溢れる場所だった。

 晴れた夜であれば、北極星、北斗七星、カシオペヤなど様々な星々を見ることができるらしい。


 しかし、今はあいにくの雨。

 雨脚は大分優しくなってきたものの、高地特有の寒さが風と共に体温を奪う。

 それに高地から駆け下りるためか、非常にハイペースで南西に下っていけた。

 美しい星々は帰路の楽しみに期待しよう。




 いくつもの森と川と田園を抜けるとオークハンプトンの砦が見え的た。

 オークハンプトンの砦はダートムーアの湿地帯の北に位置している。

 ダートムーアは高地でもあるためか、ウーナ達に向かって吹いてくる風はやはり冷たい。

 すでに日は落ちていた。

 砦はカーブを描く川に三方を囲まれた台地の上に建てられた石造りだった。しかし、規模はさほど大きくはない。


 「よくぞ参られた!」


 砦から跳ね橋が下され、中からたくさんの松明を持った人々を従えた身なりのいい男に出迎えられた。

 黒々としてごわごわした髪の毛に、これまた黒い顎髭(あごひげ)を編み込んだその男が、コーンウォールを収めるゲライント王だろう。


 「嵐の海を越えたとか! どれだけ感謝していいか! さあさあ、暖かいものを用意した! まずは旅の疲れを取ってくれ!」

 「お気遣い感謝します、ゲライント王。マーシアの動きがまだないならば兵を休ませたい」

 「敵軍は今エクセターだ。今日この砦では襲撃はない。カムリの守護者が来たとあらば我々も明日は全戦力を敵にぶつけるぞ」


 オークハンプトンからエクセターまで二十五キロは離れている。

 エクセターは、カストロ・デヴァと同じくローマ人達の遺した城塞都市がある。ゲライント王の考えはまず間違えないはずだ。

 そこでウーナ達は砦に招き入れられ、暖かいスープをご馳走になった。


 「ふ~! 生き返る~!」


 ガルバーンが高い声で言った。

 本丸にあるホールにウーナ達の半分の50人が入れられて、食堂から運ばれてくる深皿を受け取っていく。残りの50人は他の場所のようだ。

 味は薄いが、ウーナもこの暖かさにホッと息をついた。


 「エクセターは落ちたか」「明日に備えてすぐ寝るぞ」


 グウィネッズの兵達の話し声でホールは満たせれていた。

 その中の声や、スープを配るコーンウォール兵との会話で色々情報を得た。

 なんでもここまでの戦いは消耗を抑えて、カムリからの援軍を待つ戦いをしてきたそうだ。

 他力本願に思えるかもしれないが、現在のコーンウォールの戦力的には無理にぶつかるより賢明だそうだ。

 敵味方の戦力は。

 コーンウォール兵、三百。

 グウィネッズ兵、百。

 そして、マーシア、ウェセックスの連合軍、六百。

 ウーナ達を合わせても四対六の戦力差だった。


 他のグウィネッズ兵はそれを聞いてもなんとも思っていないようだ。さすが歴戦の勇士達なのか。それとも達観しているのか。

 ウーナは体が震えそうになるのを手で押さえつけた。

 怖い、という訳じゃない。

 いや、怖いのかもしれないが、心の中に恐怖は不思議と感じないのだ。周りの反応のせいなのだろうか? それとも単なる緊張なのか? 心は平常に近いのだが、体がだけが震えるのだ。これが本物の武者震いというやつなのだろうか。

 きっと本能が感じているのだろう。

 明日の戦場が死に場所になるかもしれない。

 死ぬかもしれない。

 覚悟はできている。

 騎士になるということが、大勢を守るために命を投げ打つことなのだと。

 誰かに書き置きを残したほうがいいのだろうか。

 死後、キリスト様の千年王国に導かれるに足る功徳(くどく)を積めているだろうか。

 ウーナはまさか地獄へ落ちるとは思っていないが、やはり今から祈っておいて損はないだろう。

 気づけばウーナの他にも、すでにロザリオを両手で握り、額に当てて祈る者達がいた。

 ウーナも両手を組んで瞑目すると、神への祈りに入っていった。




       **********




 朝早く、ウーナ達はオークハンプトンの教会近くにいた。

 すでに皆、鎧を着込んでいる。

 ウーナは白っぽくて細身の鎧に身を包んでいた。非常に高価な鎧で、内側に魔法の文字も刻まれている。しかし、これは大人用のものでも、女性用のものでもないらしい。少年騎士(エスクワイヤ)用のものなのだとか。女性用のものだと胸当てが……。

