15、ディナス・ファラオン/『Nifilau(ニーフィライ)』
ローナンがモン島に向けて旅立った頃、ウーナ達騎士団はコンウィ河に沿って南に移動していた。
団員は百を越える大所帯だ。武具や食料を積む馬車を含めて、長い列を作っている。
左手にコンウィ河、右手には霊峰スノードン山に連なる高い山々が切り立って聳えている。コンウィの水源の近くだからか、道にはポツポツと円形の家屋が点在している。
山から吹き降ろす冷たさを帯びた風が、澄んだ空気を運ぶ。恵まれた水源が、山や地面に豊かな緑を育んでいる。
「どこへ向かっているのですか?」
ウーナがガルバーンに尋ねる。
「ディナス・ファラオンさ」
彼はニッと笑みを向けながら得意そうに答えた。
そこにギルロイも会話に入ってきた。
「ディナス・ファラオンって、かのアンブロシウスの城ですか?」
「そう、大熊アルスルの叔父アンブロシウス様の城だな」
「へ~、噂には聞いていましたけど、どんなところなんです?」
ガルバーンはまるで遠見するかのように山々の方に目を細めた。
「それは、行ってみてのお楽しみってヤツさ」
しかし、ウーナはこの時期にマーシアとの国境から距離を置くことになるのが気がかりだった。
「どのような目的でそこへ行くのでしょう?」
「さあな、団長の考えは深いからな。城近くでは馬達が育てられてるから、案外軍馬の様子でも見に行くんじゃないか?」
ウーナは先頭を行くジュディカエルの背中を見た。
ジュディカエルはしっかり前を見据えて道を行く。
一行は広いスノードン山脈の中部あたりでコンウィの流れに別れを告げて渓谷に入った。
昼間はひたすら山道を行く。
夜は簡易な円形の、ゲルのようなテントを張って床につく。
「オオカミだ!」
ある夜、隊がオオカミの襲撃を受けた。
ウトウトしていたウーナは一気に覚醒して、剣を取った。
皆もガバッと起き上がって武器を取ると、次々とテントから出て行く。
大きい!
ウーナが垂れ幕をくぐって外に出ると、尻尾も含めると全長2メートルほどもあろうかという灰色のオオカミが群れをなして隣のテントを襲っているのが見えた。
ウーナにも一匹が飛びかかってきた。
まるで大熊が覆いかぶさってくるような跳躍に、魔力を全開にして迎え撃つ。
「ハァッ!」
気合の哮りをあげて一刀の元にオオカミの巨体を両断した。
寝起きで強制的に目覚めさせられたせいか、斬撃が荒々しくなってしまった。
オオカミの肉が飛び散る。
するとグウィンがウーナに叱責を飛ばした。
「ウーナ! 魔力を抑えろ!」
「えっ?」
ガルバーンはウーナが切ったオオカミを見て嘆きの声を上げる。
「ああ~! 大事な肉がぁ!」
「ええっ!? 肉!?」
食料は無限にあるわけじゃない。騎士団はこのところ一食につき、固いパン一つにチーズを一欠片、そこらに自生している野草を採って食べているのだ。
少女のウーナはそんなものかと思って気にしなかったが、男たちには少々すくなかったようだ。
ウーナの強力な魔力を見てオオカミたちが後ずさりし始めた。
慌てて呼吸を整えて魔力を押さえつける。
「逃がすなぁ!」「肉ぅ!」「肉を追えっ!」
どうやらこの騎士たちにとって巨大なオオカミも食べ物でしかなかったようだ。
ウーナは男たちの活気に満ちた叫びに、ややついていけない感覚になりながら剣を鞘に収めた。
曠野が崖になっているような草木のまばらな谷を行くと、大きな湖が草原の向こうに見えた。
「アフォン・グラスリン……」
グウィンがつぶやく。
「有名なのですか? お兄さま」