 空はどんより曇っている。

 ここにいるのはほとんどがキリスト教徒である。

 グウィネッズから来た約八割が集まった。

 それでも八十人近くいるので、小さな教会の中ではなく広い空き地に集められたのだ。


 昨夜もいつもにも増して真摯に祈りを捧げた。

 今はエクセターの大きな教会から避難していた司教が主導して、戦地に赴く前に戦勝の祈願と告解を済ませようというのである。

 死に臨む前の、告解による罪障消滅。

 この時代、死は身近に存在するものだ。

 戦争、略奪、犯罪、流行病や出産時まで。

 人は簡単に命を落とす。

 その前に罪を告白して、神との和解を果たし、許しを得るのだ。


 この司教は騎士たちの前を回ってくれるようだ。

 ウーナは群団の中央付近にいる。前方の人垣の間から司教が見えた。

 若い男性の司教だ。

 ザビエルのように頭頂部を剃髪(ていはつ)している。

 肌にまだ張りがある。しかし、目元には皺があり老衰したような目をしている。

 あの若さで大きな教会の司教の座に登るには、それなりの苦労を積んできたのかもしれない。 

 ウーナと近くの人の順番が回ってきた。

 司教の前にそろって跪く。


 「簡易ながら、告解の秘儀を務めさせていただきます、アドウェンナと申します」


 優しい穏やかな声だ。


 「これまで犯した罪、これから犯すであろう罪を神様に報告しましょう。と言っても、神様はその全てをすでにお見通しです。報告すること自体が大切なのではなく、その罪を自覚し、悔い改めることに肝要があるのです。天なるイエス・キリスト様は真摯(しんし)に祈るものに必ず許しを与えて下さります」


 一度言葉を切って今告解を受けて跪くものたちを見回した。


 「告解室でもないので声には出さなくとも結構です。さあ、目をつむって、心の中で罪を告白するのです」


 罪。

 もちろんウーナは犯罪を犯したことなどない。

 しかし、そういうことではない。生きることは他の命を奪うことだ。食べること然り、身を守ること然り。

 ハイレーンズでは村を守る為、敵を殺した。

 これからの戦争でも(あや)めることとなるだろう。

 告解はどんなに小さなことでもいい。

 幼い頃いたずらをして怒られたこと、勝手に出歩いて迷子となり大人たちに迷惑をかけたこと。

 できる限り思い返して告白した。


 ディナス・ファラオンではウーナより強いものたちがまだまだいることを思い知った。

 マーシアの兵は六百。

 その中の猛者と相対してもおかしくはない。

 そんな時下手(へた)を打てば命はない。

 死は今生の別れ。

 しかし、不幸ではない。

 ありふれたこと。生きることの内なのだ。

 最後に戦勝を祈願した。

 あいにく空は曇りだが、ウーナの祈りはきっと雲を突き抜けイエス様に届く。

 そう信じることにした。




       **********




 ザッ! ザッ! ザッ!


 今ウーナは進軍の中にいた。

 大地が大きく波打つダートムーアの湿地帯。

 湿地と言っても、水はけのいい炭泥の大地だ。溶岩が固まって横にひび割れたような岩々が特長だ。綿草やミズゴケ、スゲなどの植物が荒涼として寒々しい大地に乏しい緑を彩っている。

 砂丘のように盛り上がった越えるたび、その向こうに大軍がいるのではないかと緊張を高める。


 敵軍は高地のダートムーアを避けて、南の狭い場所からコーンウォールの戦線を抜けて内部へ突破口を持とうとしている。

 そこを抜ければ戦線はコーンウォールを斜めに広がり、数の多いマーシア軍が有利となるのだ。

 これ以上戦線を拡大したら、どこかで突破される。内部の非戦闘員、女子供まで虐殺され、略奪の憂き目となるだろう。


 この戦いにコーンウォールの全戦力が投入される。

 現地の密偵の報告によれば敵も戦力を結集させているようだ。

 最も大切な戦い。

 負ければこの地はマーシアの覇道の踏み台にされるだろう。

 蹂躙(じゅうりん)されて、何もかも奪われるに違いない。


 ザッ、ザッ、ザン!


 まだ太鼓を鳴らしてないというのに、グウィネッズ・コーンウォール連合軍の足踏みだけでビートを感じ、否応にも気分が高揚する。


 すでに全軍は緩やかに陣を組んでいた。

 左翼、中央、右翼に別れ、左右翼が下りめで弓なりになっている。

 グウィネッズの生え抜き20名が中央で、コーンウォール最強の戦士たちと肩を並べている。グウィンもその中の一人だ。

 ガルバーンは二番隊隊長としてウーナたち他のグウィネッズ兵が集まる右翼で指揮をとる。

 そしてジュディカエルは後方でゲレイント王と共に騎馬隊の隊長を務めるのだ。

 ウーナはガルバーンの左隣で最前列だ。

 グウィンたちには負けたとは言え、一般的な平均を大きく上回る実力を持っているのは確か。

 経験が薄くとも最前列を任されたのだ。

 ウーナ自身不安はある。

 しかし、もう出たとこ勝負だ。


 反対の隣にはイセルがいた。

 デガンウィの砦の時とは違い、その巨体に似合った幅厚で巨大な四角い盾を装備していた。スクトゥムというローマの大盾らしい。グウィネッズを示す赤獅子がペイントされている。

 盾には大小様々な傷跡があった。

 デガンウィでは軽い木剣一本だったが、今日の重装備が彼の真の姿なのだろう。

 メイン盾だ。


 そして、ついに合図が鳴った。


 ボー、ボーボー。


 陣の中央から低い角笛。

 敵軍を視認したという意味だ。


 ボー! ボー!ボー!


 右翼、ウーナのすぐ後ろからも確認の角笛が大音量で響いた。びっくりするぐらいお腹の底がビリビリ振動している。


 ボボー!


 止まれの合図。


 ドンッ!ドンッ!


 みんなが立ち止まるとそれだけで地響きがなった。

 そして。


 ズン、ズン、ズン。


 巨人の足音のように、前方の大地のうねりの向こうから。

 サイソンの大軍が現れた。


 パーパパッパー!


 敵は金管のラッパを全軍の合図にしているようだ。


 ズドン。


 敵軍も立ち止まった。矢の間合いより遠い距離。

 一瞬の静寂。

 ドンッ、ドンッ、ドンッ。

 太鼓の音ではない。ウーナの鼓動だ。

 この静寂に、胸の内に収まる心臓が耳に聞こえるぐらい収縮している。

 いつ始まるのか、焦れそうになる時、左のイセルから巨大な壺を渡された。

 葡萄酒が入っている。

 イセルにこれは何かと視線で尋ねた。


 「ケルトの戦士は戦前(いくさまえ)に酒を飲む」


 大熊を思わせる男の朴訥な声が聞こえた。

 この局面で?

 そこで敵を見ると、サイソンたちもこの敵全軍と対峙した状況で説教のようなものを行っているようだ。

 お互いなんと豪胆な。


 「貰いましょう」


 ウーナももっと豪胆にならなければ。

 酒壺を受け取り、両手で持ちながら顔の上で傾けた。

 壺の口は広いので、ウーナの小さな口の端から葡萄酒の紫がこぼれた。

 ゴックン、ゴックンと喉に通すと、口元をグイッと手首で拭った。

 酒の後を追うように、喉が焼かれ、食道が焼かれ、胃の底に炎が落ち着いた。

 何も言わず右のガルバーンに壺を渡す。

 彼も無言で酒壺を煽って、さらに右に渡した。

 同じく口元を拭うと、後ろを向いて天に拳を掲げた。


 「「「おおおおおお!!!」」」


 右翼が沸き立つ。

 彼はウーナと目があうとチラッとウィンクした。

 なんて余裕なんだ。

 不覚にも、ウーナはカッコイイと思った。

 ちょっとだけだが。

 しかし、酒の効果か、隣のイケメンのウィンクか、少女の中で死への意識と緊張はなくなった。


 しばらくして。

 ドッ、ドッ、ドッとグウィネッズ・コーンウォール側から太鼓が鳴り始めた。

 皆に酒が行き渡ったのだろう。

 マーシア側からも一定間隔の太鼓が打たれ始める。

 戦前、対峙がなされたら奇襲などしない。


 ドンドンドンドン!


 両軍の太鼓が共鳴するように、段々ペースを上げ始める。

 敵をサイソン、ブレトンと別の生物のように呼びあっても、その実一応人間ではないと認め合っているのだ。


 ドッドッドッドッド!!


 よって戦前はお互い神に祈ったり、故郷(くに)の家族を思ったり、そういう時間を作る。

 その時間に攻撃を仕掛けるなど、自ら人間でないと明言するようなもの。

 故にお互いの準備を確認し合う太鼓を鳴らす。

 そしてお互い準備が整えば。


 ドドドドドドドドドド!!!