「アルスルが死に際に彼の宝剣を投げ入れさせたと伝えられる湖だ」
濃い緑に覆われた山と山の間に溜まっている大水は、キラキラと水面の光を反射している。湖とグウィンはいったが、その実山の上のスリダウ湖から流れてきた河でもある(アフォンは川の意)。
「他にも湖は底なしであの世に通じているだとか、ここらで一晩過ごすと頭がおかしくなるとかすごい詩人になるとか。この湖にはいろいろ言い伝えがあるみたいだな」
ガルバーンは楽しげに言った。
ギルロイが気味悪そうな視線を湖に向けたのがわかった。
ウーナはギルロイの様子にニヤけないようにしながら聞いた。
「では、かの王の剣はあの世にあるのでしょうか?」
「そうかもな」
それは残念。
先頭にいたジュディカエルがそこで振り返った。
「ウーナ、いい剣が欲しいか?」
そんなことを聞かれてはつい期待してしまう。
周りの皆もジュディカエルの言葉に、ザワッと声にならない落ち着かなさが現れた。皆もいい剣が欲しいのだろう。
「いただけるのですか!?」
ウーナも食い気味に聞き返してしまった。
今彼女の腰にある剣は悪いものではないらしいが、所詮は鋳造の量産型だ。
「ふふふ、どうかな?」
意味深な団長の言葉にウーナは期待を膨らめせた。
グラスリン湖に近づくと雲がかかり始めて、水面が透き通って見えた。
期待しすぎるのは良くないが、この湖に沈む宝剣のような立派なものが貰えるなら騎士冥利に尽きるというものだ。
アフォン・グラスリンを過ぎると再び、幾分小さいが、前方に湖が現れた。
しかし、隊の皆が右上を仰いでいる。
「ウーナ、見てごらん」
グウィンもそれを指差してウーナに教えた。
ウル・ウィズヴァ。
又の名を、霊峰スノードン山。
カムリで、いや大ブリテン全土で最も高い山だ。
遥か雲の上を突き抜けて頂が見える。
隊員の中には十字を切る者や自らの神に祈りを捧げる者すらいる。
カムリに生きる者には特別な場所なのだ。
ウーナは遠く空高く聳える頂に、なにかカイヤナイト晶石を手にした幻の湖の気配を感じた気がした。
再び一行が歩を進め始めると、雲が天から落ちてきたように霧がかかり始めた。
小さな湖も対岸が見えないほどだ。
先ほどのスノードン山といい、ウーナに昔のことを思わせるものがここには多いようだ。
懐かしいような気分でみんなの背中についていく。
カラン。
どこかでベルのような音がした。
霧の中を音が木霊しているようにも聞こえる。
「見えてきたぞ!」
しばらくして誰かが叫んだ。
今度は何が現れたのだろうか。
「ふぃ~、やっとついたか」
ガルバーンも疲れたといった声を漏らす。
「今度は何が見えるのです?」
ウーナが兄に聞いた。
グウィンは微笑んで前方を見上げただけだった。
霧の中に小山の影が見えるだけだ。
しかし、ちょうど雲が晴れて陽光があたりを照らした。霧が光を浴びて金色に輝くと、太陽の熱を受けたからだろうか、一気に霧は空気に溶けて消えていった。
霧が晴れればその全容が明らかになる。
「これが、ディナス・ファラオン……」
簡易な城壁が小山の周囲をぐるりとめぐらしてあり、かなり角度のある斜面に家々が建っている。小山そのものが町になったようだ。そして頂上には本丸であろう四角い城がウーナたちのことを見下ろしていた。
隊員たちが行軍の疲れか、ホッとした声を漏らしているのが隊列のそこかしこから聞こえる。
デガンウィからここまで丸三日歩き続けたのだ。
団長のジュディカエルが振り返って皆んなに聞こえる大声で呼びかけた。
「皆、長旅ご苦労! 城に荷物を下ろしたら今日は休みにしよう!」
おお!
隊員たちの疲れながらも元気な返事が長い列全体で叫ばれた。
**********
ディナス・ファラオンの急勾配を登りきった城で一休みすると、ウーナはジュディカエルと共に坂にある小さな町に出てきた。
靴屋や金物屋、鎧作りや鍛冶屋まで、戦士に必要なものがここではなんでも手に入りそうな雰囲気の場所だ。
煤けた感じは行き交う人がみな職人か、男っぽい戦士たちだからだろうか。
今までウーナが感じたことのない町の雰囲気だからか、それともこんな場所ならいい剣が手に入れられそうだからか、彼女は長旅で疲れていたにもかかわらずワクワクしていた。
そんなウーナに父親がニヤリとして視線を向ける。
「待ちきれない感じだな」
子供がおもちゃを欲しがっているようで、ウーナは意地を張った。
「……別に、そんなことありません」
クックとジュディカエルは笑う。
「俺は、何が、とは言ってないぞ」
ウーナは父をジトッと見てプイッと顔を背けた。
「いじわるしないでください」
あはは、わるいわるいと楽しげに手を振った。
「いや、からかい甲斐のある子はいい子だよ」
「もう、子供扱いして」
カラン。
そこでまた先ほどのベルのような音が鳴った。
「ウーナ、おそらくウーナの望みのものはヤツが運んできてくれるぞ」
ベルは坂の下から聞こえる。
子供のようにはしゃいで駆け下りないように自制しながらも、心の中では期待に胸を膨らませる思いがいっぱいだった。
坂を登ってきたのは、大きな黒い牛を引き連れた老人だった。
「おお! ジュディ坊! 帰ったか!」
羊飼いのような先端に小さなベルをつけた杖を持っている。ターバンみたいな模様の変わった帽子。もじゃもじゃの白いあご髭を蓄え、目元が隠れるくらいのフサフサした困り眉が特長の老人だ。
ウーナは、まるで昔見た旧約聖書の挿絵ににある東方三賢者のようだと印象を抱いた。
「エドゥ爺さん、坊はやめてくれよ」
ジュディカエルは苦笑しながらも彼、エドゥと抱擁を交わして再開を祝した。
「ははは、いつまで経っても年の差は変わらん。つまり、いつまで経ってもお前は坊だ、そうだろ? ん?」
「もう結婚して子供もこんなに大きくなってるんだよ、爺さん」
ジュディカエルは手振りでウーナを紹介した。
「おお! これが噂の下の子か! どれどれ、ホウホウ。これはなかなかどうして、際立った魂を持っておる」
エドゥの勢いに飲まれながらも、ウーナはなんとか挨拶をした。
「初めまして、ジュディカエルの娘、ウーナです」
「ああ、ああ。初めまして、わしのことはエドゥ爺とでも呼んでくれ」
ふぉっふぉ、と愉快そうに笑った。
父ジュディカエルとエドゥ爺の絡みはウーナにとって新鮮だった。
普段のジュディカエルは、厳格で軍規を重んじる団長としての振る舞いか、仕事の疲れを残した笑顔を見せる一人の父親らしい振る舞いが多い。
おちゃらけている時でさえ、どこか人の上に立っていると思わせる印象なのだ。
だが、エドゥの隣では爺さん、坊と呼び合いながらも気のおけない対等な感じを受ける。
新しい父親の一面を、ウーナは彼らの背中から感じていた。
町の人たちと挨拶を交わしながら、二人はあれやこれやと近況を語っていた。
ウーナはそれに割って入ることなくついて行く。
エドゥと黒牛に合わせて坂を登って、城近くの空き地に行くと人通りも少なくなる。彼らはそこにあった丸太に腰を下ろした。
「それで」
二人の雰囲気が変わった気がした。
「デヴァの指揮官ベルドハンの暗殺は耳にしたか?」
「ええ、デヴァから防衛戦力だけ残して兵が引いたことも」
ウーナも二人の座る丸太に一緒しようかと思ったが、どうやらそんな雰囲気でもないらしい。少し離れた壁に寄りかかって、黒牛と一緒に会話を聞くだけにした。
「ポウィスの前線にも兵力は集まらん。当分国には来ないかものう」
二人は意味ありげに視線を交わした。
「カムリに来ない。ならば引き上げた兵はどこへ行くのか」
「ジュディ坊、お前さんもそれが分かっているから、わざわざ前線から離れたこんな山奥にまで来たんじゃろう?」
ふー、とジュディカエルは息を吐いた。
「ピクトへ行ってくれればいいんですがね」
「今のコーンウォールは脆い。それをサイソンも分かっておるじゃろう」