 「来るぞ」


 ガルバーンの呟き。

 ボオーーー!!! パアーーーー!!!

 角笛とラッパが思い切り吹かれ、全軍が駆け出す。

 戦争が始まった。

 

 「士気を上げろー!!」


 ガルバーンが右翼に叫ぶ。


 「「「士気を上げろー!!!」」」


 ウーナ含め全員が前方へかけながら叫び返す。

 矢の届く間合いに入った。

 ウーナは腰のニーフィライを抜き払った。

 雨のように降り注ぐ矢を剣で(うちはら)い、剣で払いきれないものは避ける。

 ウーナに向かう全ての矢が手に取るように把握できた。

 これがウーナの魔力特性なのか、自分でも驚くほどだ。


 隣のイセルは大盾を頭上に構えての突進。

 ガルバーンは鷹の眉のような飾りの兜をつけているせいか、顔の上に左腕を掲げるだけで、降り注ぐ矢を物ともせずに全身で弾いている。味方の追い風の魔法が敵の矢を拭き落とし、敵魔法使いたちの追い風が味方の矢を拭き落とす。


 ドオゴオンッ!


 弓なりの前方を走る中央の軍が衝突した音だ。

 そして、敵の左翼が目前に迫っていた。


 「隊列を崩すなぁ! 行くぞおお!!」


 うおおおおおおおお!!!


 ガルバーンの叫び。敵味方合わせて怒声が重なる。

 ズッガーーン!

 強烈な衝撃と共に、ついに全軍が衝突した。



 開始早々左翼の隊列が崩れた。

 しかし、それは相手も同じで、列も何もない乱戦状態になっていた。

 中央は両陣営、優秀な指揮官が指揮するからか、激しい剣戟の最中(さなか)も整然と隊列が組まれ続けた。

 ウーナ達の右翼は。

 ギリギリの中で隊列が保たれていた。

 四百対六百の戦いなのだ。

 乱戦となって(いち)殺し、(いち)殺され、を続ければ数の少ないこちらが不利になる。

 敵は層を厚くするため、抜かれてはならない中央に人数を集めている。しかし、それでも1.5倍の兵力差では両翼も人数に差が出てくる。

 ウーナの前に敵が二列で戦うのに対し、ウーナ達はほぼ一列だ。


 戦場全体を俯瞰(ふかん)すれば、ウーナたちの弓なりの陣が数の多い敵に包まれる形だ。それも次第に敵側の数の多さでサイドを押し込まれ、コーンウォール陣営の弓なりは半円型になっていく。

 その半円に守られるように、中央でゲライント王とジュディカエルの騎馬隊が待機している。

 絶好の機を待っているのだ。

 ただ、それは敵も同じ。

 マーシア側も後方に騎馬隊を待機させていた。ぶつかり合う人垣を挟んで両騎馬隊は睨み合っている。

 お互いの騎馬隊の使い所がこの戦争の趨勢(すうせい)を決めることになるだろう。




 ウーナはじりじりと焦っていた。

 ウーナの前に対峙した敵騎士は、ウーナより弱かった。

 しかし、隊列を組んでいるので迂闊(うかつ)に飛び込めない。

 左右の敵がフォローに槍を突き出してくるのだ。

 そんな中でも、ウーナの飛び抜けた感知能力は戦場で散りゆく魂を感じ取っていた。

 全体の銀の鎧兜の白波が、両方向から押し寄せ衝突する。

 その中でポツリポツリと、白波の銀の粒が消えていくのだ。

 ウーナは焦るなと自分に言い聞かせつつも、何か打開する方法はないかと考え続けていた。


 大体、長い槍の先でチョロチョロ相手をつつくような戦い方は全くウーナの好みではないのだ。

 ディナス・ファラオンでのガルバーンのように、がっつり敵とぶつかり、より早く敵の懐に飛び込み、苛烈に攻め立てる。そんな戦いがしたいのだ。

 今朝までは押さえつけてもジワリと出てくるような死と向き合う恐れを感じていたウーナだったが、いざ戦場に出れば敵は弱く、肩透かしだった。

 しかし、それが倒せない。

 イセルの左隣の味方が串刺しになったのを魔力で感じた。

 もう我慢できない。

 焦りはイライラに変わり、最後にはプッツンと、眠っていた攻撃衝動のようなものに変わった。

 ウーナはぐっと前に出て敵に背中を見せるように回転した。


 「おい……!」


 ガルバーンが焦る。

 ウーナの敵と、そのその左右の敵がウーナに槍をついた。

 しかし、その瞬間ウーナの大回転した横薙ぎが、前左右三本の槍をまとめて打ち砕いた。


 「「 !!! 」」


 敵とガルバーンの四人全員がびっくりして折れた槍の先を見ている。


 「ハアアアアァァァ!」


 ウーナがさらに前に出て敵に振りかぶる。


 「ッ! 前に出すぎるな!」


 ガルバーンの静止が聞こえる。

 ガンッ! ドシャァッ!

 ウーナが前の敵を強引な二撃で斬り伏せた。一撃目で先のない槍がへし曲がり、二撃目で頭蓋が二つに割れた。

 それを見て隣のイセルが黙ってウーナの横に付き、大盾で突進した。

 敵の攻撃がウーナに集中しないように敵の注意(タゲ)を集めたのだ。


 ありがたい!


 ウーナはもう迷わなかった。

 ウーナと他の者との間には魔力の純度に圧倒的な開きがある。剣技で隙を突く、作り出すとかまどろっこしいことは止めて、思いっきり叩けばいいのだ。

 ガシャーン!

 ウーナの前に来た二人目を槍の防御ごと真っ二つにした。

 この敵は民兵なのか、木の柄の槍に革鎧だったのだ。ウーナの剣を受けれるはずがない。

 ようやくガルバーンも攻勢に出る覚悟ができたようだ。


 「敵に穴ができた! 押せぇー! 押せぇー!」


 おおおおおおお!!

 ガルバーンの叫びに呼応して、右翼の士気が上がる。

 ウーナの前にできた隊列の穴を塞ごうと、敵は人数を割いてフォローし合いながら集まってくる。

 ウーナはモグラ叩きのように、前に来た敵を、一人につき三度ほど打ち据えただけで倒した。

 ガァン! ガキィィン! ドグシャァ!

 一振りでの剣がひん曲がり。

 二振りで剣が完全に折れて。

 三振りで人間が二つに分かれる。


 純然たる魔力の差。

 魂と信仰心の強度の差。

 魔力とは、神の恩恵、神の加護。

 神を愛し、そして神に愛されるものが強い魂、強い魔力を持つ。


 敵の左翼の中でも最も立派な鎧兜と槍を持つ男がウーナに相対した。

 ウーナの感知能力が強者だと告げる。

 これまででも最大の魔力をニーフィライに込め、最大の魔力をまとってその男に振り下ろした。


 ゴオッ!!


 敵の頭上に掲げた槍は赤く輝いてウーナの剣を受け止めた。

 ウーナの剣を受けても槍は曲がらなかった。

 しかし、彼の足は膝下まで地面に食い込んでいた。

 バッとウーナが間合いを取り直すと、彼の腕はプルプル震えて、指が固まってしまったように両手で柄を握りしめたまま、大粒の汗を垂らしているだけだった。

 再びウーナが踏み込むと苦悶の表情を浮かべながら、口の中で何かをつぶやいていた。

 禍々しい怖気を感じて、一刻も早く斬ろうと振りかぶった瞬間。


 隣のイセルがウーナを横から抱き寄せるように、大盾の中に入れた。

 ドッッッゴォォォン!!

 爆風が大盾を凄まじい力で押したのがわかった。

 しかし、イセルは封じ込めるように押し返し守りきった。

 ガルバーンもその一瞬、身を引いて爆発を逃れていた。


 「禁忌術式」


 ウーナを爆発から守ったイセルはボソッと囁いた。

 禁忌の魔術。

 確か、神に授かった魂そのものを魔法で干渉したり、エネルギーとして消費する魔術。


 「なんておぞましい」


 ウーナは信じられないようにつぶやいていた。

 イセルが大盾を退けた先には、地面から膝まである足が生えていた。

 そこから上は弾け飛んだようだ。

 その向こうに、余波を食らったのか、サイソンの一人が、もごもご(うごめ)いていた。彼の手足がない。

 吐き気を催す光景だった。


 「イセル、ありがとうございます」

 「ウス」


 こんなことが起こったのに彼の心はダメージを受けなかったようだ。

 彼の魂には不動の何かを感じる。

 ウーナも一つ呼吸を置いて心を入れ替えた。



 ブブー、ブブー!