ウーナはようやっと二人の会話が掴めた。
マーシアが戦争を仕掛けるのはコーンウォールと予測しているのだ。
カレドニア(スコットランド)のピクト族はケルト系ではあるものの完全に没交渉。いまや同胞意識はない。
コーンウォールの民はカムリと同じブリトン人だ。サイソンの侵略の闇の中で離れた場所に分けられて連絡は少ないが、コーンウォールとはまだ同胞意識が大きい。
海を隔てた南の地でマーシアと戦争になればウーナ達騎士団も助太刀に行くこととなるのだろう。
ふつふつと火にかけた水が沸騰し始めるように、ウーナの心には戦慄が泡立ち始めてきた。
「まったく、こんな時に頭のおかしい連中がポウィスに来ておるときている」
「清浄派とかいう新興宗教ですか?」
「神秘主義だか秘密主義だか知らないが、アレはキリストではないだろう」
清浄派。
ウーナの愛するハイレーンズにも来ていた連中だ。諍いを起こしてみんなを困り顔にさせるイメージしかない。
「ポウィスといえば、この前奇怪な病が目撃されたとき来ましたが」
「さあな、病についてはあれから音沙汰はない。だが、ポウィスの兵はもしかしたら動かせない事態になるやもしれぬ」
ジュディカエルは深刻な表情で押し黙ってしまった。
「どれ、ウーナと言ったか、どの程度のモンなのか見てやろう」
彼らの話は終わったのか、側で待っていたウーナにエドゥ爺が声をかけてきた。
ウーナには意図が掴めず警戒した。
一瞬、エロジジイなのかと思ったのだ。
「ウーナ、エドゥ爺は俺の剣の師匠なんだ。一度お前の剣を見てもらうといい」
それが勘違いと分かれば否やはない。
むしろ騎士団長の師匠なら願っても無いことだ。
「はい、宜しくお願いします」
「おお、その前に」
エドゥは引き連れていた黒く大きな牛の背から、紫の布の巻かれた棒状のものを取るとウーナに渡した。
「お前さんの父親から頼まれていたモンだ」
ウーナは驚いてそれを見て、ジュディカエルを見た。
父は優しい目でウーナを見つめ返していた。
もはや、それが何なのか、ウーナは確信していた。
クリスマスのプレゼントの包みを開ける子供のような気分で、ウーナは早く早くとはやる気持ちを感じながら、布を解いた。
そう、剣だ。
ハァ。
感嘆の息がウーナの唇から漏れた。
最高級のカーフ革を巻いた柄。鍔と柄頭には葉と蔓を抽象化した金色のレリーフがあしらってある。
しかし、何より目を引くのはその刀身だった。
古代文字が密かに樋となり掘られている。
鋼と聞けば鈍い輝きを思い浮かべるかもしれないが、この輝きは透き通っているかのような美しい輝きだった。まるで氷そのものが刀身となったような鋼なのだ。
ウーナが一振りすると、ヒュンと空気を切る高い音がした。
「銘はニーフィライ。気に入ったか?」
ジュディカエルがいたずらに成功したような、それでいて父親が子供を愛でるような笑みでウーナに聞いた。
「これをホントに頂けるのですか?」
「ああ、おめでとう、それはお前のものだ」
これまで騎士になることを許してもらえなかったウーナは、ジュディカエルから剣を貰える日が来るとは一度も思ったことはなかったのだ。
それがこれほどの名剣を与えられるとは。
ウーナはその剣を胸に抱いて子供のようにぴょんぴょん跳ねて喜んだ。
「嬉しい! お父さま、ありがとう!」
先ほどのきな臭い話などなかったかのように、二人の大人も少女のあどけない様子に微笑みがこぼれた。
次回、10月26日です。
お待たせしました。ここからしばらくウーナちゃんのターン。
ディナス・ファラオン。
この城はアーサー王伝説において非常に有名な場所です。
大昔の(実在した)ブリテン大王ボーティガンがサイソンに追われてグウィネッズに退避して居城を立てようとした時の話。塔を建てても一晩で崩れるのでその理由を魔術師に尋ねると、いわく、人の男との間に生まれていない子供が理由を突き止められるとか。大王がその子を探させると、父親の分からない子が見つかりました。
名は、マーリン。
少年は塔のある場所に行くと、一目で塔が崩れる理由を見抜きました。塔の下の地下空間に二頭のドラゴンが戦っているのだと。その振動で毎晩塔は崩れるのだと。
この伝説の伝わる場所がこのディナス・ファラオンです。
行ってみたいものですね。