 ウーナの前に敵兵がいなくなった瞬間、コーンウォール陣営の角笛がなった。

 そして、ジュディカエルが動いた。

 彼の率いる騎馬隊が中央の敵本隊に突撃したのだ。


 敵が今ウーナたちを相手している左翼に騎馬隊を投入しなければ、彼らの左翼は崩壊することになるだろう。

 そこでジュディカエルは先手を打って中央の趨向(すうこう)を決めにかかったのだ。

 騎馬隊で人数のいる中央の隊列をズタズタに切り裂けば、敵戦力を大幅に減らしてコーンウォール陣営が勝利できると踏んだのだ。

 中央の味方が大きく道を開けると、間髪入れずにジュディカエルを先頭とした騎馬隊が突っ込んだ。

 色とりどりの魔力を纏った大質量と凄まじい速さの騎馬たちは敵歩兵を吹き飛ばし、槍で串刺しにし、敵隊列に大きな穴を穿った。

 そして、味方歩兵がその大穴に追撃をかける。

 これで中央は貰った。

 ただ、ジュディカエルの騎馬隊が突き抜けた先に、敵の騎馬隊はいなかった。

 敵騎馬隊の向かう先は……。



 「騎馬隊、来るぞ!」


 ガルバーンの叫びで右翼が戦慄した。

 敵の指揮官は、ジュディカエルの騎馬隊の突撃を受けても中央は崩れないということに賭けたのだろう。ウーナたちのいる右翼、つまり敵の左翼を騎馬隊によって優勢を取り戻しに来たのだ。


 「固まれ! 一人でいると蹂躙されるぞ!」


 ガルバーンが自らの場所に人をなるべく集めるように呼びかける。

 ウーナにも敵の騎馬隊が、背後に爆破したような砂塵を巻き上げながら向かってくるのが見えた。


 ハイレーンズの襲撃を思い出す。

 ナイフ一つ持ってなかったあの時。ローナンがなんとかウーナをかばってくれたこと、村で倒れて事切れていた人、そして精霊石の輝きと覚醒。

 気づけばガルバーンたちの密集を離れ、前に出ていた。

 ガルバーンたちが叫び、ウーナを引きとめようとしている。

 地面すれすれを飛んでいるようにすら見える勢いのマーシアの騎馬。

 精霊の囁き。

 ゴオオッッ!!

 ウーナの周りに竜巻でもできたのかと思える青色の渦が巻き上がった。

 それは天高く螺旋らせんを描いて、ウーナに集まっている。

 青の魔力が集まっている。

 ウーナの体は光り輝き始め、そしてパッとその輝きが消えたかと思うと、彼女の剣が何倍にも膨れ上がったように輝いた。

 周囲の魔力はウーナに、ウーナに(つど)う魔力は愛剣ニーフィライに。

 あまりの輝きに周りが暗くなったようにすら見えるほどだ。


 敵の騎馬がウーナの目前に迫った。

 輝く剣を携えた少女が敵の目にも見えたのだろう。

 先頭の騎馬がまっすぐウーナに突っ込んできた。

 そして、遂に、その輝きが放たれた。


 『飛剣』


 ズオオオッッッッ!!!


 少女が横に薙いだ剣から青白い光が横線となって迸り、眼前の軍団を通り過ぎた。


 ドッガッシャァッ!


 崩れ落ちた巨大な軍馬や、騎士たちの塊が、粉塵とともに少女に押し寄せた。

 もうもうと舞い上がっていた粉塵が収まると、そこには一人の少女が立っていただけだった。

 別に一薙ぎで敵騎兵隊を全滅させたわけではない。

 しかし、指揮官や、マーシア国の最高戦力が集っていたであろうその中心が撃ち抜かれたのだ。

 その他敵騎馬たちは連携を乱し、ガルバーンの集めたカムリの戦士の密集地帯に各個突っ込んでは撃退された。

 騎馬隊は突破力を一点に結集しないと効果がないのだ。

 中央も無事、優勢を決定づけたようだ。

 そして敵のラッパが鳴り響いた。


 パーパラ、パーパラ、パーパラ………。


 その遠ざかるラッパの音は間違いなく撤退の合図だろう。

 敵軍は中央と左翼で敗北した。

 戦闘継続不可能と判断したのだ。

 敗走していく敵騎士たちを見て、グウィネッズ・コーンウォール陣営全ての人々が喝采を叫ぶ。

 大地を揺らすほどの大喝采。


 戦争に勝利したのだ。


次回、11月1日です。


出来に満足できません。改稿するかも。

やっぱり戦争を文章で描くのは難しいです。

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